晴走雨読 菊千代 -51ページ目

明日本番

いよいよ明日は第10回シーガイアトライアスロン大会です。


今朝の6時からコース設営や、ボランティアの皆さんへの説明会、選手説明会、


ゲストの方々の楽しい座談会や抽選会、そのあとスイムのクリニックと


スケジュールがとどこおりなく進みました。




オーシャンドームでの選手説明会!!


雨の中の作業でしたが、知り合いのエントリーした選手と合うたびに元気をもらいます。


「今年もよろしくね」


「いやいや、頑張ってね!!」


それだけの会話ですが、それですべてが通じます。


こんな単純な喜びが10年続けられた一つの要因でしょうか。



明日は雨、雨、雨ですが、それはしょうがありません。


雨中を楽しむ事がいい思い出になります。


1年のうちでこんな機会を頂いた事に感謝です。


「精神一到なにごとかならざらん」


明日の選手のパーフォーマンス、本当に楽しみです。






第10回シーガイアトライアスロン

昨日午後7時から12回目ののシーガイアトライアスロン運営委員会が行われました。


昨年の12月から始まり、約15名の運営委員が実行委員長、事務局を中心に

最後の確認作業を行いました。




今回は第10回の記念大会です。

エントリー選手も600人を越え、過去最大の人数となりました。

全国的にみても参加人数はベスト5に入る規模の大会となりました。



私はバイク部門を担当してます。


コース管理、設営、備品管理、ボランティア担当、審判、選手説明会資料作成、その他雑用と

神経をつかうもろもろの仕事がありますが、


エントリーされた選手が気持ちよく完走してもらうため奮闘しております。(^_^;)

しかし、見落としやハプニング、突発事故が毎年あります。




6月3日は午前8時30分レギュラー部門がオーシャンドームでスイムスタートです。

応援、スタッフ、ボランティア、選手2000人近いプラスのエネルギーと熱気が渦巻きます。


是非、応援や見学に来てください。



また、選手の皆さん、トライアスロンは完走すれば皆勝者です。

レースを楽しんで、笑顔でゴールフィニッシュしてください!!


そして、いい思い出と完走の喜びをじっくり味わってください。






バンク

9時より来週に迫ったシーガイアトライアスロンのすみだし作業を12名で行いました。


図面よりトランジッション(自転車を置くスペース)の角々にガムテープを張り

その後、コーン、コーンバー、おもしの数を確認して終了。


お昼をガストで頂いた後、6月17日の県体トラック競技の練習に木花のバンクに行き

藤○さんのピストをお借りして初めてバンクを走りました。



  バンクとピスト


以前に一度バンクを走ったのですが、その時は傾斜のある白線のレコードラインは怖くて


走れませんでしたが、今日は藤○さんのアドバイスで、下を見ずに右前を見れば大丈夫


という言葉を信じて走ったら、少しずつ白線上を走ることができるように

なりました。


400mバンクを6周走った後、ピストをお借りして、まず200mのタイムを、その後400m、

そして、スタートダッシュの練習、最後に隊長と藤○さんに引きつられて10周先頭交代の

練習をしました。


もう何年も経験してない全速の無酸素運動の領域でしたので終わった後はぐったり

100kmのロード走行よりこたえました。


しかし、カンパのディスクホイールのゴオオォォ~という音とバンクの傾斜を走る爽快さは

やみつきになりそうです。


ちなみに400mのタイムは36秒でした。(途中の200mは21秒)

33秒台で走ると入賞できるそうですが、私にはもう目一杯でしょうヽ(;´Д`)ノ


練習が5時に終わったので、青島のトロピカルロードまで足を運びました。




 トロピカルロードより青島を見る


サーファーや海水浴をしているおにいちゃん、

バーベキューをしているグループなど皆さん楽しんでいます。



 青島神社の参道



 参道より逆光の風景



 逆光の加江田川


今日の収穫はバンクに慣れた事、

ピストに乗れたこと、そして思ったより楽しかった事。



おやじさん、藤○さん、隊長、H口さんありがとうございました。

6月17日の県体は楽しんで乗ろうと思います。






団塊諸君 一人旅はいいぞ!!


森 哲志
団塊諸君一人旅はいいぞ!

