準備の失敗は、失敗の準備
Fail to prepare is prepare to fail
準備の失敗は、失敗の準備
大事故災害への対応の講習で聴いた言葉だ。
救急車を受ける際にも、受け入れる態勢が準備できているかどうかが、最も重要なように考えられている。
ベッドがない、スタッフが足りない、最適な機材がない。
それらは、患者を断る正当な理由とされている。
しかし、現在、日本中で、準備などできていない。永遠に、準備できることはないかもしれない。
救急患者は、いつどのくらい出るかわからない。
まったくでない日もあれば、地震、列車事故、感染症流行などで、患者が押し寄せる日もある。
最悪の日にあわせて準備するならば、当然、ほとんどの日に医療資源は余らなくてはならない。
しかし、そんな余分な医療資源など、どこにもない。
ということは、患者が多い日には、キャパシティーを超えて患者を受け入れなくては、医療を受けられない人が出ることになる。
現実には、許容量を超えては受け入れることはできない。ベッド数は、行政側から制限されているのだから。
つまり、救急患者が受け入れ先が決まらずにさまようことは、ニュースになるような驚くべきことではなく、現行医療制度では、ごく当然の結果と言える。
まさに、受け入れ先が決まらない患者が出るように準備されているといってもいい。
本当に、地域の人々が安心して医療を受けられるようにしようと思うなら、本気でそれを願う人達が、それを決意しなくてはならない。
それは、見知らぬ厚生官僚でもなければ、学会理事でもない。それらの人々が、あなた方を守ることに何の魅力も感じていないことは、薬害エイズ、薬害肝炎、イレッサ、などなど、枚挙に暇がないではないか。
変えることができるとしたら、それは、自分の地域を大切に思う、そこで暮らす人々自身だ。
いいかげんに、意図が違う人達にイニシアチブを預けるのをやめなくてはならない。
決意があって初めて、準備がなされる。準備がないから決意できないのではない。逆なのだ。
本当に医療を必要とし、地域の人々の健康を願う人々が、自分たちで医療体制を準備することを、決意しなくては何も始まらない。