NO268【教育100年史⑥】

おはようございます。けんいちです。
本日のテーマは「昭和初期から戦時下へ──教育は何を守ろうとしたのか」です。

 

 

前回は、大正デモクラシーのもとで「子どもの個性」や「学びの多様性」が広がった時代を見てきました。

 

 

しかし、昭和に入ると、社会の空気は一変します。

 


不況、国際緊張、戦争。

 


その中で、教育は再び大きな役割を背負わされていくことになります。

 

 

昭和初期から戦時下にかけての教育は、単なる「軍国主義化」という言葉では片づけられない、葛藤と転換の連続でした。

まず見ておきたいのは、この時代の教育が「突然変わった」わけではない、という点です。

 

 

昭和初期、学校制度そのものは、大正期に整えられた枠組みを引き継いでいました。

 

小学校
中等教育
高等教育

 

その構造自体は維持されたまま、


教育の“意味づけ”だけが、静かに変えられていったのです。

 

 

キーワードは「個人の成長」から「国家への奉仕」へ。

 

 

この転換は、まず教育内容に現れます。

修身の比重はさらに高まり、歴史や国語では、国家への忠誠や献身が強調されるようになります。

 

 

ただし、ここで大切なのは、当時の教育者や家庭の多くが「戦争を教えたかった」わけではない、という事実です。

 

 

不安定な時代の中で、


・秩序を守ること
・共同体を崩さないこと
・生き抜く力を持たせること

 

そうした切実な願いが、国家の論理と重なっていった側面もありました。

 

 

やがて戦時体制が強まると、教育は「非常時の教育」へと移行します。

 

 

学校生活は、次第に


・勤労動員
・軍事教練
・集団行動の徹底

 

といった色合いを帯びていきます。

 

 

ここで、教育は二つの役割を同時に背負います。

 

一つは、国を支える人材を育てること

もう一つは、混乱の中で、子どもたちの生活と心を保つこと

 

 

教室は、思想を注入する場であると同時に、日常を守る最後の拠り所でもありました。

 

 

昭和初期から戦時下の教育を振り返るとき、私たちはつい、結果だけを見てしまいがちです。

しかし、そこに至るまでには、無数の迷いと選択がありました。

 

 

「正しい教育とは何か」
「子どもを守るとはどういうことか」

 

 

その問いに、当時の人々もまた、答えを探し続けていたのです。

 

 

今日のまとめです。

昭和初期の教育は、突然戦争一色になったわけではない。

社会不安の中で、教育の目的が少しずつ「個人」から「国家」へと傾いていった。

 

 

そして戦時下、教育は統制の装置であると同時に、子どもたちの生活を支える場でもあった。

ここに、教育の難しさと重さがあります。

 

 

今日の問いです。

あなたが教育に求めているのは、「社会を支える力」でしょうか。
それとも「どんな時代でも自分を失わない力」でしょうか。

 

 

この問いは、過去のものではありません。
非常時を経験した昭和の教育は、今を生きる私たちにも、静かに問いかけています。

 

 

次回は、戦後、教育は何を手放し、何を取り戻そうとしたのか
大きな断絶と再出発の時代を見ていきます。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

NO267火曜日シリーズ『新釈古事記伝』第15回
おはようございます。けんいちです。
本日のテーマは「触れない優しさと、触れる覚悟」です。


しらみ取りの話を、もう一歩だけ深めてみたいと思います。


前回は、「任される距離」そのものが試験である、というところまで見てきました。


今回は、その先です。
人は、優しくあろうとするほど、触れない選択をすることがあります。


踏み込みすぎない。
傷つけないようにする。
相手の領域を尊重する。


それは、とても大切な姿勢です。
実際、多くの場面では、「触れない優しさ」が人を救います。


けれども、しらみ取りの場面で問われているのは、それだけではありません。


ここでは、あえて触れる覚悟が求められています。


頭に手を伸ばす。
相手の無防備な場所に関わる。

 


しかも、それを嫌がられず、恐れられず、自然に受け取ってもらう。


これは、親切心だけでは到達できません。


「良かれと思って」
「助けてあげたいから」

 


