天然記録 -133ページ目

6巻228ページより

 

 

「肉体」の形が「死ぬ」とき

肉体は分解・消失し、「無いもの」

(「全てのもの」でもある)へと融合する。

あらゆる可能性とは、無限なる一つが全てであり

無であることを意味する。

あらゆる場所が、どこでもないことを意味する。

あると同時に無いこと、すると同時にしないこと

できると同時にできないことを意味する。

これは一見して矛盾しているようだが、矛盾ではない。

あらゆる可能性が異なる表現をしているだけである。

この表に現れていないあらゆる可能性こそが

我々の本来の状態であり、全ての存在にも充満している。

従って、無限なる一つの表れである我々も全ての存在に充満している。

 

「神」とか「天国」について考えるとき

空を見上げてしまいがちであるが、そんなものではない。

創造は、階層を積み上げていく高層ビルや

整理ダンズのように築かれてはいない。

それは同じ空間を共有する異なるエネルギー密度

(あるいは周波数)であり

テレビ局やラジオ局が互いに干渉することなく

同じ空間を共有しているのと同じである。

あまりにも周波数が近接していると干渉することがあるが

爬虫類人が我々の現実に干渉できるのも

彼らの周波数が我々の周波数に近接しているからである。

表に出たものも出ていないものも

あらゆる可能性は、我々が今まさに

立ったり座ったりしているところに存在している。

 

ただし、無限なる意識の基本的な状態は

表に出ない状態で、静寂にして不動のあらゆる可能性である。

それはいつもそこに存在し、全てに浸透しているが

「もの」と形態の世界では、大半の人々が

「あるもの全て」の静寂の根源を聴いてはいない。

表に出た錯覚も騒音にばかり耳を傾け

無限の可能性ではなく、有限の可能性の人生を生きている。

 

表に出ていない「一つ」の状態こそが

我々が本当の意味での愛を見出すところであり

だからこそ、真実は無限なる愛のみであり

他は何もかも錯覚なのである。

静寂にして不動の「空」(あらゆる可能性)だけが真実である。

他は全て、潜在的な可能性の中から表に出されたものであり

錯覚の「もの」の世界である。

 

覚醒の状態には主に2つある。

1つは、静寂にして不動の「あるもの全て」の自覚であり

もう1つは、いわゆる「創造」(音と振動の領域)である。

このため、ブラジルでの声の主は

「振動するものは錯覚である」と言ったのである。

振動の領域(表に出たものは)、「あるもの全て」が

自らを経験するための手段であり

まさに無限なる意識である我々は

そうすることで経験をしているのである。

 

 

創造物は、「あらゆる可能性」の

無限なる意識から生じ、そして、持続している。

創造されたものが、次には創造者となり

創造物そのものの性質に作用するようになった。

全ては一つであるから、その創造者もまた

本当は同じ「あるもの全て」である。

もちろん、爬虫類人もだ。

だが、静寂・不動にして「全てを知る」

「あらゆる可能性」の状態としての

「一つ」と、より限定された覚醒状態にある

被創造物の形態としての「一つ」には、違いがある。

いずれも同じ「一つ」の現れであるが

まったく異なるレベルの意識・理解・知恵で

現実を見ている可能性がある。

 

全ては、源である「あるもの全て」の自覚へと

進歩して「回帰」していくが

その経路は無数にあり、経験もさまざまである。

これは聖書の「ドラ息子」の話に比喩的に記述されている。

父親は、家に留まっていた「良い息子」に対する態度と

同じ情愛でドラ息子を家に迎え入れた。

これがブラジルの声の主が言った

「全ては集められる。一頭たりとて

野原に孤独に放置される羊はいない」の意味である。

1990年に霊能者から聞いた話も似たような内容だった。

 

あなたがたの誰一人として、あなたがたを包み込む神

(あるもの全て)の愛の大きさに気付くことはない。

神は心配し、導いている

どんな存在であっても、孤独に放置されることはなく

気にかけられないこともない。

終わりのとき、全ては集められ、一頭たりとて

野原に孤独に放置される羊はいない。

 

