その場にいない奴の批判に惑わされるな
その場にいない奴の批判に惑わされるな
救急医療は、一期一会の真剣勝負だ。
同じ状況で同じ患者に遭遇することは、二度とない。
これは、人生すべてがそうなのだが、救急現場という劇的な場面では、そう実感することが他の場面より多いといえるだろう。
従事する者は皆、一瞬一瞬に全力を尽くす。
しかし、喧噪が過ぎた後、その場にいなかった者の中に、必ずこういう奴がいる。
「なんで、こうしなかったの?こうすればよかったのに?」
それは、次回以降に参考になる意見としては、受け取っておこう。つまり、
「次回、こういう人が来たら、こういう手もあるのではないでしょうか?」
というふうに意訳して聞くことだ。
そして参考になるところは参考にしたら、あとは頓着する必要はない。
その場にいなかった者が、必死で働いた者をとがめだてするように、別な選択肢を述べることは少なくない。特に、現場に出ない上司や、さらにひどいのはマスコミだ。
こうした方が良かったのに、こうしていたら、助かったかもしれないのに。ミスだ。事故だ。なんだかんだと。
しかしそれは、多くの場合、後出しジャンケンだ。
相手がグーを出したことが分かってから、パーを出さなかったのはミスだと責めるようなものだ。
その状況で、そう判断できたらやっていた。そうできなかった要因が、その時点の現場にはあったのだが、それはその場にいたものにしか分からないことも多い。
もちろん、次回以降に改善できることは取り入れる。しかし、過ぎたことを責める発想からは、何も生まれない。貴重な救急医療の担い手が、働けなくなるだけだ。
そんな後出し批判や訴訟を恐れて、重症の救急患者を受け入れることが難しくなっている現実がある。無罪になったとはいえ、福島県の産科医逮捕以来、その傾向は一気に強まったといえるだろう。
救急医療という、もともと不利な状況の患者を助ける場で働くことを選ぶなら、その場にいない人間の批判なんかに惑わされてはいけない。じゃあ、お前がやれるのか?と啖呵を切るくらいの気持ちでいい。
力不足はこれから補っていけばいい。改善は望むところだが、それとこれとは別だ。
自分は、精いっぱいやった、そう断言できるなら、何者の批判も恐れることはないのだ。