布久漏神社(福井県坂井市丸岡町北横地14-29)
布久漏神社はヲホトノ王(後の継体天皇)の皇女である円媛命(まるやひめのみこと)が、自身が応神天皇の六世孫であったため応神天皇とその母親の神功皇后を祖神として当地に祀ったのが起源と言われています。
円媛命(まるやひめのみこと)ですが、継体天皇の治水事業を受け継ぎ、現在の十郷用水の礎を造った人物と伝えられています。
御祭神の神功皇后、応神天皇について
「古事記」によると、神功皇后は仲哀天皇(第14代)の皇后で、仲哀天皇崩御に際して遺志を継ぎ熊襲征伐(今の九州)を達成します。その後、応神天皇を身ごもったまま海を越えて新羅(今の朝鮮半島)へ攻め込み百済、高麗をも服属させ「三韓征伐」を達成します。
神功皇后こそ「魏志倭人伝」にある「卑弥呼」では? または、荒れた九州を治めた働きから「卑弥呼」の後を継いだ「トヨ」では?との説もあります。
応神天皇は神功皇后が「三韓征伐」を達成した後、九州の地で誕生します。
しかし、やまとの地を離れていた隙に異母兄たちが叛乱を起こしたため、やまとには帰れず一旦南九州で体制を整えます。
体制を整えた後、神功皇后とやまとに戻り、叛乱を鎮圧します。その後、神功皇后が崩御した翌年に即位します。
この南九州からやまとへ攻め込む動きが、「初代天皇 神武東征」と重なり応神天皇こそが初代天皇で神武天皇と同一ではないか?という説もあります。
近くに高向神社(福井県坂井市丸岡町高田1-7-1)があります。
高向神社は、ヲホトノ王(後の継体天皇)が幼いときに父、彦主人王が亡くなり母の振姫が自身の里である高向に連れ帰り育てたとの言い伝えがあります。
また、近くには、天皇堂(福井県坂井市丸岡町女形谷)があります。
ヲホトノ王(後の継体天皇)が大和朝廷の使者である大伴金村らと接見した場所と伝えられています。当時ヲホトノ王の年齢は既に58歳であったと「日本書紀」には記載されています。