2022年4月に投稿した記事ですが、再投稿させていただきます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

1985年8月12日、午後6時56分に羽田空港から大阪・伊丹空港に向けて飛び立ったJAL123便。

その後、行方不明となり、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に激突、乗員乗客520名が死亡した航空史上最悪の大惨事、日航ジャンボ機墜落事故。

実は、真相はもみ消され、闇に封じ込められたままとなっていることを、『テレビは見るな!新聞は取るな!』を読んで知りました。
非常に衝撃的な内容でした。

備忘録として内容を記しますが、長くなりますので前編、後編に分けようと思います。

 

テレビは見るな!新聞は取るな!

 

虚偽をマスコミに垂れ流し

この重大事故についても、やはり、大量の虚偽情報を垂れ流したマスコミの罪は深い。

そもそも、日本のメディア報道とは、記者発表された情報の垂れ流し。

そして、記者たちは「本当のことを流せない」と嘆くのだ。

この日航ジャンボ機墜落事故でも、メディアは官製情報のみを垂れ流し続けた。

そして、事故原因はー「機体後方の圧力隔壁の爆発で垂直尾翼などが脱落し、操縦システムの全損による操縦不能」とされた。

(同書より引用)

 

衝撃の告発書『疑惑』

しかし、その後、公式発表と異なる不可解な事実が次々と明らかになったそうです。

それらをチェックすると、だれでも「事故には重大な秘密が隠されている」と気づく。

わたしもその一人だった。

疑念は1冊の本を読んだとき、決定的になった。

タイトルは『疑惑ーJAL123便墜落事故』。

(同書より引用)

 

疑惑 JAL123便墜落事故―このままでは520柱は瞑れない

 

『疑惑』のご著者、角田四郎氏はフリージャーナリスト。

彼は民間人では真っ先に墜落現場に駆け付けた人物だそうです。

彼はこの事故に2度関わっています。

 

山好きの角田氏は、近所の子ども会の引率でキャンプに出かけていました。

そこで、超低空で飛ぶJAL123便を、窓の乗客の顔が見えるほどの至近距離で目撃しています。

そしてJAL機を追うように、2機のファントム戦闘機が飛行していきました。

 

さらに、帰宅した角田氏のアパートに後輩が泣きながら現れたそうです。

フィアンセが墜落したジャンボ機のスチュワーデスだといいます。

現場に駆けつけたいという彼を乗せ、車を飛ばしました。

 

墜落現場の御巣鷹の尾根に「誰も到達していない」…と思った二人は、山陰に隠されていた十数個のリュックを発見します。

そこに金属片が覗いていました。

直感が働き、そのカケラをひとつポケットに入れると、怪しい男たちのグループが降りてくるのと遭遇しました。

全員日航のつなぎを着ていますが、どう見ても空港職員には見えず、角田氏は、自衛隊員と直感したそうです。

「彼らが隠したリュックの持ち主なのだろう。なぜ、わざわざ日航の衣服に着替える必要があるのか?」と船瀬氏は書いています。

 

墜落現場にミサイル破片

先に進むことに危険を感じ、二人はやむをえず下山しました。

その後角田氏は、知り合いの米軍将校に、金属片をどこから入手したかを言わずに「これは何だ?」と尋ねると、将校は少し触って、「ミサイル!」と即答します。

角田氏は驚愕する。

御巣鷹尾根のジャンボ機墜落現場に、ミサイル破片があった。

それをはるか前に現場に入った自衛隊員たち(?)が回収していた。

つまり、墜落現場から”証拠品”が密かに回収されていた!

「ジャンボ機はミサイルで”撃墜”された」

彼は確信し、徹底的に取材を続行した。

それで書き上げたのが前出の『疑惑』である。

一読して圧倒された。

めまいすら覚えた。

戦後ノンフィクションの最高峰と思った。

なぜなら”闇の力”が隠蔽した惨劇のどす黒い背景を、見事に暴き切っていたからだ。

彼の身辺が心配になった。

これほどの事実を告発することは、身を危険にさらすことになる。

口封じで、消されかねない。

(『テレビは見るな!新聞は取るな!』より引用)

その後、角田氏の名前は表に出てこないそうです。

 

次の記事に続きます。