創造物とは、それぞれの密度で形成された

さまざまな世界が一連につながったものである。

あるいは、それぞれの周波数帯域で振動する

さまざまな「次元」の現実が集まったものである。

こうした全ての世界(次元)は、同じ「空間」を共有しており

静寂・不動の「空」そのものも同じ「空間」にある。

 

 

「あるもの全て」のさまざまな側面が、こうした密度

(世界)を経験することで

「あるもの全て」は自らを経験することができる。

我々が知っているような意味での

形がない純粋な意識の領域もあれば

我々が「物質」と思っているような密度の高い次元もある。

私は、この我々の世界のことを「第三密度」と呼んでいる。

それと近接する世界で、別の共振に合わせて振動しているのが

「第四密度」と呼ばれる領域であり

「アストラル界」と呼ぶ人もいる。

 

大事なのはこうした名称ではなく

爬虫類人の陰謀は、可視光線の範囲外

(極めて近接しているが)の密度から画策され

実施されていることである。

我々が進歩して根源へと回帰するほど

密度の振動的な共鳴は増し

最後には静寂と不動の状態へと変容していく。

そこで我々は「あるもの全て」を自覚する

「故郷」に帰るのである。

この道理のことを

「天国への階段」のようなものにたとえることもできるだろう。

 

 

自らの覚醒を拡大していくと

自らを、錯覚である「部分」ではなく

全体と同一視するようになる。

すると当然の成り行きとして、錯覚である個

(自己への奉仕)から生じる利己ではなく

全体に役立つこと(他者への奉仕)へと関心は移っていく。

 

第四密度というところは、依然として自己に奉仕する

という状態がある世界の範囲内では

最も高度に進歩したところのようである。

そして、そこに爬虫類人はいる(第三密度でも活動している)。

爬虫類人は、その知的覚醒レベルを利用し

技術とエネルギー操作を通じて

その段階まで到達したわけであるが

それは彼らが他者への奉仕状態に移行するようになる前の

段階として行き着くことができた限界である。

 

実を言えば、彼らは自分たちの現実感覚、恐怖、支配欲

(支配しなければならないという思い込み)に行き詰っており

それ以上、振動的に進歩したいという願望がない。

爬虫類人は、ただ単に

絶えずつきまとう恐怖をやわらげるためだけに

より支配を強化したいと思っているのである。

他の人間を支配したいという欲望

何かを支配したいという欲望は

全て恐怖と不安の現れであるが

彼らは恐怖と不安で疲れ切っている。

だからこそ、支配することに夢中になっているのである。

意識に目覚めた人は、他者を支配しようとは思わない。

他者が自分自身であることを知っているからだ。

6巻222ページより

 

 

爬虫類人の支配システムは

非物質宇宙から動かされているが

それに対して挑戦しようとする者がいると

ホログラムで「既成事実」になる前に

検知できるようになっていた。

爬虫類人は「ここに」いて陰謀を暴露しようとする者がいれば

そうした人々を苦境に陥れるように策謀して働きかける。

そうした人々を妨害し、脇道にそらし

あらゆる面で弱体化するような人間関係や情勢を

設計図の中に符号化して入れ込むのである。

そうした境遇になったときに必要なのが意志の強さであり

いかなる規模の迂回であろうとストレスであろうと

前進し続けなければならない。

 

前に述べたが、共時性にも良いものと好ましくないものがあり

これは非物質宇宙の次元で、導こうとして働いている力か

迂回させ罠にはめようとして働いている力なのかの違いである。

ただ単に共時的に出来事が発生し

驚異的な「偶然」が重なるというだけでは、「本来の道」とは限らない。

どんなに状況が共時的に思えても

我々は直感を駆使して、正しいと感じるもの

そうでないものを見分けなければならない。

だが、煎じ詰めれば

全て我々が表出するように選択した経験であることに他ならず

好きか嫌いかは別にして、より高次なレベルの覚醒では

何事も「本来の道」なのかもしれない。

 

