天然記録 -134ページ目

6巻199ページより

 

 

2009年に公開された「アバター」は

地球で起きたことを伝えている。

ただし、内容が逆になっている。

この映画には、「アルファ・ケンタウリAを

周回するガス状巨大惑星ポリフェマスの衛星」

パンドラの先住民で青い肌と

ライオンのような鼻を持った人々が登場する。

彼らは、その星で完全なる調和の中に暮らし

全ては一つの意識の部分であり

つながっていることを知っていた。

パンドラでは、木々など植物が根を通じて電気

化学的につながっており、惑星全体で知覚する

「脳」(意識)を形成する神経として機能していた。

 

青い人々は「エイリアン」のように描かれているが

これは爬虫類人が宇宙船・月とともにやってきて

(ズールー族の伝承にあるように)

「無茶苦茶にした」前の時代の右脳が完全に

「オンライン」になっていた当時の人間を象徴している。

 

「アバター」では、地球の人間が高度に発達した宇宙船に乗って

バンドラに到着し、基地を作って惑星を乗っ取り

貴重な資源を略奪しようとしたことが描かれているが

これは爬虫類人のことである。

 

この「人間」は、左脳が支配的で、「糞のように粘着質」だった。

生命は相互につながっていることを

青い人々が説いても理解できず

「原始人」の迷信に過ぎないと聞く耳を持たないという意味である。

そういえば我々の社会にもそんな人たちがいる。

大半の科学者はそうだ。

 

「アバター」の「人間」(爬虫類人のこと)は

ハイテク兵器を使って青い人々の生活を破壊し

密かに社会に浸透するために彼らの心

(マインド)を青い人々の身体に植え付けた(憑依した)。

彼ら「人間」にとっては、パンドラの大気は毒性であるため

基地と宇宙船の人工大気の中にいる必要がある。

 

どこかで聞いたことがある話だ。

「アバター」の結末では、離脱した「人間」の一派が

青い人々を助けて、侵略者を排除し

昔の青い人々の世界と生活に復旧させる。

 

この部分についてはまだ地球では実際に起きていないが

これから起きる。

私が確約するが、本当にそうなる。

見かけ上はそう思えないかもしれないが

そのプロセスはすでに進行中である。

 

 

強調してもしきれないことだが、右脳

(およびハートのチャクラ)を閉じてしまうと

人々は五感の現実の囚人になってしまう。

まさにそれが爬虫類人の操作を通じて起きてきたことであり

本来ならば無限の可能性を持つ天才である人間を

何十億も支配・操縦するためには、それしか方法がないのである。

 

左脳が支配的であることは

90%もの人々が右利きであることに示されている。

脳の各半球は、神経システムの交差のため

反対側の身体の半分とつながっている。

そもそも身体や手の片方が優勢な肉体を作る意味があるだろうか?

普通に考えると、両利きにするはずだ。

だが、多くの人はそうではない。

遺伝子などの操作によって、左脳が優勢になっているからである。

 

 

右脳と左脳の関係に関しては、他にもいくつかある。

左脳は、言語のように特定のものに「特化」(専門化)するが

右脳は無限の情報・潜在能力の場につながっているため

左脳のように「特化」することはない。

ということは、左脳の一部を除去したり損傷した人々の例で分かるように

右脳が言語などの機能を引き継ぐことも可能である。

 

実験で証明されているが、睡眠を要求するのは左脳である。

右脳は睡眠なしで平気である。

左脳は情報を「順序」、「時間」、「空間」へと解読しているが

右脳は「時間のない」領域で活動し

全てを一つとして見ているという事実で説明可能である。

そもそも時間という感覚がなければ

「休息」が必要という錯覚もありえない。

 

 

他にも強調しておきたいポイントとして

右脳は、「思いやり」(エンパシー)の大いなる源である。

裏切り者の爬虫類人やハイブリッド血筋には備わってない性質だ。

右脳は我々を「一つの状態」へと接続し

その「統合された場」を介して我々は相互に接続される。

 

