【NO290】火曜日シリーズ『新釈古事記伝』第22回

 

おはようございます。

けんいちです。本日のテーマ「荒ぶる力は、敵なのか」です。



前回は、大国主命の歩みを通して、「命の喜びに立つ」という在り方を見つめました。
自分という存在を肯定し、そのまま前へ進もうとする姿勢です。



では、その地点に立ったとき、私たちは何に出会うのでしょうか。



整えられた世界でしょうか。
穏やかで、何も起きない安定でしょうか。



神話は、そうは語りません。



ここで姿を現すのが、須佐之男命です。



泣き叫び、天を騒がせ、秩序を乱し、ついには追放される。
『古事記』の中で、彼は「荒ぶる神」として描かれます。



一見すれば、問題を起こす存在です。
しかし、この姿をただの「悪」として片づけてしまうと、物語の核心を見失います。



荒ぶる力とは、何を象徴しているのでしょうか。




それは、人の内にある衝動です。
抑えきれない感情。
理屈では割り切れない生命のうねり。



社会には秩序が必要です。
集団には調和が求められます。



けれど、その前に問われているのは、
荒ぶる力をどう扱うのか、ということです。



抑え込むのか。
切り捨てるのか。
排除するのか。



神話の答えは、そのどれでもありません。



須佐之男命は追放されます。
けれど、物語から消えるわけではありません。



彼はやがて八岐大蛇を退け、新しい秩序を生み出します。



ここに、大きな転換があります。



荒ぶる力は、否定すべきものではなく、創造へと転じうる力として描かれているのです。



私たちの中にも、須佐之男命はいます。

怒り。
焦り。
嫉妬。
衝動。

それらを「なかったこと」にすると、形を変えて噴き出します。
しかし、野放しにすれば、自分や周囲を傷つけます。



大切なのは、その奥にあるエネルギーを見つめ、
どの方向に使うかを選ぶことです。



破壊の奥に、再生の芽がある。
壊れるからこそ、新しい形が生まれる。



荒ぶる力を恐れず、しかし振り回されもせず、創造へと転じていく。
そこに、神話の静かな知恵があります。



国づくりも、人生も、
調和だけでは成り立ちません。



秩序と衝動。
静と動。
破壊と再生。



両方を抱えたとき、はじめて統合が起こります。



あなたの中の荒ぶる力は、いまどこに向かっていますか。



今日はほんの少し、自分の感情の奥にある「エネルギー」を見つめてみてください。
それは敵ではなく、まだ使われていない力かもしれません。



次回は、八岐大蛇の物語を通して、「恐れ」とどう向き合うかを考えていきます。

【2025年NO289|日本教育100年の歴史シリーズ第13回】
おはようございます。けんいちです。
本日のテーマは「学校はゴールではなかった──1971年答申が示した“生涯学習”の転換」です。


