貴船神社(福井県坂井市三国町41-1)
ヲホトノ王(後の継体天皇)がこの地を訪れた際に座って休まれたとされる「お腰かけ石」が安置されています。
神社の場所はヲホトノ王の母(振姫)の出身氏族である「三国臣氏」が治めていたとされる地と、北潟湖を挟んで振姫の母(ヨヌノオミ)の出身氏族である「江沼臣氏」の治めていたとされる地の境に位置します。
「江沼臣氏」といえば、「古事記」に武内宿禰の子の後裔氏族と書かれており、武内宿禰といえば、蘇我氏の祖ともいわれている人物です。蘇我氏は古くから越の地にも根付いており、継体天皇の即位には蘇我氏も深く関わっていたようにも思われます。
しかしながら、「日本書紀」や「古事記」から、蘇我氏の貢献を読み解くことはできません。
継体天皇の即位については、当時の「日本書紀」編纂者達は、200年程前のことで、今よりもたくさんの資料があったでしょうから、当然真実は知っていたでしょう。その中で時の権力者からの圧力を感じて忖度をしながら、「日本書紀」を編纂していったのでしょうか?
当時の編纂者達から「詳しく書けないけど気づいてね」というメッセージが書物の中に含まれているようで、当時の編纂者達の気持ちになっていろいろ勝手に推測してみるのも楽しいことです。
江沼神社(石川県加賀市大聖寺八間道55)
神社は宝永元年(1704年)4月に大聖寺藩三代藩主前田利直邸内に前田家遠祖の菅原道真公の霊を祀る天満天神社を建立したのがはじめとされます。武家庭園として市の文化財に指定されていて、大変心休まる良い神社です。
江沼神社は継体天皇との関係はありませんが、この地域にはたくさんの古墳が見つかっており土器や土偶も多数発掘されています。その中には、江沼臣氏一族のお墓ではと言われるものもあります。