【NO335|新釈古事記伝 第43回・最終回】

おはようございます。けんいちです。
## ■ 今日で、この連載はいったん完結します
2025年9月から続けてきた「新釈古事記伝」シリーズも、今回で第43回を迎えました。
目の前の一回、一回を書いているときには、これほど長く続くとは思っていませんでした。
けれど、一歩ずつ歩んできた道を振り返ると、
「ずいぶん遠くまで来たな」
と感じます。
長く続けてきた仕事。
子どもが生まれた頃から積み重ねてきた家族との時間。
毎日の読書や運動。
その最中には大きな変化を感じなくても、振り返ったとき、確かに自分をつくってきた道が見えることがあります。
この連載も、私にとって、そのような歩みの一つになりました。
そして今日、この「新釈古事記伝」を、いったん完結することにしました。
## ■ なぜ、今回を一つの区切りにするのか
私が学んできた『新釈古事記伝』は、第7集『八俣遠呂智』まで刊行されています。
この連載でも、その範囲に関係する物語までを、一つひとつ考えてきました。
もちろん、古事記そのものの物語が、ここですべて終わるわけではありません。
古事記には、まだ多くの物語が残されています。
けれど、私が『新釈古事記伝』を通して歩んできた今回までの範囲を、一つの区切りにしたいと考えました。
そのため、今回をもって、この連載をいったん完結します。
ただし、古事記から学ぶこと自体を終えるわけではありません。
ここまで受け取ってきたものを、これからの日常の中で生かしていく。
その新しい歩みが、ここから始まるのだと思っています。
## ■ 私が古事記から学んだこと
古事記を学ぶ中で、私が受け取ったものは、昔の神々についての知識だけではありませんでした。
日本人として、どのように物事を見て、どのように考え、どのように行動するのか。
その基本となる考え方を、数多く学びました。
中でも、特に心に残っているのが、
「かちさび」
と
「なきいさち」
という考え方です。
かちさびとは、前進や進化発展につながる衝突。
なきいさちとは、秩序や関係の崩壊につながる衝突です。
人と意見がぶつかると、私たちはつい、
「どちらが正しいのか」
「どちらが勝ったのか」
と考えてしまいます。
けれど、本当に見るべきものは、勝ち負けだけではありません。
その衝突が、新しいものを生み出すためのものなのか。
それとも、相手を否定し、関係や全体を壊すものになっているのか。
この見極めが大切なのだと学びました。
衝突をなくすことが大切なのではありません。
衝突を、何のために起こし、どこへ向かわせるのか。
そこに、人の生き方が表れるのだと思います。
## ■ 人に評価されなくても、自分の軸で進む
古事記は、これまで私が読んできたどの書物よりも、自分の感覚や生き方にしっくりと合うものでした。
特に、物事の考え方に大きな影響を受けました。
何か新しいことを始めようとするとき。
これまでのやり方を変えようとするとき。
自分では必要だと思っていても、周囲からすぐに理解されたり、評価されたりするとは限りません。
そのようなとき、
「人に評価されないのであれば、やめた方がよいのだろうか」
「今までと違うことをする自分が、間違っているのだろうか」
と迷うことがあります。
私自身も、そうした迷いを感じることがありました。
けれど古事記を学ぶ中で、人から評価されるかどうかだけで、自分の行動を決める必要はないのだと思えるようになりました。
進化発展のために必要だと考えたことを、自分の責任で実践していく。
そのような生き方を、古事記に認めてもらえたように感じたのです。
ただし、これは、
「自分が正しいと思えば、何をしてもよい」
という意味ではありません。
周囲に理解されないことと、周囲を傷つけてよいことは違います。
自分の考えを進めるときには、
その行動は、全体を生かすものなのか。
秩序や関係を壊すものになっていないか。
前進につながるかちさびなのか。
崩壊につながるなきいさちなのか。
自分の力を、誰のために、何のために使うのか。
その結果と責任を、自分で引き受けられるのか。