その気持ちが前に出すぎると、手は止まります。


なぜなら、そこにはまだ自分の判断が残っているからです。


触れる覚悟とは、相手の人生に介入する覚悟ではありません。
自分の正しさを通す覚悟でもありません。


むしろ逆で、自分を消す覚悟に近いものです。


評価しない。
指示しない。
結果を急がない。


ただ、任された役割を引き受ける。

だからこそ、沈黙が必要になるのです。


言葉を足せば足すほど、距離は不自然になります。
説明を重ねるほど、信頼は薄れていきます。


しらみ取りにおいて、一番邪魔になるのは、「ちゃんとやっています」という態度です。


本当に任されている人は、自分がやっていることを語る必要がありません。


そして、ここでもう一つ、見落としてはいけない条件があります。
自分のしらみを取っていない人は、人のしらみを取れない、という点です。


これは、技術や知識の話ではありません。

自分の未整理な感情。
自分の承認欲求。
自分の不安や焦り。

それらを抱えたままでは、手はどこか震えます。
相手は、その揺れを敏感に感じ取ります。


だから、触れる覚悟とは、まず自分に向けられるものなのです。


どこまでなら、自分は静かでいられるか。
どこまでなら、相手を操作せずにいられるか。


それが整って、はじめて、人の頭に手を伸ばす資格が生まれます。


古事記の「心に愛しく思ひて寝ましき」という一句は、この地点を示しているように思います。


何も言わない。
何も確認しない。
それでも、安心して眠れる。


触れない優しさを越えて、触れる覚悟を引き受けた人だけが、たどり着ける境地です。


優しさは、距離を保つことでも示せます。
けれども、覚悟は、距離を越えたときにしか試されません。


いま、あなたが関わっている誰かに対して、触れない優しさで留まっている場面はないでしょうか。

 

次回予告(第16回)

次回は、「生太刀・生弓矢」 を手がかりに、大国主命がスサノオノミコトから受け取った〈技〉と〈心得〉、そして免許皆伝とは何か を味わいます。

 

 

生太刀・生弓矢は、人を斬るため、射るためのものではなく、あらゆるものを生かし、それぞれにふさわしい位置を与えるための象徴。

 

 

技を持つことよりも、その技を どんな心で使うのか が問われている——古事記は、静かにそう語りかけてきます。

殺気を手放し、自分の中の「生太刀・生弓矢」を磨くとは、どういうことなのか。

 

 

来週は、学び・仕事・生き方のすべてにつながる〈免許皆伝の条件〉 を、一緒に見つめていきたいと思います。




そして同時に、自分のしらみを取らないまま、手を伸ばそうとしていないでしょうか。


古事記は、こう問いかけているように思うのです。

あなたは、触れないままで守っているのか。
それとも、静かに触れる覚悟を、すでに引き受けているのか。

【2025年NO266】
おはようございます。けんいちです。
本日のテーマは「続かない人は、意志が弱いのではなく、判断回数が多すぎる」です。

 

 

机に向かい、画面を開いたまま、少し時間が過ぎる。

やる気がないわけではない。

 


むしろ、ちゃんとやろうとしている。

それでも、手が止まる。

 

 

何から始めるか。
この順番でいいのか。
今やるのか、あとに回すのか。

 

 

作業に入る前に、いくつもの小さな引っかかりが、頭の中に浮かんでは消える。

 

 

気合が足りない、と片づけるには、どこか噛み合わない感じが残る。

動こうとするたびに、決めることが一つ入り、越えたと思ったら、また次が現れる。
行動の前で、やることが増えていく感覚。

 

 

疲れているのは、作業そのものというより、考え始める直前のところかもしれない。

 

 

ここで、別の視点を一つだけのせておきます。

 

 

続かない場面は、意志の問題に見えるけれど、実際には、動く前に決めることが多すぎるだけかもしれない。
 

 

判断を減らす、という見方も、その一つです。

 

それが正しいかどうかは、ここでは決めません。

また手が止まったとき、「今、自分はどこで立ち止まっているのか」を、確かめられたらそれで十分です。

はじめに


年が変わったのに、気持ちが整わないまま、日常に戻っている人へ。

もし今、「今年こそ」と思って立てた目標を、少し遠く感じていたとしても、それは失敗ではありません。

 

 

 

あなたが変われないのは、意志が弱いからじゃない。「こうなりたい」と思うところまでは来たけれど、それを自分の判断として引き受けることを、先延ばしにしてきただけです。

 

 


今年こそ変わりたい。

そう思う人ほど、もっと頑張ろうとしてしまう。

 

 


