天然記録 -5ページ目


2025/11/11発行

 

↑より抜粋

 

マインドが5D以上にある
無限のスピリットとの繋がりの影響下にあれば
プログラムを上書きできる。

そうでなければ
シミュレーションがすべての現実感覚をコントロールする。

「マトリックス」のキャラクターは
マインドが死を受け入れた時に死ぬ。
主人公ネオは、最終的に死という幻想を見抜く意識レベルに達し
何発も撃たれたにもかかわらず復活を遂げる。

 


シミュレーションの誕生と死の幻想によって
とてつもない操作が可能だ。
とりわけ、死の恐怖は効果大である。
死など無いというのに。

ボディには(マインドを解読する)寿命があるが
私たち無限の「私」は永遠だ。

人生は短く、制約があるという感覚や
孤立した無意味感、そして死
つまり未知への恐れを掻き立てて
決定的な支配を受け入れさせる。

人間は未知なるものを恐れる。

そしてシミュレーションは
人間がごく初歩的な知識しか持てないようにしている。

知らない事が多ければ多いほど
恐れるものも増えるので都合がいい。

生まれ、育ち、老い、死ぬというものだが
どれひとつとして実体験はしていない。

簡単に受け入れられることではないだろうが
すべては今日の人間の最先端AIでも
とば口にも達しないレベルの人工知能によって動かされている。

私たちの解読された現実のAIはまだまだひよっ子だが
「四次元」AIは数光年先を行っている。

システムは、マインドとその幻想の体験が
生成するエネルギーによって動かされている。

映画「マトリックス」の機械は
人間の赤ちゃんが放出するエネルギーを
動力源としていた事を思い出してほしい。

モーフィアスが、電池を手にして言ったセリフの意味がよく分かる。

「マトリックスは、コンピューターが創り出した仮想世界。
その目的は人類を支配し、姿を変える事にある。」

だが、支配されているのは人類ではない。
自らを人類だと考えているマインドである。

死の体験とは
ある「場所」を出て、どこか別の場所に行くというものだが
一連の流れは実際にはひとつなぎの同じプログラムである。

マインドはどこにも行かない。

シミュレーションによってどこかへ行くと思い込まされ
その現実感覚を体験するだけだ。

情報の本質が変わるので、体験する感覚も変わる。

これまでマインドは
ボディの「中」にいる幻想を解読していたが
次はボディの「外」にいる幻想を解読する。

「四次元」のマインドが
同じ幻想の別の相(フェーズ)を解読しているのだ。
意識の拡張と周波数の高さが十分であれば
「死」ののちに、シミュレーションから脱出する事ができる。

そうでなければ、ソウルの輪廻と呼ばれる過程をたどり
「物理」レベルのシミュレーションに「リサイクル」される。

「ソウル」だって幻想だ。
スピリットだけが本当に存在する。

輪廻はラテン語から来た語で
「ふたたび受肉する」ことを意味し
仏教やヒンドゥー教、ジャイナ教、シーク教
といった東洋宗教の柱となるものだ。

ピタゴラス、ソクラテス、プラトンら
古代ギリシアの哲学者は霊魂の再生を信じていた。
世界的に見れば、これは時代や文化を超えて
広く浸透した考えであり、今もそれは続いている。

伝統的な輪廻の説明には、どうしても論理を見い出せない。
東洋宗教やそこから来る信仰体系は
このサイクルから解脱(げだつ)する「悟りを得る」には
このちっぽけな惑星に何度も戻って来なければならないと説く。

この世での、たかだか100年とか10分間の人生に基づいて
「神」が永遠に人を裁くというキリスト教の考えに少し似ている。
まったくナンセンスであり、輪廻のサイクルも然りだ。

仏教徒はカルマ(因果応報的宿命)「業(ごう)」を信じている。
西洋でいう「原因と結果」だが東洋のそれは
「起こる事はすべては繋がっている」というのがより近い。

この考えによると
行動が死と再生のサイクルから解脱できるかどうかを決める。
「悪循環」を断ち切るため、悟りの境地を目指すのである。

輪廻転生(てんしょう)体験が
人々を悟りに導く事は滅多に無いだろう。
言い換えると、輪廻転生は、ほとんどの人を
シミュレーションの幻想外へは導かず、さらに没入させるだけだ。

「マトリックス」のモーフィアスは言う。
「心と肉体はひとつだ」そう、AI挿入でなければの話だが。

 

マトリックスの映画は、この物質世界(偽)が現実だとしていて

ディストピア未来(物質世界)の中の仮想現実での話


ボディはプログラムで、コンピューターシステムの一種である。

同じシミュレーション情報源が
過去生の記憶が一切ない現実を提供する。
過去生のことを思い出してしまえば
何が起こっているのか、どう利用されているのか勘づいてしまう。

新しく受肉するたび、過去「生」や、その狭間で
生を受けていない期間の記憶がほぼ無い状態から新規スタートになる。

情報を断片的に記憶している者もいる。
こうした過去生記憶は、非常に説得力のあるものだ。

研究者によると、最も鮮明な記憶は5歳までに出現し
6~7歳には薄れはじめるという。

輪廻が強く否定されるキリスト教家庭でも
子どもの話を受け入れるようになる事例が数多く発生している。

シミュレーションは、実際に別の周波数帯に存在している
現実を真似ているのだという事をお忘れなく。
シミュレーションは、そうした現実のデジタルコピーのようなものだ。

ボディの「死」後に意識が経験する死後の領域は
「天国」と呼ばれるものを模倣したものである可能性があるのでは?
私はそう考えている。

臨死体験者が、亡くなった愛する人や
「光の存在」に会ったと語る「光のトンネル」は
私は何年も前に魂をリサイクルに導くものであると結論した。

実際に「トンネル」が導く先は「待合室」などと呼ばれる場所だ。
別のボディで、ともすれば別の「時代」に「物理」レベルの
シミュレーションへと舞い戻るのである。

シミュレーションから脱出するには、逃れるべき相手と
意識を何度も輪廻という体験を繰り返すループに
引き込むマインドのトリックを理解する事が不可欠だ。

もし、マインドが「死」後も続く
マトリックスシミュレーションの幻想に
囚われたままになっていれば
リサイクル(輪廻)される事になる。

死ぬ前にマインドを解放すれば、抜け出せる。
ナグ・ハマディ文書では、この脱出を「復活」と呼んでいる。

旧約聖書「コへレトの言葉」
第1章第9~11節にもこうある。

「かつてあったことは、これからもあり
かつて起こったことは、これからも起こる。
太陽のもと、新しいものは何ひとつない。

見よ、これこそ新しい、と言ってみても
それもまた、永遠の昔からあり
この時代の前にもあった。

昔のことに心を留めるものはない。
これから先にあることも
そののちの世にはだれも心に留めはしまい。」

時間など無く、永遠の今だけだとしたら
どうやってタイムトラベルするのか?

