6巻126ページより

 

 

我々が考えたり、感じたりするとき

肉体は電気信号や化学物質を伝送・放出し

脳など肉体内部で電気・化学的プロセスが起動する。

同様に、その逆も可能である。

化学物質や電気の場には「我々」に感情を持たせる力がある。

肉体コンピュータの解読システムを

混乱させることができるという意味だ。

もちろん、化学物質とか電気現象と呼んでいるものは

我々がこの現実界において認知する化学物質とか

電気現象として解読した情報に他ならない。

こうした情報(化学物質や電気)は

肉体そのものの情報構造体を破壊し

肉体コンピュータに深刻な損傷を与えることがある。

不調和な電気的・化学的情報は、我々が病気、死、そして

不安定な感情と呼んでいる不調和な状態へと解読される。

 

携帯電話のアンテナ塔の近くや

送電線下に住んでいる人に

気分の落ち込みが多く発生するのも同じ理由であり

化学物質が大量に入った食品や飲み物を

摂取している子どもたちに

多動症など行動異常がよく見られるのもそうである。

化学物質を食べたり飲んだりすることで

バランスの崩れた行動となって現れるのである。

 

臨死体験をした人々(いったん死んだ後で蘇生した人々)は

至福の愛の場所に行ったと話している。

そこでは「物質」の肉体の中にいるときに

抱くような感情はまったくないという。

感情がないといっても、冷淡になるわけではない。

まったく逆だ。

なくなるのは、人間的な感情である。

感情的な反応は、爬虫類脳を介して展開される電気・化学反応

(プログラムされた反応)以外の何ものでもなく

コンピュータ・ソフトウェアの一部が表に現れたものである。

「無意識」の人間は、さまざまな状況を経験したり

テレビ番組や映画を観るときに

感情的反応という電気・化学的なジェット・コースターに

常に乗っているようなものである。

これもまた、データを打ち込み(経験し)

エンターキーを押下し、ソフトウェア・プログラムが

ハードディスク内のファイルを処理するのを待つと

画面に結果が展開されるようなものである。

 

 

感情の化学物質を吸収する細胞受容体は

ヘロインやコカインを吸収する受容体と同じである。

こうした反応が、爬虫類脳に由来することを考えると

こうした感情の中毒は、麻薬などの中毒と同様

爬虫類脳に対する中毒であることになる。

 

我々が何かを経験するとき、あるいは

何かを見たり聞いたりするとき、通常

我々は他の多くの人と同じように反応する。

よく「これについてはどう反応する?」とか

「どうしてそんな反応をしたの?」と言うが

まさに反応であり、化学反応なのである。

 

ほとんどの場合、我々は遺伝相続された

肉体コンピュータのプログラムに沿って反応し

経験したことを「現実」に追加する。

子供時代にダウンロードしたトラウマは

反応と認知からなる生涯をプログラムする際に

非常に強力な影響を与える。

こうした反応は、細胞(コンピュータのチップ)と

その他の生物的・エネルギー的な

デジタル構造の情報レベルに保存される。

そこに遺伝相続されたプログラムと

我々の毎日の経験からダウンロードされるものの

双方が蓄積されている。

 

 

人々が「悪癖」と言っているものの大半は

遺伝相続もしくはダウンロードされ

肉体コンピュータで動作しているソフトウェア・プログラムである。

真に根源意識に目覚めることによってのみ

我々はこの循環を断ち切り

自分自身の人生をコントロールできるようになる。

その状態になれば、選んだ通りにこの現実を

経験する道具として肉体コンピュータが

根源意識に奉仕するようになる。

もはやコンピュータが主人ではなくなり

人生が我々を生きるのではなく

我々が人生を生きるようになる。

 

 

アフリカの中央部と南部で食人の習慣があった頃

不運にも犠牲になった人間は

非常に高熱の火で煮なければならないという

厳格なしきたりがあった。

彼らは、実体験や言い伝えにより

十分に加熱調理せずに食べると

その犠牲者の「人格」を帯び

その人になることを知っていた。

煮ると細胞(ハードディスク)が破壊されるため

食べても「ダウンロード」する情報がなくなる。

まるで回路が溶けて曲がるまで

マイクロチップを加熱するようなものだ。

 

心(マインド)と肉体のコンピュータに関しては

もう一つ大事なポイントがある。

その知識(ハードディスク)は

別の肉体にダウンロードすることができる。

さらには映画「マトリックス」の」「赤いドレスの女」

のようなデジタル構築物、もしくは機械にもダウンロード可能である。

映画のストーリーでは、この女はまったく人間と同じように見えるが

コンピュータ・プログラムに挿入された

デジタル構築物ということになっていた。

今日の世界には、こうしたデジタル構築物が何千万人も存在する。

彼らは、相互作用(対話・交流)可能な存在として

仮想現実に挿入されたもので

ソフトウェア・プログラムに従って機能する。

より洗練されたタイプでは、他の人々から心

(マインド)をダウンロードして

高い知能を持っているかのようにふるまうことも可能である。

「知識人」の多くは

ダウンロードされたマインドを備えたデジタル挿入物である。

そんなバカなと思われるだろうが

表の社会でも、その方向に動いている。

 

我々はマインドと呼んでいるものは

情報を含んだエネルギー場であり

このエネルギー場をコピーして、他の人間

(あるいはデジタル構築物やロボットでさえも)に

移植することも可能である。

主な爬虫類人ハイブリッドは

死ぬときに知識が失われることのないように

マインドを別の肉体へと受け渡している。

死に際して、マインドを他の肉体にダウンロードする特殊な儀式がある。

こうした血筋は、赤いドレスの女のさまざまな形態に他ならず

爬虫類人がこの現実を支配するための

導管として演技するデジタル・ソフトウェアである。

 

悪魔崇拝者は、死にゆく悪魔崇拝者や生贄の犠牲者から

魂(エネルギー)を受け取るという言い方をするが

これも同じ原理である。

永劫の昔から爬虫類人はそれを行っており

まさにハイブリッド血筋が「デジタル仲介者」とか

「心(マインド)の子」の実例である。

ブラジルで私に語りかけてきた「声」は

血筋だけでなく、反逆の爬虫類人そのものもまた

コンピュータ・プログラムであるが

生物的コンピュータであり

本当に「生きている」ように見えるよう機能すると言っていた。

 

マインドを解放してみれば

あるいは、自分自身をマインドから自由にしてみれば

そして、開かれたマインドで(根源意識を巻き込んで)

眺めてみるならば、あまりにも自明なことである。

我々が「自分」だと思っている肉体は、実は、生物的な

生きた、考える、感情を持ったコンピュータ・システムであり

我々がこの現実を経験するために乗り物として使っている道具である。

 

より高い次元の覚醒との接点が失われると

我々は何も知らない囚人となり

肉体ソフトウェア・プログラムの駒になってしまい

そのプログラムのことを我々の「人格」であり「性格」であると

我々自身も他人も信じるようになってしまう。

どおりで人類は、途方に暮れ、戸惑った状態にあるはずだ。

その上で、肉体コンピュータは

仮想現実ゲームの全体に接続しているわけであるが

それがどのようになされているかを次に考えていくことにする。