そこまで見極める必要があります。
古事記が私に与えてくれたものは、自分の正しさを無条件に肯定する言葉ではありませんでした。
自分の力を何のために使うのかを考え、その結果に責任を持つための判断軸でした。
その軸を持てたことで、以前よりも、自分の考えや行動に迷いにくくなったと感じています。
## ■ 日本人として受け継いだ知恵を、日常へ
古事記の知恵は、昔の物語の中だけにあるものではありません。
家庭でも、仕事でも、学びでも、人間関係でも、生かすことができます。
たとえば、誰かと意見が違ったとき。
すぐに相手を否定するのではなく、
「この違いは、何を生み出そうとしているのだろう」
と考えてみる。
自分の考えを進めたいとき。
自分の正しさだけで判断せず、
「これは、自分だけではなく、全体を生かすものになっているだろうか」
と一度立ち止まってみる。
何かを学び、得たとき。
自分の中だけに抱え込まず、必要としている人へ伝えてみる。
古事記の知恵は、このような日常の小さな行動の中で、生きたものになります。
知っているだけでは、まだ知恵とは言えません。
実際の生活の中で使い、自分の行動を変えたとき、初めて、その知恵は自分のものになっていくのだと思います。
## ■ 日本人であることへの、静かな誇り
この連載を始めたとき、私の中には、
「自分は何者なのか」
という問いがありました。
古事記を学ぶことは、日本民族が長い時間をかけて受け継いできた生き方や考え方に触れることでもありました。
それは、他の民族より優れていると考えることではありません。
誰かと比べて、自分たちだけが特別だと考えることでもありません。
自分たちの先人が、何を大切にし、困難や衝突にどう向き合おうとしてきたのかを知ること。
そこから受け取ったものを、自分の日常で生かすこと。
そして、次の世代へ渡していくこと。
そのことが、日本人であることへの静かな誇りにつながればよいのだと思います。
自分が受け継いできたものを知ることで、自分の足元が少し確かになる。
そのような誇りであれば、人を分けたり、排除したりするのではなく、むしろ他者を尊重する力にもつながるのではないでしょうか。
## ■ 43回の旅に付き合ってくださった皆さまへ
ここまで、この連載を読んでくださり、本当にありがとうございました。
毎回読んでくださった方。
ときどき思い出して読んでくださった方。
いいねやコメントをくださった方。
直接、感想を伝えてくださった方。
そして、今回初めて読んでくださった方。
皆さまが時間を使って、この記事を読んでくださったことを、とてもうれしく思っています。
43回の中で、
「この考え方は、いいな」
「自分の生活でも使ってみたいな」
と思えるものが一つでもあれば、ぜひ日常の中で試してみてください。
この連載を読むこと自体よりも、そこから受け取ったものを、自分の生活に生かしていただくこと。
それが、私にとって何よりもうれしいことです。
この連載を読んでくださった皆さまが、少しでも心穏やかに、自分らしい幸せを感じながら歩んでいけることを、心から願っています。
## ■ 今日の小さな実践
これまでの記事の中で、心に残っている考え方を一つ思い出してみてください。
そして今日、その考え方を使って、いつもと少し違う行動を一つだけ選んでみましょう。
たとえば、誰かと意見が違ったときに、すぐに否定するのではなく、
「この違いは、前進につながるものだろうか」
と一度考えてみる。
その小さな実践が、古事記の知恵を、自分の日常に生かす最初の一歩になります。
## ■ 最後の問い
あなたが、これからの日常の中で生かしていきたい古事記の知恵は何でしょうか。
今回で「新釈古事記伝」は、いったん完結します。
けれど、古事記から学ぶ旅が終わるわけではありません。
必要なときには、また別の形で、古事記について考えることがあるかもしれません。
物語の紹介は終わっても、そこから受け取った知恵は、これからの日々の中で生き続けます。
43回の旅にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