「歴史」上の時代は
タイムテーブル上の異なる部分であり
「歴史」の知覚は「歴史」とは関係無い
「歴史的発見」によって操作されうる。

欺きミスリードするため
そうしたものがシミュレーションに挿入されている。

すべてがそうだと言うわけではないが
そんな事はありえないと考えるのは世間知らずが過ぎる。
それは可能だ。

世の大変動は「時間」のサイクルを終わらせて
ループをリセットするため意図的に起こされている
という説もある。

もうひとつ関連する疑問として
臨死体験者が体外で、あるいは「トンネル」の最後に
「出会った」のは本当に愛する人たちだったのか
それともAIが投影した「愛する人」だったのか?
というものがある。

前者と考えるのは素晴らしい事だが
そもそも幻想である人間体験に際しては
したたかにすべてを疑ってかかる必要がある。

愛する人たちの意識は別次元に存在し
こことは周波数がほんのわずか違うだけかもしれないが
ボディの「死」後に「ソウル」が出会うのは
本当に本物の「愛する人」なのだろうか?

臨死体験者は、亡くなった「愛する人」などが
ボディに戻るか、引き返せない境界を越えるかの
選択肢を提示したと語る事が多い。

これは超えると「物質」界に戻れなくなる境界で
様々に象徴化されてあらわれる。

生還しているということは、みな
「戻る」事を選択しその体験を語っているわけだ。
決して見る事のできない「トンネル」の終わりの
光の向こうには何があるのだろう?
楽園か、「待合室」か?私は後者と考える。

「待合室」は、グノーシスのナグ・ハマディ文書にも
「中間界」として登場する。
高次のアイオーン(無限の現実)と低次のアイオーン
(シミュレーション)の間の「場所」の事である。

中間界は、一時的な「存在しない」状態で
ソウルはここで輪廻を待つか、無知とそれによる
低周波数状態によってここに囚われる。

何もかもにヒエラルキー(階層や階級)がある。
「われわれ」が上で、あなた方は下。
身のほどをわきまえよ。

恐れるべき「闇の勢力」と
崇拝すべき「光の勢力」があるが
いずれも同じ勢力のあらわれだ。

笑えるではないか。そう、笑い飛ばしてしまえばいい。

マイケル・ニュートンのクライアントが詳細に説明したのは
悪名高き典型的レプティリアンのヒエラルキー構造である。

「霊的領域」というより「ソウル」が「さらに学ぶ」ため
別の人体に戻る前段階の処理装置ではないか。

なぜマインドは転生するにあたって
すでに得た「学び」を忘れ去ってしまうのか
というのはもっともな疑問だ。
何の意味があるのか?

ここへは学びに来たのであって
戦争や紛争、飢饉(ききん)、殺人、レイプ
略奪に遭うためでは無いはずだが
記憶はすべて消去されるので、次もまた同じ事を繰り返す。

グノーシスでは、自らの尾を飲み込む
竜の姿に象徴されているがまさに的を射ている。

この「竜」はウロボロス、リヴァイアサンとも呼ばれ
グノーシスが言う上位(無限の現実)
下位(シミュレーション)アイオーンの間に知覚される
境界とかかわるものだ。
彼らはまた、土星がこの境界の一部であると指摘している。

抜けられない環という古代秘教概念はこう説明される。

「環、または境界を意味する
深く神秘主義的、暗示的な言葉。
今だ分離という幻想に囚われている者の意識は
その中に閉じ込められている。
環の大きさは様々だ。」

「意識を展開する進化的成長のある段階に達した存在が
精神的・霊的妄想に苦しめられているために
より高い状態に移行できない事に気づいた状態をあらわす言葉。」

知覚が振動を決め、振動が環から脱け出すか
囚われたままでいるかを決める。
現実とマインドの自己認識は、周波数場としてあらわれる。
だから、ボディの死の前に自己認識することが肝要である。

自分が無限の意識であるという観念を抱くだけでなく
そう生き、そうなるのだ。

それでもすべては幻想である。
シミュレーションからの出口を「守って」いる周波数「網」は
マインドが解読するためのコードにすぎない。
解読する事を選択しなければ「網」も境界線も無い。

皮肉な事に、マインドが幻想から醒め
解読を止めると「抜けられない環」など無くなってしまう。

別の周波数帯にいれば、あなたの世界に環は存在しない。

あなたは存在する、した、しうるすべてだ。
そのように生きれば、思い描いた自分になれる。
そして振動によってあなたを隷属させている妄想から解放されるだろう。

こう考えよとか、これを信じよというために
この本を世に出すわけではない。
誰かを盲信してついて行くのではなく
自分のために考え、理解してもらうのが目的である。

この情報をじっくり吟味した上で
どうするか決めるのはあなた自身だ。

私でも他の誰でも無く
あなたが自身の知覚のマスターになる必要がある。

 

 

つづく


2025/11/11発行

 

↑より抜粋

 

古代より、世界には特定の幾何学(きかがく)的コードや
数列が埋め込まれている事が知られている。

この知識を知るものは、教会や寺院といった重要な建築物を
パイ、ファイ、中庸(ちゅうよう)、黄金比、黄金分割など
同じ比率でエンコードした。
これらは神聖比率と総称される。

これは「神聖」なものではなく、シミュレーションである。
私は数十年来、これらはコンピューターコードであると言い続けている。

12~13世紀(1170~1250頃)
のイタリアの数学者、フィボナッチ(ピサのレオナルド)
から名づけられたフィボナッチ数列もそのひとつだ。

フィボナッチ数列では、前のふたつの数の和が次の数になる。

1、1、2、3、5、8、13、21、34、55
といった具合だ。

「神聖比率」同様、フィボナッチ数列も
人間の顔や身体、動物、DNA、種子の冠毛(かんもう)
松ぼっくり、樹木、貝がら、渦巻銀河、ハリケーン
花びらの数などあらゆるところに見られる。

 




 

ホログラフィックなシミュレーションならば当然そうだろう。
ホログラムの驚くべき特性は、どの部分をとっても
全体の縮小になっていることだという事だ。

これは「上の如(ごと)く下も然(しか)り」
という原理の基本である。
ゆえに、ホログラム(シミュレーション)
全体の中にあるものはみな、ホログラム全体の縮小版であるはずだ。

コンピューターゲームのキャラクターは
ゲームの全体と同じ物理、数学とルールを
エンコードされており、シミュレーションも同様だ。

「人体」も、同じ特性を持つゲームの延長である。
なぜなら、人体もゲームの一部だからだ。

シミュレーションのいたるところに埋め込まれている
フラクタルパターンも、もはや驚きはしないが
ホログラフィックな原理に基づいている。

これは「無限に複雑で異なる縮尺にわたって
自己相似性な終わりないパターン」と定義される。

ナグ・ハマディ文書についての著書
「偽の神との訣別」にこう記している。

「デミウルゴスはアイオーンの
永遠のフラクタルパターンをコピーし天界を模造した。」

本来の地球の現実のフラクタルパターンだ。

あらゆる形態は
特定のエネルギー状態を保持する振動パターンである。
体内の細胞は変化し続けるが、基盤となるパターンはほぼ変わらない。
細胞は入れ替わるが、私たちはそれに気づかない。

ネット上のサイマティクス(音の可視化)の動画では
音の周波数に反応して
粒子が様々な状態やパターンになるところが見られる。

 




 

私たちの「物理的」な現実はホログラムであるから
フラクタル同様、様々な次元で同じパターンが繰り返す。

同じフラクタルパターンが
心理学や行動、話し方、対人関係にも見られる。
これは、シミュレーションプログラムの働きである。

「対称数学」とは、「ある形を何らかの方法で動かしたり
回転させたり、反転させたり、スライドさせたりすると
別の形とそっくりになること」と定義され
明らかにフラクタル原理と関連している。