でも必要なのは、もっと努力することじゃない。

「自分が違和感なく受け入れらえる基準」を、もう一度、自分の手に戻すことです。

 

 

この記事は、正解を増やすための記事ではありません。

迷ったときに、戻れる場所をつくるための記事です。

 

 

1|迷いの正体を知る

― なぜ、決められないのか ―

 

 


迷っているとき、私たちはよくこう考えます。

「まだ情報が足りない」



「もっと良い選択肢があるかもしれない」

でも実際には、情報が足りないから迷っているのではありません。

 

 

 

判断を、他人に預けたままにしているからです。

 

正解
評価
期待
空気

 

それらを気にするほど、判断は自分の手から遠ざかっていきます。

迷いの原因は、性格や能力の問題ではありません。

 

 

判断の基準が、自分の外にある状態。それが、迷いの正体です。

 

 

2|判断を減らす

― 続かない理由は、やる気じゃない ―

 


多くの人は、「続かない=意志が弱い」と思い込んでいます。

 

 

でも実際には違います。

 

 

判断が、毎回、立ち止まって考えなければ進めない形になっているだけです。

 

やるか、やらないか
今か、あとか
この方法でいいか

 

毎回このような判断をしていたら、疲れて当然です。

 

 

継続できる人は、強い意志を持っているのではありません。

 


迷わず、そのまま進める形をすでに持っているだけです。

 

 

判断を減らすと、行動は自然に起こります。無理に自分を奮い立たさなくても、手が動く状態が生まれます。

 

 

 

おわりに

ここまで読んで、「まだ自分の基準がわからない」そう感じていても大丈夫です。

 

 

今日は、決める日ではありません。

 

 

迷っている自分を責めずに、一度、立ち止まる日です。

 

 

判断を引き受けるのは、もう少しあとでいい。

 

 

今日ここでは、迷いの正体と、立ち止まる場所だけを確認しました。判断を自分の手に戻す話は、もう少し落ち着いたところで扱います。

【シリーズ第3回|NO264】
おはようございます。けんいちです。
本日のテーマは倹約は命令ではなく、背中で示すもの──率先垂範のリーダーシップ」です。

藩主として米沢に入った 上杉鷹山 が、最初に直面したのは、単なる財政難ではありませんでした。それ以上に深刻だったのは、人々の心が疲れ切っていたことでした。

命令を出すことはできます。
規則を整えることもできます。
しかし、それだけで人は動きません。


なぜなら、人は「言われたこと」ではなく、「言った人の行い」を見て判断するからです。

鷹山は、改革にあたって、まず自分自身の暮らしを改めました。

衣服は質素にし、
食事は簡素にし、
贅沢な慣習を一つずつやめていきました。

ここで大切なのは、彼が「倹約せよ」と命じたわけではない、という点です。
鷹山は、倹約を言葉で説く前に、倹約している自分の姿を、日々示し続けました。

人は不思議なもので、「やれ」と言われると反発しますが、目の前の人が淡々と実践している姿を見ると、次第に自分もそう振る舞いたくなっていきます。

これは強制ではありません。
統制でもありません。
信頼から生まれる、自然な変化です。

鷹山の改革が一時的なものに終わらず、長く続いた理由は、制度が優れていたからだけではありません。

「この人がここまでやっているなら」
「この人が本気なのなら」


そう思わせる、一貫した姿勢があったからです。


この構造は、現代の組織でも同じです。


部下に「もっと効率を上げましょう」と言いながら、自分は無駄な会議を重ねていないでしょうか。
「挑戦が大事です」と言いながら、自分は失敗を避ける判断ばかりしていないでしょうか。

人は、言葉よりも先に、その人の行動を見ています。

だからこそ、率先垂範とは、自分を犠牲にする精神論ではありません。

それは、「言わなくても伝わる状態」をつくるための、判断設計の一つです。

指示を減らし、
確認を減らし、
迷いを減らす。

背中で示すことで、組織全体の判断回数を減らしていく。
それが、鷹山の実践していたリーダーシップでした。

今日、ひとつだけ問いを置いておきます。

今、あなたが周囲に求めている行動は、自分自身の振る舞いとして、すでに示せているでしょうか。

完璧である必要はありません。
ほんの一つで十分です。

その一歩が、組織も、家庭も、そして自分自身の判断を変えていきます。

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次回【第4回】では、「厳しさと慈しみは両立できるのか──人を育てる統治の条件」をテーマに、上杉鷹山の“人を見る目”に迫っていきます。

