笑われるほど不器用だから

涙がながれる理由がわからない

さすらいながら つまずきながら

まだまにあうだろう

歩きはじめれば

 

流れ行くもの 流されないもの

あふれる想い はじかれた夢

風の時代を走り抜けて

君はここから どこへ帰る

 

旅人たちは行方も知らず

何かが変わる ため息が残る

でも熱い心がまだあるなら

惜しみなく誰かを愛して欲しい

I Love you more than I can say

素直になれば

今のままでいても 悪くはないが

もっともっと自分らしく

もっともっと心のままに

 

人は誰でも失った何かが

なにげない毎日に 

戻ってこないかと

扉をあけたまま 夢を待ちわびる

人生はそこから 出る時に動き出す

 

すれ違う者は 言葉を失くし

かわいた街で ただようだけか

風の時代は 過ぎ去っても

あふれるものは同じなのに

 

輝いておくれ 優しい人たち

振り返るなら ほほえんでおくれ

時の流れに別れを告げて

はるかな愛の旅に出ないか

I Love you more than I can say

素直になれば

今のままでいても 悪くはないが

もっともっと自分らしく

もっともっと心のままに

I Love you more than I can say

素直になれば

今のままでいても 悪くはないが

もっともっと自分らしく

もっともっと心のままに

 

 

これは拓郎さんの「すなおになれば」。1988年3月21日発売のシングル。4月21日発売のアルバム『MUCH BETTER』に収録されています。EPやLPといったレコードからCDへと、いよいよ本格的に皆の大勢が移り変わっていた頃です。

 

1988年。

拓郎さんは、1946年4月5日生まれ🎉ですから、42歳の頃の心境を綴った歌詞ということになります。「イメージの詩」が1970年ですから、活動を始めて18年の辺りということになります。

 

 

ここからは僕個人の所感中心。

 

[前置き]

僕が拓郎さんを本格的に聴き始めたのは1984年くらいからです。どちらが先だったのかあやふやですが、あるいは結局ほぼ同時期だったのですが、カセット・テープのみ販売の『吉田拓郎A面コレクション』とLP『情熱』が入口でした。僕は高校1年でした。  高校を卒業して、浪人して、その頃にはもうエレック時代の-拓郎さんに無許可で発売された-作品も含めてそこまでのリアルタイムでのLPはコンプリートしていたと思います。ですから、それなりに結構好きなわけです。

 

 

・かまやつさん「我が良き友よ」(1975年)

・キャンディーズの「やさしい悪魔」(1977年)

太田裕美さん「失恋魔術師」(1978年)

・中村雅俊さん「青春試行」(1978年)

ドラマ「青春ド真中!」主題歌

・小出正則さん「新しい空」(1979年)

ドラマ「あさひが丘の大統領」主題歌

 

ある歌をきっかけにして特定の歌い手を好きになる以前、つまりまだ小学生の頃、おもにテレビ、また、何かのきっかけ(床屋で髪を切って貰っている時や、商店街のお店の店内で流していたラジオや有線放送)でふと聞いて、好きになっていた歌でした。

※「床屋」もTVでは使うのを控える表現のようです。

詳しくは→ここ

あれ?ならばこの記事バンされちゃうのかなガーン

 

 

 

この5曲の作曲は拓郎さんです。

好きになるべくして聴き込むようになった

吉田拓郎でした。

 

 

[本題]のまだ[前置き]

つま恋や篠島に象徴された70年代の拓郎さんの「圧倒的凄さ」を、僕は後追いのビデオや書物やレコードでしか知りません。

 

また、自身のヒット曲(←拓郎さんには実に似合わない表現だなぁと思いました)・支持を集めている歌や名曲だけではなくて、職業としての作曲家として、他の歌手に提供した歌で今なお「いい歌」「好きな歌」として多くの人々に残っている総数が、日本のいわゆるシンガーソングライターの中で、群を抜いていると思います。

とにかく幅広い。

 

 

僕がリアルタイムで聴いていた読んでいた観ていた拓郎さん。1985年。ある部分にフォーカスすると、すごくイライラして葛藤していた、といった印象があります←:僕個人の所感。 そのあたりの楽曲「マラソン」「風の時代」「ペニーレインへは行かない」「俺が愛した馬鹿」「誕生日」「私は誰でしょう」など。