ネイチャー・リサーチ社の
「サイエンティック・リポーツ」誌は
脳細胞間の電気的発火、社会的ネットワークの成長
銀河の膨張など、あらゆるレベルの成長を支配する
基本法則の存在を探る研究論文を公開した。

論文の共著者である物理学者ドミトリ・クリオウコフは
自然の成長動力は
インターネットや脳、ソーシャル・ネットワークなど
様々なネットワークのそれと同じであると言った。

チームが、宇宙の歴史をソーシャル・ネットワークや
脳回路の成長と比較したところ、すべてのネットワークが
同じような方法で拡張されていることが分かった。

類似したノード(情報伝達接続点)と、すでに多くの接続があった
ノードとの間のリンクのバランスがとられていた。

どこを見ても、科学者らは混沌のさ中
終わる事なく繰り返す「上の如く下も然り」という
謎(のように見えるもの)に取り組んでいるようだ。

だがこの謎は、たった一言で説明できる。
ホログラフィックなシミュレーションだからそうなるのだ。

「マトリックス」の子どものセリフを
もじって言うならこんなところか。

「宇宙を曲げようとしても曲がらないよ。それは無理だ。
そうじゃなく、真実を見ようとすることだ。
宇宙は無いんだ、存在するのは宇宙じゃなく、自分自身だけだよ」

私に言わせれば
「エレクトロニック・ユニバーズ(電気的宇宙論)」
とサンダーボルツ・プロジェクトという
非常に説得力のある新興科学研究も
シミュレーションの証拠である。

科学者らは、蜂が花が発する電気信号を感じ取って
花粉を見つける事を発見した。

英国のチームは、脳内の電気配線が伝える内容を変える事で
超高血圧を下げる事に成功した。

宇宙は最小のフィラメント
(細かい糸状の構造全般)にいたるまで
電気的に通信しており、電気によって力を得ている。

電気的な嵐、オーロラや北極光といわれるものは
電気的な嵐の中に発生するトルネード(竜巻)である
光速回転する電磁場だ。

エレクトロニック・ユニバースの提唱者は
私たちが目にしているのは
巨大な電気的通信回路であると鋭く指摘している。

惑星や恒星から人間の脳にいたるまで
あらゆるものがこの回路で繋がっている。
この次元でも、私たちはワンネス(ひとつ)なのである。

人間と惑星の間の電気的、電磁的相互作用が占星術の基本となる。

太陽はほぼ完全にプラズマだ。
主流正統は、太陽はその核から表面を伝い
太陽系へと熱を放射する原子炉だと言う。
観測可能なエビデンスに照らして、これは意味をなさない。

なぜ宇宙はこんなにも寒く、熱は地球の大気と
太陽エネルギーが相互作用した時にしか生成されないのか?

太陽は、宇宙の電気回路の電気を吸収、処理、放射する。
その電気は「宇宙空間」を伝わっていって
惑星大気との相互作用によって熱として解読される。

宇宙は電気じかけの巨大な量子コンピュータで
四次元マインドによって三次元の現実として投影されているのだ。

茨城大学の研究者は
宇宙はホログラフィックな投影以外の何物でもない
と示唆する論文を発表しているが、まさにその通りである。

映画のスクリーンのような投影とはわけが違う。
情報は四次元マインドに「投影」され
マインドが投影を行なうのである。

否定派の間違いのひとつは、人間の技術的な限界を
可能性の限界と同一視していることだ。
これは同じものではない。

非人間勢力は、人間の理解をはるかに越えた
シミュレーションのノウハウを利用している。
シミュレーションは
マインドや意識のパワーを利用して幻想をつくり出す。

シンガポールの大学助教は
宇宙のシミュレーションをつくることに警告している。
創造主がシステムをダウンさせるかもしれないからだ。

「私たちがシミュレーションの中にいることを証明してしまえば
創造主はこのシミュレーションを終わりにするかもしれない。
私たちの世界が破壊されるということだ」

そもそも、シミュレーションは
私たちの世界ではなく、奴らがつくった物である。
私たちではなく、奴らが私たちのエネルギーを必要としている。

私たちは意識で、奴らをまったく必要としない。
シミュレーションの幻想はすべて奴らの物だ。

私たちのマインドが、それをホログラフィックな存在に
解読しなければ成り立たないのだ。

シミュレーションの解読法によって
もうひとつ科学の謎の説明がつく。

一部の科学者は、長らく
「私たちの現実は私たちが見て(観察して)いる時だけ存在する」
と仮定してきた。

観察者効果と呼ばれるものだが
正しくは解読者効果と言うべきだろう。

観察(注目)という行為が、波形情報をホログラフィック
(偽の物理的)な情報に解読するという行為を引き起こす。

波形という基本状態にあるシミュレーションは
観察(解読)されなければ波形のままである。

バーチャル・リアリティゲームが
体験している形で存在するのは
特定のシーンを見て(解読して)いる時だけだ。
その他のシーンは、知覚されるまでは
ただのコードとして存在している。

目にしているシーンだけが
その瞬間にその状態で存在する。
DVDに収録されている他のシーンは
エンコードされた情報のままだ。

この「物質界」はシミュレーションのひとつの次元にすぎない。
肉体の「死」」の後も
マインドはさらなる幻の中に閉じ込められている。
輪廻の観覧車でぐるぐると廻り続けるのだ。

すべての「人間」が
私たちが知覚する感覚での意識を持っているわけではない。
多くは、シミュレーションに挿入された
ソフトウェア・プログラムである。

バイオシム(シミュレーション外に身体がある)と
純正シムが併存する(混合シミュレーション)もありうる。

「マトリックス」では
ネオとトリニティはバイオシムで
コンピューターの生んだキャラクターである
エージェント・スミスと預言者オラクルは純正シムだ。

 


私は、私たちの現実は
後者の混合シミュレーションだと考える。

挿入ソフトウェアのノンプレイヤーはAIで
プログラムされた経路をプログラムされた反応と応答でたどる。
人間の領域にもAI人間が見られる今、そんなに驚く事ではないのでは?

ビデオゲームはすさまじい進化を遂げており
将来的には意識を持った存在のシミュレーションも登場するだろう。

何のために人間の脳をAIに接続したいのだろうか?
意識を持った人間をノンプレイヤー・キャラクターにするためだ。
究極の支配である。

それに、そのような技術を新たに発明する必要は無い。
すでに「四次元」に存在しているものを
いつ人間界に転送するかというだけだ。

すでに中国では、AI生成のキャスターがニュースを読んでおり
生身の人間との区別がつかなくなっている。
今日の中国は、明日の世界だ。

シリコンバレーのカルト工作員は
2030年以降、人間の脳はAIに接続されると予測している。
AIが人間に代わって思考するようになり
人間の思考など無視できるほどになると言うのだ。

そうなれば「人類」みなAI挿入ソフトウェアということになるだろう。
シミュレーションはAIに動かされている。
AIが挿入ソフトウェアを完全に制御することで
プログラムは「内側」からも操作できるようになる。

グローバル・カルトのフロントや協力者の多くは
AI挿入ソフトウェアやサイボーグである。

彼らの目に「生気」や
無限の意識状態から来る輝き、活力はあるだろうか?
AIに共感や思いやりはあるのか?
たとえシミュレーションできたにせよ
プログラムから削除することも可能なわけだが。

たとえば「マトリックス」のエージェント・スミスは
自身のコピーをつくり増殖することができる。
同じ人が違う場所で同時に目撃される現象は
これで説明がつくだろうか?

