抗うつ薬は人の心に何をしでかしているのか?
救急当直をしていると、毎夜のように自殺未遂をした人がやってくる。
そのほとんどが、抗うつ剤を飲んでいる。
そこで疑問になるのが、
「抗うつ剤を飲んでいても自殺しようとした」
のか、
「抗うつ剤を飲んでいるから自殺しようとした」
のか、ということだ。
実は、日本で大量に使われている、「パキシル」「ジェイゾロフト」「デプロメール」「ルボックス」などの、SSRIという抗うつ薬は、発作的な錯乱や、破壊的な妄想を引き起こすことがわかっている。
アメリカでは、「コロンバイン高校銃乱射事件」の犯人達が使っていたとして、訴訟になり、販売中止となった。
日本でも、「飛行機運転してみたいハイジャック事件」の犯人が飲んでいたことがわかっている。
アメリカで危険性がいわれても日本で規制されるまでに時間差があることは、薬害エイズや薬害肝炎を思い出させる。
最近、小児精神科などと称して、幼い子どもにも、この手の薬が処方されている。そして、そんな薬を飲んだ幼い子どもが、非常に理解しがたい軽微な理由で自殺未遂してやってくるのを、私達救急医は見ている。
本来、生命力にあふれた子どもたちがだ。
それらがすべて、薬のせいだとはいわない。
しかし、少なくとも、それらの人にとって、薬が助けになっていないことは明らかではないか?
有効か?の前に、日本で一般的に行われている薬の多罪併用について、安全か?を確認した、まともな研究はほとんどない。
そもそも、落ち込むことは、そんなに悪いのか?
脳に薬物を何種類か送り込んで解決する問題なのか?
失業とか、失恋とか、過労とか、いろんな原因で気持ちが沈むのが、薬で解決すると思っているほうが、相当いかれているんじゃないか?
主要な自殺方法の一つが、薬の大量服用であることも見逃せない。
それで自殺に成功する人もいるが、多くは失敗して、脳障害から寝たきりで長い一生を送る人も少なくない。
アメリカでは、銃規制に関して、銃が悪いのか、打つ人が悪いのか?という議論を延々と繰り返している。
銃がそこまで蔓延していないが、医療費中に薬剤費の占める割合がアメリカの3倍の日本では、薬が悪いのか、大量に飲む人が悪いのか?というのは、とても似た問いかけだと思う。
そんな薬の代金の7割は、保険で、国民が払っているということも、忘れてはならない。
飯島愛さんの死は、大切なことを日本国民に問いかけているのかもしれない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081227-00000047-spn-ent
「精神的におかしく…」飯島愛さん警察に相談
12月27日10時10分配信 スポーツニッポン
24日に東京都渋谷区の自宅マンションで死亡しているのが見つかった元タレントの飯島愛さん(享年36)=本名大久保松恵=が、薬の服用をめぐり、警視庁渋谷署に相談に訪れていたことが26日、分かった。この日は都内で密葬が営まれた。遺族を代表して父の和夫さんがコメントを出し、娘の突然の死に悔しさをにじませた。
渋谷署によると、飯島さんが相談に訪れたのは今年1月ごろ。また、テレビ朝日の報道によると、対応した署員に「1人で寂しいから話を聞いてほしい。精神的におかしくなった」と訴えた。署員が「なぜおかしくなったんですか?」と尋ねると、「薬をのんでおかしくなっちゃった」と説明。ミニスカート姿で現れ、特に取り乱した様子はなく、一通り話をして帰ったという。 飯島さんは2月24日付の自身のブログに「この2カ月ほど、軽いノイローゼで大変でした。精神疾病です。抗うつ剤を処方されたので凹(へこ)みました」などと精神的な不調を書き込んでいた。11月30日付では「1人じゃ生きていけない」などと寂しさをつづっていた。 また、同署によると、遺体は25日に行政解剖された後、家族に引き渡された。解剖で死因は特定できず、病理検査も終えたが、結果が出るのは数日かかるもようだ。 26日には都内で、親族のみで密葬が営まれた。和夫さんは、飯島さんが昨年3月に引退するまで所属していたワタナベエンターテインメントを通じてコメントを発表。飯島さんがオリジナルのコンドームなどをインターネット上で販売する会社を立ち上げたばかりだっただけに、「新しい道へ進もうとしていた矢先のことで、娘もさぞかし無念のことと思います」と悔しさをにじませた。 |
最終更新:12月27日10時10分
