上峠城跡・謙信一夜城・上代権現谷1号墳を探索する | 西村治彦の日記

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上峠城跡・謙信一夜城・上代権現谷1号墳を探索する

 この日は、佐倉市にある「城跡遺跡」を訪れました。広大な面積の「城跡遺跡」です。丁度、「佐倉西高校」の裏手にある遺跡です。

その隣は、「東邦大学佐倉病院」であります。

「佐倉西高校」の校庭には、「古墳」があり、延長上に、「上峠(かみとうげ)城跡」があります。

 「いやー!」広いですね。この広大な地に、城跡を含む古代遺跡がありました。

草ぼうぼうであった遺跡は、佐倉市の管理なので、草はよく刈ってありました。

 これから ここを広大な公園にする計画で、佐倉市が、管理しておりました。

 私と同行の黒子さんは、小高い丘の上にある「上峠城跡遺跡」を歩きました。

丘の下には 小川も流れておりました。

丘の上に登り、遺跡の周辺を廻りました。

結構 時間が掛かります。遺跡からは、佐倉西高校が見えます。

 誰もいない中世の城跡遺跡、まだまだ開発されていない「遺跡城跡」があるのだな!と思いました。

 

この「城跡」を降りて、次は、「謙信一夜城跡」に行ってみます。

「上杉謙信」が、「臼井城」を攻めた時に、ここに「城」を築き、

兵士たちが寝泊まりしました。

「上杉謙信」が寝泊まりしたので、「謙信一夜城」と名付けられました。

現在は その跡地が「一夜城公園」として整備されています。

まあ、記念の「城跡公園」です。私と黒子さんは、記念写真を撮りました。

 次に、やはり佐倉市にある「上代権現谷1号墳」に行ってみます。

この古墳は、上代権現谷にあるので、そう呼ばれています。

上代権現谷1号墳」は 円墳で 径約10m、高さ約3m 上代権現谷台地上にあります。

「権現」とは、日本の神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする「本地垂迹(ほんちすいじゃく)思想」による神号であります。

「権」という文字は「権大納言」などと同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「れた」ことを示しています。

 古墳の上には 神社が よく建っております。

古墳は、古より、「神」と称えられ、丁寧に扱われていたことが分かります。

この日は 午後は天気が悪く、大雨になりました。

少し早めに帰ります。次回は、もう少し大きな古墳を探して出掛けたいと思ったのでした。

 

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