皆さまのこれからの日々が、心穏やかで、幸せなものでありますように。
おはようございます。けんいちです。
■ 今日で、この連載はいったん完結します
2025年9月から続けてきた「新釈古事記伝」シリーズも、今回で第43回を迎えました。
目の前の一回、一回を書いているときには、これほど長く続くとは思っていませんでした。
けれど、一歩ずつ歩んできた道を振り返ると、
「ずいぶん遠くまで来たな」
と感じます。
長く続けてきた仕事。
子どもが生まれた頃から積み重ねてきた家族との時間。
毎日の読書や運動。
その最中には大きな変化を感じなくても、振り返ったとき、確かに自分をつくってきた道が見えることがあります。
この連載も、私にとって、そのような歩みの一つになりました。
そして今日、この「新釈古事記伝」を、いったん完結することにしました。
■ なぜ、今回を一つの区切りにするのか
私が学んできた『新釈古事記伝』は、第7集『八俣遠呂智』まで刊行されています。
この連載でも、その範囲に関係する物語までを、一つひとつ考えてきました。
もちろん、古事記そのものの物語が、ここですべて終わるわけではありません。
古事記には、まだ多くの物語が残されています。
けれど、私が『新釈古事記伝』を通して歩んできた今回までの範囲を、一つの区切りにしたいと考えました。
そのため、今回をもって、この連載をいったん完結します。
ただし、古事記から学ぶこと自体を終えるわけではありません。
ここまで受け取ってきたものを、これからの日常の中で生かしていく。
その新しい歩みが、ここから始まるのだと思っています。
■ 私が古事記から学んだこと
古事記を学ぶ中で、私が受け取ったものは、昔の神々についての知識だけではありませんでした。
日本人として、どのように物事を見て、どのように考え、どのように行動するのか。
その基本となる考え方を、数多く学びました。
中でも、特に心に残っているのが、「かちさび」と「なきいさち」という考え方です。
かちさびとは、前進や進化発展につながる衝突。
なきいさちとは、秩序や関係の崩壊につながる衝突です。
人と意見がぶつかると、私たちはつい、
「どちらが正しいのか」
「どちらが勝ったのか」
と考えてしまいます。
けれど、本当に見るべきものは、勝ち負けだけではありません。
その衝突が、新しいものを生み出すためのものなのか。
それとも、相手を否定し、関係や全体を壊すものになっているのか。
この見極めが大切なのだと学びました。
衝突をなくすことが大切なのではありません。
衝突を、何のために起こし、どこへ向かわせるのか。
そこに、人の生き方が表れるのだと思います。
■ 人に評価されなくても、自分の軸で進む
古事記は、これまで私が読んできたどの書物よりも、自分の感覚や生き方にしっくりと合うものでした。
特に、物事の考え方に大きな影響を受けました。
何か新しいことを始めようとするとき。
これまでのやり方を変えようとするとき。
自分では必要だと思っていても、周囲からすぐに理解されたり、評価されたりするとは限りません。
そのようなとき、
「人に評価されないのであれば、やめた方がよいのだろうか」
「今までと違うことをする自分が、間違っているのだろうか」
と迷うことがあります。
私自身も、そうした迷いを感じることがありました。
けれど古事記を学ぶ中で、人から評価されるかどうかだけで、自分の行動を決める必要はないのだと思えるようになりました。
進化発展のために必要だと考えたことを、自分の責任で実践していく。
そのような生き方を、古事記に認めてもらえたように感じたのです。
ただし、これは、「自分が正しいと思えば、何をしてもよい」という意味ではありません。
周囲に理解されないことと、周囲を傷つけてよいことは違います。
自分の考えを進めるときには、その行動は、全体を生かすものなのか。秩序や関係を壊すものになっていないか。
前進につながるかちさびなのか。
崩壊につながるなきいさちなのか。
自分の力を、誰のために、何のために使うのか。
その結果と責任を、自分で引き受けられるのか。
そこまで見極める必要があります。
