ワールドシリーズ第2戦が行われている。ドジャースにはヒットやホームランがけっこう出ているが、大谷選手は外野フライか三振が多い。DHなのだから、ホームランではなくヒットでいいから、アウト要員にはならないでもらいたい。

 コロナが5類に移行してから、コロナが原因で亡くなった人は約3万2千人で、インフルの15倍。

 記録として残しておく。

 自民党のCMが流れている。「自民党はルールを守る。・・・」から始まる。

 一般社会では、ルールを守ることは当たり前のことである。これが自民党の最初の目標なのか。「ルールを守りましょう」と教わるのは3~4歳頃で、小学1年生だと学校のルールや交通ルールをまじめにしっかりと守る。破ることは無い。

 日本では、国民の代表である政治家が最も幼いということか。今朝も自民党議員の不適切行為がニュースになっていた(小泉選対委員長が車の箱乗り)。

 国会議員が成長することは無いと思う。党内のしくみが少し改善されたとしても、嫌々従っているのだろうし、抜け穴を探しては何とか悪事ができないかと必死な人たちだと私は感じている。そして選挙演説で言うことは、やりもしない立派なことばかりで、泣きながら、走りながら必死になって国民をだまそうとする。そして当選した翌日から表情や態度を豹変させる。本当に悪い人たちの集まりだと思う。

 女性国会議員といって頭に浮かぶのは 「恥を知りなさい」、「愚か者の所業」の三原じゅん子氏、「愚か者めが」、「くだらん選択をした馬鹿者」の丸川珠代氏、多くの問題発言について撤回謝罪を繰り返してばかりいた稲田朋美氏、少子化担当大臣として何もできずに少子化を進めた青いドレスの猪口邦子氏、その他不倫の今井絵理子氏や統一教会訪問の生稲晃子氏、そして言わずもがなの小渕優子氏、高市早苗氏などである。野党では、批判担当の辻本氏、元議員の蓮舫氏、不安定な社民党の福島氏などであろうか。

 もちろん、男性国会議員もご覧の通りのありさまではあるが、国内政治や外交など(結果はひどいが)最低限の国家運営は行っている。女性議員達の中で、それらを自立的にできる能力のある人はいない。

 女性先人議員たちがこれでは、「女性国会議員を(強制的に)増やそう!」と言われても、「ちょっとやめて~」と思うのではないだろうか。

 女性の地位向上を主張するためには、どの分野においても、女性側の心構え(責任感等)や知識・能力が男性と同レベルであることが大前提である。

 

「どうか、どうか助けてください」と泣きながら懇願する丸川珠代氏のアップの顔がネットニュースに載っていた。

 彼女こそが、日本の国会議員の象徴だと思った。彼女のこれまでの言動を見れば、日本の国会議員とはどういう人達なのか、わかりやすい。

 男性でポニーテール(後頭部ちょんまげ?)にしている人で、顔がよい人、かっこいいなあと思わせる人を見たことがない。むしろポニーテールをしていて、汚そうな感じの人、気持ちが悪そうなおやじ、危ないような人、クセが強そうで関わり合いたくないような人は、たくさん見てきた。「ポニーテールさえなければ、よく見えるのに」と思う人はとても多い。

 ポニーテールにしている男性は、何かプラスになることがあると思ってやっているのだろうか(「かっこいい」等)。目的がわからない。それとも私の感覚がおかしく、男性ポニーテールがかっこいいと思う人が世の中にけっこう存在しているということなのだろうか。少なくとも、公務員試験やまともな企業の採用面接試験では、即不合格になるだろう。

 平日の夕方に放送されているTBSの「Nスタ」は、テレビ番組欄の番組説明を見ると、毎日「いま、いちばん大切なことを、話して伝えます」と書いてある。これは、許される表現なのだろうか(正しい表現なのか)。

 一番大切なことかどうかは、人によって異なるし、客観的に公平公正な情報を見た人が判断することである。広く社会にとって大切なことと言う意味であれば多くの多様な視点から多くの専門家によって取材、分析しなければ、結論は出せるものではない(関係する要素があまりにも多く、価値観もみな異なるので、正確な結論を出すことは実際は不可能であろう)。軽々に「今一番大切なことを・・・」などと言うのは、嘘や詐欺のレベルの不適切表現だと私は思う。