そのほんのちょっと前の「この指とまれ」の猛々しさとは明らかに違う何かを感じたものでした。

 

 

 

 

 

1985年にはオールナイト・コンサート『ONE LAST NIGHT IN つま恋』を開催しています。このコンサート前の拓郎さんの一連の発言から「引退するんじゃないか」というような憶測が飛び交っていました。拓郎さん自身「生涯最良の日にしたい」とか「『拓郎健在』なんて言われたらダメだ。『拓郎は終わった』と言われなければ」と、後始末というか、少なくともコンサート活動には終止符を打つんじゃないか、と、なんとなく刷り込まれていました。

 

蓋を開けてみると...

 

鉄矢さん脚本(片山蒼名義)の映画「幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬」(公開1986年1月)に出演(高杉晋作役)、9月にはナント(と僕は思いました)アルバム『サマルカンド・ブルー』を発表しました。さらにナントなんとで全編作詞担当が安井かずみさん、作曲は旦那さんの加藤和彦氏が一部担当していた全10曲でした。

 

この作品について拓郎さんは「当時はアレは失敗だったなと思った」というような感想を抱いていたようですが、のち改まったようです。

 

なんだかんだで拓郎さんがこの世界から退くことはありませんでした。

良かったです。

 

 

『サマルカンド・ブルー』(1986年)も、好きな歌があるアルバムですが、拓郎さん作詞の歌が1曲もないのが、僕としてはモヤモヤとしました。拓郎さんにとってはリハビリ的な期間だったのかもしれません←:僕個人の所感。

 

 

 

 長い長い前置きを踏まえての[本題]

 

そして本日冒頭の「すなおになれば」です。

1988年3月21日。

 

拓郎さん再始動という感じでした。

※まさにという感じだったのです

:僕個人の所感。

 

この歌とともに拓郎さんは、ビールのCMに出演しました。CM出演なんて今では歌い手の誰が引き受けても「おお~」という感じですが、当時はまだ特別な感じがしました。

 

 

1988年3月。僕はめでたく浪人生活を終えられました。4月から大学生です。「すなおになれば」は、拓郎さん再始動!というような吉報、僕自身が新生活を迎える時期でもあって、嬉しかったものです。

 

すなおになれば」は、心境を吐露した歌詞界です。ここにはそれまでの迷いや気難しさも苛立ちもなく、傷が癒え、かさぶたが取れたみずみずしい生命力や清々しさを感じ取れます。僕の当時の心境心情を後追いで脚色しながら言語化したならこんな感じです。歌詞に I love you とありますが、ラブソングといった感じがあまりありません←:僕個人の所感。

 

「すなおになれば」の歌詞中に“風の時代”という言葉が登場します。

 

風の時代を走り抜けて 

風の時代は過ぎ去っても

 

 

「風の時代」1983年アルバム『情熱』収録

 

抜粋

 

時代の中で 僕は何もかもにさめきって

 

大人達との間に断絶の芽が生まれて

あれほど熱く誓った友も去り行く

 

はけ口のないむなしさ 寝返りをうつ

 

あの頃の流行唄は 心もよう 神田川

若さだけは大事だね そんな風景

 

 

この先にまだ「すなおになれば」が生まれたのが、若輩ながら感慨深くなります。

 

 

 

 

 

 

何十回と何回目かの春を迎えて。

この歌詞はこの歌は、鮮度を全く落とさずむしろ胸に染み入り、歩き出すのを手伝ってくれるのにぴったりな歌だなあと思った今日でした。

 

 

 

人は誰でも失った何かが

なにげない毎日に 

戻ってこないかと

扉をあけたまま 夢を待ちわびる

人生はそこから 出る時に動き出す

 

振り返るなら ほほえんでおくれ

 

今のままでいても 悪くはないが

もっともっと自分らしく

もっともっと心のままに

 

 

ここまでありがとうございました。

 

 

 

 

今日のおまけ

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の余分

Twitterの青い鳥が、になってて「げっなんかウイルスに感染したのか!?」と自分史上最上位でおののきましたあせる  

トレンドワードになってましたが「↑↑↓↓←→←→BA」でその犬がクルっと一回転するのが中々できず、成功した時はこれまた嬉しくなりましたニヤリ