左脳は、何もかも、他とは違うものだと考える。

一つではなく、分離したものと知覚するのである。

そのために、他者が困窮していても

同情したり感情移入することがない。

 

また、テレパシーで通信する能力が抑圧された人類は

左脳の言語に頼るようになった。

これが、バベルの塔の物語など

人間の共同言語(テレパシー)が

「多くの言語」に置き換えられたという

さまざまな伝承に普遍的に象徴化されている。

 

 

エネルギー的に言えば、左脳と右脳は

男と女にたとえることができる。

通俗的な男と女の区別のことではない。

女の身体を持つ「男」もいれば

男の身体を持つ「女」もいる。

私がここで言いたいのは

左脳が構造・形態・思考(男性エネルギー)で

右脳が直感や霊感(女性エネルギー)ということである。

爬虫類人は両性だった人類を遺伝子的に工作し

男女に分け、その過程で全脳的な状態を切断して

両半球からなる脳にした。

これはエデンの園に関するさまざまな物語に象徴されている。

その上で、脳の接続の配線を変更して、左半球を優勢にし

「そこに」ある右半球の潜在能力を封じた。

 

 

興味深いことに、ズールー族の伝承でも

人間は、男女間の戦争のせいで

オリオン座の「赤い世界」の楽園から追放されたことになっている。

そして、爬虫類人による人間の遺伝子操作と

男女の性別の創造は、そこに起点があると伝えている。

 

ロスチャイルド家の印(六線星形。ダビデの星)は

秘教的には男女の結合を表現していると言われ

中国で陰と陽と言われているものとテーマが似ている。

ロスチャイルド一族は、本来ならば男女の結合

調和と平和のエネルギーを表現するよう意図されたものを歪めるために

自らのシンボル、イスラエルのシンボルとして選んだ。

 

ロスチャイルド家とそのネットワークにはいつものことであるが

それは邪悪なエネルギーの操作(黒魔術)に他ならない。

彼らは調和を望んでいない。

バランスの欠如、そして互いに戦う異質なエネルギー

(特に男と女)を望んでいる。

 

離婚の調停、子供の養育権などを見れば分かるように

男女間で対立が生じ、互いに離れていくように法律ができている。

左脳の支配を目指す爬虫類人の探求は

左脳ばかりを重視する教育制度にも現れており

政府が、幼児の段階から想像力や自発性を刺激する「遊び」を減らし

可能な限り低年齢で左脳教育を始めようとしている理由もそこにある。

 

 

6巻177ページより

 

 

この「世界」の見かけの固さは

ソフトウェアがいかに解読するよう設計されているか

(固い木、固い壁、それほど固くない人間の身体や海など)

にかかっている。

全ては、情報と解読プロセスの中に存在している。

波形(振動)レベルでは、ゆっくりとした振動であるほど

脳が解読したときに高密度で固く思える。

振動が速いほど、固くないように感じられる。

 

我々の感覚が解読できるスピードを超えて共振していると

人間の視界からは「消滅」するが本当に消えたわけではない。

人間の肉体コンピュータが

アクセス可能な周波数領域を去っただけである。

よくUFOやエイリアンが、「目の前で」

出現したり消えたりしたと報告されるのは、まさにこの状態である。

人間の肉体コンピュータが

アクセス不可能な別の振動的現実からやってきては

そこに戻っていくのを目撃しているのである。

それで、何であろうと物体が「どこへともなく」

消えていったという印象を与える。

 

他にも重要なポイントがある。

感覚そのものも錯覚であり、従って脳も錯覚である。

臨死体験や体外離脱をした人が

身体から抜け出した後でも前と同じように見ることができるのを

はっきり体験しているように、目がなくても見ることはできる。

肉体コンピュータは、目が見えないと信じるように符号化されており

そのプログラムに反応しているが

これは無効にすることが可能であり

身体の別の部分で

「見る」ことができることを示した実験がいくつも存在する。

身体から抜け出し、プログラムされた制約から脱すると

我々は目を使わなくても見ることができる。

我々の物質の肉体も錯覚だからである。

 

