2025/11/11発行
↑より抜粋
私たちは無限の認識であるのだが
自己認識状態にある者はほとんどいない。
本当の自己は、乗っ取られている。
私たちの本質は、ボディ(肉体)ではない。
ボディを使って体験をしている意識である。
インターネットにアクセスするため
コンピューターを使うのと同じ原理である。
制限と知覚されるものと
幻の自己という牢獄から抜け出すには
あらゆるものが分離している物理的な世界、という
既成概念の罠から抜け出す事が肝要だ。
「物理的」なものも「固体」もなく
現実は目に見えているものとはまったく違うという事だ。
量子物理学だけでも、現実が固体であるという
思い込みを打ち砕くには十分だ。
他の分野は渋々そう認めざるをえないが
あたかも物理的でない量子の世界が存在しないかのようにふるまっている。
一方、カルト主導の科学プロジェクトは
ナノテクノロジーを含む量子世界に焦点を当てている。
カルトは、物理的なものや「物体」など幻想であるとわかっている。
これこそが、カルトの秘密結社ネットワーク内で
脈々と受け継がれてきた知識基盤の重要部分であり
大衆には隠されている。
現実は、見た目ほど複雑ではない。
この複雑そうな知覚が、現実のシンプルな土台を覆い隠しているのだ。
目(実際は脳・マインド)で見ているものは
可視光と呼ばれる、電磁波スペクトルの
ほんの狭い周波数帯でしかない。
そのスペクトルを全部合わせても
宇宙に存在するすべてのわずか
0・005%にすぎないと推測されている。
正常な感覚で言えば、私たちはほぼ盲目なのである。
宗教は、私たちが知るべきことは
たった1冊の聖典の表紙の間にすべて書かれていると説く。
そのたった1冊の本は
宇宙のほんの0・005%の知覚可能な範囲に収まっている。
なんとバカげた話だろうか。
私たちは、世界をスキャン(読み取り)し
眺めている知覚される「空間」に存在するものを
すべて見ることができると考えている。
五感の視覚現実の制約から
目で見ているのは「物体」の周波数
ホログラフィックな形態でしかない、という事がわかる。
結果として、すべてはバラバラに
「からっぽの空間」に存在しているように見える。
だが、「からっぽの空間」など無い。
あらゆるものは、エネルギー(意識)場で繋がっている。
これをフィールドと呼ぶことにする。
実はフィールドは2つある。
無限の認識のあらわれである無限のフィールドと
電磁的なシミュレーションのフィールドである。
知覚と行動にどちらの影響を受けるかによって
「眠っている」のか「目覚めている」のかが決まる。
シミュレーションフィールドは波動情報からなり
無限のフィールドを真似て意識を「人間」という
幻想の沼に引きずりこもうとしている。
いずれにせよ、どちらのフィールドも
肉体の視覚では解読できない
周波数域で動いているため目には見えない。
そのため、すべてはひとつであり
フィールドで繋がっているのに
何もかも隔てられているという幻想がまかり通るのである。
ひとたびフィールドを理解すれば
あらゆる超常現象と呼ばれるものの説明がつく。
私たちはフィールドのあらわれであり
テレパシーのようなコミュニケーションも可能だ。
たとえば、思考や感情は
周波数という形でフィールド内に伝わって行く。
あらゆる思考や感情は、その本質をあらわす周波数を生成する。
憎悪、抑うつ、不安は低く遅く濃い周波数である一方
愛や喜び、幸福は高く速い周波数である。
だから落ち込んでいる時は「重く」
喜びを感じている時は「軽く」感じる。
これは私たちは思考や感情から生成する周波数と
その肉体の電磁場への影響に対応している。
その一つは「オーラ」と呼ばれる。
互いの周波数は
フィールド経由で通じ合い「距離」など存在しない。
知覚される「距離」にかかわらず通信は可能である。
五感にとっては信じがたいイリュージョン(魔術)であろう。
サイキックや霊媒師が聞き取り、繋がる「声」は
フィールドから来るが、2つのうち無限の方かもしれないし
シミュレーションの方かもしれない。
古代文化や部族民の間では
こうした能力が「風の便り」と呼ばれるようになった。
遠く離れた者が、村で何が起こっているのか
村で生成され風(フィールド)に乗って伝わってくる
周波数を解読することで感知できるというものだ。
現代西洋文化とは、五感の現実である。
認識を「物質的な」幻想という罠に陥れ
風の便りを感知するチャンネルを閉じてしまう。
「西洋文化」はそのために設計されたもので
「グレート・リセット」は
テクノロジーを使ってそれを極限まで突きつめたものである。
私たちはフィールドを通して
動植物とコミュニケーションを取る事ができる。
人間の言語ではなく、言葉の響きや
ハートとマインドの周波数によってである。
あらゆるコミュニケーションの実際は
フィールドを行き交う周波数が、見聞き触り味わい嗅ぎ
より大きな現実を感じる事のできるものによって解読されるというものだ。
これが、人間社会の操作者が知られたくないシンプルな知識である。
これが知られては、無知によって
隷属(れいぞく)させる事ができなくなってしまう。
フィールドは万物の基盤である。
フィールドを理解する事が、生それ自身の理解に繋がる。
ひとたび現実の真の姿を把握すれば
不可能が可能になり「超常」も簡単に説明できるようになる。
自分自身のボディでさえ、目に映る姿に解読しているのだ。
五感のボディマインドは、シミュレーションからの情報を
自らがその「中」にいると思っている世界に解読しているが
実際はすべて解読された幻想だ。
映画「マトリックス」の登場人物、モーフィアスはこう言う。
「現実とは何だ?