前回は、大学紛争という大きな揺らぎを通して、「学べば報われる」という前提が崩れた時代を見てきました。


その混乱の中で、教育は根本的な問いに直面します。


――教育とは、学校で完結するものなのか。



1960年代後半、日本は高度経済成長のただ中にありました。
高校進学率は急上昇し、大学は「エリートの場」から「大衆の場」へと変化します。



しかし量の拡大は、質の混乱も生みました。
大学紛争は、「制度が拡張しただけで、理念が追いついていない」ことを露呈させたのです。



この危機を受けて、1971年、中央教育審議会は有名な「46答申」を発表します。



そこで示されたのが、「生涯教育」という考え方でした。



それまでの教育は、「子どもが学校で学び、卒業すれば社会へ出る」という一本道の設計でした。



しかし答申は、こう転換します。


教育は、学校で終わるものではない。
人は一生を通して学び続ける存在である。


これは、制度の拡張ではなく、教育観そのものの転換でした。


幼児教育から高齢者教育までを視野に入れ、学校教育・社会教育・家庭教育を統合的に捉える。



つまり、「教育=若者の準備期間」という発想を手放し、「教育=人生そのもの」と再定義したのです。



この背景には、二つの現実がありました。



第一に、技術革新の加速です。
知識は一度学べば一生使えるものではなくなりました。



第二に、価値観の多様化です。
人生の成功モデルが一つではなくなり、学び直しが必要になったのです。



1971年答申は、戦後民主主義の延長線上でありながら、「個人の自律」をさらに一段進めた提案でした。



国家のための教育でもなく、経済成長のためだけの教育でもない。



自ら学び、自ら更新し続ける力を育てる。



それが「生涯学習」という思想の核心です。



ここで考えたいのは、私たちは本当に“学び続けているか”という問いです。



学校を出た瞬間に学びを止めていないか。
資格や肩書きで学びを固定していないか。



生涯学習とは、制度の話ではなく、姿勢の話です。



戦前は国家の軸、
戦後は民主主義の軸、
高度成長期は経済の軸。



そして1971年、教育は「人生」という軸に置き直されました。



この転換は、今のリカレント教育や社会人大学院、オンライン学習の原点でもあります。



次回は、この「生涯学習」という理念が、その後どのように現実とすれ違い、そして再び問い直されていくのかを見ていきます。



今日の問いです。


あなたにとって学びは、「若い頃の準備期間」でしょうか。
それとも「一生続く営み」でしょうか。


その答えが、これからの教育を考える出発点になります。

 

【NO288】火曜日シリーズ『新釈古事記伝』第21回――命の喜びから、国づくりへ
おはようございます。賢一です。

本日はのテーマは「命の喜びから、国づくりへ」です。




ヒキガエルとの対話を通して、大国主命は一つの確信に立たれました。



それは、「生きる喜びは、条件が整った後に生まれるのではない」という気づきです。


役に立つかどうか。
強いかどうか。
美しいかどうか。


そうした評価とは関係なく、ただ「生きている」という事実そのものに、すでに喜びがある。




この気づきが、大国主命にとって大きな転換点となりました。



しかし、物語はここで終わりません。



命の喜びに立った者は、その喜びを自分の内面で完結させるのではなく、他者とどのように分かち合うかという問いに向かいます。

 



ここから「国づくり」が始まります。



ここでいう国づくりとは、制度を整えることや、力で支配することではありません。



それぞれの命の喜びが、互いに押しつぶされることなく、生き生きと働ける場を整えることです。



大国主命の歩みは、個人の修行から、社会全体の調和へと進んでいきます。



かつて袋を背負い、夜這いに出向いた若者は、(※ここでの「夜這い」は、未熟さと衝動性を象徴する比喩です)いまや他者の命を尊びながら、全体を整える立場へと立ち始めています。



重要なのは、大国主命が突然強くなったわけではない、という点です。



弱さを知り、
理不尽を受け、
排除を経験し、
対話を重ね、
共に立ち、
命の喜びに目覚めた。



その積み重ねの先に、国づくりがあります。


だからこそ、この物語は単なる神話ではありません。


人がどのように成長し、どのように社会と関わるのかを示す、一つの思想的な設計図でもあります。



第四集では、さらに大きな流れの中で、


・力とは何か
・秩序とは何か
・破壊と再生はどのような意味を持つのか


という問いを、より深く掘り下げていきます。



命の喜びに立った者は、その後、どのように世界の力と向き合うのか。
物語は、ここから思想の次の段階へと入ります。

次回は須佐之男命の段に入り、「荒ぶる力」をどのように受け止め、どのように統合していくのかを考えていきます。

【2025年NO287|日本教育100年の歴史シリーズ⑫】

おはようございます。けんいちです。  
本日のテーマは  「大学紛争は、なぜ起きたのか  ―『学べば報われる』という前提が揺らいだ時代―」です。



高度経済成長期、日本では「勉強して、良い学校に入り、大学を出れば、将来は安泰だ」という感覚が広く共有されていました。  
高校進学率は急上昇し、大学も次々と拡張されます。  
教育は、努力すれば報われる“成功の道”として信じられていたのです。



しかし、その前提は、いつの間にか静かに揺らぎ始めていました。



学生数の急増により、大学は大教室での一方向的な講義が中心となり、学生一人ひとりと向き合う余裕を失っていきます。  
「学ぶ場」であるはずの大学が、「とりあえず在籍する場所」「社会に出るまでの待機所」のような性格を帯び始めました。