型にはまった旅より、苦境に陥ったり旅先で見知らぬ人に優しくしてもらった

旅のほうが、より思い出に残るものです。


この本の表紙の印象は、変なおやじのぶらり一人旅の旅行記だと感じました。

ところが、この筆者は元朝日新聞の社会部の記者だったのです。



定年後、150万円の旅費で、アジア25カ国、韓国から始まり、エルサレムまで

特に、カンボジア、アフガニスタン、イラク、パレスチナなどの四大紛争地を

新聞記者の魂を元に取材旅行しています。


行く先々で危険なめにあったり、命にかかるような体験を書いてますが、

出会ったその土地の人々や世界の情勢を生で体験しながらの綴りは

読みごたえがあります。



島国で育った私達は異民族の脅威を日常で感じる事はありません。

それが平和ぼけになっているのかもしれません。


今日も世界のどこかでテロや内紛が起り

たくさんの国同士の争いやかけひきがニュースで流れています。



それを身をもって書き留めたのがこの森哲志さんの本でした。






ソロ

11時過ぎから清武~好隣梅~富土~北郷~然の道~椿山~清武~宮崎の110km

でした。


右膝に痛みがあったので、今日は自重しようと思ってましたが、

乗ってるうちに絶好調となりイケイケドンドン、中年は年甲斐もなく

3つの峠に向かっていくのでした。


まずは好隣梅、木花方面からの上りは海抜10mから急に上りとなります。

内海方面からの上りよりきつく感じます。


この辺はまだ元気がよく

オリャア~オリャア~オリャア~と


ペダリングするのです。



 峠を下る道


内海に着きました。




 内海


ここから富土まで日南海岸を南下、南国らしくブーゲンビリアが咲いてます。

しかし、1年中咲いているような気がするのは私だけでしょうか?


富土からいよいよ両輪バーストした北郷線に向けて走ります。

(まだ根に持っている、一生忘れへん)


この峠、5万図をみても名前がありません。

それで名前をつけました。

昔地図をたよりにふときた峠ですので、富土北峠(ふときたとうげ)

と命名しました。



 富土北峠の中間



この道、以前走行会で、足はつるは、下りで曲がりきれず突っ込むは

足けいれんをおこすは、さんざんドラマがありました。

6月走行会ではしるのでしょうか(笑)


しかし、情緒のある風景が続き、私は好きな道の一つです。


 光ある所に影がある


富土から14kmで峠です。

ここからのくだりがこわい。


グレーチングや落石、14%の下り、サルやトカゲ、ヘビや芋虫のオンパレード。

ブレーキングでリムは焼けるように熱くなってます。


ようやく北郷のコンビニで気合を入れて補給。



 ジョォォォ~ 坂を登るべし!



そこから、然の道にはいり、久しぶりにガラス工房「然」の店主さんと雑談。

鯉のぼりが上がってました。




 クリヤーな作品を見せてもらった


裏椿山に入って、前に不審な自転車発見。


近寄るとフル装備のキャンピング車。

オーナーの方と一時話しました。


冬は沖縄、夏は北海道で暮らす生活をされているそうで、

自転車は移動の手段だそうです。

生活用品をすべてこのキャンピング車に積んでいるとのこと。


まるで寅さんみたいですねと聞いたら、

やはり、行った所でで寅さんと呼ばれていたそうです。


長年自転車に乗ってますが、このような人生観をお持ちの方とめぐり合えたのは

初めてです。


ハハァ~



  装甲車のようなスコット


椿山峠でこれまたなつかしいフレームのクロスバイク車に乗っている

お方とお会いしました。


ケルビム。


学生の頃、ロード班はこのケルビムに乗ってましたよね、中○。

富○さんや宮○さんもケルビムだったような気がします。




  Wレバーになつかしのサドル(なんていったっけこのサドル)


椿山からの下りは爽快でありました。

清武で5時でした。時間があれば荒平山へと・・・

思いません!!乳酸ばりばりです。


スポーツドリンク2本、ミネラル2本、速攻ゼリー1個、栗ドラ1個、レタス巻き1パック、チョコレートバー2本


すべて順調に吸収され、スタート時より体重が増えたのはあたりまえだのクラッカーでした。










伊藤園新俳句大賞

実家の母の歌が、伊藤園新俳句大賞に選ばれ「おーいお茶」の2Lが

記念に贈られてきました。



 さっそくいただきました。



 恙(つつが)なく猫と住みおり枇杷熟るる



 母と猫のロン



 枇杷熟るる



ダイヤルM

ピコピコピコ ピピピピコピコピー

(090-7470-アバタモエクボ)





ツルルル~ツルルル~


ガシャ


あなたのおかけになったアバタモエクボさんの電話番号は

現在使われておりません。


もう一度お確かめになるか

新しい彼女をおさがし下さい。(@ ̄Д ̄@;)


ガシャ


ツーツーツー




♪ 気まぐれで誘うようなつもりが

  思いがけぬ答えさ

  

  都会の真夜中 あなたはどこへ消えた


  何気なく廻したダイヤル

  束の間だけ掠め合い


  時間のgameにあなたは疲れていく・・・


寺尾聰
Reflections

「僕達もう終わってたんだね」


「そうよ、知らぬはナスのホーホケキョ」





5月走行会

昨日は宮崎~西都~西米良往復145kmの走行会、21名の参加でした。

コーディネーターは、かまどうまさん、大変お世話になりました。


出発前のブリーフィングで「うさぎさんチーム」と「かめさんチーム」

2つに分かれていく事になりました。

イメージとしては


ウサギ=速く走る人々

かめ=楽しむ人々でした。


しかし、周りを見ると、ウサギと亀のほかにもタヌキさんや、キツネさんカバさん、などの

ばかしあいのメンバーもそろってましたが、いちおうウサギと亀という事でスタートしました。


行きの西都までは私は亀さんチームで、まあ、若い方先に行ってらっしゃいよという

余裕で若年寄みたいにかまえてました。


ところが、西都を過ぎ早川神社あたりから、もう辛抱しきれんちゃとなり

うさぎさんチームに殴りこみをかけましたが、瓢箪淵の坂で轟沈となり置き去りにされ

へろへろで一ツ瀬ダムに到着。


ここで休憩。



 ダムにゴールする人は、はねきち君と愉快な仲間!!



