※本稿は、現在進行中のTULIPの50周年ツアー“theTULIP”について触れています。演奏曲目を絶対に知りたくない方は、残念ではありますが、ここで閉じてくださいますようお願い致します。
・・・とか言いつつ、拓郎さんの歌
最後の歌を覚えていますか
僕等は子供のようになれました
あなたのためにギターを弾いて
悲しみのピアノも心に届いたでしょう
思い出はいつか形を変えて
お互いの心もすれ違うけれど
たった昨夜(ゆうべの)出来事でさえが
遠い過去の夢になるのだから
ひとつの真実が見つからないもどかしさ
でも君の切なさは誰もが抱いてるもの
そう君の切なさは誰もが抱いてるもの
歌詞カードを確認していません。一気に記しました。表記が違っているかもしれません。言葉は合っていると思います。
・・・と書いてみたものの・・・アルバム『ひまわり』を確認へ。
「帰路」
『ひまわり』吉田拓郎
9曲目(最終曲)
1989年。
歌→唄、昨夜→ゆうべ、ひとつ→一つ、でした
※スペースについては割愛
1989年。
TULIPをそのとき最後まで聴き続けて見守り続け、応援していた人ならば、1989年は、色鮮やかに思い出せる年なんじゃないかなと思います。
この時の最後の歌は、淋しさを退けるわけにはいかなかったように思います。
この年、
拓郎さんは東京ドームでLIVEを行っています。
「帰路」は本編のラストで歌われました。
この日の公演は映像作品として発表、残っています。が、「帰路」は残念ながらカットされています。他にも「望みを捨てろ」など幾つかカットされてしまっています。
拓郎さんの「帰路」は、コンサートの終わり、会場をあとに駅へ歩いていく時間、目に映る景色、ほんの少し前のその日の出来事、そして「明日」を歌ってます。
振り返れば、遠い過去の夢を、これまでいろんな人たちから、これでもか!!ってくらい、たっくさん貰って来れました。
そして、ゆうべの出来事を自分の中に収めて、形を変えて、視点を移して、折に触れて引っ張り出して、すっかり大人になって来ています。
だいぶんと大人になり、TULIPに関してならば、淋しさを感じる隙間の自覚があまりなく、「楽しみたい」の気持ちが強いです、僕は。
彼等のステージ、
最後の歌は「魔法の黄色い靴」。
「魔法の黄色い靴」は、
彼等にとってプロ最初の歌です。
予想以上に大きな箱で届いていました!! 緩衝材もしっかりバッチリな梱包でした
届けてくれた佐川急便さんもありがとうございました。僕の地域は誠実な人です。
大きさの割に、思っていたよりも軽い。が、ところが、しかし..., 箱を開け、取り出してみると・・・
箱で持った時よりも、不思議とズシリと重量感が生じた魔法
もったいなくてここから先を開けられない
これ、絶対、手の脂分がついちゃいますよね
※僕は脂性ではありません。←重要
緊急時用に備蓄していた使い捨てゴム手袋(100均)が役に立ちそうです
当時福岡では音楽をやっている人員がひどく不足していた。その中で、「ハーズメン」というカントリー&ウェスタンをやるグループのリーダーである安部俊幸、現在海援隊にいる-当ブログ筆者より→のち代表曲「贈る言葉」など作曲-千葉和臣と「ライラック」というデュエットを組みサイモン&ガーファンクルをやっていた姫野達也、そして当時の海援隊でドラムをたたいていた上田雅利、この三人に目をつけたのだった。上田は海援隊の正メンバーではなく、時々一人でギターを弾いて歌ったりもしていた。かれらは和夫が福岡中のグループ、バンドを見渡した結果、最高レベルにいると判断された。
福岡で知っているドラマーは上田しかいない。そして福岡でピアノを少し弾けるのは姫野しかいない。そして福岡でリード・ギターに徹している奴は安部しかいない。要するにありったけかき集めてきたわけです。
しかし、メンバーをピック・アップした時に問題が起こりました。なにしろ二つのグループを解散させたわけですから。
(略)
噂では、財津和夫がつくったグループなら、長くもっても今年いっぱいだろう、と言われていた。しかし和夫はこのグループで新しい方向を推し進めようと虎視眈々と狙っていたのだった。
(略)
まず、他のフォーク・グループとフォーク組合なるものをつくり、定期的にコンサートを開き始めた。このコンサートでは、出演バンドも主催者の和夫たちも平等に収入を分け、- 略- 和夫の手元に入ってくるのは、グループとしてほんの何千円かであった。
それでもぼくらは楽しかったんです。
この頃は最高に貧乏ではあったが、最高に楽しい時代であったといえよう。
(略)
やがて和夫たちは一本のテープをつくった。それは「魔法の黄色の靴」という歌だった。
この奇妙なタイトルをぼくらは好んでつけました。魔法だから奇妙でいいだろうと。「魔法の黄色の靴」、これはぼくの耳にとても心よく響いたのですが、後に東京へ行ってからは語呂が悪いといわれ、「魔法の黄色い靴」に直されてしまいました。
このテープを一本持って、かつて「私の小さな人生」のレコーディング・ディレクター、新田氏だけを頼りに上京した。
『謎の財津和夫 無稽と辛苦の時代に敢然と反駁する豊楽の書』
財津和夫著 シンコーミュージック 1975年
48~52頁
今年から来年へ「魔法の黄色い靴」は特別の最後の歌。
2022年6月4日(土)5(日)
新幹線に乗り込んで、
飛行機に乗れば2時間で、
夢の街 東京。
あこがれの東京。
希望と感謝を胸に。
日本全国から。たぶん
とうとうここまで歩いてきて、
50年を祝います
こんだけチューリップを咲かせておいて
ここでまた拓郎さんの「帰路」
ホールをあとに家路を急ぐ人
その中をすり抜けてあなたを見ました
明日になればいつもの暮らしと
何かを待ちわびる やさしい一日で
あやまちをせめて忘れられるなら
目をつむって涙をかくしておくれ
こんな小さな僕達はきっと
いつか夜空の星になるのだから
覚えたメロディーを唇でたしかめて
今 君のはかなさは誰もが抱いているもの
そう 君のはかなさは誰もが抱いているもの
落ち着ける場所が見つからないとしても
ほら 君が唄うなら誰もがほほえんでるよ
そう 君が唄うなら誰もがほほえんでるよ
これは拓郎さんの歌だから、思い出すのは1989年3月15日、東京ドームから水道橋への通路なんですが・・・
年を経て来ました。若い頃には予想もしなかった・出来なかった困難に挫け、何度かくぐり抜け、歳を重ねて来れました。
だからここ最近や、これからのコンサート。
その帰路に至るまでを、子供のようになれたらいいし、最後の歌で(も)、おもいっきしその日の締めに、明日へ向けて微笑みたいとワクワクする・したい次第であります。
それがまずは今週末のTULIPなのであります
声は出せないけれども、
声の限りを代わりの拍手と笑顔に託して
届け!
ほどよく晴れて欲しい週末
ここまでありがとうございました
おまけ
週刊文春のインタビュー記事 であります。
袋とじ
この歌の感じの拓郎さんが好きです。
こういう風に臨みます。
当ブログ 拓郎さん登場回