古事記が私に与えてくれたものは、自分の正しさを無条件に肯定する言葉ではありませんでした。
自分の力を何のために使うのかを考え、その結果に責任を持つための判断軸でした。
その軸を持てたことで、以前よりも、自分の考えや行動に迷いにくくなったと感じています。
■ 日本人として受け継いだ知恵を、日常へ
古事記の知恵は、昔の物語の中だけにあるものではありません。
家庭でも、仕事でも、学びでも、人間関係でも、生かすことができます。
たとえば、誰かと意見が違ったとき。
すぐに相手を否定するのではなく、「この違いは、何を生み出そうとしているのだろう」と考えてみる。
自分の考えを進めたいとき。
自分の正しさだけで判断せず、「これは、自分だけではなく、全体を生かすものになっているだろうか」と一度立ち止まってみる。
何かを学び、得たとき。
自分の中だけに抱え込まず、必要としている人へ伝えてみる。古事記の知恵は、このような日常の小さな行動の中で、生きたものになります。
知っているだけでは、まだ知恵とは言えません。
実際の生活の中で使い、自分の行動を変えたとき、初めて、その知恵は自分のものになっていくのだと思います。
■ 日本人であることへの、静かな誇り
この連載を始めたとき、私の中には、
「自分は何者なのか」
という問いがありました。
古事記を学ぶことは、日本民族が長い時間をかけて受け継いできた生き方や考え方に触れることでもありました。
それは、他の民族より優れていると考えることではありません。
誰かと比べて、自分たちだけが特別だと考えることでもありません。
自分たちの先人が、何を大切にし、困難や衝突にどう向き合おうとしてきたのかを知ること。
そこから受け取ったものを、自分の日常で生かすこと。
そして、次の世代へ渡していくこと。
そのことが、日本人であることへの静かな誇りにつながればよいのだと思います。
自分が受け継いできたものを知ることで、自分の足元が少し確かになる。
そのような誇りであれば、人を分けたり、排除したりするのではなく、むしろ他者を尊重する力にもつながるのではないでしょうか。
■ 43回の旅に付き合ってくださった皆さまへ
ここまで、この連載を読んでくださり、本当にありがとうございました。
毎回読んでくださった方。
ときどき思い出して読んでくださった方。
いいねやコメントをくださった方。
直接、感想を伝えてくださった方。
そして、今回初めて読んでくださった方。
皆さまが時間を使って、この記事を読んでくださったことを、とてもうれしく思っています。
43回の中で、
「この考え方は、いいな」
「自分の生活でも使ってみたいな」
と思えるものが一つでもあれば、ぜひ日常の中で試してみてください。
この連載を読むこと自体よりも、そこから受け取ったものを、自分の生活に生かしていただくこと。
それが、私にとって何よりもうれしいことです。
この連載を読んでくださった皆さまが、少しでも心穏やかに、自分らしい幸せを感じながら歩んでいけることを、心から願っています。
■ 今日の小さな実践
これまでの記事の中で、心に残っている考え方を一つ思い出してみてください。
そして今日、その考え方を使って、いつもと少し違う行動を一つだけ選んでみましょう。
たとえば、誰かと意見が違ったときに、すぐに否定するのではなく、「この違いは、前進につながるものだろうか」と一度考えてみる。その小さな実践が、古事記の知恵を、自分の日常に生かす最初の一歩になります。
■ 最後の問い
あなたが、これからの日常の中で生かしていきたい古事記の知恵は何でしょうか。
今回で「新釈古事記伝」は、いったん完結します。
けれど、古事記から学ぶ旅が終わるわけではありません。
必要なときには、また別の形で、古事記について考えることがあるかもしれません。
物語の紹介は終わっても、そこから受け取った知恵は、これからの日々の中で生き続けます。
43回の旅にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
皆さまのこれからの日々が、心穏やかで、幸せなものでありますように。