 

このシリーズは全8回。
上杉鷹山の生き方を通して、志がどのように行動となり、組織や社会を動かしていったのかを、丁寧にたどっていきます。


また、ここでお会いしましょう。

おはようございます。けんいちです。

毎年、年始になると「今年はどう生きようか」と考える時間が増えます。
ただ、ここ数年、その問いの立て方自体が、少し難しくなっているように感じています。

 

情報は十分にあり、選択肢も多い。
正解らしきものも、努力の仕方も、簡単に得られる。

 

それなのに、決めきれない。
選んだあとも、どこか落ち着かない。

 

この違和感は、「意志が弱いから」でも、「考えが浅いから」でもない気がしています。

 

多くの場合、私たちは「どの感情(意識)から判断しているのか」を確かめないまま、選択しています。

 

焦りからの選択なのか。
比較からの選択なのか。
期待に応えるための選択なのか。
それとも、何かを守るための選択なのか。

 

感情は、判断を鈍らせる邪魔者のように扱われることが多いですが、実際には、判断の「入口」そのものです。

 

入口が分からないまま進むと、どれだけ正しいと思う選択をしても、あとで迷いが残ります。

 

2025年を振り返ってみると、私自身も、ずっとこの入口を探していた一年でした。

 

志とは何か。
AIとは何のための技術なのか。
何のために、毎日記事を発信しているのか。

 

答えを集めるというより、自分がどの位置から考え、選んでいるのかを確認する一年だったように思います。

 

 

その中で、少しずつはっきりしてきたことがあります。

判断に迷うのは、選択肢が多いからでも、知識が足りないからでもありません。

 

多くの場合、「自分の感情の元となっている体験」を確かめないまま、結論を出そうとするからです。

 

 

2026年は、この順序を少しだけ変えてみたいと思っています。

何をするかを決める前に、どの感情(体験)に基づいているのかを、確かめる。

前に進むかどうかを急ぐ前に、今の判断が、疲れから来ているのか、願いから来ているのか、それとも惰性なのかを、一度深呼吸して自分に問いかけてから決める。

 

それだけで、選択の重さが少し変わることがあります。

 

この一年、発信の役割も、少しずつ整理されてきました。

答えを渡すことではなく、判断に迷ったときに、戻ってこられる場所を残すこと。

 

 

noteでは、思想と構造を少し深く掘り下げ、日々の発信では、気持ちや心を整える手がかりになる文章を、そっと示す。

 

 

AIは、速く進むための道具ではなく、思考を整えるための羅針盤として使う。

2026年は、派手な変化よりも、日常に戻ったときに、

 

「あれ、今日は迷っていないな」
「少し心が軽い気がする」
「思ったほど疲れていない」

 

そんな瞬間が、少しずつ増えていく。
そんな状態にできればと考えています。

 

今年も、流行に流された発信はしません。
その代わり、自分の判断を他者に委ねすぎず、思考を静かに整え、判断できる状態に戻るための場を整えていきます。

 

2026年も、どうぞよろしくお願いします。

こんばんは。けんいちです。

本日のテーマは「志を“構造”に変えた一年の記録」です。

 

2025年を振り返ってみると、成果や数字以上に、「生き方の軸」がはっきりと定まった一年だったと感じています。

 

 

この一年、問い続けていたこと

この一年、私のすべての活動の起点にあった問いは、とてもシンプルでした。

 

・自分は、何者として生きるのか

・志を、どうすれば再現可能な形にできるのか

・AIは成果を出すための道具なのか、それとも人と人の関係性を整えるための編集技術なのか

 

この問いが、教育、AI、発信、地域活動、すべてを貫く背骨になっていました。

 

 

変化①|思想が「言葉」になった一年

2025年の一つ目の大きな変化は、思想が「言葉」として定まったことです。

 

志とは、「命を何に使うか」である。

 

この定義が、自分の中ではっきりと固まりました。

点で存在していた活動が、一本の線でつながり始め、「売るための発信」ではなく、「判断基準を渡すための発信」へと、自然に移行していきました。

 

特に、

 

「教育の前に、生き方がある」

 

という一文には、2025年の私の思想が、すべて凝縮されています。

 

 

変化②|AIとの関係性が変わった

二つ目の大きな変化は、AIとの関係性が根本から変わったことです。

 

