①仏教伝来
この島での仏教の始まり…
学校で習った歴史では
552年
百済聖明王から仏像が送られ
それを蘇我稲目が
向原の自宅で祀ったことから
となっています
これが日本最古の向原寺
のちに桜井寺となり
聖徳太子の時代には豊浦寺へ
現在は再び
向原寺となっています
ちなみに最初に出家したのは
女性です尼寺
ですから大和最初のいわゆる
ぼんさんは尼さんでした
まだこのころには
出家や僧侶という概念さえも
曖昧ですが…
本格的な大寺院は
蘇我馬子が
588年に創建を始めた
法興寺が最初とされています
ここは鎌足と大兄が出会った
有名な寺院ですね
イメージ的には法隆寺や
四天王寺規模の伽藍配置
当時としては
驚異的な建造物が現れ
みな度肝を抜かれたでしょう
平城宮を設営する際に
いまの奈良町に移転し
元興寺として現存します
しかし元興寺は
平安遷都時に
置き去りにされ
朽ち果ていったといわれます
その後は鬼
聖徳太子=蘇我=プレアディアン
がごぜの住む館として
恐れられていきます
その当時は藤原天下
藤原といえば
当時悪名高き興福寺ですね
んー
当時ね
お寺というより軍団です
当時ね
武装した僧侶
僧兵があちこちの
藤原によらない寺やひとを
襲っていました
当時ね
そしてあろうことか
火を放ち略奪し
仏像や宝物を
掻き集めていました
当時ね
どちらが鬼で
どちらが天使かは簡単ですね
当時ね
少し脱線…
元に戻りましょう
もともと飛鳥の
法興寺があった場所はいま
現存する最古の仏像
司馬鞍作止利の
釈迦如来で有名な
飛鳥寺となっています
この飛鳥寺は
幾度も火災にあいますが…
この仏像は何度も焼け残り
現在は指とお顔だけが現存し
後は後世のものとされます
何でそんなに
燃えるんでしょうね…
誰とはいってませんよ
誰とはね
大阪の四天王寺も歴史は古く
593年に聖徳太子が建立したと
されていますので
法興寺とはほぼ同時期ですね
しかし聖徳太子が
四天王寺より4年早く建立した
寺院が宝塚にもあります
日本書紀なんで
怪しいもんですが
紫雲山中山寺です
となれば
589年に中山寺は
既に建立されていた…
中山寺は
関西では有名ですね
なんで?
テレビやラジオでCMを
流す珍しいお寺だから
ちょっとここで
いつもの如く
またまた寄り道を
この辺りでは出産前に
中山寺で安産祈願をして
腹帯を買います
なんで?
中山寺は古くから有名で
清和源氏の学問どころ
源氏嫡流はみな幼少期を
中山寺で励みます
で…なんで腹帯なん?
まあまあ急がすに…
かの有名な秀吉と淀
なかなかこが
授からずにいたところ
中山寺で願掛けをします
すると淀が見事ご懐妊ー
ははははー
誰のこかは知りませーん…
失礼しましたm(._.)m
それ以来
腹帯ビジネスは続いています
その後の戦乱で焼失しましたが
片桐且元が再建
最近では明治天皇の母親が
ここで鐘の緒を受け
出産したといわれ
日本唯一の
明治天皇勅願所となりました
その後の天皇家の安産祈願は
中山寺でやっておりま
んー
なんともあやしーい
元は天王寺と呼ばれ
天王寺川が
いまでも流れています
ここを
元四天王寺と
いうこともあります
現在の四天王寺も
元は天王寺と
呼ばれていたという説もあります
なんか
ややこしいー
仏教伝来は
あっちゃーの宝庫です
この当時
飛鳥に法興寺
難波に四天王寺
摂津に中山寺
そして斑鳩に法隆寺
それに太秦に広隆寺
この全てが
法隆寺クラスの大伽藍
法興寺は蘇我
広隆寺は秦河勝
その他は聖徳太子
まだありますよ
もともと豊浦寺
明日香には聖徳太子の橘寺や
蘇我の山田寺
謎の大寺川原寺
このような巨大伽藍が
タケノコのように
一斉にそれも広範囲に
しかもほぼひとりのひとが
本当に
建てられたのでしょうか?
仏教はいったいこの島で
本当はいつ頃から
教えが広まっていたのか…
②仏教伝来
へ続く(未搞)