【NO345|修身教授録シリーズ 第9回】
おはようございます。けんいちです。
本日のテーマは「目の前の一人に力を尽くす」です。
「一人のために力を尽くすことが、社会のためになる」
そう聞いたら、皆さんはどう感じるでしょうか。
社会のために何かをしようと考えると、より多くの人に届けること、より大きな影響を与えることを考えがちです。
しかし今回、『修身教授録』第一部第22講・第23講「鍛錬道」を読み、私は改めて、一人の人間に徹底して向き合うことの意味を考えさせられました。
目の前の一人に、どれだけ深く関われるか。
その一人への関わりが持つ意味は、私たちが思っている以上に大きいのかもしれません。
【一匹の蚤が跳ねることも、全宇宙につながっている】
この講で紹介されている「下学雑話」に、次の言葉があります。
「理としては一匹の蚤の跳ねるも全宇宙に反映し、わが一瞬のまばたきもまさに万象と相応ず。ただわれらの心粗にして、これを徹見し得ざるのみ。一即一切、一切即一。」
一匹の蚤が跳ねる。
私たちが一度まばたきをする。
それほど小さなことでさえ、世界から切り離されているのではなく、すべてとつながっている。
「一即一切、一切即一」
私はこの言葉から、一つのこと、一人への関わりも、決してその一つ、その一人だけで終わるものではないのだと受け取りました。
【なぜ「一人」を徹底して鍛えるのか】
第22・23講では、三宅先生と加藤先生の師弟関係が取り上げられています。
私はこの部分を読み、三宅先生は、多くの人を広く育てることではなく、加藤先生という一人の人物を徹底して鍛えることが、結果として日本の将来につながると考えていたのではないかと感じました。
ここで私の頭に浮かんだのが、「一子相伝」という言葉でした。
一子相伝とは、学問や技芸などの奥義を、自分の子どものうち一人、あるいは一人の弟子にだけ伝え、代々受け継いでいくことを意味します。
私は、この一対一の関係には、師匠と弟子の双方に、並々ならぬ責任感と妥協の許されない緊張感があるのではないかと感じました。
師匠にとっては、目の前の後継者にすべてを伝えきれなければ、これまで受け継がれてきた伝統や歴史が途絶えてしまうかもしれない。弟子にとっても、自分が教えを吸収し、身につけなければ、先人たちが長い年月をかけて追求してきた道や知恵が、自分の代で途絶えてしまうかもしれない。
そして、その教えを次の時代、次の後継者へと引き継ぐ責任を担うのは自分なのだという覚悟。
教える側も、学ぶ側も、真剣勝負。
そこには、単に知識や技術を教える、教わるという関係を超えた、互いの人生をかけた向き合い方があるように思います。
一人に深く伝わった教えは、その人の生き方となり、やがて次の誰かへと受け継がれていく。
私はそこに、「一即一切、一切即一」と通じるものを感じました。
【目の前の一人を知る】
この講を読みながら、私は学習塾の教室長をしていた頃に出会った、中学生のY君を思い出しました。
Y君は私立中学校に通っていましたが、なかなか勉強へのやる気が起きず、このままでは進学が難しいと、本人もお母様も困っていました。
少しおどおどしたところがあり、
「自分はダメだ」
という言葉をよく口にする子でした。
当時、私が大切にしていたのは、今、目の前にいるこの一人に、できる限りの力を尽くすことでした。
そして、そのためにまず必要だと考えていたのが、「相手のことを知ること」でした。
そこで私は、まずY君の好きなものを尋ねました。
アニメが好きだというので、授業の最初に少しアニメの話を聴きました。
そのうえで、その日に進めたい範囲と、「今日はここまで解けるようになろう」という目標を共有しました。
目標を早く達成できたら、アニメの続きを話す。
そんな約束もしました。
一方で、学習では土台となる力を大切にしました。
数学なら、今の単元につながる過去の学習内容。