AIを、効率化のためのツールとして使うのではなく、思考の伴走者として設計するようになりました。

 

・プロンプトは命令ではなく、対話

・大事なのは一発の精度ではなく、再現性

・思考が進む「型」と「STEP構造」をつくる

 

この考え方が定まったことで、

 

講座

note

インフォグラム

Xでの発信

 

すべてが、同じ設計思想のもとで統合され始めました。

 

 

変化③|発信のスタンスが定まった

三つ目は、発信のスタンスそのものの変化です。

 

煽らない正解を押しつけない静かに、しかし逃げない毎日の投稿は、集客のためではなく、「自分は何を大切にして生きている人間なのか」を、淡々と差し出す場になっていきました。

 

その姿勢が、思想に関心のある人、教育に向き合う人、AIに違和感を覚えている人たちに、少しずつ、しかし確実に届き始めています。

 

 

うまくいかなかったことも、確かにあった

X運用の初期には、仕様理解が追いつかず、意図せず発信の流れが止まる経験もしました。

 

また、やりたいことが多く、同時並行で負荷が高くなった時期や、考えすぎて一歩踏み出せなかった場面もあります。

ただ、今振り返ると、それらはすべて「挑戦していた証拠」でもありました。

 

 

2025年に積み上がったもの

そして今年、確かに積み上がったものがあります。

 

・思想と言語構造化する力

・再現可能な設計テンプレート

・「志を起点に整理する」という独自の立ち位置

 

これは一時的なスキルではありません。これから10年以上使い続けられる資産です。

 

 

2026年へ引き継ぐテーマ

来年に引き継ぐテーマは、明確です。

 

広げるより、深める

速くするより、整える

声を大きくするより、判断基準を渡す

 

2026年は、「志 × AI × 再現性」を、本当の意味で“人の役に立つ形”にしていくフェーズに入ります。

 

 

発信についての宣言(2026年)

2026年から、Xでの発信は2つに分けます。

 

問い・思考のための場所(mind)

https://x.com/michishiru_mind

 

迷わず進むための設計(ai)

https://x.com/michishiru_ai

 

私は、正解を増やす発信はしません。

その代わり、答えを押しつけず、選択肢と判断の戻り場所を示す発信を続けます。

腰を据えて向き合いたい方へは、noteで、思想と構造をまとめていきます。

https://note.com/right_murre5065

 

 

おわりに

2025年は、「何をするか」よりも、「どんな姿勢で生きるか」を決めた一年でした。

この一年の積み重ねを、次の一年へ。静かに、しかし確実につないでいきます。

 

今年も、ありがとうございました。来年も、よろしくお願いします。

【2025年NO254|日本教育100年の歴史シリーズ第5回】
おはようございます。けんいちです。

本日のテーマは「大正デモクラシーと教育──『国家』から『子ども』へ」です。

前回は、教育勅語を軸に、明治国家が「国民の精神的統合」をどのように築こうとしたのかを見てきました。
しかし、時代が明治から大正へと移ると、その強固だった統合のあり方に、少しずつ“揺らぎ”が生まれます。

今回は、教育の主役が「国家」から「子ども」へと移り始めた大正時代をたどっていきます。


まず、大正時代の教育を理解するうえで欠かせないのが、
「新教育運動」と呼ばれる動きです。

第一次世界大戦後、欧米では「子どもの個性」や「自発性」を重んじる新しい教育思想が広がりました。
その波は、日本にも静かに、しかし確実に届きます。

それまでの学校教育は、国家が定めた内容を、子どもに“注入する”色合いが強いものでした。
ところが大正期になると、

・子どもは受け身の存在ではない
・学びは、内側から湧き出るものである
・一人ひとりの違いを尊重すべきだ

といった考え方が、教育現場で語られ始めます。

この時代、既存の制度の枠を超え、子どもの自発性や芸術性、生活体験を重視する実験的な教育実践も各地で試みられました。

教育の視線が、「国家がどう育てるか」から「子どもがどう育つか」へと、確かに向き始めたのです。


同時に、大正時代は教育制度そのものが“量的に拡張”した時代でもありました。

小学校の就学率はすでに99%を超え、多くの子どもたちが「その先の学び」を望むようになります。
この社会的要請に応えるかたちで、大正6年(1917年)、政府は 臨時教育会議 を設置します。
その答申を受けて実現したのが、

・大学令
・高等学校令(いずれも大正7年)