準備の失敗は、失敗の準備
Fail to prepare is prepare to fail
準備の失敗は、失敗の準備
大事故災害への対応の講習で聴いた言葉だ。
救急車を受ける際にも、受け入れる態勢が準備できているかどうかが、最も重要なように考えられている。
ベッドがない、スタッフが足りない、最適な機材がない。
それらは、患者を断る正当な理由とされている。
しかし、現在、日本中で、準備などできていない。永遠に、準備できることはないかもしれない。
救急患者は、いつどのくらい出るかわからない。
まったくでない日もあれば、地震、列車事故、感染症流行などで、患者が押し寄せる日もある。
最悪の日にあわせて準備するならば、当然、ほとんどの日に医療資源は余らなくてはならない。
しかし、そんな余分な医療資源など、どこにもない。
ということは、患者が多い日には、キャパシティーを超えて患者を受け入れなくては、医療を受けられない人が出ることになる。
現実には、許容量を超えては受け入れることはできない。ベッド数は、行政側から制限されているのだから。
つまり、救急患者が受け入れ先が決まらずにさまようことは、ニュースになるような驚くべきことではなく、現行医療制度では、ごく当然の結果と言える。
まさに、受け入れ先が決まらない患者が出るように準備されているといってもいい。
本当に、地域の人々が安心して医療を受けられるようにしようと思うなら、本気でそれを願う人達が、それを決意しなくてはならない。
それは、見知らぬ厚生官僚でもなければ、学会理事でもない。それらの人々が、あなた方を守ることに何の魅力も感じていないことは、薬害エイズ、薬害肝炎、イレッサ、などなど、枚挙に暇がないではないか。
変えることができるとしたら、それは、自分の地域を大切に思う、そこで暮らす人々自身だ。
いいかげんに、意図が違う人達にイニシアチブを預けるのをやめなくてはならない。
決意があって初めて、準備がなされる。準備がないから決意できないのではない。逆なのだ。
本当に医療を必要とし、地域の人々の健康を願う人々が、自分たちで医療体制を準備することを、決意しなくては何も始まらない。
その場にいない奴の批判に惑わされるな
その場にいない奴の批判に惑わされるな
救急医療は、一期一会の真剣勝負だ。
同じ状況で同じ患者に遭遇することは、二度とない。
これは、人生すべてがそうなのだが、救急現場という劇的な場面では、そう実感することが他の場面より多いといえるだろう。
従事する者は皆、一瞬一瞬に全力を尽くす。
しかし、喧噪が過ぎた後、その場にいなかった者の中に、必ずこういう奴がいる。
「なんで、こうしなかったの?こうすればよかったのに?」
それは、次回以降に参考になる意見としては、受け取っておこう。つまり、
「次回、こういう人が来たら、こういう手もあるのではないでしょうか?」
というふうに意訳して聞くことだ。
そして参考になるところは参考にしたら、あとは頓着する必要はない。
その場にいなかった者が、必死で働いた者をとがめだてするように、別な選択肢を述べることは少なくない。特に、現場に出ない上司や、さらにひどいのはマスコミだ。
こうした方が良かったのに、こうしていたら、助かったかもしれないのに。ミスだ。事故だ。なんだかんだと。
しかしそれは、多くの場合、後出しジャンケンだ。
相手がグーを出したことが分かってから、パーを出さなかったのはミスだと責めるようなものだ。
その状況で、そう判断できたらやっていた。そうできなかった要因が、その時点の現場にはあったのだが、それはその場にいたものにしか分からないことも多い。
もちろん、次回以降に改善できることは取り入れる。しかし、過ぎたことを責める発想からは、何も生まれない。貴重な救急医療の担い手が、働けなくなるだけだ。
そんな後出し批判や訴訟を恐れて、重症の救急患者を受け入れることが難しくなっている現実がある。無罪になったとはいえ、福島県の産科医逮捕以来、その傾向は一気に強まったといえるだろう。
救急医療という、もともと不利な状況の患者を助ける場で働くことを選ぶなら、その場にいない人間の批判なんかに惑わされてはいけない。じゃあ、お前がやれるのか?と啖呵を切るくらいの気持ちでいい。
力不足はこれから補っていけばいい。改善は望むところだが、それとこれとは別だ。
自分は、精いっぱいやった、そう断言できるなら、何者の批判も恐れることはないのだ。