「本当の愛は、必ずしも受け手が受け取りたいと

望んでいるものを与えるとは限らない。

だが、常に受け手にとって最善のものを与える」

私には、「内部告発者」など内部情報を提供してくれたり

事実を確認してくれる人物がついているに違いないと

思われるかもしれないが、実際にはそんなものではない。

確かにそうした人々にも会ったことがあるが

継続的な関係を築いているわけではない。

また、他の研究者と連絡を密に取り合っているわけでもなく

実際にはほとんどそうした接触もない。

 

霊能者を介して伝えられた通り

「知識は彼の心に入れられる。ときには彼は知識へと導かれる」

である。

まさに今までそうであったし

私にできることは、先入観や可能性を狭める

考えが介入してこないように注意することで

知識が自然に入ってくるのを妨げないことだった。

このことを「服従」だと解釈する人もいるが

プログラムされた心を排除し

高次の覚醒状態で交信できるようにしておくことは

別の勢力に屈することではない。

 

また、この「静かな声」の導きは

その時点で受け手が理解可能なことだけを伝える。

だから、前よりも詳しく、真実に近い情報を

一枚一枚、薄紙をはがすように明かしてくれる。

私自身の経験から言えることだが

私が知る必要があることは

私がそれを知る必要があるタイミングで

知ることになるということだ。

 

最初の頃、私は走り回って探していたが、今では

自分自身が自然に発見するがままに任せている。

そうすれば、人生はずっとゆったりするし

必要なものは、必要としたときに向こうからやってきてくれる。

1990年に霊能者の通信で告げられたように

大変な思いをして探し求める必要はない。

道はすでに用意してある。

手がかりを追っていけばよいだけにしてある。

我々は、(非物質宇宙で)定まった道をあなたが進むのを導くだけだ。

あなたは、我々が教える通りに学んでいくことになる。

全ては、あなたが生まれる前から準備してあった。

 

6巻208ページより

 

 

この宇宙そのものがホログラムである。

それを「スーパー・ホログラム」と呼ぶことにする。

そうなると、細胞が身体全体の縮小版であるのと同様

人間の肉体や心といった宇宙のあらゆる部分は

宇宙全体の縮小版であるはずだ。

あらゆる惑星、恒星、雨のしずく、草の葉も

究極的には全体を表す縮小版である。

これは、我々が全体の影響を受け

全体もまた各部分の影響を受けることをも意味している。

 

 

ホログラムに至るその他のレベルは全て

すでに結末の決まった状態で展開されているゲームに過ぎない。

我々が行っている決断の98%ほどは

いわゆる意識的な心ではなく

無意識でなされていると読んだことがある。

私は、さらに踏み込んで100%だと言っておく。

 

「意識的な心」は現実を「経験」しているだけで

現実を決めているのではない。

たとえるならば、波形レベル

(非物質の宇宙)は映画の映写機であり

ホログラムの物質世界は映画のスクリーンである。

いったん映画の上映が始まったならば

途中で映画の内容を変えることはできない。

スクリーンに向かって叫んだり

怒ったり感情的になったりすることは好きなだけできるが

映写機を離れてスクリーンに向かっている

映画そのものが変わることはない。

 

仮想現実の宇宙も同じである。

いったん波形がホログラムに復号されたならば、全て終わっている。

ホログラムを変えるためには、波形情報の設計図

(非物質宇宙)を変えなければならない。

科学の実験では、何かの行動をするとき

脳の電気的活動は、人間が意識的にその行動を取ると

決める前から始まっていることが証明されている。

これも、波形の設計図が物事を決めており

「意識的な心」は、そうした決定や認知パターンを

単に経験しているだけだということを示す話である。

 

では、無意識の中で何が変わる必要があるのか

どうやれば知ることができるだろうか?