明確な区別などできん。
五感の知覚できるものが現実だと言うなら
それは脳による電気信号の解釈にすぎん」
たとえば時間は存在しない。
時間という幻想を解読しているだけだ。
無限、永遠の今だけが存在する。
空間と距離という幻想もある。
夜空に「光年」の「距離」にあるように見えるものが
見えている形で存在するのは脳・マインドの中だけだ。
現代のテクノロジー世界は
私たちが「普通の」現実を解読する方法を真似ている。
「バーチャル・リアリティ」と
「リアル・リアリティ」(シミュレーション)
の区別がつかなくなる日も遠くないだろう。
人間支配をもくろむ者は
私たち本来の無限のフィールドとの
自然な繋がりを切り離そうとしている。
私たちの関心(認識)を五感だけに引きつけ
シミュレーションフィールドの
ホログラフィックな世界しか
見たり感じたりできなくしているのだ。
私たちは、それを超えた本来の現実の
無限のフィールドを感じられなくなってしまっている。
目に見える世界を探し求めても
そこに答えは見つけられないだろう。
映画のスクリーン同様
シミュレーションが投影されているにすぎないのだから。
答えは、意識の拡張領域にある。
目には見えず、何も感じないよう選択しているエリアだ。
選択肢は他にもある。
無限は、私たちが自身を
五感の現実という独房から解放する選択を待っているのだ。
シミュレーションがはっきりとあらわれているのが
シミュレーション内の「天体」の動きに基づく占星術だ。
星々は、エネルギー・意識の
ホログラフィックなフィールドである。
星はシミュレーションフィールド内を移動して
フィールドの情報・周波数状態に影響を及ぼす。
私たちは常にシミュレーションフィールドと
相互作用していて、こうした変化の影響を受ける。
このサイクルに入った時「誕生時」に
星がどこにあったかが、私たちのフィールドに影響を与える。
別の時にサイクルに入った人とは
占星術的な影響が異なる形でエンコードされるのだ。
その結果、さまざまなエンコーディング(星座)が
さまざまにシミュレーションフィールドと相互作用することになる。
「私は牡牛座」「双子座」「獅子座」といったあんばいだ。
私は、カルトの工作員と契約している占星術師に会った事がある。
星のエネルギーの流れについて、助言を求められているのだ。
上げ潮・引き潮の原理にのっとって
逆風ではなく追い風に乗って事を起こすためである。
海で泳ぐなら、進行方向に向かって潮が流れる時間を選べばいい。
この場合の潮とは、エネルギーの事である。
カルトの構成員はこうしたエネルギー的な現実を承知している。
だから名だたる経営者には、お抱えの占星術師がいるのである。
カルトの銀行家J・P・モルガンはこう言った。
「自分で稼ぐのはミリオネア(億万長者)
星の力を借りるのがビリオネア(京兆長者)」
ちなみにモルガンは、タイタニック号の実質的オーナーで
初航海に乗船する予定であったが直前にキャンセルしている。
シミュレーションを超えた拡張認識と繋がることができれば
星のエネルギーを上回る事ができる。
そうでなければ、星に支配される事になる。
数秘術も同様だが
こちらはデジタルレベルのボディマインド
波動場周波数情報のデジタルなあらわれとして働く。
数秘術師は、私たちの人生にかかわる数字を読み解く。
名前も数字に置き換える事ができる。
生年月日その他あらゆる事柄は、数秘術によってデジタル化可能だ。
研究の一環としてサイキックと数秘術師と同時期に
リーディングをしてもらった事があったが
もたらされた情報はほぼ同じだった。
両者は、波動場あるいは数という異なる形であらわされている
同じ情報を読み取っていたのである。
バーチャル・リアリティゲームは
エンコードされた情報以外の何物でもない。
ゲームクリエイターが、嵐や空から降る羽根
ストーンサークルをエンコードできる事を疑う者はいるだろうか?
私たちはみな、それが十分可能だとわかっている。
こうしたゲームの可能性や潜在性は
私たちの現実のそれを反映している。
「奇跡」など存在しない。
現実のしくみの理解度が違うだけだ。
しくみが分からなければ不可解な出来事が
奇跡のように見えるかもしれない。
分かっていれば、普通に説明できるということになる。
しくみを知られてはならない。
だからグローバル・カルトの構成員は
外にその知識を漏らさぬよう必死なのである。
大西洋、太平洋、インド洋、南シナ海と区別しているが
「それら」はひとつなぎの水である。
大洋は水のひとしずくであり、しずくは大洋である。
大洋にしずくを落としてみよう。
しずくはどこで終わり、どこから大洋がはじまるのだろうか?
分断など無い。すべては繋がっている。
つづく