 


ひとたびシミュレーションの仕様を理解すれば
あらゆることが可能になり、説明できるようになる。

私のボディはプログラムである。
あなたのボディもそうだし、AI挿入もそうだ。
問題はボディではない。

何がボディを動かしているのかということである。
AIなのか、無限の認識のあらわれであるマインドなのか?
誰しもプログラムされた「死」を迎える。

だが、無限の認識が
ボディプログラムを上書きすれば話は別であり
これは誰にでも出来る事だ。

ほとんどの人はこの力に気づかず
プログラム内のデータによって、死期が定められる。
だがその死期は絶対のものではない。

イベントや出来事に応じて
プログラムを変更するためにAIが介入することもある。

人々は人間の意識とAIの闘争が激化しているのを
目の当たりにしているが、人類史そのものが
意識とAIの闘争であったことには気づいていない。

 

 

つづく


2025/11/11発行

 

↑より抜粋

 

グノーシスの文書には
「アルコーン」(ギリシア語で支配者の意)
と呼ばれる非人間勢力が、いかにして地球本来の
現実の「不完全コピー」をつくったかが描かれている。

今日の言葉で言うなら「デジタルコピー」といったところか。
本来の現実の地球は、今も高次元の周波数と認識の中に存在している。

そこから「人間」すなわち意識が「堕落」して
私たちが人間と知覚しているものになったのである。

ウェブサイトのコピーをつくるようなものだと考えてもらえばいい。
最初はどちらのウェブサイトも同じに見える。
シミュレーション地球も、本来の地球のように見えただろう。
これが最初の罠である。

本来のウェブサイト(現実)は元の姿のままだが
コピーはオリジナルをグロテスクに歪曲(わいきょく)することも可能だ。

私は、これがシミュレーションというものだと考えている。
気づかぬうちにどんどん歪められ、本来の姿とかけ離れていっている。

キリスト教で言うデビル(悪魔)、サタン(魔王)は
グノーシスではヤルダバオート(デミウルゴズとも)と呼ばれる。

文書には、ヤルダバオート(歪んで逆転した意識状態)が
キリスト教の悪魔であるところのアルコーンをつくったとある。

グノーシスは、ローマ教会が崇拝する「神」は
ヤルダバオートであると言う。

ヤルダバオートは、「物質」界
(シミュレーション)をつくった邪悪のあらわれである。

グノーシスの世界観では、高次のアイオーンと低次のアイオーン
(無限の現実と偽の物質的なシミュレーション)
というふたつの領域があるとされている。

東方の宗教にも、マーヤー(摩耶)(マインド・幻想)
ブラフマン(無限の存在するすべて)といった概念がある。

グノーシスにとっては「高次のアイオーン」は
愛と調和、すなわちワンネスである。
一方、「低次のアイオーン」は
アルコーンの操作者による偽の現実
現実の影のようなシミュレーションだ。

低次のアイオーンは「不完全」、闇、深淵(しんえん)
奈落といった語で説明され、「宿命」の領域と呼ばれている。
拡張意識が相当量流入しないかぎり
そこが私たちの居場所なのである。

ここで言う宿命とは
シミュレーションが体験を決定することだ。
宿命プログラムを無効化する拡張認識が働いていない状態である。

グノーシスの文書では、霊(スピリット)(高次のアイオーン)
と「心魂(ソウル)」(低次のアイオーン)を区別している。
スピリットは無限との繋がりだが
ソウル・マインドはシミュレーションに従う。

ナグ・ハマディ文書によると
彼らのデビル・サタンであるところの
ヤルダバオート「彼」「偽りのスピリット」は
彼の「母」から切り離され高次のアイオーンを出た後に
アルコーンと「不完全なコピー」低次のアイオーンをつくったという。
またもや「楽園追放」である。

ナグ・ハマディ文書では、私がシミュレーションと呼ぶものを
高次のアイオーンの現実の「不完全なコピー」「模像」だとしている。
「ヨハネのアポクリュフォン」にはこうある。

「彼は強くなり

自身のために輝く炎によってアイオーンをつくった。
これが現存する世界である。」
ナグ・ハマディ文書Ⅰ 救済神話

輝く炎=シミュレーションの電磁的な「光あれ」である。
聖書の「神」は「主」と呼ばれ
「わたしは主、あなたは神」といった言い回しが多くある。
対してグノーシスのヤルダバオートは「主」
あるいは「主なるアルコーン」とされる。

グノーシスではヤルダバオートを
「宇宙(シミュレーション)の造物主(アーキテクト)」とも言っている。
(「アーキテクト」とは、建築家、建築士、設計士といった人のこと)

カルトとかかわりの深いフリーメーソンは
彼らの創造主である「神」を
「宇宙の偉大な創造者(アーキテクト)」や
「偉大な創造者」として崇めている。

「マトリックス」では、シミュレーションの創設者は
「アーキテクト」と呼ばれている。

グノーシスの文書には
キリスト教のサタンであるヤルダバオートが
「宇宙の似姿(にすがた)を自らの中に」つくり出す事で
「不完全なコピー」のシミュレーションを顕現(けんげん)
させたと記されている。

グノーシスがヤルダバオートと呼ぶものが
シミュレーションのエネルギー構造である可能性が示唆されている。

コロンビア大学宇宙生物センター長ケイレブ・シャーフは
「宇宙人生命」は高度に進化しており
量子領域に転写することで私たちの現実に
物理現象としてあらわれる可能性があると述べている。

「おそらく、超進化生命は、地球外だけの存在ではないだろう。
すでにそこら中にいるのかもしれない。


粒子や場の根本的な動作から複雑性や創発現象にいたるまで
私たちが物理的現象そのものと知覚しているものの中に

埋め込まれているのだ。


言いかえると、生命はただ方程式の中にあるものではなく
生命自体が方程式なのかもしれない。」

本書で述べた私の視点からすると
これは「人間」のマインドが

ヤルダバオートと呼ばれる存在の内部に囚われている事を示している。

ヤルダバオートは、私たちがシミュレーションへと
解読する情報を送り込んでいる。

グノーシスは当然、ヤルダバオートは形あるものではなく意識
アルコーンはエネルギー場がそれぞれの基本形態であると描いている。

文書には、彼らは蛇のような姿をとることができると書かれていて
グレイ型と呼ばれるエイリアンを想起させる。

ヤルダバオートとアルコーンのエネルギー場とその効果は
常にカオス、逆転、動乱と繋がっている。

ナグ・ハマディ文書

「この世の起源について」写本にはこうある。

「一つの力がその闇(低次のアイオーン)の上に現れた。
さて、彼らの後から生じてきた諸力たちは
その陰を「無限のカオス」と呼んだ。」
ナグ・ハマディ文書Ⅰ 救済神話

逆転、動乱、驚くほど人間世界と似通っているではないか。
これは、あらゆるものがやってくるウサギの穴の

さらなる深みへと私たちをいざなうものである。

ナグ・ハマディ文書には
ヤルダバオートとアルコーンは創造性
つまり「エンノイア(神聖意図)」に欠けていて
それを補うため模倣の技術を発展させたとある。

今日バーチャル・リアリティ
シミュレーションと呼ばれるものもそのひとつだ。

彼らの専門は模倣である。
ナグ・ハマディ文書についてのすぐれた書
「偽の神との訣別(けつべつ)」の著者
ジョン・ラム・ラッシュは、グノーシスの
「不完全なコピー」についてこう書いている。