生活、出来事、人々、場所、状況といった

自分の人生経験として現れた言語を読むことだ。

それこそが、無意識(非物質宇宙)のパターンが現れたものである。

自らの日常経験は、「上演」されつつある

ホログラムの「映画」と自らが、どのように関わるかを通じて

自らの無意識で何が起きているかを伝えている。

 

才能ある霊能者や予知能力のある人々は

この非物質宇宙に接続し、まだホログラムに復号されていない

設計図の段階で「出来事」を見ている。

予知夢や予感を持った人々の話を調べると

未来の出来事を細部に至るまで正確に予知しているケースがあれば

夢で展開された出来事を見ることで行動を変えたため

起きることは起きたが、結果が変わってしまったケースもある。

 

 

霊能者が読んでいるのは、決まってしまった「未来」ではなく

起こりそうな可能性のある「未来」である。

ホログラムへの解読が近付いていればいるほど

実際に起きる可能性も高くなるが

それでも変えることはできるのだ。

解読が終わるまでは、さまざまな「未来」

(結末)の可能性があり、それは選択可能である。

 

 

爬虫類人とハイブリッド血筋のネットワークは

実際には「物質」の世界を直接に操っているわけではなく

我々が「物質」の世界に解読する元の情報設計図を操っているのである。

前に述べたロスチャイルドの地球規模の金融システム構造物は

非物質宇宙に築かれており、ホログラムとして上映されているに過ぎない。

いったん非物質宇宙でセットされると

基本的にそのプログラムは

変更でもされない限り実行され続ける。

 

オーウェル的な策略が

見事な同期生とスピードで展開されているのは

何もかも同時実行するようにコンピュータに

情報をプログラムしておきさえすれば

あとはエンター・キーを押すだけでよいのと同じである。

我々が波形をホログラムに解読するとき

我々はエンター・キーを押しており

非物質宇宙における振動の可能性の「プール」の中から

一つの結末を選び出しているのである。

 

我々を日々襲っている大衆心理操作

意識化の誘因や指示は我々の無意識

(非物質宇宙で動いている波形レベルの存在)

をターゲットにしている。

 

爬虫類人たちは、非物質宇宙の波形構造物に

あるあまたの可能性の中から

彼ら自身のプログラムを人間が選んで

ホログラムの現実に解読するように

人間に自己認識・現実認識を植え付けようとしている。

人間の解読システムを彼らのチャンネルに

チューニングしているようなものである。

 

爬虫類人の陰謀集団は、このレベルでプログラムを書き(書き換え)

それがホログラムの現実となって展開されているわけだが

そのためには人類を心(マインド)に閉じ込め

意識から切り離しておく必要がある。

このことを知れば、地球社会が築かれ操られてきた歴史に

完全に合理的な意味があることが分かり始めるだろう。

 

彼らは、波形の振動領域との交流を基本とする

生け贄などの儀式により、非物質宇宙をプログラムし、操っている。

こうした仕組みを全て理解し、意識に目覚めた心であれば

もはや単なる予測屋や経験者に甘んじていることはなく

意識下に働きかけ、個人レベルでも集合レベルでも

非物質宇宙の設計図の変更に着手することができる。

そうすれば、経験・認知の物質レベルも変えることができる。

そうしてこそ、支配システムは解体されていく。

支配システムの基盤となっている波形情報構造物は書き換えられつつある。

 

書き換えられるのだ。

 

そのために我々はどんなことをすればよいのか

残りの章でもう少し詳しく述べることにする。

我々にはできる。

我々にはする意思がある。

多くの人はすでに実行している。

6巻199ページより

 

 

2009年に公開された「アバター」は

地球で起きたことを伝えている。

ただし、内容が逆になっている。

この映画には、「アルファ・ケンタウリAを

周回するガス状巨大惑星ポリフェマスの衛星」

パンドラの先住民で青い肌と

ライオンのような鼻を持った人々が登場する。

彼らは、その星で完全なる調和の中に暮らし

全ては一つの意識の部分であり

つながっていることを知っていた。

パンドラでは、木々など植物が根を通じて電気

化学的につながっており、惑星全体で知覚する

「脳」(意識)を形成する神経として機能していた。

 