 神話の国宮崎


にっくき思い出のロードレーサー達(笑)



 ガシガシと上られましたちぎられました (;´Д`)ノ



 バトルをしてもらったピンクギザロ!!



 上り坂でダッシュする彼は21歳!!ヒェ~!!


休憩後、ひたすら亀となり西米良、西米良へと向かいます。



 カメさんチームのトンネル走行


川沿いですが上り基調です。

マルコメP氏、奥様のサポートです。


涙が出るような夫婦の姿 (^_^;)

うらやましい!!






 D難度の走行!!

 



西米良到着、昼食会場でまたもやおばちゃんパニック。

私のダゴ汁定食とS嬢のうどんいなり、オーダーすっかり忘れ去られており

思わず苦笑い・・・




ま、予想はしておりました(^_^;)

おしぼりぎれも・・・



 昼食会場でひといき


帰りは、またも一ツ瀬ダムまでアタックがかかり、かまどうまさんの逃げに6人の集団が

ふんばりきれず、途中の信号にかかるまで集団の大負け。


ダム到着、私気分が悪くなり、ささっとカメさんチームに戻りました。


しかし、あの逃げはすごかったですな~


と、帰りは楽しみながらでしたが、行きも帰りも不思議と向かい風。

何かにたたられているとしか思えない1日でした。


夜は夜で、反省会を10時まで楽しみ、浮世離れしたサイクリストは次回を楽しみに家路をたどるのでした。














ミヤタロンヤマネコ

宮○県は8日、宮○市宮田町で23年ぶりに、国天然記念物のミヤタロンヤマネコの

生息が確認されたと発表した。



 ミヤタロンヤマネコ


環境庁の委託で菊千代のNIKON COOLPIXが7日夜、菊○清○邸の駐車場で

夜這いをかけようとする個体をとらえた。


性別は玉無しの♂らしいが、栄養状態は良好とみられる。

ミヤタロンヤマネコは環境庁野生生物保護対象となっているが、


ここ数日の温暖な気候と八幡神社の森林伐採でエサが無くなり、

人里に出没したとみられる。


ネコジャラシ等でからかうと爪を立て、非常に危険なので注意する必要がある。

くれぐれもネコマグロ缶などのエサを与えないようにしてほしい。



 旧佐伯邸へ向かうミヤタロンヤマネコ




14歳太平洋単独横断

私の子供の頃の夢は堀江健一さんの「太平洋一人ぼっち」

にあこがれ、ヨットで太平洋を横断することでした。


25年も前、福岡県遠賀郡水巻町に住んでいた頃、

職場にヨット同好会があって中古のヨットにのってました。


「デラシネ」という船名で8人ほど乗れるヨットでしたが、

レースに出れば、パーティーが終わり料理がなくなる頃にゴールする

という鈍足艇でありました。


おまけに、船酔いに弱いクルーばかりで、遠賀川を出て外洋に入った瞬間

「おい、帰ろーぜ」と船酔いでヘロヘロになり、ヨットハーバーの方々が

デラシネはだらしねえと笑っておりました。


この時に私の太平洋横断の夢は消滅したのですが・・・



さて、この本、14歳の中学生が単独で太平洋を横断した日記です。


高橋 素晴
それから―14歳太平洋単独横断

高橋素晴氏は小さい頃から自然の中で生き抜く教育や知恵をさずかり

あの世界一周のヨットマン白石鉱次郎氏の講演を聞き、

自分も太平洋を横断したいと決心しました。


それは14歳の夏、

うち続く嵐の中で肉体の限界を知り、大型船にぶつからないように

不眠不休で神経を集中させ、無線の故障では、宇宙や海と交信し

悟りの境地に達して、ヨットを自在に操りついに55日で太平洋を横断しました。


この航海記はこれが本当に14歳の中学生の文章かと思えるほど

哲学的であり、故障やアクシデントには14歳とは思えないほど落ち着いて対処しており、

自然に逆らわず、自然と一体となった航海を宇宙的な感覚で書いている。


この航海には危険すぎるだとか、親のエゴだとかいろんな非難があったそうだが

母親は、小学6年の頃、自転車で新潟、佐渡を一周した時のほうが心配だったと

言っている。


確かに、経済的、その他のたくさんのサポートがあって出来た事であるが

生死の境目の旅に出るのは、自分自身の決心がないとまずありえない。


この航海で高橋素晴氏は、計り知れないほどの経験を体験しましたが、

この本の題名の「それから」という言葉にあるように


高橋素晴くんはこれから又自分自身の生き方を探していくのでしょう。