今、自分の身体を眺めてみると、部屋の中に

(どこでもよいが)いるように見えるだろうが

「物質」の形態として身体が存在するのは頭の中だけである。

脳そのものも波形から解読された構築物に過ぎず

実際に解読作業をしているのは

こうした波形の中にある情報に他ならない。

我々が見ることのできる脳は

そのホログラム版に過ぎない。

情報は符号化されうるが、他の情報の符号器になるように

プログラムすることも可能である。

それは、コンピュータが、ソフトウェア・ディスクにある

情報を読み取るように符号化された別の情報であるのと同じである。

 

 

幽霊、UFO、非人間的存在が見える人と見えない人がいるのも

同じ理由であり、脳がエネルギー場をどのように

ホログラムの現実に復号しているかによっている。

肉体コンピュータが現実を解読する様子を理解する上で

基本となるのは脳の2つの半球である。

右脳と左脳は、脳梁と呼ばれる橋でつながっている。

左脳は「論理」と言われている言語と構造からなる

「この世界」の現実であり

一般的な「物質」的世界の観点である。

右脳は創造的・芸術的で「そこに」ある五感の現実を超えた

意識のレベルにつながる接続部である。

 

バランスの取れた「全脳」の状態では

両脳が調和し、片方が支配的になることはなく

橋を通じて情報や洞察が受け渡される。

だが、人間の形態を取っている存在のほとんどは

左脳の囚人であり、「教育」、「学問」、「科学」と言われる

豆粒のように小さな箱に従属すればするほど

左脳の現実へと深く閉じ込められていくのである。

これは、たまたまそうなっているのではなく、意図してそうなっている。

左脳そのものは、本来、我々が五感の現実と接触するために

不可欠なものであり、それ自体に間違いがあるわけではない。

だが、それが全体の認識を裁定するようになると問題が発生する。

我々が経験をするための召使いであるべきものが

我々を支配し、監獄に入れ、命令するようになる。

 

 

前に述べた通り、我々が経験する感情は

爬虫類脳を通じて、常に我々の恐怖と不安をもたらす

遺伝子プログラムを備え

爬虫類人に操作された肉体コンピュータから生じている。

 

 

我々は、現実感覚の限定と歪曲をもたらした

脳の根本的な機能障害のため、知覚的にも生理的にも

かつての人間の劣化版になっている。

人間の脳には、大幅かつ長期的な衰退があった形跡があり

その障害は基本的に支配的な側(左脳)に集中している。

我々は、その状態で生まれ、年を取るごとに進行していき

「損傷した左脳」を作っていくという。

 

その症状はさまざまであるが

特にうつ病、大幅に欠陥のある免疫システム

歪んだ性行為があるとし、知覚的に優れた右脳が抑圧されたことで

意識の状態(あるいはそれに相当するもの)に

極めて深刻な障害が発生している。

 

急速な脳の発達は思春期で停止するが

爬虫類人とハイブリッドたちは

脳の発達期間を短くするために、思春期の開始時期を早めようとしている。

このため、子供たちは一段と早く「成長」するように激励され

9歳や10歳で思春期を迎える。

また、マスコミや「教育」によって

子供たちがますます多くの性的刺激にさらされているのも、このためである。

 

 

グラハム・ジンとトニー・ライトは

「無明の闇に取り残されて」の中で

熱帯の果実を食べる生活をやめたときに人間は堕落したと述べている。

熱帯の果実が、脳の成長を促進し

神経活動を活発にするホルモンに関連する化学物質を供給していたのである。

約20万年前に、人間が熱帯の森林(エデンの園)から追い出されたとき

生化学的な要素が豊富な果物とのつながりが絶たれたという。

これによって脳の発達が止まり、逆に退化することになった。

一部の機能が失われ、我々の自己感覚は

私が「小さな私」と呼んでいるものに変質することになった。

「無明の闇に取り残されて」のウェブサイトには

このような記述がある。

 