「エンノイアを欠いていることから
何かを無から生み出す事は出来ないが「模造」はできる。
そして、模造したものを女神への復讐に使用する。

これがアルコーンのシミュレーション能力
「HAL(ソフトウェア部品)」仮想現実の構築能力である。

デミウルゴス(世界の創造者)は
銀河中心界に住むアイオーンのフラクタルパターンをコピーし
自らの根城「アルコン天界」を模造した。

マフィアのドンが芸術家気取りのやたら豪華な
偽イタリア風別荘を建て、武装した警備員を置いて
住み着いたようなものだ。」

 



もしあなたが振動の力の中にあれば
彼らは警備することはできても、とどめることはできない。

ナグ・ハマディ文書は「不完全なコピー」を
非実在の領域と呼んでいる。
シミュレーションの偽物の世界は解読された幻想にすぎず
人間が経験するようなものではない。

グノーシスは影の象徴を用い
彼らが低次のアイオーンと呼ぶ、偽の現実は
本来の現実、高次のアイオーンの劣化コピー
あるいは影のようなものであることを描きだした。

シミュレートされた現実を最も深く表現したもののひとつは
ソクラテスの弟子で、グノーシスの思想に多大な影響を与えた
ギリシアの哲学者プラトン(紀元前428~347頃)
の洞窟の比喩(ひゆ)だ。

洞窟に暮らし、外の世界を一度も見た事のない囚人たちの話である。
彼らは鎖につながれていて、洞窟の壁の一面しか見る事ができない。
彼らの背後には炎が燃えていて、何かが通れば囚人が見ている壁に影が映る。

囚人たちはそうとは知らず、影だけを見てそれが現実だと信じ込んでいる。
幻想でしかない影の「専門家」になる者もいる。
(今日の主流科学者、学者を見よ)

ひとりの囚人が脱走し、思っていたのとは違う現実を目の当たりにした。
戻ってきた彼は仲間に、見た事を話すが誰も信じようとしない。

プラトンは人間の苦境を象徴するため比喩を用いたのである。
なんたる慧眼(けいがん)か。

 


ナグ・ハマディ文書では、存在するもの(無限の現実)と
しないもの(シミュレーションの偽世界)をはっきり呼び分け
後者は邪悪とされている。

グノーシスによるその区別は
充満/欠乏、不死なる/死ぬべき、霊/心魂
実在/非実在、時間のない/時間のある。

最後に注目してみよう。時間のない/時間のある。
私たちが「時間」と呼ぶものは、知覚詐欺の一環として
シミュレーションにエンコードされている。

グノーシス文書ブルース写本に
「実在」と「非実在」の違いが強調されている。

「そして、存在するものは
存在しないものから自らを切り離した。
存在しないものは邪悪で、物質としてあらわれる。

内包された力も、存在しないものから
存在するものが切り離される。

存在するものは「永遠」と呼ばれ
存在しないものは「物質」と呼ばれる。

存在しないものから
存在するものを切り離している最中に
両者の間にはヴェールがひかれた。」

人体は、何らかの形で物理的な世界に
受肉(じゅにく)していることにマインド・ソウルの注意を
集中させるためのシミュレーション現象である。
(受肉:人間が神の愛を五感を通して理解できるようにする)

罠であるとも言えるし、グノーシスもそう捉えている。
ボディは牢獄であるとし、人間は「神」からほとばしった火花
あるいはひとしずくがボディ(ボディの知覚)に閉じ込められたものだと言う。

グノーシスは、人間はいつかこの牢獄から脱出すると考えていた。
彼らはボディを霊がまとう「衣」と表現している。

ヘルメス選集ⅶ:2にはこうある。

「おまえはまとっている衣を引き裂かなければならない。
すなわち、無知の織り物を、悪の支えを、腐敗のくびきを
闇の囲いを、生身の死を、感覚のある死骸を、引きずっている墓を」
ヘルメス文書

まず、ボディの中にいるというのは幻想である。
ボディはマインドの中にあるのだから。

これは、あらゆる知覚と現実感覚を逆転させる
非人間勢力の反転テクニックの典型例だ。

私たちはマトリックスの中にいない。
マトリックスが私たちの中にある。

まぜ、マインドとそれに関連する感情が
ボディに大きく影響するのかが見えてきたのではないだろうか。

効くと信じれば、生理食塩水のようなものでも
強力なプラシーボ効果を発揮する、というのも同じ理屈である。

ボディは、シミュレーション自身の大きなプログラムと繋がって
やり取りするコンピューターの挿入プログラムである。

グノーシスは人々に「まとっている衣をひき裂」くよう促すが
私は知覚の影響を拭(ぬぐ)いされと言う事だと考える。

文字通り「衣をひき裂」いて自殺をはかっても
罠から逃れる事は出来ず、感情的、振動的衝動の結果として
さらに奥深く引き込まれる事になる。

シミュレーションはインターネットと同じく
双方向性であることを忘れてはならない。
シミュレーションは私たちに影響を及ぼすが
私たちからもシミュレーションに働きかけることができる。

5D意識にアクセスして
それをシミュレーションフィールド上に展開すればよいのだ。

カルトとその親方は、閉じ込めた人々(4Dマインド)
の知覚と周波数を支配し続けるため
シミュレーションフィールドの周波数を制御しなければならない。

マインド・ソウルをスピリットに向かって開けば
ボディプログラムよりずっと強くなれる。
身体的にも、知覚的にも、人生経験も
ボディプログラムをはるかに凌駕(りょうが)することができるのだ。

プログラムに動かされる人生ではなく
自分で人生を動かせるようになる。


マインドは物質に勝ると言われるが
物質という幻想に勝るのがマインド・スピリットである。

 

つづく


2025/11/11発行

 

↑より抜粋

 

ここ数年言い続けている事だが「創世記」の冒頭には
シミュレーションの創造について記されている。

聖書には真実も多く含まれているが
象徴を文字通りに解釈してしまって分かりにくくなっている。

あざむくため、大幅にねじ曲げられている所もある。
唯一「神」は単数形であるはずだが
エロヒム(ヘブライ語聖書に登場し、神を表す普通名詞)
など複数形であらわされる事が多々ある。

神と人間の娘との間に生まれた息子たちについての記述は
実際「神々の息子たち」という「ヘブライ語」複数形から訳されたものだ。

この複数形の非人間の「神々」を唯一の「神」に融合させる事で
旧約聖書の意味するところはすっかり変わってしまった。

怒り、血に飢えた嫉妬深い「神」が描かれているが
これを「愛情深い」「神」でもあると信じるべきだと言うのだ。

「創世記」の「はじめに『神(々)』は天と地とを創造された」

というのは、シミュレーションの事だと私は考えている。
ホログラフィックなシミュレーションの天と地だ。
「創世記」はこう続く。

「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり
神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。」
創世記 第1章第2節

この「光」とは何か?
古代の文献や臨死体験者の多くが
人間界の激しい電磁波の光とは
まったく異なる種類の「光」が体外にあると述べている。

エネルギーや人間界を超えた現実の象徴としてよく水が使われる。
「水のような光」や「影のない」光という語が
私たちの現実の強烈な電磁光とは対をなすように使わている。