1960年代後半、全国で起きた大学紛争は、しばしば暴力的な対立や混乱として語られます。  
しかし本質は、単なる反抗や政治闘争ではありません。



それは、  
「自分たちは、何のためにここで学んでいるのか」  
「大学は、誰のための場所なのか」  
という、教育そのものへの問いでした。



学べば報われると信じて進学したにもかかわらず、  
学んでいる実感が持てない。  

将来につながる手応えも見えない。  
その違和感が、噴き出した形だったのです。


国や社会もまた、この事態に直面して考えざるを得ませんでした。  
問題を力で抑え込めば解決するのか。  
それとも、教育のあり方そのものを見直すべきなのか。



ここで初めて、教育は若者だけのものではなく、「人生全体とどう結びつくのか」という視点が浮かび上がってきます。  
学びは、学校を出たら終わるものなのか。  
それとも、生き方とともに続くものなのか。



大学紛争は、教育の失敗ではありません。  
むしろ、教育が社会の中心にまで拡大した結果として現れた、重要な警告だったと言えるでしょう。



学歴や制度は整った。  
けれど、学ぶ意味が置き去りにされていないか。  
この問いが、次の時代を動かしていきます。



今日の問いです。  
あなたはこれまで、  「学べば報われる」という前提を疑ったことがありましたか。  
もし今、学び直すとしたら、  それは“必要だから”でしょうか。  
それとも、“意味を取り戻すため”でしょうか。



この問いに応える形で、1971年、  国は「教育は一生続くものだ」という新しい構想を打ち出します。  
次回は、その大きな転換点をたどっていきます。

 

【NO286|火曜日シリーズ『新釈古事記伝』第20回 】

おはようございます。けんいちです。

前回は、ヒキガエルとの対話を手がかりに、「生きる喜びを、どこから始めるのか」という問いを投げかけました。
今回は、その続きを味わっていきたいと思います。


ヒキガエルは、力も美しさも、人の役に立つ技も持たない存在として描かれています。

 

 

 

多くの場合、避けられ、踏み越えられ、見向きもされない存在です。




ところが、大国主命は、そのヒキガエルと向き合い、根気よく話を交わします。
教えを請うわけでもなく、命令をするわけでもなく、ただ同じ場所に立ち続けるのです。




ここで語られているのは、「役に立つかどうか」「意味があるかどうか」といった基準ではありません。



生きる喜びは、価値のあるものから始まるのではなく、すでに生きているところから始まる。
そのことが、この静かな対話の中で示されているように思います。



人はつい、何かを成し遂げてから、認められてから、役に立ってから、ようやく生きていてよいのだと考えてしまいます。




しかし、ヒキガエルは何も証明しません。
ただ、そこに生きています。

 

 


その事実そのものが、すでに出発点なのです。



大国主命がヒキガエルから学び取ったのは、生きることに理由を与える知恵ではなく、理由を必要としない命の確かさだったのでしょう。



ヘミ払い、しらみ取りといった場面も、同じ流れの中にあります。
嫌われ、避けられがちなものに触れ、それでも排除せず、共に在ることを選ぶ。



それは、「正しさ」や「清さ」を守る行為ではなく、命を命として引き受ける姿勢です。



少彦名神と歩みながら、大国主命は、力を誇る神でも、秩序を押しつける神でもなく、命の小さな場所へと降りていきます。



そこには、自分を大きく見せようとする心も、人の上に立とうとする欲もありません。
ただ、生きる喜びがどこから始まるのかを、身をもって確かめているように見えます。



生きる喜びは、整った場所から始まるのではありません。
完成された人から始まるのでもありません。



むしろ、不完全で、見捨てられやすく、声の小さなところから、静かに始まっていく。



ヒキガエルとの対話は、そのことを私たちに思い出させます。




生きるとは、何かになることではなく、すでに生きているものとして、ここに在ることを許すこと。



大国主命の歩みは、その原点へ、私たちをそっと連れ戻してくれるのです。



この先、物語はさらに大きなうねりへと進んでいきます。
秩序が揺らぎ、世界が壊れ、新しい力が現れる場面へと向かいます。



けれども、その前に確かめておかなければならないのは、生きる喜びの始まりが、どこにあったのかということです。



ヒキガエルのいる場所。
それが、すべての出発点だったのです。

 

【NO286|上杉鷹山シリーズ 第8回(最終回)】

おはようございます。けんいちです。
本日のテーマは、改革は、何が残ったとき成功と言えるのか──人が去った後に続くもの
です。


上杉鷹山の改革は、

 


名君の英断
奇跡的な立て直し

 

 