でした。

これにより、それまで官立中心だった大学が、公立・私立にも開放されます。

大学の数は増え、学生の出自や進路も多様化していきました。
高等学校も、単なる「大学の予備機関」ではなく、高等普通教育を完成させる場として位置づけ直され、全国に拡充されていきます。

教育は、一部のエリートのためのものから、より多くの人が選択できるものへと広がっていったのです。

さらにこの時代は、
「学びの機会を、どこまで広げるのか」という問いが拡張された時代でもありました。

女子教育はその象徴です。
高等女学校への進学者が増え、女子専門学校も各地に設立されます。
女性が高等教育を受けることは、次第に特別なことではなくなっていきました。


また、大正12年(1923年)には、盲学校及び聾唖学校令が公布され、盲教育・聾教育が
初めて独立した学校制度として位置づけられます。

これは、「すべての子どもに教育を」という理念が、制度として形になり始めた瞬間でした。

加えて、
・図書館
・博物館
・青年団
・成人講座
など、学校の外での学び=社会教育も整い始めます。

学びは、「子どもの時期」や「学校の中」だけのものではなくなっていきました。

しかし、大正時代は自由と多様性だけの時代ではありません。

学生運動の高まりや、社会主義・マルクス主義思想の流入に対し、政府は次第に警戒を強めていきます。

学生課の設置や、思想調査・指導体制の整備は、自由の広がりと統制の再編が同時に進んでいたことを物語っています。

大正デモクラシーとは、単純な「自由化」ではなく、自由と国家のバランスを模索する、非常に繊細な過渡期だったのです。

ここで、大正期の教育を一つの比喩で表すなら、こんな姿が浮かびます。

それまで「同じ制服で整列すること」が当たり前だった学校に、少しずつ選択と拡張の余地が生まれ始めた時代でした。

国家のための教育から、一人ひとりの人生のための教育へ。
その芽が、確かに育ち始めていました。

今日のまとめです。

・大正時代、教育の主役は「国家」から「子ども」へと揺れ動いた
・新教育運動により、個性や自発性が重視され始めた
・大学令によって、高等教育の門戸が大きく開かれた
・女子教育、障害児教育、社会教育など、教育の裾野が広がった
・一方で、自由と統制は常に並走していた

次回は、この流れが再び大きく方向転換する昭和初期〜戦時下の教育へと進みます。

教育は、社会の空気を最も正直に映す鏡です。

今日の問いです。
あなたが受けてきた教育は、社会が求めた「理想の姿」を育てるものでしたか。
それとも、自分の人生を切り拓く力を育てるものでしたか。

その問いに向き合うことが、この100年の教育史を読み解く鍵になります。
その答えを考えること自体が、この連載の目的でもあります。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

【2025年 NO260】
おはようございます!けんいちです(^^)