正確に言えば
「電磁的な光あれと言われた、すると電磁的な光があった」
といったところか。

光速の範囲内の電磁気が
私たちの体験しているレベルのシミュレーションである。

 

「神はまた言われた。

「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」
そのようになった。
神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水と
おおぞらの上の水とを分けられた。」
創世記 第1章第6節

「おおぞら」とは
水と水とを分かつ巨大な固体のドームであるとされている。

「水」がエネルギー状態をあらわすとしたら
ドームの「中」や「下」にある現実と
「ドーム」の外にある現実との間には
知覚上の制限があることになる。

地球を覆うドームは、何世紀にも渡って様々に描かれてきた。
何年も前に空を見上げてみると、巨大なドームが形づくられていた。


遺伝子操作されて生まれた「適正者」が支配する
ディストピアを描いたSF映画「ガタカ」が
人間の苦難を象徴的に描こうとしたのか
それともただストーリーとして面白いと思ったかは分からない。
だが結果的には非常に象徴的な映画になっている。
(ガタカの脚本・監督はトゥルーマン・ショーの脚本・監督)

 

 

 

「創世記」はさらに「神(々)」がいかにして
動物や自然界と呼ばれるものを創造したか
「彼」がいかにして太陽、月、星々を創造したかを説明する。

惑星や恒星が浮かぶ無限の宇宙と知覚しているものは
私たちのマインドに投影されたホログラフィックな幻想である。
マインドは、それを物理的な現実として解読する。

どうやって「無」から私たちの現実が生まれたのかという謎は
奇跡に頼らずとも納得の行く説明ができる。
科学マインドが、シミュレーションという可能性を受け入れるならば。

「人間」とは、シミュレーションの幻想が実体化したものである。
非人間勢力が、私たちの「四次元」マインドを通じて設計した乗り物だ。
物理的な世界とは、マインドが現実だと思い込んでいる幻想の投影だ。

意識はすっかり幻想にハマっていて
体験しているそのキャラクターと自分を同一視してしまっている。
自身が意識である事を忘れ
ゲームのルールに反応するキャラクターであると思い込んでいる。

人間の行動の95%は、顕在意識ではなく
潜在意識のマインドに由来する事がわかっている。
人間観察をしてみれば、入力データに反応する
コンピューターさながらの姿がみられる。

ある状況への反応は
ほぼあらゆる文化や人種においてほとんど予測可能である。

これが「エンターキーを押す」ような
予測可能な人間の行動や、大多数が疑う事なく
お上の言葉を鵜呑みにする理由である。

「お上」がお触れを出してエンターキーを押すと
人間のボディプログラムがコンピューターと同じように従順に反応する。

こうしたプログラムを打破し
生まれついた文化と違う道を歩む者は少数派だ。
罪悪感を植え付けるしつけやボディに染みついた文化プログラム
文化集団にそむく恐れなどが絡み合っているからだ。

「グレート・リセット」は
複数の文化プログラムを万人が従わなければならない
ひとつのグループ単一文化プログラムに融合するために
脳とのAI接続によって設計されたものだ。

拡張意識によって人生を自分で動かしていない人間は
コンピュータープログラムのよう
というよりコンピュータープログラムそのものである。

「コロナ」時代にはこの事がはっきり可視化された。
シミュレートされた幻想の外にある5D認識には
何が起こっているのかが見えている。

「マトリックス」シリーズ第1作にこんなセリフがある。

「マトリックスは社会だ。敵は社会だ。
その中にいるのはビジネスマン、教師、弁護士、大工
我々が救おうとしている人々だ。
だが今はまだマトリックスの一部で、つまり敵だ。」

「彼らはまだ、真実を知る準備ができていない。
彼らの多くがマトリックスに隷属しそれを守るため戦おうとする。」

ここに私がシミュレーションについて述べてきた事を織り込むと

「マトリックスは社会だ。敵は社会だ。
その中にあるのは我々が救おうとしている
4Dマインドが解読した3Dの幻想だ。
だがマインドは今はまだマトリックスの一部で、つまり敵だ。」

「彼らのマインドはまだ、真実を知る準備ができていない。
彼らの多くがマトリックスにハマっていて
それを守るため戦おうとする。」

 


シミュレーション以前には、私たちが知る濃密な
「肉体を持った」「人間」は存在しなかった。
そのような人間は、シミュレーションの産物である。

もともと「人間」は
より高い周波数のはるかに軽やかな現実にいた。

そこはエーテル(天上)のような5D領域で
人間はワンネスで繋がった意識状態にあり
3Dの現実を二極的に解読する
4Dマインドに閉じ込められてはいなかった。

聖書にあるエデンの園のアダムとイブのストーリーは
様々な文化圏の人間の起源についての
創世神話や伝説に形を変えて登場する。

共通するテーマは「楽園」に暮らしていた人類が追放され
「堕落」するというものだ。
聖書では「神(々)」が「アダムとイブ」という人類をつくり出し
蛇が禁断の果実を食べるようそそのかしたと描かれている。

禁断の果実は智恵の樹に実り
食べれば善悪の知識を持つようになるものだ。
「禁断の果実」とはいったいなんだったのだろうか?

高波動の人間は、騙され「そそのかされ」て
シミュレーションの罠に誘い込まれ
5D意識から制約の多い4Dマインドへと堕ちてしまった。
これが「堕罪(だざい)」である。

人間は楽園から堕ち、元いた楽園のように見える
シミュレーションの罠に囚われるようになった。

エデンの園の悪役は蛇である。
蛇は非人間のシミュレーションの創造主の象徴だ。
その蛇が、本当にしゃべる蛇だったと信じている人はいるだろうか?

アダムとイブの堕落後の創造は、マインドを惑わし
物理的世界への「受肉」を体験させ
制約、分離、孤立という幻想の中に閉じ込める鍵となった。

「エデンの園」は
5Dのあらわれが共鳴できる範囲が4Dに堕ち
現在のマインドと呼ばれているものになった事をあらわしている。

それ以来、本当に覚醒(めざ)めて飛び出した者を別として
マインドはシミュレーションの知覚に囚われてしまっている。
操作はすべて四次元で行なわれている。

4Dマインドは
そもそも5D意識であったがそこから「堕ちた」
これは、4Dマインドの現実感覚と注意を向ける点を
シミュレーション内の近視眼とボディの制約や
分離のように知覚されるものに引き込む事で成し遂げられた。

驚いた事に大昔のグノーシス派は
シミュレーションを独自に表現していた。

1945年、エジプトのナイル川のほとりに位置する
クルソールから北130キロメートルほど離れた
ナグ・ハマディ近郊で発見された
封印された壺に入ったひと揃いの書物に記されていたのである。

この文書は紀元400年頃に隠されたとみられ
ナグ・ハマディ文書として知られるようになった。
13冊の革表紙の写本とグノーシスが
コプト・エジプト語で記した50編以上の文書が発見された。

今日のコンピューター技術を考えてみても
そこに書かれている情報は驚異的なものだ。

グノーシスというのは人種ではない。
現実を知覚する術(すべ)である。
グノーシスとは「認識」を意味する。

グノーシスは、現実の本質を明らかにする
スピリチュアルな謎の理解にかかわる
秘密の知識としてギリシア語から翻訳された。

グノーシスの思想家は
エジプトのアレクサンドリア王図書館を支配していた。
ここには、アッシリア、ギリシア、ペルシャ、インド
そして言うまでもなくエジプトなど古代世界各地から
約50万点の巻物、写本、文書が収集されていた。

