昨年8月に投稿した記事ですが、再投稿させていただきます。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
日航機123便墜落事故関連で最近気になった記事・ツイートをいくつか貼らせていただきます。
【事故発生直後のANNニュース速報】
38年前の今日。1985年8月12日,日本航空123便墜落事故。群馬県多野郡上野村の「御巣鷹の尾根」に,ジャンボジェット機が墜落。520名が死亡,4名が生還した。動画は,事故発生直後のANNニュース速報。pic.twitter.com/uLLgMwNoie
— 渡邉英徳 wtnv (@hwtnv) August 11, 2023
【日航機墜落事故で日本はアメリカに2度敗戦した。軍事的な敗戦と経済的な敗戦で貧乏な日本になった!】
1985年8月12日。
日航機123便墜落事故が起きました。
これは、整備不良の事故ではなく「米軍のミサイル攻撃」で墜落したのです。
これは、日本政府への脅迫であり、経済的な敗戦といえます。もちろん、公式見解は圧力壁の整備不良による事故といっていますけど、大嘘ですよ。
これにより、1945年の軍事的敗戦の後、2度目の経済的敗戦が起きて、この事件より、日本経済は成長を止められたのです。(後略)
【純日本産OSのトロン衰退と日航機墜落事故の関係!そしてウインドウズが世界を制覇したけど・・】
バブル景気の少し前、1980年代に日本の総力を挙げて開発していたコンピュータのトロンOS!
OSとはオペレーティングシステムの略で、コンピューターの動きの心臓部にあたる部品で非常に重要です。現代ではマイクロソフトのウインドウズが世界標準になっていますが・・・。
闇権力の妨害が無ければ、トロンは世界中のパソコンOSの心臓部になっていたはず・・・
しかし日航機墜落事故の脅しとその後、米国の圧力で消されてしまったトロンOS。
このトロンOSの衰退には、1985年8月12日の日航機墜落事故が大きく関係しています。
なんと、墜落した日航機に、このトロンOSの技術開発メンバー12名が乗っていて、全員消されてしまった。
そしてトロンOSの代わりに世界標準となったマイクロソフトのボッタクリWindows95!(後略)
【佐宗邦皇氏は日航123便事件の真相を追っていた。「おーい!お茶500ml」一口飲んだ。帰らぬ人へ】
【当時、何故か子ども達だけで飛行機に乗るキャンペーンが行われていた】
当時、何故か子ども達だけで飛行機に乗るキャンペーンが行われていて… https://t.co/AChltC7axA
— 西久保仁美/非接種者の為の結婚相談所innocent♥ (@tpkalrs) August 12, 2023
当時、何故か子ども達だけで飛行機に乗るキャンペーンが行われていて
同じ日に、子どもだけで私と姉、鹿児島から伊丹の飛行機に乗っていたそう。去年初めて母から聞いた。
記憶にはあるけど同じ日だとは知らなかった。
何十年も昔の事なのに涙ぐみながら話してた。迎えに行くまで物凄く後悔したと。
なので事故の飛行機にも子ども沢山乗っていたんだろうなと母が言っていた。
今、色んな事を知った後に考えてみると、そういう事も含め計画性すら感じる。
日航ジャンボ機墜落事故関連過去記事
この事件で犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
最後までお読みいただきありがとうございます。