火曜日シリーズ『新釈古事記伝』。
今日から新章、第2集第4章 「しらみとり」 に入ります。

「しらみ取り」と聞くと、どこか些細で、くだらない話のように感じるかもしれません。
けれど阿部國治先生は、この場面を人間として極めて重要な試験だと語ります。

今回は、その意味を一緒に味わっていきたいと思います。

一見、取るに足らない行為に見える理由
他人の頭のしらみを取る。
それは、とても地味で、目立たない行為です。


英雄的な戦いもなければ、派手な修行もありません。
しかし、よく考えてみると、他人の身体に触れるということは、非常に高度な行為でもあります。

相手が心を許していなければ、頭に手を伸ばすことすらできません。
この「距離」そのものが、すでに試験なのです。


親切心だけでは足りない
しらみ取りは、「優しい気持ちがあればできる」ものではありません。

善意だけで触れれば、相手を不快にしたり、傷つけたりすることもあります。
逆に、技術だけを持っていても足りません。

冷たい手つきや、上から目線の態度では、信頼は生まれません。

阿部先生は、ここで必要なのは三つだと示しています。

真心。確かな術。そして沈黙。
沈黙という、もっとも難しい技
特に難しいのが「沈黙」です。

人はつい、
教えたくなります。
褒めたくなります。
評価したくなります。

けれど、しらみ取りの場面では、語らないことが求められます。

口で説明しない。
自分の正しさを示さない。

ただ、相手の命に集中する。

沈黙は、技術がある人だけに許される態度であり、同時に、深い真心がなければ保てない姿勢なのです。

自分のしらみを取れているか
もう一つ、見逃せない条件があります。
自分のしらみを、きちんと取れているか。

自分の癖。
慢心。
未熟さ。

それらを放置したまま、人の世話をしようとすると、知らぬ間に相手を傷つけてしまいます。

教える立場に立つ人ほど、導こうとする人ほど、この問いから逃れることはできません。


「心に愛しく思ひて寝ましき」の深さ
古事記には、「心に愛しく思ひて寝ましき」という言葉が出てきます。

これは、口で褒めることでも、指示を出すことでもありません。
ただ、信じて任せ、安心して眠る。

そこには、積み重ねられた信頼があります。
 

人が安心して眠れるほどの信頼を得る。
それは、簡単なことではありません。
だからこそ、しらみ取りは「免許皆伝」の試験なのです。

学問技術の本当の完成
学問や技術は、身につけた時点で終わりではありません。

それを、命を生かすために使えるかどうか。
相手が、安心して身を委ねられるかどうか。

そこまで届いて、初めて完成と呼べるのだと思います。

古事記は、そのことを静かに、しかし厳しく教えています。

今日の小さな行動提案
今日は、こんな問いをそっと自分に向けてみてください。

「いまの自分は、誰かに触れる資格はあるだろうか。」

すぐに答えが出なくても構いません。
問い続ける姿勢そのものが、しらみ取りの修行です。

今日も小さな一歩を大切に。
その一歩が未来をつなぐ力になります✨

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【2025年NO259】
おはようございます。賢一です。
本日のテーマは「大和心に学ぶ──日本人の生き方を取り戻す(最終回)」です。

ここまで9回にわたり、「大和心」という言葉を手がかりに、日本人が長い時間をかけて育んできた心のあり方、生き方を辿ってきました。

それは、声高な主張でも、誰かを説き伏せるための正しさでもありません。

静かに、しかし確かに、一人ひとりの内側に根を張る判断の基準でした。

■ 大和心とは、何だったのか
大和心とは、「日本人らしさ」を誇示するための言葉ではありません。

本居宣長が示したように、それは、外から与えられた理屈ではなく、目の前の出来事に心が自然に動く感受性でした。

美しいものを、美しいと感じる。
悲しみに触れれば、言葉より先に胸が痛む。
誰かのために、理由を探さず手が動く。

そこにあるのは、「正解だからそうする」という思考ではありません。

どうあるべきかを、内なる基準として引き受け、行動に移す姿勢。
それこそが、大和心の核でした。

■ 世界が信頼してきた「行動の質」
エルトゥールル号の救助。
テヘランからの脱出支援。
ナボイ劇場を築いた日本人捕虜たち。

どの物語にも共通しているのは、外から命じられた行動ではなく、自分たちの内なる基準に従った振る舞いでした。

見られているからやる。
評価されるからやる。
そうではない。

見ていなくても、誰にも知られなくても、それでもなお、誠実に自分が為すべきことを為す。

この行動の積み重ねこそが、国境や宗教を越えて、日本人への信頼を形づくってきたのだと思います。

■ いま、なぜ大和心なのか
現代は、情報も正解も、あふれています。

AIに聞けば、最適解はすぐに出てくる。だからこそ、人は迷います。

「自分で決めた」という感覚を持ちにくくなっているからです。

そんな時代に必要なのは、新しい答えではありません。

判断の軸を、自分の内に持つこと。
誰かの指示でも、空気でもなく、自分が引き受けた基準で生きること。

それは、大きな理想を掲げることではなく、今日の一つの選択を、誠実に引き受けることから始まります。

■ 大和心は、今も日常にある
「はい」と素直に応じる心。
「すみません」と振り返る心。
「おかげさま」と感謝する心。
「私がします」と引き受ける心。
「ありがとう」と伝える心。

特別な修行は要りません。
私たちはすでに、日常の中で大和心に触れています。

ただ、忘れていただけなのです。

■ 最後に
私はいつも、こう自分に問いかけています。

「私のような人間が増えたとき、
この社会は、よくなるだろうか。」

この問いを、誰かに向ける必要はありません。

自分に向けて、静かに問い続ける。
その姿勢そのものが、大和心の現れなのだと思います。

このシリーズが、あなた自身の内なる基準をそっと確かめるきっかけになっていたなら、これ以上の喜びはありません。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
また、次のテーマでお会いしましょう。