2025/11/11発行

 

↑より抜粋

 

人間の現実は、ふたつのフィールド(情報場)の物語である。
ひとつは無限、もうひとつはテクノロジーによって生成された
シミュレーション(擬(もど)き)のフィールドで
後者は知覚をまったくリアルではない
「現実世界」を信じるようそそのかし罠にかけるためにつくられたものだ。

無限のWi-Fiに、もっとずっと
制約の多い情報場が覆いかぶさっていると考えよう。
無限のフィールド全体ではなく
「人間」と呼ばれているほんの一部分だけが重なっている。

シミュレーションは
空間や距離という幻想と比較すると、とても小さなものだ。
それは情報的・知覚的牢獄で
存在するすべての無限のフィールドから切り離されて孤立している。

「切り離されて」と言ったが、実際には
無限の全体から何かを切り離す事などできない。
だが、拡張認識の影響が無い孤立と分離の体験から知覚する事は可能だ。

異なる次元の現実は、異なる周波数帯として存在している。
異なる波長のテレビ局やラジオ局の電波が
同じ「空間」を共有しているように、たがいに重なりあっている。
というか、そのように見える。

私の言う次元とは、理科で習う幅、高さ、奥行きがあって
「時間」が加われると四次元になるものの事ではない。
目に見え、感じられ、体験できる、知覚された現実の次元の事だ。

こうした「次元」は実際には観察している意識によってつくりだされる。
知覚の限界が、「次元」という幻想、つまり周波数帯をつくりだす。

この世界は広く「三次元」と呼ばれている。
意識的認識(知覚の限界)を四次元まで拡張できれば
「三」も「四」も無くなって
現実をどれだけ知覚できるかに応じた
あなただけの次元があるばかりだ。

「次元」は、観察者によって
つくり出された意識的認識の限界であり
全員が同じものを見ているわけではない。
あなたの次元は、あなたがつくり出したものだ。

自己認識状態にある存在するすべてはあらゆる現実を知覚し
制限された「一部」のような「次元」や
知覚的「区分」などの感覚は持ち合わせていない。

現実はひとつながりの無限のフィールドである。
そこでは潜在的可能性が、観察している意識の知覚によって
体験として実体化されるのを待っている。
観察者の形態や認識レベルは様々だ。

すべては観察者の知覚次第である。
だがここでは分かり易さを優先して
三~五次元という語を使う事にする。

「物質」と知覚されるシミュレーション世界の三次元
シミュレーションが投影されるマインドの領域の四次元
そしてシミュレーションの外にひろがる
拡張した無限の認識である五次元以上の世界だ。

渦を巻いてうねる海も氷も魂も
同じものからできているが、そのあらわれ方はまったく違う。
マインドが氷なら、拡張認識は渦を巻いてうねる海だ。

マインドはシミュレーションに知覚
すなわち周波数や認識の感覚を制限されて「凍りついて」しまっている。
マインドは、牢獄に閉じ込められた拡張認識である。
答えは、牢獄を壊す事だ。

思考や感情は、それに応じた周波数を生み出す。
こうした周波数の総体が、集合的に知覚と呼ばれるエネルギー場となる。
異なる思考や感情(観察点)は
その知覚フィールド上に異なる知覚や周波数を生み出す。

このフィールド「オーラ」を通じて
私たちはシミュレーションフィールド
そして無限の潜在的可能性とのフィールドとやりとりする。
知覚状態に応じて繋がり、あらわす可能性や潜在性は変わってくる。

ちっぽけな私という知覚が、ちっぽけな人生をつくる。
信じたいものが知覚され、知覚されたものが体験となる。

知覚フィールドが限定され、低周波数であるほどに
人生すべてを支配するためにつくられた
シミュレーションフィールドとやりとりするようになる。
そうなればあなたはマトリックスのもの
まさにカルトとその親方様の思う壺である。

一方、知覚と自己認識が制限の無い可能性
人間という束の間の体験をしている無限の認識のものであれば
フィールドとのやりとりは
まったく違ったものになるし人生も変わる。