青い人々は「エイリアン」のように描かれているが

これは爬虫類人が宇宙船・月とともにやってきて

(ズールー族の伝承にあるように)

「無茶苦茶にした」前の時代の右脳が完全に

「オンライン」になっていた当時の人間を象徴している。

 

「アバター」では、地球の人間が高度に発達した宇宙船に乗って

バンドラに到着し、基地を作って惑星を乗っ取り

貴重な資源を略奪しようとしたことが描かれているが

これは爬虫類人のことである。

 

この「人間」は、左脳が支配的で、「糞のように粘着質」だった。

生命は相互につながっていることを

青い人々が説いても理解できず

「原始人」の迷信に過ぎないと聞く耳を持たないという意味である。

そういえば我々の社会にもそんな人たちがいる。

大半の科学者はそうだ。

 

「アバター」の「人間」(爬虫類人のこと)は

ハイテク兵器を使って青い人々の生活を破壊し

密かに社会に浸透するために彼らの心

(マインド)を青い人々の身体に植え付けた(憑依した)。

彼ら「人間」にとっては、パンドラの大気は毒性であるため

基地と宇宙船の人工大気の中にいる必要がある。

 

どこかで聞いたことがある話だ。

「アバター」の結末では、離脱した「人間」の一派が

青い人々を助けて、侵略者を排除し

昔の青い人々の世界と生活に復旧させる。

 

この部分についてはまだ地球では実際に起きていないが

これから起きる。

私が確約するが、本当にそうなる。

見かけ上はそう思えないかもしれないが

そのプロセスはすでに進行中である。

 

 

強調してもしきれないことだが、右脳

(およびハートのチャクラ)を閉じてしまうと

人々は五感の現実の囚人になってしまう。

まさにそれが爬虫類人の操作を通じて起きてきたことであり

本来ならば無限の可能性を持つ天才である人間を

何十億も支配・操縦するためには、それしか方法がないのである。

 

左脳が支配的であることは

90%もの人々が右利きであることに示されている。

脳の各半球は、神経システムの交差のため

反対側の身体の半分とつながっている。

そもそも身体や手の片方が優勢な肉体を作る意味があるだろうか?

普通に考えると、両利きにするはずだ。

だが、多くの人はそうではない。

遺伝子などの操作によって、左脳が優勢になっているからである。

 

 

右脳と左脳の関係に関しては、他にもいくつかある。

左脳は、言語のように特定のものに「特化」(専門化)するが

右脳は無限の情報・潜在能力の場につながっているため

左脳のように「特化」することはない。

ということは、左脳の一部を除去したり損傷した人々の例で分かるように

右脳が言語などの機能を引き継ぐことも可能である。

 

実験で証明されているが、睡眠を要求するのは左脳である。

右脳は睡眠なしで平気である。

左脳は情報を「順序」、「時間」、「空間」へと解読しているが

右脳は「時間のない」領域で活動し

全てを一つとして見ているという事実で説明可能である。

そもそも時間という感覚がなければ

「休息」が必要という錯覚もありえない。

 

 

他にも強調しておきたいポイントとして

右脳は、「思いやり」(エンパシー)の大いなる源である。

裏切り者の爬虫類人やハイブリッド血筋には備わってない性質だ。

右脳は我々を「一つの状態」へと接続し

その「統合された場」を介して我々は相互に接続される。

 

左脳は、何もかも、他とは違うものだと考える。

一つではなく、分離したものと知覚するのである。

そのために、他者が困窮していても

同情したり感情移入することがない。

 

また、テレパシーで通信する能力が抑圧された人類は

左脳の言語に頼るようになった。

これが、バベルの塔の物語など

人間の共同言語(テレパシー)が

「多くの言語」に置き換えられたという

さまざまな伝承に普遍的に象徴化されている。

 

