「汝、殺すなかれ」の
キリスト教が一番戦争している宗教の矛盾
以下6巻より
ヴェド・ルーシとの闘いは
イエスが地球に現れるずっと前
ローマ帝国の衰退よりもずっと前から始まっていた。
何千年にもおよぶ闘いは
鉄の剣を使うことなく行われていた。
オカルティズムが
物質的でない次元において攻撃を仕掛けていたの。
ルーシに、オカルト宗教の宣教師たちがやって来た。
教会の本から何十人もの名前を知ることもできるけど
実際は何万人もいた。
宣教師たちは、彼らの思い込みの中において潔白だった。
彼らは狂信者
つまり、自分の意識では宇宙の百万分の1すらも
理解することができなかった人たち。
彼らは、神官の兵士で
神官の命令を不平も言わず敬虔な気持ちで遂行し
いかに生きるべきか意気高らかに人々に説こうとしていた。
かつて偉大なローマの国家で話されていたことと
まったく同じ話を、懸命にしていた。
彼らは、動植物や自然に注意を払わせないようにするために
儀式の導入を試み、神殿を建てることを勧めた。
そうすれば一人ひとりが天国に行けるのだと言って。
あなたに、わざわざ彼らの説教を聞いてもらうこともないわ。
それは今日でも読むとこができるのだから。
彼らが何千年かかってもヴェド・ルーシに何もできなかった理由を話すわ。
当時のルーシでは、2人に1人が詩人やとんちの利く人だったの。
吟唱詩人(ぎんしょうしじん)もいて
その頃はバヤンと呼ばれていた。
そしてこんな事が起こった。
まず、神官の兵隊は、何十年もかけて
ルーシにどのように神に頭(こうべ)を垂れるべきかの
プロパガンダを展開した。
すると、ある地域で彼らの話に耳を傾け
聞いたことについて思いを巡らす人が出てきた。
バヤンはそれを見て笑い、寓話をつくって歌った。
そして寓話は素早くルーシ中に広まり
次の十年間、ルーシは神官の説教の数々を優しく嘲笑っていた。
激怒した神官は、新しい攻撃を仕掛けたけれど
またルーシでは寓話が生まれ、再び嘲笑っていた。
略
幾千年の闘いにおいて
神官は何度も戦略を変えたけれど
いずれも功を奏さなかったの。
ルーシの人々はオカルトでの試みを相変わらず笑いものにしていた。
民は宣教師たちを不具者だと呼んでいた。
その頃の不具とは、身体的な欠陥ではなく
オカルティズムのことを指していた。
ルーシの人々は、不具の宣教師たちを哀れみ
食べさせたり家に泊めてやったりしていたけれど
彼らの話をまともに受け入れることはしなかった。
百年が4百回過ぎた時
神官はヴェドの国に打ち勝つことはできないと悟った。
そこで彼は、ヴェディズムの類まれな力が
どこにあるのかを正確に割り出した。
ヴェディズムは、神なる文化に堅固な礎を置いていた。
一人ひとりの生き方も神なるものだった。
そして各家族が、自分の一族の土地に愛の空間を共に創造し
自然の全体性、つまり神が創造したものすべてを感じとっていた。
事実ヴェディズムにおいて
人々は自然を通して神と対話していたの。
神に頭を垂れるのではなく
神を理解することを希求し
息子や娘が優しい両親を愛するように、神を愛していた。
次に、神官は神なるものとの対話を遮る計画を立てた。
そのためには、人々を彼らの一族の土地から、神なる園
神との共同の創造物から引き離すことが絶対に不可欠だった。
そして、ヴェド人たちが暮らすすべての領域を複数の国家に細分し
彼らの文化を破壊する必要があった。
そこで、以前とは違う宣教師たちがルーシに向かった。
彼らの行動は今までとは異なるものだった。
今度の宣教師たちは、利己心
つまりプライドという名の
傲慢に少しでも似た気持ちのエネルギーが
優位になっている人を探しだしたの。
そういう人を見つけると
その人のプライドをより高めるように努めていた。
そして、彼らは次のように行動した。
想像してみて。
上品な身なりをした老人たちの一団が
幸せに暮らす家族の家を訪れる。
でも彼らはこれまでとは違って
どのように生きるべきかを教えたり
説教したりはしない。
逆に、突然家の主の前で頭を垂れ
珍しい贈り物を献上して言う。
「我々は遠い国の高い山に登った。
地球上にそれよりも高い山はない。
雲よりも高い頂上に立った時
天からあなたのことを語る声がしたのだ。
声は、あなたが地球上で最も賢明な人だと言った。
あなたはただ一人選ばれた人。
あなたに跪拝(きはい)し、贈り物を献上し
あなたの賢明な言葉を聴くのが
我々にとっての栄誉である」
そして、その人が罠にかかったのを見ると、狡猾に話を続ける。
「あなたはすべての人を幸福にしなければならない。
あの山で声が我々にそう言ったのだ。
あなたは貴重な時間を他のことに費やしてはならない。
あなたは人々を統治しなければならず
彼らのためにすべてを決めることは
あなたにだけ託されたことなのだ。
この天の帽子(王冠のようなもの)を授けよう」
こうして、その人は宝石で飾られた帽子が偉大な宝物として贈られた。
自身の偉大さ、そして選ばれた人間であることを信じた人の頭に
帽子が据えられた。
すると即座に来訪者たちは大きな尊敬を表してひれ伏した。
さらに、偉大な者に跪拝する栄誉を授けられたことを天に称え始めた。
その後、宣教師たちは彼のために
神殿に似た特別な家を建立した。
このようにしてヴェド・ルーシに初めて公(こう)たちが現れたの。
珍しいものを一目見ようと
近所の人々は神殿の王座に座した人を訪れた。
宣教師たちが、隣人にお辞儀をしたり
気まぐれな思い付きを叶えて喜ばせたり
様々な質問を投げかけたりしているのを
近所の人たちは見ていた。
近所の人たちは
はじめは海の向こうのお遊びだと受け取っていたの。
ある人は好奇心から、またある人は憐みから
外国人たちや隣人に調子を合わせていた。
でも、人々は少しずつそのお遊びに引き込まれ
隷属するようになり
いつの間にか共同の創造から意識が離れていった。
公たちの公国をつくるために
神官の使者たちはかなりの尽力を余儀なくされた。
はじめは百年以上、彼らの試みは甲斐なく終わっていた。
けれど、ついに時が満ち
ヴェド・ルーシは公たちの公国に分割されたの。
その後は自然に機能していった。
公たちはより偉くなるために
隣人たちを巻き込みながら互いに争いを始めた。
後になって歴史学者たちが
分割されたルーシ諸国すべてを
強大な国家に統合することができた公たちがいたことを書いた。
でも、考えてみて、それが本当なのか?
それに歴史学者が言う統合とはどういうものなの?
だって、実際すべては単純。
統治者となったある一人の公が
他の公たちを殺害したり征服して
統合を成し遂げていただけ。
でも本当の意味で人々を統合させることができるのは
文化、生き方だけなの。