として語られることが多いかもしれません。



しかし、彼自身が本当に向き合っていた問いは、もっと内省的で、より本質的な問いでした。



それは、
自分がいなくなったあと、この改革は続くのかという問いです。



改革は、始めることよりも、続けることのほうが難しい。



成果が出ている間は、人は動きます。
評価されている間は、協力も集まります。



しかし、状況が変わり、人が替わり、日常の忙しさに追われるようになると、改革は簡単に後回しにされていきます。



鷹山は、その現実をよく理解していました。



だから彼は、自分が判断し続けることを、成功だとは考えなかった。



むしろ、自分が判断しなくても進む状態こそを目指していました。



彼が残そうとしたのは、優れた制度だけではありません。
立派な方針や、美しい理念だけでもありません。



鷹山が本当に残したかったのは、判断の仕方でした。



何のために考えるのか。
迷ったとき、どこに戻るのか。
誰のために決めるのか。



この基準が人の中に残っていれば、改革は形を変えながらも続いていきます。



反対に、どれほど制度を整えても、判断が特定の人に依存したままなら、その人が去った瞬間に、すべては止まります。



改革が失敗する理由は、能力不足でも、努力不足でもありません。



多くの場合、引き受ける人がいなくなった。
それだけです。



続く組織には、必ず一つの共通点があります。



それは、これは自分の役割だと、静かに判断を引き受ける人が、複数いること。



そして、その判断が、個人の気合や善意ではなく、基準として共有されていることです。



改革が文化になるとは、特別なイベントが起きることではありません。



判断が、その人のものからその場のものへと移ったとき。



その瞬間から、改革は音もなく、しかし確実に続き始めます。



上杉鷹山が残した最大の遺産は、成功した改革そのものではありません。



人が入れ替わっても、判断が残る設計。
それでした。



では、今日のあなたの現場ではどうでしょうか。
あなたが不在でも回る判断は、いくつあるでしょうか。



逆に、あなたが抱え続けている判断は、本来、どこでなされるべきものなのでしょうか。



改革とは、自分が頑張り続けることではなく、自分がいなくても大丈夫な状態をつくること。



鷹山の問いは、時代を超えて、今の私たちの組織にも向けられています。



ここまで、上杉鷹山シリーズを読んでくださり、ありがとうございました。



よければ、フォローやいいねで応援してください。
また次のシリーズで、考えるための材料を一緒に掘り下げていけたら嬉しいです。

【2025年NO285|日本教育100年の歴史シリーズ10】
おはようございます。けんいちです。
本日のテーマは「高度経済成長と教育──“金の卵”は、どう育てられたのか」です。