 

エネルギー的に言えば、左脳と右脳は

男と女にたとえることができる。

通俗的な男と女の区別のことではない。

女の身体を持つ「男」もいれば

男の身体を持つ「女」もいる。

私がここで言いたいのは

左脳が構造・形態・思考(男性エネルギー)で

右脳が直感や霊感(女性エネルギー)ということである。

爬虫類人は両性だった人類を遺伝子的に工作し

男女に分け、その過程で全脳的な状態を切断して

両半球からなる脳にした。

これはエデンの園に関するさまざまな物語に象徴されている。

その上で、脳の接続の配線を変更して、左半球を優勢にし

「そこに」ある右半球の潜在能力を封じた。

 

 

興味深いことに、ズールー族の伝承でも

人間は、男女間の戦争のせいで

オリオン座の「赤い世界」の楽園から追放されたことになっている。

そして、爬虫類人による人間の遺伝子操作と

男女の性別の創造は、そこに起点があると伝えている。

 

ロスチャイルド家の印(六線星形。ダビデの星)は

秘教的には男女の結合を表現していると言われ

中国で陰と陽と言われているものとテーマが似ている。

ロスチャイルド一族は、本来ならば男女の結合

調和と平和のエネルギーを表現するよう意図されたものを歪めるために

自らのシンボル、イスラエルのシンボルとして選んだ。

 

ロスチャイルド家とそのネットワークにはいつものことであるが

それは邪悪なエネルギーの操作(黒魔術)に他ならない。

彼らは調和を望んでいない。

バランスの欠如、そして互いに戦う異質なエネルギー

(特に男と女)を望んでいる。

 

離婚の調停、子供の養育権などを見れば分かるように

男女間で対立が生じ、互いに離れていくように法律ができている。

左脳の支配を目指す爬虫類人の探求は

左脳ばかりを重視する教育制度にも現れており

政府が、幼児の段階から想像力や自発性を刺激する「遊び」を減らし

可能な限り低年齢で左脳教育を始めようとしている理由もそこにある。

 

 

6巻177ページより

 

 

この「世界」の見かけの固さは

ソフトウェアがいかに解読するよう設計されているか

(固い木、固い壁、それほど固くない人間の身体や海など)

にかかっている。

全ては、情報と解読プロセスの中に存在している。

波形(振動)レベルでは、ゆっくりとした振動であるほど

脳が解読したときに高密度で固く思える。

振動が速いほど、固くないように感じられる。

 

我々の感覚が解読できるスピードを超えて共振していると

人間の視界からは「消滅」するが本当に消えたわけではない。

人間の肉体コンピュータが

アクセス可能な周波数領域を去っただけである。

よくUFOやエイリアンが、「目の前で」

出現したり消えたりしたと報告されるのは、まさにこの状態である。

人間の肉体コンピュータが

アクセス不可能な別の振動的現実からやってきては

そこに戻っていくのを目撃しているのである。

それで、何であろうと物体が「どこへともなく」

消えていったという印象を与える。

 

他にも重要なポイントがある。

感覚そのものも錯覚であり、従って脳も錯覚である。

臨死体験や体外離脱をした人が

身体から抜け出した後でも前と同じように見ることができるのを

はっきり体験しているように、目がなくても見ることはできる。

肉体コンピュータは、目が見えないと信じるように符号化されており

そのプログラムに反応しているが

これは無効にすることが可能であり

身体の別の部分で

「見る」ことができることを示した実験がいくつも存在する。

身体から抜け出し、プログラムされた制約から脱すると

我々は目を使わなくても見ることができる。

我々の物質の肉体も錯覚だからである。

 

