NO268【教育100年史⑥】
おはようございます。けんいちです。
本日のテーマは「昭和初期から戦時下へ──教育は何を守ろうとしたのか」です。
前回は、大正デモクラシーのもとで「子どもの個性」や「学びの多様性」が広がった時代を見てきました。
しかし、昭和に入ると、社会の空気は一変します。
不況、国際緊張、戦争。
その中で、教育は再び大きな役割を背負わされていくことになります。
昭和初期から戦時下にかけての教育は、単なる「軍国主義化」という言葉では片づけられない、葛藤と転換の連続でした。
まず見ておきたいのは、この時代の教育が「突然変わった」わけではない、という点です。
昭和初期、学校制度そのものは、大正期に整えられた枠組みを引き継いでいました。
小学校
中等教育
高等教育
その構造自体は維持されたまま、
教育の“意味づけ”だけが、静かに変えられていったのです。
キーワードは「個人の成長」から「国家への奉仕」へ。
この転換は、まず教育内容に現れます。
修身の比重はさらに高まり、歴史や国語では、国家への忠誠や献身が強調されるようになります。
ただし、ここで大切なのは、当時の教育者や家庭の多くが「戦争を教えたかった」わけではない、という事実です。
不安定な時代の中で、
・秩序を守ること
・共同体を崩さないこと
・生き抜く力を持たせること
そうした切実な願いが、国家の論理と重なっていった側面もありました。
やがて戦時体制が強まると、教育は「非常時の教育」へと移行します。
学校生活は、次第に
・勤労動員
・軍事教練
・集団行動の徹底
といった色合いを帯びていきます。
ここで、教育は二つの役割を同時に背負います。
一つは、国を支える人材を育てること。
もう一つは、混乱の中で、子どもたちの生活と心を保つこと。
教室は、思想を注入する場であると同時に、日常を守る最後の拠り所でもありました。
昭和初期から戦時下の教育を振り返るとき、私たちはつい、結果だけを見てしまいがちです。
しかし、そこに至るまでには、無数の迷いと選択がありました。
「正しい教育とは何か」
「子どもを守るとはどういうことか」
その問いに、当時の人々もまた、答えを探し続けていたのです。
今日のまとめです。
昭和初期の教育は、突然戦争一色になったわけではない。
社会不安の中で、教育の目的が少しずつ「個人」から「国家」へと傾いていった。
そして戦時下、教育は統制の装置であると同時に、子どもたちの生活を支える場でもあった。
ここに、教育の難しさと重さがあります。
今日の問いです。
あなたが教育に求めているのは、「社会を支える力」でしょうか。
それとも「どんな時代でも自分を失わない力」でしょうか。
この問いは、過去のものではありません。
非常時を経験した昭和の教育は、今を生きる私たちにも、静かに問いかけています。
次回は、戦後、教育は何を手放し、何を取り戻そうとしたのか。
大きな断絶と再出発の時代を見ていきます。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。