前回は、戦後日本が民主主義を受け入れたあと、自由と基礎のバランスを取り直していく教育の姿を見てきました。



今回はそこからさらに時代が進み日本が「成長する国」へと舵を切った1960年代の教育をたどります。



高度経済成長期、日本の社会は大きく姿を変えました。
工場が立ち並び、都市が膨張し、「働き手」がこれまでになく必要とされた時代です。



このとき、教育に求められた役割もはっきりしていました。
それは、国を支える人材を大量に、かつ早く育てることでした。



■ 高校進学率の急上昇と「大衆化」
戦後まもなくまで、高校は一部の人の進路でした。
しかし1960年代に入ると状況は一変します。



1971年には、高校進学率が85%を超えます。
高校は「選ばれた人の場所」から、「ほとんど全員が通る場所」へと変わっていきました。



これは単なる進学ブームではありません。
産業社会が求める最低限の学力や規律を、国民全体で共有するための大きな転換でした。



■ 「金の卵」と呼ばれた若者たち
中学卒業後、集団就職で都市へ向かった若者たちは、「金の卵」と呼ばれました。


地方から都市へ、家庭から企業へ、学校から職場へ。



教育は、この移動を前提に組み立てられていきます。


読み書き計算
時間を守る
集団で行動する
指示を正確に理解する


それは、工場や企業で働くために必要な力でした。



■ 高専の誕生というもう一つの選択肢
この時代、もう一つ注目すべき動きがあります。
それが高等専門学校の誕生です。



中学卒業後から5年間、一貫して専門技術を学ぶ仕組みは、即戦力となる技術者を育てるために生まれました。



大学とは違うルートで、社会を支える専門人材を育てる。



ここにも、教育が経済と強く結びついていたことが表れています。



■ 教育が「役割」を背負いすぎた時代
高度経済成長期の教育は、日本を豊かにするために大きな力を発揮しました。



一方で、教育に「経済を支える役割」が強く求められすぎた時代でもあったと言えます。



何のために学ぶのか
どんな人生を生きたいのか



こうした問いは、後回しにされやすくなっていきました。



■ 今日のまとめ
高度経済成長期、教育は国を支える人材を育てる装置として機能した
高校進学の大衆化と産業教育の拡充が進んだ


その成功の裏で、個人の問いや迷いは見えにくくなっていった


■ 今日の問い
あなたが受けてきた教育は、社会の役割に応えることをどれほど求められていたでしょうか。
そして、自分自身の人生について考える時間はどれくらい与えられていたでしょうか。



次回は、教育が大きく広がったことで生じた「ひずみ」と「問い直し」に目を向けます。

高度成長の先で、
教育は何につまずき、
何を見失い始めたのか。

次回も一緒に、
日本の教育の歩みをたどっていきましょう。

 

【NO284|火曜日シリーズ『新釈古事記伝』第19回】
おはようございます。けんいちです。



火曜日シリーズ『新釈古事記伝』。
今日から、新しい段階に入ります。


今回から扱うのは、少彦名神(すくなひこなのかみ/宿儺様)と大国主命の歩みです。



ここは、古事記の中でも「人としての修行が、はっきりと次の段階へ進む場面」だと感じています。



これまでの物語では、
自分と他人を分け、
理屈や学問や技術によって関係を整え、
協調を保つところまでが描かれてきました。



それは決して間違いではありません。
むしろ、人として生きるために必要な、大切な段階です。



けれども、
少彦名神が登場するこのあたりから、
古事記は、もう一歩深いところを示し始めます。



それは、
自分と他人を分けたまま「うまくやる」段階から、
その区別そのものを越えていく修行です。



理屈で納得する。
正しさで整理する。
役割を分担する。



それらは、これまで私たちが「成熟した大人の在り方」だと思ってきたものかもしれません。



しかし、少彦名神の示す道は、そこに留まらないのです。



合理や権力による秩序ではなく、
目立たないけれど確かなかたちで、
命そのものに近づこうとする姿が現れてきます。



自分と他人。
強い者と弱い者。
役に立つものと、そうでないもの。



そうした区別を必要なものとして経験した上で、なお、その向こう側へ進もうとする心。



それが、少彦名神と共に歩む修行の入口なのだと思います。



ここで大切なのは、「今までの努力を否定しない」ということです。



学問も、技術も、経験も、すべて必要だった。



ただ、それだけでは命の全体には届かない段階が来る。



そんな静かな合図が、この場面には込められているように感じます。



この先、大国主命は、
人ではない存在とも向き合い、
名も力も求めない働きに身を置き、
生きる喜びそのものを出発点にしていきます。



次回は、ヒキガエルとの対話を通して見えてくる「生きる喜びを、どこに見出すのか」というテーマを味わっていきます。



今日の小さな問いを、一つ置いて終わります。



あなたは今、「正しくあろう」としているでしょうか。
それとも、「共に生きよう」としているでしょうか。


その違いに気づくところから、次の段階の修行は始まるのかもしれません。


今日も、焦らず、無理をせず、今できる一歩を。


あなたの歩みを、心から応援しています。

 