 実際に番組を見てみると、1つの視点からのみ取材し(おそらく結論ありきのテレビ局の意図に沿った取材やフリップまとめ)、キャスターはその内容に沿った主張を吐き捨てるように格好をつけて力強く話して、正当化しようとしている(この部分が「話して伝えます」にあたるのだろう)。私は恥ずかしくて見ていられず、他の番組を見るようになった。

 民放のニュース番組は、カモフラージュするようになった分、以前よりたちが悪くなったといえる。テレビ局は、何でもやってしまう。ジャニーズ問題の時に自主検証で逃げ切って(完全な第三者委員会に調査と報告を任せることを拒否して)反省を逃れたことが、テレビ局の暴走を続けさせることになったと思う。あの時、学者や弁護士、国民、国連などがテレビ局の自主検証(加害者による検証)を許さなければ、その後のテレビ局は違う方向に進めたと思う。マスコミ業界においても、テレビの影響を大きく受ける社会においても、非常に大きな分岐点だった。残念である。

 これからでも、世紀の大事件についてテレビ局が外部調査を受け入れて反省しない限り(悪事について罪を償わず知らん顔をして普通に仕事を続けている限り)、どんなに立派そうなことを言ったとしても私はテレビ局を信用しない。

  

 福井市で中学3年生が殺害された事件で、再審開始が決定した。裁判所は、検察の裁判への姿勢を「不誠実で罪深い不正の所為」と批判した。証拠についても、警察が捏造していたことが明らかになった。決定を受け、検察側は「適切に対応していく」とのコメントを発表した。適切に対応出来ない者は、当然次も適切に対応できない。なぜなら、同じ体質や能力なのだから。客観的な「適切」の意味や内容がわからないと思う。

 政治家達も、悪事がばれた時に、よくこの「適切に対応していく」という言葉を発する。適切にできない者が、適切に対応できるはずがないのに。

 適切に対応できない当事者に限って、「適切に対応していく」と言いたがる。どういうことだろう。一般の人であれば、まだ先のことがはっきりしていなくても、「詳しく検証していきたい」などと多少は具体的に言うだろう。「適切に」と言えば、自分たちが思ったように好きにやってもよいということになり、再び悪事を働こうという悪い意思が、無意識のうちに表れた表現方法のように感じられる。

 野球は結構点が入るし、試合展開に変化があるので見ていておもしろい。サッカーは1時間30分も走り回って1点入るか入らないかの試合であるし、同じような選手たちの動き(パスやドリブル、シュート)を1時間以上もずっと見ていることになる。それが、野球好きの私には「本当に楽しいのか」と思うのである。

 ずっとサッカーだけをやったり見たりしてきた人にとっては自分に関係した試合なのでおもしろいと感じると思うが、もし野球も同じ程度にこれまで取り組んだり見たりしてきて、興味も同程度だと仮定したら、野球よりもサッカーの試合のほうが見ていて楽しいと感じるのではないだろうかちなみに私は若い頃、どちらも同程度取り組んできた。

 客観的に比較した場合、そのゲームの性質上(変化が大きい)面白く感じるのは野球のように思われる。そうだとしたら、長年サッカーの試合だけを見てきた人も、野球の試合を見ているうちに、野球の試合を見るほうが好きになることも十分に考えられる。

 田舎に住んでいる人が、初めて都会へ旅行に行って好きになるのと同じで、ただ面白さや魅力を知らなかっただけということになりかねない。両方を経験した上で判断することが、より公平で客観的な評価にもつながるのだろう。

 もちろん、サッカーだけをずっとやったり見たりしてきて、サッカーの試合を見るのが好きだという人が、無理にでも他の競技を見て比べてみろと言うことではない。見ていて何か面白い試合を探している人は、まずは広く見てみたほうがよいということである。

 裏金議員の丸川珠代氏が、選挙演説で連日泣きながら「どうかお助けください」と訴えている。それを見ている市民たちは拍手をしている。

 彼女は、泣くような女性ではない。「愚か者めが」、「くだらん選択をしたバカ者ども絶対に忘れん」と叫んでいた議員だ。男性議員など足元にも及ばないほど心が強い(乱暴でしたたか?)。

 しかし地元市民は、泣いている女性を可哀そうだと思って、投票するのだろう。

 どっちもどっちである。