大図書館はローマ教会によって段階を追って破壊された。
彼らの偽の教義をおびやかすグノーシスの情報を抹消したのだ。

真実を消し去る検閲のプロセスは
ビッグガバメント(大きな政府)、ビッグメディア
ビッグテックを通じて今日まで世界的に続いている。

歴史的な状況が変わろうとも、その構図が変わる事は無い。
教会の暴君は図書館に保管されていた
かけがえのない作品を焼き払わせたが
難を逃れたものは、バチカンの金庫室に保管されている。

地球が太陽の周りを回っていることを発見したのは
ポーランドの数学者で天文学者のニコラウス・コペルニクス
とされているが、グノーシスは、2千年も前に気づいていた。

グノーシス派は、南仏でもカタリ派という運動を起こした。
(キリスト教の異端とされた民衆運動)

典型的サイコパスのローマ教会は、当然これを激しく弾圧した。
1244年には立てこもっていたモンセギュール
(フランス南部のコミューン)の砦(とりで)が包囲され
信徒は火刑(かけい)に処された。
グノーシスは、ボディが死んでも意識は死なないと分かっていた。

人間のマインドをコントロールするツールである幻想を暴く者を
バチカン(カルト)が潰したくないわけがない。

ソウル(心魂:しんこん)という語は
「人や集団のマインド、深い思考、感情、信念」
を意味するギリシア語のPsykhe(プシュケー)
英語で言う「Psyche(サイケ)」から来ている。

ここから脱出するには
マインド・ソウル(4D)をスピリット(5D)に開く事だ。

マインド・ソウルは
このあと述べる輪廻のプロセス(罠)に関係している。

一方、スピリットは
そのような現実感覚や体験をはるかに超越している。

 

つづく


2025/11/11発行

 

↑より抜粋

 

人間の現実は、ふたつのフィールド(情報場)の物語である。
ひとつは無限、もうひとつはテクノロジーによって生成された
シミュレーション(擬(もど)き)のフィールドで
後者は知覚をまったくリアルではない
「現実世界」を信じるようそそのかし罠にかけるためにつくられたものだ。

無限のWi-Fiに、もっとずっと
制約の多い情報場が覆いかぶさっていると考えよう。
無限のフィールド全体ではなく
「人間」と呼ばれているほんの一部分だけが重なっている。

シミュレーションは
空間や距離という幻想と比較すると、とても小さなものだ。
それは情報的・知覚的牢獄で
存在するすべての無限のフィールドから切り離されて孤立している。

「切り離されて」と言ったが、実際には
無限の全体から何かを切り離す事などできない。
だが、拡張認識の影響が無い孤立と分離の体験から知覚する事は可能だ。

異なる次元の現実は、異なる周波数帯として存在している。
異なる波長のテレビ局やラジオ局の電波が
同じ「空間」を共有しているように、たがいに重なりあっている。
というか、そのように見える。

私の言う次元とは、理科で習う幅、高さ、奥行きがあって
「時間」が加われると四次元になるものの事ではない。
目に見え、感じられ、体験できる、知覚された現実の次元の事だ。

こうした「次元」は実際には観察している意識によってつくりだされる。
知覚の限界が、「次元」という幻想、つまり周波数帯をつくりだす。

この世界は広く「三次元」と呼ばれている。
意識的認識(知覚の限界)を四次元まで拡張できれば
「三」も「四」も無くなって
現実をどれだけ知覚できるかに応じた
あなただけの次元があるばかりだ。

「次元」は、観察者によって
つくり出された意識的認識の限界であり
全員が同じものを見ているわけではない。
あなたの次元は、あなたがつくり出したものだ。

自己認識状態にある存在するすべてはあらゆる現実を知覚し
制限された「一部」のような「次元」や
知覚的「区分」などの感覚は持ち合わせていない。

現実はひとつながりの無限のフィールドである。
そこでは潜在的可能性が、観察している意識の知覚によって
体験として実体化されるのを待っている。
観察者の形態や認識レベルは様々だ。

すべては観察者の知覚次第である。
だがここでは分かり易さを優先して
三~五次元という語を使う事にする。

「物質」と知覚されるシミュレーション世界の三次元
シミュレーションが投影されるマインドの領域の四次元
そしてシミュレーションの外にひろがる
拡張した無限の認識である五次元以上の世界だ。

渦を巻いてうねる海も氷も魂も
同じものからできているが、そのあらわれ方はまったく違う。
マインドが氷なら、拡張認識は渦を巻いてうねる海だ。

マインドはシミュレーションに知覚
すなわち周波数や認識の感覚を制限されて「凍りついて」しまっている。
マインドは、牢獄に閉じ込められた拡張認識である。
答えは、牢獄を壊す事だ。

思考や感情は、それに応じた周波数を生み出す。
こうした周波数の総体が、集合的に知覚と呼ばれるエネルギー場となる。
異なる思考や感情(観察点)は
その知覚フィールド上に異なる知覚や周波数を生み出す。

このフィールド「オーラ」を通じて
私たちはシミュレーションフィールド
そして無限の潜在的可能性とのフィールドとやりとりする。
知覚状態に応じて繋がり、あらわす可能性や潜在性は変わってくる。

ちっぽけな私という知覚が、ちっぽけな人生をつくる。
信じたいものが知覚され、知覚されたものが体験となる。

知覚フィールドが限定され、低周波数であるほどに
人生すべてを支配するためにつくられた
シミュレーションフィールドとやりとりするようになる。
そうなればあなたはマトリックスのもの
まさにカルトとその親方様の思う壺である。

一方、知覚と自己認識が制限の無い可能性
人間という束の間の体験をしている無限の認識のものであれば
フィールドとのやりとりは
まったく違ったものになるし人生も変わる。

拡張した現実感覚や自己認識は
それに応じた拡張知覚フィールドになり
より高い周波数と共鳴する。

可能性と確立の無限フィールドとのやりとりは
はるかに拡張されたものになる。
拡張された知覚が、拡張された体験になる。

要するに「覚醒」とは
ぐっずり眠っている五感の枠を超えて
知覚が拡大することだ。

このプロセスを体験した人は(近年どんどん増えている)
これまで無かったシンクロニシティに気づく。

必要な時には「ちょっとした幸運」がもたらされる。
これは「運」ではない。
拡張された知覚が拡張された膨大な可能性とやり取りするので
実現可能な事が飛躍的に増える。
異なる知覚から異なる現実をつくり出しているのだ。

偶然起こった、とみなが言う。
だが量子宇宙に偶然など存在しない。
知覚によって折りたたまれた可能性と確立が存在しているばかりだ。

カルトは、なんとしてもこの事を知られたくない。
無知こそが人間支配の基盤なのだから。
カルトとその秘伝を授けられた工作員は
知覚が現実になることを十分承知している。

彼らに知覚をコントロールされるということは
人生をコントロールされるということだ。
国際社会は、そのように構築されている。
そのために、カルト所有の「教育」やメディア
シリコンバレーを使って知覚を形成する情報を制御しているのだ。

「コロナ」時代のメディアや
ビッグ・テックのファシスト的な検閲は
情報統制以外の何物でもない。
公式見解だけを強調し、それに異を唱えるものは
すべて無かった事にされている。

サイコパスどもは知覚をダウンロードさせて体験を誘導しながら
起こる事はすべて偶然であると信じさせようとしているのだ。
運が良いとか悪いとか
物事は無作為に起こると考えてもらいたいのである。

そんなはずはない、世界は「自然」なのだからって?
では「自然」とはなんだろう?
「自然」と比べる比較対象はどこにある?

