【NO318|日本教育100年の歴史シリーズ第27回】
おはようございます。けんいちです。
本日のテーマは「教育に、本当に必要なものは何か」です。
前回は、本来「より良く生きるため」の教育だったものが、いつの間にか「評価されるため」の教育になりやすくなっていることを見てきました。
では、その流れの中で、これからの教育に本当に必要なものは何なのでしょうか。
知識でしょうか。
評価でしょうか。
競争でしょうか。
もちろん、それらがまったく不要だとは思いません。
基礎を学ぶことと、考える力を育てることは対立しません。
しかし、それだけでは足りません。
結論から言えば、これからの教育に本当に必要なのは、「自分で考え、選び、行動する軸」です。
なぜなら、これからの時代は、正解を覚えるだけでは対応できないからです。
AIの進化によって、知識を得ること自体の価値は変わりつつあります。
検索すれば情報は見つかる。AIに聞けば答えらしきものは返ってくる。
しかし、AIは答えを整理することはできても、人生の問いを代わりに決めてはくれません。
何を信じるのか。
何を選ぶのか。
どう生きるのか。
ここは、人間自身が決めるしかありません。
だからこそ問われるのは、情報の量ではなく、その情報をどう使うかです。
これは、日本教育100年の流れともつながっています。
国家を支える教育。
民主主義を支える教育。
経済成長を支える教育。
それぞれの時代には、その時代なりの「必要な力」がありました。
しかし今は、変化そのものが前提の時代です。
つまり、一つの正解を覚える力よりも、変化の中で問い続ける力が必要になります。
ここで重要なのは、「自由にさせること」と「主体性を育てること」は違うということです。
ただ放っておけば、主体性が育つわけではありません。
考える問いがあること。
対話できる環境があること。
挑戦できる場があること。
こうした設計があって、初めて主体性は育ちます。
前回まで見てきた内容とも重なります。
志。
環境。
意味。
これらがそろったとき、人は自分で動き始めます。
逆に、答えだけを与え続けると、「指示待ち」の状態になりやすくなります。
学校教育で育まれた思考の癖は、大人になってからの働き方にも表れます。
言われたことはできる。
でも、自分で考えて動けない。
そんな状態は、教育の結果とも言えるかもしれません。
だからこれから必要なのは、「正解を教える教育」から、「問いを持てる教育」への転換です。
何が正しいのか。
なぜそう考えるのか。
自分ならどうするのか。
この問いを持てる人は、変化の時代でも、自分の軸で動けます。
教育とは、知識を渡すことではありません。
人生のハンドルを、自分で握れるようにすることです。
AI時代だからこそ、この力はますます重要になります。
最後に、本日の問いです。
あなたは今、正解を探していますか。
それとも、自分の問いを持てていますか。