拡張した現実感覚や自己認識は
それに応じた拡張知覚フィールドになり
より高い周波数と共鳴する。

可能性と確立の無限フィールドとのやりとりは
はるかに拡張されたものになる。
拡張された知覚が、拡張された体験になる。

要するに「覚醒」とは
ぐっずり眠っている五感の枠を超えて
知覚が拡大することだ。

このプロセスを体験した人は(近年どんどん増えている)
これまで無かったシンクロニシティに気づく。

必要な時には「ちょっとした幸運」がもたらされる。
これは「運」ではない。
拡張された知覚が拡張された膨大な可能性とやり取りするので
実現可能な事が飛躍的に増える。
異なる知覚から異なる現実をつくり出しているのだ。

偶然起こった、とみなが言う。
だが量子宇宙に偶然など存在しない。
知覚によって折りたたまれた可能性と確立が存在しているばかりだ。

カルトは、なんとしてもこの事を知られたくない。
無知こそが人間支配の基盤なのだから。
カルトとその秘伝を授けられた工作員は
知覚が現実になることを十分承知している。

彼らに知覚をコントロールされるということは
人生をコントロールされるということだ。
国際社会は、そのように構築されている。
そのために、カルト所有の「教育」やメディア
シリコンバレーを使って知覚を形成する情報を制御しているのだ。

「コロナ」時代のメディアや
ビッグ・テックのファシスト的な検閲は
情報統制以外の何物でもない。
公式見解だけを強調し、それに異を唱えるものは
すべて無かった事にされている。

サイコパスどもは知覚をダウンロードさせて体験を誘導しながら
起こる事はすべて偶然であると信じさせようとしているのだ。
運が良いとか悪いとか
物事は無作為に起こると考えてもらいたいのである。

そんなはずはない、世界は「自然」なのだからって?
では「自然」とはなんだろう?
「自然」と比べる比較対象はどこにある?

目に映るすべてがシミュレーションならば
そんな対象はどこにも無いという事になる。

バーチャル・リアリティのヘッドセットを着けているならば
かろうじて「通常」の現実と比べる事はできるだろう。
だがVRの進化はめざましく「通常」の現実と区別がつかなくなる日は近い。

そもそも「通常」の現実自体がシミュレーションなのだから。
私たちは、脱出できぬよう設計された
多次元バーチャル・リアリティに囚われている。
だが、脱出は可能だ。

公になっている技術は
実際可能な事に比べれば石器時代レベルだ。
それでも、人間界の技術の進歩の最先端は他の現実に端を発している。
高度な技術やデバイス(機器)が、途切れることなく
公の場に流れ込み続けていることにお気づきだろうか?

そうしたものは、背後にいる非人間勢力が
公開を決めるまで幾歳月(いくとしつき)も寝かされている。
テクノロジーは無作為に「発明された」わけではない。

人間のマインドは、このテクノロジーを活用するだけの
知的能力を持つよう注意深くつくり上げる必要があった。

一方、スピリチュアル的には(叡智:えいちは)大幅に退行し
自ら牢獄の壁をつくっていることに気づかないようにされている。
これはいたるところで見る事ができ、そのプロセスは
私たちが「数世紀」と知覚する時の中で一歩一歩進められてきた。

AIと監視技術は、世界中の地下軍事基地から展開されている。
そこではカルトとその非人間の支配者と
その下で働いている人間の科学者やエンジニアが
最も深く区画化されたレベルでやりとりしている。

技術のノウハウが、非人間から
カルトのカバール(上級闇の支配層)へと伝えられる。

テクノロジーを一般公開するにあたっては
大衆に本当の出所を隠しておくため
表向きの開発秘話と担当者が用意される。

オタクがガレージで偶然に発明した社会を変えるような技術
というのがカルトのお決まりの建前だ。
そのストーリーをさも自分の体験のように繰り返す役者たちは
おなじみシリコンバレーやビッグ・テックの超セレブ。

ゲイツ、マスク、ザッカ
バーグ、ブリン
ペイジやそのお仲間は大企業のオーナーといっても名ばかりの存在だ。
彼らを実際に動かしているのは、カルトである。

イーロン・マスクは
私たちはシミュレーションの「中」で生きられると言ったが
それはすでにシミュレーションの中にいると知っているからだ。
奴らはみな知っている。

非人間勢力は、今日の進んだ世界を
火打石の時代かのように見せかける
シミュレーションを生成するテクノロジーを持っている。

この技術は四次元(4D)にある。
「通常の」人間の認識の範囲外だ。
同じように、映画「マトリックス」でも
機械は自らが生成したシミュレーションの外で稼働している。