【2025年 No.283|上杉鷹山シリーズ 第7回】


おはようございます。けんいちです。
本日のテーマは、「判断を、どこに戻すのか──改革が文化になる瞬間」です。


改革が「一時的な成功」で終わるか、それとも「文化」として根づくか。
その分かれ目は、実はとても明確です。



それは、判断が、誰の手に置かれているかです。



どれほど良い制度を整えても、どれほど正しい方針を掲げても、判断が特定の人に集中したままでは、改革は続きません。



人が替われば止まる。
忙しくなれば後回しになる。
やがて、元に戻る。



これは意志の弱さではありません。
構造の問題です。



上杉鷹山 が目指したのは、「自分がいなくなっても続く改革」でした。



そのために彼が選んだのは、判断を抱え続けることではなく、判断を“元の場所”へ戻していくことです。



では、その「元の場所」とは、どこでしょうか。




それは、役職の上でもなく、制度そのものでもなく、声の大きい人のところでもありません。




判断は本来、現場と未来のあいだに置かれるべきものです。



現場を知っている人が考え、未来の基準に照らして決める。



この往復があってはじめて、判断は「その場しのぎ」にならずに済みます。



鷹山は、判断を任せるとき、決して丸投げはしませんでした。



・何のための判断か
・どこまで考えればよいのか
・迷ったとき、何に立ち返るのか



これらの基準を先に示し、枠を整えたうえで任せる。



だから、判断が育つ。
だから、改革が続く。



現代の組織で改革が止まるとき、多くの場合、次のような状態が起きています。



・毎回、上司の確認が必要
・最終判断は、いつも同じ人
・現場は考えなくなり
・上は忙しくなり
・組織は重くなる



これは、誰かが悪いのではありません。
判断の置き場所が、ずれているだけです。



ここで、今日の問いです。



あなたの現場で、本来は「現場で考えてよいはずの判断」が、まだ上に置かれたままになっていないでしょうか。
そして、その判断を元の場所に戻すために、先に共有すべき基準は何でしょうか。



改革が文化になるとは、特別な出来事が起きることではありません。



判断が、「その人のもの」ではなく、「その場のもの」になったとき。



その瞬間から、改革は静かに、しかし確実に、続き始めます。



次回はいよいよ最終回です。
「改革は、何が残ったとき成功と言えるのか」この問いを、上杉鷹山の生涯からあらためて考えてみたいと思います。
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【NO282|日本教育100年の歴史シリーズ⑨】
おはようございます。けんいちです。
本日のテーマは「独立後、日本の教育は何を取り戻そうとしたのか」です。



戦後、日本は連合国の占領下で、急速な教育改革を経験しました。

 


民主主義、個人の尊重、自由と主体性。

 


それらは、戦前の反省の上に導入された、まったく新しい価値観でした。



しかし1952年、サンフランシスコ平和条約の発効によって、日本は主権を回復します。
ここから教育は、「占領下の改革」をそのまま続けるのか、それとも「日本としての教育」を再構築するのかという、次の段階に入っていきました。



この時代の教育改革は、戦前への回帰でも、戦後改革の全面否定でもありません。
問い直されたのは、民主主義を受け入れたうえで、日本の教育はどこへ向かうのか、という点でした。



まず大きな転換点となったのが、学習指導要領です。
戦後すぐに作られた学習指導要領は、「試案」と位置づけられ、教師の創意工夫や経験学習を重視する、柔軟なものでした。



しかし1958年、学習指導要領は全面改訂され、官報に告示されることで、全国共通の基準としての性格を明確にします。
教育内容を一定水準に保ち、全国どこでも同じ質の教育を受けられるようにする。
そこには、教育の安定と信頼を取り戻そうとする意図がありました。



同じ年、小学校と中学校で「道徳の時間」が特設されます。
戦前の修身教育とは異なり、特定の価値観を一方的に教え込むものではなく、人としてどう生きるかを考える時間として位置づけられました。



戦後、社会科の中に含まれていた道徳的内容をあえて切り分けたのは、民主主義の中でも、人間としての土台を育てる必要があると考えられたからです。



またこの時期、基礎学力の重視もはっきりと打ち出されます。
経験や話し合いを重んじる教育だけでは、読み・書き・計算といった力が十分に身につかないという反省がありました。



自由な学びを支えるためには、まず確かな基礎が必要である。
そうした考え方が、教育現場に戻ってきたのです。




ここで大切なのは、戦前教育の問題が、日本人の倫理や道徳そのものにあったわけではない、という点です。


日本人の勤勉さや公共心は、むしろ誇るべき強い根として存在していました。
しかしその根を問い直し、自分の頭で考え続ける力を育てることが、十分ではなかった。



戦後の教育は、その反省を踏まえながら、自由と規律、主体性と基礎、その両立を模索していった時代だったと言えるでしょう。



あなたが受けてきた教育を思い出してみてください。

 


自由に発言することを大切にしていましたか。
それとも、土台を整えることを重んじていましたか。


おそらく、多くの人はその両方を行き来してきたのではないでしょうか。



そして、この問いは次の時代へと引き継がれていきます。
日本社会は高度経済成長へと向かい、教育には、国家と産業を支える大量の人材育成という役割が強く求められるようになります。


 

次回、第10回では、「金の卵」と呼ばれた若者たちが生まれた時代に、
教育がどのように変化していったのかを見ていきます。