大木10式;

  • 深鉢の器形がもっとも一般的。底部が比較的小さく、胴部までゆるいカーブをえがきながら上がり、胴部上半でくびれ、そこから口縁にかけて外反している器形が最も多い。
  • 柳沢清一(1980)は、大木10式を、文様と住居の切り合い関係より以下の5段階に区分している;
  1. 大木10a式:文様は隆線文で構成され、いわゆるアルファベット文が前段階では独立していたものが連なり、変形したアルファベット文になる。
  2. 大木10b式:体部文様は沈線で構成される。口縁に山形突起が4個つき、弧の突起が文様構成を区画している。文様は、前時期のアルファベット文がより単純化され連続する。
  3. 大木10c式:10b式の文様に貼付文が伴う。この時期の口縁突起は高くなり、突起に貫孔があけられる。また、胴部文様は隆線となり、列点文・鎖状列点文が施される。器形も胴部のふくらみがゆるやかであったものが「く」の字様に稜ができる。
  4. 大木10e式:山形おるいは波状口縁をなしていたものが、突起と化して貫孔があけられ、隆線の文様が進み、円形の刺突文などが施される。
 
 

資料14 (楠本コレクションの調査 縄文土器編 丹波 2009 東北歴史博物館)

大木10a式(南境貝塚)高25.3cm.  口縁部は軽く外反する波状口縁で、胴上部が膨らみ、底部に向かって緩やかにすぼまる。底部は平底であるが、中央が丸く窪んでいる。波状の口縁部は無文で、胴部に粘土紐を貼り付けた隆起線で波濤状文様を描いている。隆起線は断面が隅丸三角形で、稜状の部分もある。この波濤文は横に長く、隆起線が頂部から胴下部まで延び、複合形態となっている。この複合波濤文は横方向に連続する。破損部が多いが、器形の形状・大きさから3単位と推定される。  波状の口縁部と隆起線は、一連の工程でミガキ仕上げされている。波濤文の内外には複節斜縄文 (RLR:3.7㎜ /1条・2.5㎜ /1節)が充填施文されている。縄文周縁は隆起線の仕上げミガキによって磨り消されているが、回転施文の方向は文様の形状に対応して変化している。施文された斜縄文帯の下縁も、 胴下部のミガキ(横・斜め)によって磨り消されている。

 
 

資料12 (楠本コレクションの調査 縄文土器編 丹波 2009 東北歴史博物館)

大木10b式(南境貝塚)高25.3cm.  口縁部は内湾する波状口縁で(4波)、胴中央部で くびれ、胴中央下部で膨らみ、その後底部に向かっ てすぼまる。底径は6.4㎝と小さい(最大径の22%)。 器面全体に沈線による C 字状・S 字状・ ∩状の文様が描かれ、それらの文様内部には縄文が施文されている。これらの文様は、波状をなす口縁部の形と一体となって配置されている。  すなわち、波頭部には C 字状文と∩文、波間(底) 部には縦に長い S 字状文が交互に配置されている のである。したがって、文様構成は規則的な、4単位と見ることができる。これらの土器は、大木10式のなかでも、 大木9式からの移行が直接とらえられるものである。 …この種の大木10式土器は、東北地方南部全体に分布するほか、北は秋田県南部・岩手県南部にもみら れ、広い分布を示している。

 

 

資料13 (楠本コレクションの調査 縄文土器編 丹波 2009 東北歴史博物館)

大木10b式(南境貝塚)高28.7cm.  口縁~胴上半部が緩やかに外反し、胴中央部で膨 らみ、底部に向かってすぼまる。底径は7.3㎝で、口 径(最大径)のほぼ1/3。上半部に沈線による C 字状・⊂状の文様 が描かれ、その下が波状の沈線で画される。各種文様内部と波状沈線の下部に縄文が施文されている。  文様構成をみると、大形の C 字状文が横並びで3 個配置され、そのうちの2個に少し広い隙間が生じている。この隙間を埋めるように小形の⊂状文が2 個縦並びに配置され、下部⊂状文が胴部中央より下 に食み出した形になっている。胴中央部の波状沈線 は、これらの文様に沿うように引かれている。したがって、⊂状文が食み出た部分では、波状文の波間 (底)は幅が狭く、深くなっている(展開図参照)。

 

 

資料17 (楠本コレクションの調査 縄文土器編 丹波 2009 東北歴史博物館)

大木10e式(?)(南境貝塚)高30.0cm. 口縁部に外面から内面に延びる橋(環)状の 突起をほぼ等間隔に3個貼り付け、これらの突起間に小突起を1個ずつ配置している。器形は口縁~胴 上半部が緩やかに外反し、胴中央部で膨らみ、底部に向かって緩やかにすぼまる。底径の推定値は11 ㎝で、口径(最大径)との比がほぼ37%である。 口縁部の橋状突起頂部から頚部には S 字状に、小突起では C 字状の隆起線があり、頚部を巡 る隆起線と繋がっている。隆起線に沿って一列の連 続刺突文が加えられている

 

 

 

 

東北芸術工科大学東北文化研究センター 『研究紀要』16(2017 年3月)

縄文時代中期「小梁川・大梁川編年」に関する覚書(小林圭一)

  • 深鉢形土器はキャリパー形の器形(165・167)が激減し、口縁部の外反した器形で大半が占められ、口縁部が 内彎し括れを持たない器形(170・185)も散見される。胴下部が波状線で画され文様が胴上部に限定されるめ、横方向への展開が見られ、曲線的な縄文帯で構成されており、区画内に縄文が充塡される。第Ⅱ c ~ d 層では太い沈線で縁取られたS字・逆U字・C字等のアルファベット文、第Ⅱ a ~ b 層では隆沈線あるいは稜の明確な隆帯によるさす刺また股状の入組文が卓越しており、後者では渦巻き状の文様が低調となる。浅鉢形土器は口縁部が内彎した器形が大半を占めており、波状口縁の波頂部に円窓を設けた例(175・177)も散見される。

 

 

 

 

  • Ⅻ期(大木10(新)式)の土器 : 深鉢形土器(鉢形土器を含む)は外反した器形が大半を占めており、頸部が「く」字状に括れ、口縁部が短く外傾した器形(図11-205・209)も現れる。キャリパー形は姿を消し、口縁部が内彎し括れを持たない器形(190・ 193・196・204)も増加する。波状口縁の波頂部には捻転した橋状把手が配され、胴上部に楕円形区画文が施される(196)。平縁では方形区画文やS字に左傾した縄文帯(分節波濤文)が多用されるが、後者はZ字状の無文 部が横位に連結することで描出される。これ等の文様は稜の明確な隆帯や隆沈線、沈線で描出され、無文部が主体と化すが、口縁部の起点や無文部の接点に貼付された「ヒレ状隆線」がその傍証となろう。浅鉢形土器は口縁部が内彎した器形が主体で、注口付きは円筒状のもので占められるが、6号住居跡埋土(4層)から、口縁部が外傾した器形で、口縁部の無文帯が波頂部の円窓を取り巻き朱彩された同形同大の浅鉢形土器(214)が3点出 土している。  当該期の土器の多くには、一旦器面全体に縄文を施した後に沈線を引いて、無文部となるべき部分を磨り消す 磨消縄文手法が用いられる(池谷1988:80頁)。地文の回転方向(縦位)が一定であり、これまでの充塡手法と は一線を画し後期に継承されるが、地文に撚糸文が採用されたことにも密接に関連するのであろう。但し充塡手法も認められており(198・199・206~208~210)、また当該期には朱彩された土器が顕在化する(206・213・ 214)。

 

 

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