黄金の時代から徐々に落ちぶれていき

現在の物質主義的で、恐怖を基盤とした

プラスチックと抗うつ剤の時代になっていった。

これらの神経的な作用は、現在

最先端の科学によって明らかにされ、証明されつつある。

6巻150ページより

 

 

地球には水晶がたくさんある。

石英の結晶は、最もありふれた鉱物の一つであり

ほとんど全ての種類の岩に含まれている。

地球と人間の肉体コンピュータに共通する

結晶的性質は後で述べるが

月から我々の現実感覚が操られていることに

大いに関連している。

 

石英の結晶には、一定の周波数を生成し

振動を電気信号に変換する能力があるが

それはまさに五感が行っていることだ。

肉体コンピュータは、全ての細胞の中心に至るまで

結晶の送受信機であり、何分の一秒という超高速で

(我々の時間間隔に過ぎないが)周波数を変換している。

脳は、毎秒4000億件もの情報を受信していると推定されているが

我々が気付いているものはわずか2000件程度である。

さらに他のDNA・細胞ネットワークが

どんな処理をしているのか想像してみるべきた。

 

肉体は電気的な情報の処理装置であるが

電気を高い効率で伝える物質は何だろうか?

塩・ミネラル成分の溶けた水である。

水は、肉体の最大70%を構成している。

五感は、振動波状態の情報を解読し

それを電気信号として脳に送る。

脳は、それ自体が結晶質の細胞でできているが

その情報を解読して、三次元に見える世界に変換する。

 

この世界は、我々の外側にあるように思えるが

我々の脳内に三次元的に存在するだけである。

それはテレビ番組が画面に映ったり

インターネットがパソコンの画面に表示されるのと同じ原理であり

我々の頭の中のスクリーンに映画が投影されているようなものとも言える。

 

本当の世界という意味では「そこに」存在するものはない。

脳は、感覚器官からの電気情報を3段階で解読する。

最初にデジタル情報を変換し(ピクセル状態)

次に脳の左側がその情報を読んで、我々が見ている

(と思っている)世界へと変換する。

 

 

辞書で調べてみると「デジタル」という言葉は

以下のように定義されている。

 

数字で表現されたもの

(特にコンピュータで利用する目的で)。

数字による解釈を利用したり、与えること。

一連の数値でデータを示すこと。

数字を持つこと。数値で表現された情報を

読み書き・保存できる装置に関するコンピュータ科学。

 

これは、私が長年言い続けてきたように

一つのレベルとしては、この現実は数学・数字で

表現できることをよく説明している。

だからこそ、数霊術が有効なのであり「自然界」の

全般に繰り返し発生する数字の配列が見受けられるのである。

 

科学者たちは、フィボナッチ数列のように

繰り返し出現する数学的符号を発見している。

フィボナッチ数列では

1、1、2、3、5、8、13、21というように

最後の2つの数字を足すと、次の数字になる。

 

この配列は、人間の身体の比率から

植物や貝の成長まで、自然界の全域に見受けられる。

この数列の発見は、しばしば12~13世紀のイタリアの数学者

ピサのレオナルド・フィボナッチによるものとされているが

すでにインドでは知られていたことであり

少なくとも数百年前の古代文明でも既知のことだった。

一連の「大洪水」の惨事が起きる前の黄金時代の社会では

遥か昔から知られていたに違いない。

 

その他、数学的・幾何学的な符号や繰り返し出現する配列としては

πパイ、Φファイ、神聖幾何学、数例術、中国の易経、占星術などがある。

このように規則性を持った数字の配列や比率は

「黄金分割」「黄金比」などとも言われ

手、顔、歯の比率など人間の全身にも見られる。

体温や休息時の人間の心臓の鼓動にも存在すると言う人もおり

動物、海の生物、昆虫、そしてDNAの比率にも発見できる。

 

エジプトのピラミッド、ギリシャのパルテノン神殿など

さまざまな構築物に同一の数字や比率が使われている。

古代の人々はこうした数学的な定数を知っていたからである。

古代ギリシャの哲学者プラトンは

黄金分割こそが全ての数学上の関係を拘束する最大の要素であり

宇宙の物理の鍵を握っていると考えていた。

 