国語なら、漢字。
英語なら、単語。
授業の最初の10分ほどと自習室の時間を使い、少しずつ積み重ねていきました。
【「自分はダメだ」から「もう少しやってみよう」へ】
結果は、すぐには出ませんでした。
それでも、語彙や計算力が少しずつ向上し、宿題の正答率も上がっていきました。
そして、一緒に勉強を始めて3回目の定期試験。
Y君は、過去最高点を取りました。
その後、お母様から、「息子は、部活よりも先生の授業の方が楽しいと言っています。できるだけ授業を入れてほしいです」
という連絡をいただきました。
もちろん、点数が上がったことは嬉しいことです。
しかし、私がそれ以上に大切だと感じていたのは、Y君自身が、「前よりできるようになった」と自分の成長を感じ、「もう少しやってみよう」と思えるようになることでした。
私は、勉強そのものは、本末でいえば「末」だと考えています。
「本」にあるのは、本人が学ぶ目的を見つけ、自分の成長を実感し、自分の可能性を少しずつ信じられるようになることではないでしょうか。
そして、一人の生徒の変化は、その一人だけで終わるものではありません。
自習室で一人の生徒が頑張って勉強している。
その姿を見ていると、次第に他の生徒も自習室で勉強するようになっていきます。
一人が変わると、その姿を見た別の一人が変わる。
すると、教室全体の雰囲気も少しずつ変わっていく。
私はこうした経験からも、一人に向き合うことは、決して一人だけへの働きかけではないと感じています。
そして、その一人に本当に力を尽くすためには、まずその人を知らなければならない。
何が好きなのか。
何に困っているのか。
何を怖がっているのか。
どんな時に嬉しいのか。
本当は、どうなりたいのか。
相手を知ろうとするからこそ、その人に必要な関わり方が見えてくるのだと思います。
【一人に尽くすことは、一人で終わらない】
Y君との時間を振り返ると、目の前のこの一人に力を尽くしたからこそ、見えてきたものが、あの時にはあったように思います。
そして今、『修身教授録』の「一匹の蚤の跳ねるも全宇宙に反映する」という言葉を読むと、あの時の経験が別の意味を持って見えてきます。
一人の子どもが「自分はダメだ」と思うのか。
それとも、「自分にもできるかもしれない」と思えるのか。
その違いは、その子一人の中だけで終わるものではないのかもしれません。
実際に、教室では一人の生徒が自習する姿が、別の生徒の行動へとつながっていきました。
そして、その先にも、
その子が家族とどう関わるか。
友人とどう関わるか。
将来どのような仕事をするか。
次の世代とどう関わるか。
さまざまなつながりが生まれていくのだと思います。
もちろん、私がそのすべてを見ることはできません。
けれど、一人の人間への関わりは、その人だけで完結するものではない。
だからこそ、私は、目の前の一人に全力を尽くす。それが今、自分にできる最大の貢献だと考えるからです。
今日、誰かと向き合う機会があったら、「この人に何をしてあげよう」と考える前に、「私は、この人のことをどれだけ知っているだろう」と考えてみる。そこから始めてみてはいかがでしょうか。
【まとめ】
・目の前の一人に全力を尽くすことが、今、自分にできる最大の貢献である。
・一人に力を尽くすためには、まずその人を知ることから始める。
・一人の変化が別の一人の行動を変えるように、一つの関わりは、その先へとつながっていく。
先人の言葉に学び、今日をどう生きるかを考える。
修身教授録シリーズでは、森信三先生の言葉を手がかりに、私自身の経験や日々の実践を重ねながら、その教えを現代の生活や仕事にどう生かせるかを考えていきます。
※本稿における第22・23講の紹介・引用は、白石賢一の読書メモをもとにしています。書籍原本との逐語照合は未実施のため、引用部分を含め、原本との表記の相違がある可能性があります。