今、自分の身体を眺めてみると、部屋の中に

(どこでもよいが)いるように見えるだろうが

「物質」の形態として身体が存在するのは頭の中だけである。

脳そのものも波形から解読された構築物に過ぎず

実際に解読作業をしているのは

こうした波形の中にある情報に他ならない。

我々が見ることのできる脳は

そのホログラム版に過ぎない。

情報は符号化されうるが、他の情報の符号器になるように

プログラムすることも可能である。

それは、コンピュータが、ソフトウェア・ディスクにある

情報を読み取るように符号化された別の情報であるのと同じである。

 

 

幽霊、UFO、非人間的存在が見える人と見えない人がいるのも

同じ理由であり、脳がエネルギー場をどのように

ホログラムの現実に復号しているかによっている。

肉体コンピュータが現実を解読する様子を理解する上で

基本となるのは脳の2つの半球である。

右脳と左脳は、脳梁と呼ばれる橋でつながっている。

左脳は「論理」と言われている言語と構造からなる

「この世界」の現実であり

一般的な「物質」的世界の観点である。

右脳は創造的・芸術的で「そこに」ある五感の現実を超えた

意識のレベルにつながる接続部である。

 

バランスの取れた「全脳」の状態では

両脳が調和し、片方が支配的になることはなく

橋を通じて情報や洞察が受け渡される。

だが、人間の形態を取っている存在のほとんどは

左脳の囚人であり、「教育」、「学問」、「科学」と言われる

豆粒のように小さな箱に従属すればするほど

左脳の現実へと深く閉じ込められていくのである。

これは、たまたまそうなっているのではなく、意図してそうなっている。

左脳そのものは、本来、我々が五感の現実と接触するために

不可欠なものであり、それ自体に間違いがあるわけではない。

だが、それが全体の認識を裁定するようになると問題が発生する。

我々が経験をするための召使いであるべきものが

我々を支配し、監獄に入れ、命令するようになる。

 

 

前に述べた通り、我々が経験する感情は

爬虫類脳を通じて、常に我々の恐怖と不安をもたらす

遺伝子プログラムを備え

爬虫類人に操作された肉体コンピュータから生じている。

 

 

我々は、現実感覚の限定と歪曲をもたらした

脳の根本的な機能障害のため、知覚的にも生理的にも

かつての人間の劣化版になっている。

人間の脳には、大幅かつ長期的な衰退があった形跡があり

その障害は基本的に支配的な側(左脳)に集中している。

我々は、その状態で生まれ、年を取るごとに進行していき

「損傷した左脳」を作っていくという。

 

その症状はさまざまであるが

特にうつ病、大幅に欠陥のある免疫システム

歪んだ性行為があるとし、知覚的に優れた右脳が抑圧されたことで

意識の状態(あるいはそれに相当するもの)に

極めて深刻な障害が発生している。

 

急速な脳の発達は思春期で停止するが

爬虫類人とハイブリッドたちは

脳の発達期間を短くするために、思春期の開始時期を早めようとしている。

このため、子供たちは一段と早く「成長」するように激励され

9歳や10歳で思春期を迎える。

また、マスコミや「教育」によって

子供たちがますます多くの性的刺激にさらされているのも、このためである。

 

 

グラハム・ジンとトニー・ライトは

「無明の闇に取り残されて」の中で

熱帯の果実を食べる生活をやめたときに人間は堕落したと述べている。

熱帯の果実が、脳の成長を促進し

神経活動を活発にするホルモンに関連する化学物質を供給していたのである。

約20万年前に、人間が熱帯の森林(エデンの園)から追い出されたとき

生化学的な要素が豊富な果物とのつながりが絶たれたという。

これによって脳の発達が止まり、逆に退化することになった。

一部の機能が失われ、我々の自己感覚は

私が「小さな私」と呼んでいるものに変質することになった。

「無明の闇に取り残されて」のウェブサイトには

このような記述がある。

 

黄金の時代から徐々に落ちぶれていき

現在の物質主義的で、恐怖を基盤とした

プラスチックと抗うつ剤の時代になっていった。

これらの神経的な作用は、現在

最先端の科学によって明らかにされ、証明されつつある。