 

古代ギリシャの天才ピタゴラスは

あらゆるものの中に数字を見出したが

彼の言ったことの大半は

バビロンではずっと昔から知られていた。

ピタゴラスは、バビロンに住み学んでいたため

シュメール以前にさかのぼる知識体系に触れる機会があった。

 

レオナルド・ダヴィンチの作品「最後の晩餐」もそうである。

古代シュメールの体系は、60という数字を基盤としており

そこから派生したものが、人間、惑星、古代の構築物

(ストーンヘンジなど)、「時間」の単位、雪片など

さまざまなものに関連して繰り返し表れている。

 

また、繰り返し登場する数字配列としては

360と3600があり

6×6×6(216)もあることを発見している。

聖書の黙示録では

「ここで知恵が要る。

理解できる者には、獣の数字を数えさせよ。

それは人間の数字だからだ。

人間の数字は600と60と6である」

と書いてある。

 

 

こうして繰り返し出現する数や比率、配列は

全てデジタル仮想現実のコンピュータ・ゲームの数字である。

「占星術」も振動的・数学的な構築物の一部であり

熟練した占星術師であれば、未来のトレンドを読むことができるが

それはコンピュータ・プログラムである仮想現実のトレンドに過ぎない。

無限なる根源意識に星座はない。

星座があるのは肉体コンピュータである。

 

仮想現実の宇宙の中では

何もかも数字で表現できることが可能であり

全ての生命は生物学である。

すべての生物学は生理学である。

全ての生理学は化学である。

全ての化学は物理学である。

全ての物理学は数学である。

さらに続きを言えば、すべての数学はエネルギーであり

全てのエネルギーは意識であるということになろう。

 

16から17世紀のイタリアの物理学者

天文学者、占星術師、哲学者だった

ガリレオ・ガリレイは、こう述べている。

 

(宇宙は)我々がその言語を学び

それが書かれた文字に精通するまでは

読解することができない。

それは数学的な言語で書かれており

その文字は三角形、円形、その他の幾何学的図形である。

この言語なくして、人間には一言も理解できない。

 

映画「マトリックス」では

緑色のコードが画面いっぱいに流れるのを見ているシーンがあるが

それが街路や人々の光景となって見えている。

この現実のマトリックスも同じようになっている。

ウェブサイトに何か掲載するということは

コンピュータの数学的なコードを入力しているわけであるが

エンター・キーを押すと

画面には画像などの形態で表示される。

我々の「物質」の現実も同じであり

我々の脳が「立体」に見える世界へと情報を解読しているのであるが

実際にはデジタルのホログラムの塊以外の何ものでもない。

 

 

何年にもわたって現実は錯覚であること

本質的にホログラムであることを書いたり話したりしていたが

2009年初めに「ニュー・サイエンティスト」という

イギリスの主流の科学誌を手にした。

その表紙は

「あなたは宇宙の果てから投影されているホログラムだ」

と告げている。

その中の記事は「世界は全てホログラムだ」というタイトルで

イリノイ州のファーミラブ粒子宇宙物理学センター所長の

クレイグ・ホーガンの研究と推理に基づいていた。

表紙では「ホログラムだ」と断言してあるが

記事では「ホログラムかもしれない」と後退している。

だが、ホーガンは、自らの研究と計算に基づき

この現実は大きなホログラムでありうると信じている。

次のように書いているが

同じ見解を持っている科学者が他にも数名存在していた。

 