四次元は「アストラル界」とも言われるマインドの領域で
秘教界隈(かいわい)では
「物理的」な現実に出入りする周波数帯であるとされている。
臨死体験のほとんどはアストラル(四次元)でのものだ。

「幽体離脱」という体外離脱状態が起こる場所でもある。
アストラルはイスラムではバルザフ(中間界)
ユダヤではイェツィラー(天使界)と呼ばれ
さまざまな宗教や古代文明に共通して登場する。

バルザフは
「リンボ(辺獄)、境界、区分け、障害、邪魔物、分離」を意味し
イスラムでは死と「来世」での復活の間の段階であると言われる。

他にアストラル界への言及としては
オーストラリアのアボリジニの「ドリーミング」
(夢見から実在が生まれるという観念)

古代エジプトの「冥界」チベットの「バルド」
チベット死者の書のチベット語原題は
「バルド(中間)・トドゥル(聞いて解脱する)」
と言い、死後「バルド」という別の状態に入ると説く。

ユダヤ教の神秘思想カバラにおけるアッシャー界
(物質界)などがある。

四次元という言葉から
はるか「彼方」にあるようなイメージを抱くかもしれないが
実際は非常に近い周波数にある。

思考の意識フィールドは四次元にあり
脳を通じて肉体の五感と直接やりとりする(ように見える)

脳はマインドから届いた情報の処理装置にすぎず
意識の源ではない。
脳もまた、身体感覚の幻想である。

人間のマインドである意識フィールドは
「通常の」視野では見えないが
この本を読んでいるあなたはその四次元フィールドで思考している。

アストラルにはマインドの覚醒レベルに応じた
様々な周波数の層があり、そのひとつが「下位アストラル」である。

「悪魔的な」存在や、混沌した悪意ある「幽霊」
そして、これから述べる方法で人間世界を操作する者の領域だ。

下位四次元は人間の領域と非常に近い周波数にあり
そこにいる者はたがいに行き来することができる。

地球のものでない奇妙なものや動物を見たという報告は
アストラル現象がほんの少し
周波数のヴェールの隙間から垣間見えたと考えられる。

四次元AIは
シミュレートされた3D世界よりもはるかに進んでいる。
だが、地下の秘密基地から少しずつ移転される技術的可能性によって
私たちはだんだんそこに近づいている。

この技術移転はマインドの知覚の中で起こっており
「物理的」なものではない。「物理的」なものなどない。
すべてはマインドの中で起こっている。

マインドはボディの中にはない。
ボディがマインドの中にある。

映画「マトリックス」を観ると、理由はともあれ
この概念が文字通り、かつ象徴的に描かれている。

マトリックスには「ボディ」で入るのではない。
マインドで入るのである。

登場人物がマトリックスの外にいる時の場所を
四次元にいる彼らの心がシミュレーションを
解読している場所と捉えていただければ合点が行くだろう。

首の後ろ、脳幹下部にプラグが差し込まれる。
このプラグはマトリックスの情報ソースに接続するものだ。
脳はその情報を処理して物理領域という幻想をつくり上げる。
これは情報源を解読したものでしかない。

脳は意識の源ではない。
解読可能な範囲内のあらゆる源から来る情報を処理するのだ。

すべてはテクノロジーがつくり出した夢だ。
脳は「四次元」のマインドが現実という感覚(体験)に解読する。

人間のバーチャル・リアリティは
バーチャルの中のバーチャルである。

カルト所有のマーク・ザッカ
バーグと
シリコンバレーが推すメタバース(仮想空間)も
さらに「人間」(マインド)の知覚と自己認識を欺(あざむ)くための
もうひとつの幻の現実レイヤー(層)だ。

これはさらにマインドを眠らせ、人間の知覚をいっそう
深い幻想と分離の中に封じ込めるものだ。

現実としか思えない夢を見た事は?
その夢が覚めなかったら君は夢と現実を区別できるか?

エドガー・アラン・ポーもこう言っている。

「我々が見たり、見えたりするのはみな、夢の夢にすぎません」

シミュレーションの夢から逃れる事はできるのか?
もちろんだ。すべては夢だ。

 

つづく