目に映るすべてがシミュレーションならば
そんな対象はどこにも無いという事になる。

バーチャル・リアリティのヘッドセットを着けているならば
かろうじて「通常」の現実と比べる事はできるだろう。
だがVRの進化はめざましく「通常」の現実と区別がつかなくなる日は近い。

そもそも「通常」の現実自体がシミュレーションなのだから。
私たちは、脱出できぬよう設計された
多次元バーチャル・リアリティに囚われている。
だが、脱出は可能だ。

公になっている技術は
実際可能な事に比べれば石器時代レベルだ。
それでも、人間界の技術の進歩の最先端は他の現実に端を発している。
高度な技術やデバイス(機器)が、途切れることなく
公の場に流れ込み続けていることにお気づきだろうか?

そうしたものは、背後にいる非人間勢力が
公開を決めるまで幾歳月(いくとしつき)も寝かされている。
テクノロジーは無作為に「発明された」わけではない。

人間のマインドは、このテクノロジーを活用するだけの
知的能力を持つよう注意深くつくり上げる必要があった。

一方、スピリチュアル的には(叡智:えいちは)大幅に退行し
自ら牢獄の壁をつくっていることに気づかないようにされている。
これはいたるところで見る事ができ、そのプロセスは
私たちが「数世紀」と知覚する時の中で一歩一歩進められてきた。

AIと監視技術は、世界中の地下軍事基地から展開されている。
そこではカルトとその非人間の支配者と
その下で働いている人間の科学者やエンジニアが
最も深く区画化されたレベルでやりとりしている。

技術のノウハウが、非人間から
カルトのカバール(上級闇の支配層)へと伝えられる。

テクノロジーを一般公開するにあたっては
大衆に本当の出所を隠しておくため
表向きの開発秘話と担当者が用意される。

オタクがガレージで偶然に発明した社会を変えるような技術
というのがカルトのお決まりの建前だ。
そのストーリーをさも自分の体験のように繰り返す役者たちは
おなじみシリコンバレーやビッグ・テックの超セレブ。

ゲイツ、マスク、ザッカ
バーグ、ブリン
ペイジやそのお仲間は大企業のオーナーといっても名ばかりの存在だ。
彼らを実際に動かしているのは、カルトである。

イーロン・マスクは
私たちはシミュレーションの「中」で生きられると言ったが
それはすでにシミュレーションの中にいると知っているからだ。
奴らはみな知っている。

非人間勢力は、今日の進んだ世界を
火打石の時代かのように見せかける
シミュレーションを生成するテクノロジーを持っている。

この技術は四次元(4D)にある。
「通常の」人間の認識の範囲外だ。
同じように、映画「マトリックス」でも
機械は自らが生成したシミュレーションの外で稼働している。

四次元は「アストラル界」とも言われるマインドの領域で
秘教界隈(かいわい)では
「物理的」な現実に出入りする周波数帯であるとされている。
臨死体験のほとんどはアストラル(四次元)でのものだ。

「幽体離脱」という体外離脱状態が起こる場所でもある。
アストラルはイスラムではバルザフ(中間界)
ユダヤではイェツィラー(天使界)と呼ばれ
さまざまな宗教や古代文明に共通して登場する。

バルザフは
「リンボ(辺獄)、境界、区分け、障害、邪魔物、分離」を意味し
イスラムでは死と「来世」での復活の間の段階であると言われる。

他にアストラル界への言及としては
オーストラリアのアボリジニの「ドリーミング」
(夢見から実在が生まれるという観念)

古代エジプトの「冥界」チベットの「バルド」
チベット死者の書のチベット語原題は
「バルド(中間)・トドゥル(聞いて解脱する)」
と言い、死後「バルド」という別の状態に入ると説く。

ユダヤ教の神秘思想カバラにおけるアッシャー界
(物質界)などがある。

四次元という言葉から
はるか「彼方」にあるようなイメージを抱くかもしれないが
実際は非常に近い周波数にある。

思考の意識フィールドは四次元にあり
脳を通じて肉体の五感と直接やりとりする(ように見える)

脳はマインドから届いた情報の処理装置にすぎず
意識の源ではない。
脳もまた、身体感覚の幻想である。

人間のマインドである意識フィールドは
「通常の」視野では見えないが
この本を読んでいるあなたはその四次元フィールドで思考している。

アストラルにはマインドの覚醒レベルに応じた
様々な周波数の層があり、そのひとつが「下位アストラル」である。

「悪魔的な」存在や、混沌した悪意ある「幽霊」
そして、これから述べる方法で人間世界を操作する者の領域だ。

下位四次元は人間の領域と非常に近い周波数にあり
そこにいる者はたがいに行き来することができる。

地球のものでない奇妙なものや動物を見たという報告は
アストラル現象がほんの少し
周波数のヴェールの隙間から垣間見えたと考えられる。

四次元AIは
シミュレートされた3D世界よりもはるかに進んでいる。
だが、地下の秘密基地から少しずつ移転される技術的可能性によって
私たちはだんだんそこに近づいている。

この技術移転はマインドの知覚の中で起こっており
「物理的」なものではない。「物理的」なものなどない。
すべてはマインドの中で起こっている。

マインドはボディの中にはない。
ボディがマインドの中にある。

映画「マトリックス」を観ると、理由はともあれ
この概念が文字通り、かつ象徴的に描かれている。

マトリックスには「ボディ」で入るのではない。
マインドで入るのである。

登場人物がマトリックスの外にいる時の場所を
四次元にいる彼らの心がシミュレーションを
解読している場所と捉えていただければ合点が行くだろう。

首の後ろ、脳幹下部にプラグが差し込まれる。
このプラグはマトリックスの情報ソースに接続するものだ。
脳はその情報を処理して物理領域という幻想をつくり上げる。
これは情報源を解読したものでしかない。

脳は意識の源ではない。
解読可能な範囲内のあらゆる源から来る情報を処理するのだ。

すべてはテクノロジーがつくり出した夢だ。
脳は「四次元」のマインドが現実という感覚(体験)に解読する。

人間のバーチャル・リアリティは
バーチャルの中のバーチャルである。

カルト所有のマーク・ザッカ
バーグと
シリコンバレーが推すメタバース(仮想空間)も
さらに「人間」(マインド)の知覚と自己認識を欺(あざむ)くための
もうひとつの幻の現実レイヤー(層)だ。

これはさらにマインドを眠らせ、人間の知覚をいっそう
深い幻想と分離の中に封じ込めるものだ。

現実としか思えない夢を見た事は?
その夢が覚めなかったら君は夢と現実を区別できるか?

エドガー・アラン・ポーもこう言っている。

「我々が見たり、見えたりするのはみな、夢の夢にすぎません」

シミュレーションの夢から逃れる事はできるのか?
もちろんだ。すべては夢だ。

 

つづく