我々がホログラムの中に住んでいるという発想はバカげているようだが

ブラック・ホールの究明を延長していくと

自然にそうした帰結になり、実に確固たる理論的根拠もある。

また、最も根源的なレベルでどのように宇宙が存在しているのか

という理論と格闘している物理学者にとっても、驚くほど役立ってきている。

クレジットカードや紙幣にあるホログラムは

二次元のブラスチックのフィルムに刻み込んである。

そこに光が反射すると、立体らしく見える画像が再現される。

1990年代に、物理学者のレオナルド・サスキンドと

ノーベル賞を受けたへーライト・トホーフトは

これと同じ原理が宇宙全体にも

当てはまるかもしれないと示唆している。

我々が日々経験することは、どこか遠くの平面(二次元)で起きている

物理的プロセスがホログラム的に投影されたものかもしれない。

この「ホログラムの原理」は

我々の感覚を信じてよいのか、疑問を投げかけることになる。

朝起きて、歯を磨き、この記事を読んでいる自分自身が

宇宙の果てで起きている何かのせいであるとはなかなか考えられない。

本当に我々がホログラムに住んでいるならば

それがいったいどういう意味を持つか誰にも分からない。

だが、理論的には、ホログラムの原理の多くの部分が

真実だと信じるに足る理由が十分にある。

6巻126ページより

 

 

我々が考えたり、感じたりするとき

肉体は電気信号や化学物質を伝送・放出し

脳など肉体内部で電気・化学的プロセスが起動する。

同様に、その逆も可能である。

化学物質や電気の場には「我々」に感情を持たせる力がある。

肉体コンピュータの解読システムを

混乱させることができるという意味だ。

もちろん、化学物質とか電気現象と呼んでいるものは

我々がこの現実界において認知する化学物質とか

電気現象として解読した情報に他ならない。

こうした情報(化学物質や電気)は

肉体そのものの情報構造体を破壊し

肉体コンピュータに深刻な損傷を与えることがある。

不調和な電気的・化学的情報は、我々が病気、死、そして

不安定な感情と呼んでいる不調和な状態へと解読される。

 

携帯電話のアンテナ塔の近くや

送電線下に住んでいる人に

気分の落ち込みが多く発生するのも同じ理由であり

化学物質が大量に入った食品や飲み物を

摂取している子どもたちに

多動症など行動異常がよく見られるのもそうである。

化学物質を食べたり飲んだりすることで

バランスの崩れた行動となって現れるのである。

 

臨死体験をした人々(いったん死んだ後で蘇生した人々)は

至福の愛の場所に行ったと話している。

そこでは「物質」の肉体の中にいるときに

抱くような感情はまったくないという。

感情がないといっても、冷淡になるわけではない。

まったく逆だ。

なくなるのは、人間的な感情である。

感情的な反応は、爬虫類脳を介して展開される電気・化学反応

(プログラムされた反応)以外の何ものでもなく

コンピュータ・ソフトウェアの一部が表に現れたものである。

「無意識」の人間は、さまざまな状況を経験したり

テレビ番組や映画を観るときに

感情的反応という電気・化学的なジェット・コースターに

常に乗っているようなものである。

これもまた、データを打ち込み(経験し)

エンターキーを押下し、ソフトウェア・プログラムが

ハードディスク内のファイルを処理するのを待つと

画面に結果が展開されるようなものである。

 

 

感情の化学物質を吸収する細胞受容体は

ヘロインやコカインを吸収する受容体と同じである。

こうした反応が、爬虫類脳に由来することを考えると

こうした感情の中毒は、麻薬などの中毒と同様

爬虫類脳に対する中毒であることになる。

 

我々が何かを経験するとき、あるいは

何かを見たり聞いたりするとき、通常

我々は他の多くの人と同じように反応する。

よく「これについてはどう反応する?」とか

「どうしてそんな反応をしたの?」と言うが

まさに反応であり、化学反応なのである。

 

ほとんどの場合、我々は遺伝相続された

肉体コンピュータのプログラムに沿って反応し

経験したことを「現実」に追加する。

子供時代にダウンロードしたトラウマは

反応と認知からなる生涯をプログラムする際に

非常に強力な影響を与える。

こうした反応は、細胞(コンピュータのチップ)と

その他の生物的・エネルギー的な

デジタル構造の情報レベルに保存される。

そこに遺伝相続されたプログラムと

我々の毎日の経験からダウンロードされるものの

双方が蓄積されている。

 

 

人々が「悪癖」と言っているものの大半は

遺伝相続もしくはダウンロードされ

肉体コンピュータで動作しているソフトウェア・プログラムである。

真に根源意識に目覚めることによってのみ

我々はこの循環を断ち切り

自分自身の人生をコントロールできるようになる。

その状態になれば、選んだ通りにこの現実を

経験する道具として肉体コンピュータが

根源意識に奉仕するようになる。

もはやコンピュータが主人ではなくなり

人生が我々を生きるのではなく

我々が人生を生きるようになる。

 

 

アフリカの中央部と南部で食人の習慣があった頃

不運にも犠牲になった人間は

非常に高熱の火で煮なければならないという

厳格なしきたりがあった。

彼らは、実体験や言い伝えにより

十分に加熱調理せずに食べると

その犠牲者の「人格」を帯び

その人になることを知っていた。

煮ると細胞(ハードディスク)が破壊されるため

食べても「ダウンロード」する情報がなくなる。

まるで回路が溶けて曲がるまで

マイクロチップを加熱するようなものだ。

 

心(マインド)と肉体のコンピュータに関しては

もう一つ大事なポイントがある。

その知識(ハードディスク)は

別の肉体にダウンロードすることができる。

さらには映画「マトリックス」の」「赤いドレスの女」

のようなデジタル構築物、もしくは機械にもダウンロード可能である。

映画のストーリーでは、この女はまったく人間と同じように見えるが

コンピュータ・プログラムに挿入された

デジタル構築物ということになっていた。

今日の世界には、こうしたデジタル構築物が何千万人も存在する。

彼らは、相互作用(対話・交流)可能な存在として

仮想現実に挿入されたもので

ソフトウェア・プログラムに従って機能する。

より洗練されたタイプでは、他の人々から心

(マインド)をダウンロードして

高い知能を持っているかのようにふるまうことも可能である。

「知識人」の多くは

ダウンロードされたマインドを備えたデジタル挿入物である。

そんなバカなと思われるだろうが

表の社会でも、その方向に動いている。

 

我々はマインドと呼んでいるものは

情報を含んだエネルギー場であり

このエネルギー場をコピーして、他の人間

(あるいはデジタル構築物やロボットでさえも)に

移植することも可能である。

主な爬虫類人ハイブリッドは

死ぬときに知識が失われることのないように

マインドを別の肉体へと受け渡している。

死に際して、マインドを他の肉体にダウンロードする特殊な儀式がある。

こうした血筋は、赤いドレスの女のさまざまな形態に他ならず

爬虫類人がこの現実を支配するための

導管として演技するデジタル・ソフトウェアである。

 

悪魔崇拝者は、死にゆく悪魔崇拝者や生贄の犠牲者から

魂(エネルギー)を受け取るという言い方をするが

これも同じ原理である。

永劫の昔から爬虫類人はそれを行っており

まさにハイブリッド血筋が「デジタル仲介者」とか

「心(マインド)の子」の実例である。

ブラジルで私に語りかけてきた「声」は

血筋だけでなく、反逆の爬虫類人そのものもまた

コンピュータ・プログラムであるが

生物的コンピュータであり

本当に「生きている」ように見えるよう機能すると言っていた。

 

マインドを解放してみれば

あるいは、自分自身をマインドから自由にしてみれば

そして、開かれたマインドで(根源意識を巻き込んで)

眺めてみるならば、あまりにも自明なことである。

我々が「自分」だと思っている肉体は、実は、生物的な

生きた、考える、感情を持ったコンピュータ・システムであり

我々がこの現実を経験するために乗り物として使っている道具である。

 

より高い次元の覚醒との接点が失われると

我々は何も知らない囚人となり

肉体ソフトウェア・プログラムの駒になってしまい

そのプログラムのことを我々の「人格」であり「性格」であると

我々自身も他人も信じるようになってしまう。

どおりで人類は、途方に暮れ、戸惑った状態にあるはずだ。

その上で、肉体コンピュータは

仮想現実ゲームの全体に接続しているわけであるが

それがどのようになされているかを次に考えていくことにする。

本日のパスタ

 
 
 
1000円で1円おまけしてくれた