特別攻撃は、単なる思い付きではなく作戦行動でした。

それは
戦術的な必要から生まれたのですが

言ってみれば

日本社会がもっていたものから
必然的に生まれたもの

とも言えます。




彼らのほとんどは「予備学生」と呼ばれる
当時のエリート層です。

たった1年ほどで飛行機を操縦できるようになる人材は彼らしかいません。

かつての
イラン・イラク戦争で
促成の戦車兵がすべて
マニュアルが読める大学生だったように。

彼らには
特別攻撃の論理を受け入れてしまう
弱さがありました。


その弱さとは・・・





  
「特別攻撃の論理」を受け入れない

  「強さ」とは・・・



まず当時の

高等教育を受けた(将来受ける)学生は特権階級でした。


エリート、エリート予備層です。


極貧の生まれであっても高等教育を受けることができただけでも特権階級です。


なんせ、当時(昭和前期)の旧制中学校進学者は同世代男子の5~20%以下、


そこから

旧制高校・専門学校に進学できるのは3~10人に1人程度(都市部はけっこう高く、田舎は非常に厳しかった、僻地なら言うまでもない)。



特に男の子は重要な労働力でした。



自宅から学校に通えないところで生まれれば、それだけで進学の目が詰みます。


学校に行けるかどうかは、本人の意思だけではなく親の理解が必要でした。


わたしの父は小地主の生まれで、一番上の兄は家長としての箔をつけるために当時の「彦根高等商業」に行きました。


卒業すれば 

財閥のグループ会社の番頭候補になれます。 


本人は後継ぎとして実家に戻りましたが。
(近江商人の本場ですね)


当人の家族から聞いた話では
仕送りには家の面子のため祇園に繰り出して遊ぶ金が含まれていたそうです。
家を継がなかった弟たちは家宝の壷?や田んぼ一枚で分家したり婿にいきました。
わたしの父は5男坊だったので財産分けなしで婿に入ったらしいです。

彼らを何度も特権階級と繰り返す理由はわかってもらえたでしょうか。

そんなエリートたちが国を挙げての戦争になったときに取る態度は2つしかありません。


①自分から進んで国・社会を背負うつもりで従軍する。
②戦争が不義であるならば反対して牢獄に入る。

実際
米国ではエリートたちは

ほとんどがこのどちらかを選びました。



日本が米国領土を攻撃した翌日には
米国の大学生は競って兵役事務所へ志願に殺到しキャンパスは、がら空きになったそうです。

わたしは戦争に

行けと言っているのではありません。


エリートなら

自分の意志で堂々と

行動しろということです。


それが強制的な兵役猶予解除(学徒出陣)まで①の行動も②の行動もとろうとしなかった。


そこに日本のエリートたち、将来の特権階層のひ弱さを感じます。


わたしの父は旧制中学在学の特権?をつかって4年生の満15歳で海軍の軍学校(甲種予科練)に志願し合格しています。


高等小学校卒だと2等水兵からはじめて昇進し学習しないと飛行兵の受験資格(丙種予科練)がありません。


そもそも、中等教育程度の数学・理科の知識がないと飛行兵になることができません。 


幸か不幸か卒業する前に戦争が終わっていました。


特に
『きけ わだつみのこえ』などでの繰り言が大嫌いです。


わたしはR大の出身なのでこの季節になると毎年聞かされました。


言っておくと、空元気だけの戦争バンザイも同じように嫌いです。


斎藤茂吉の子息である作家の北杜夫さんも
父親が戦争協力をしたことではなく
(息子は本人がやむに已まれぬ気持ちからであったことはよくわかっていました)


戦時中の父親の作品が駄作ばかりであることを嘆いています。
作家の力量はこんな時にこそ問われるのです。

ここまで文を読んでくれた人には

わたしに彼らを貶める気がないことは

わかると思います。


在職中に
屋久島への修学旅行の付き添いで
知覧の特攻平和会館に行きました。

そこには『國の盾』という絵があります。
元の題名は『英霊』で1944年に寄贈に対して陸軍が受け取りを拒否したいわくつきの絵です。


そこに描かれていたのは


闇の中に浮かび上がる将校の遺体。 

顔には仲間の名が寄せ書きされた 

日章旗がかけられています。


その顔のない絵には 

すべての戦死者への 

無言の追悼の念があふれていました。


将校の遺体としたのは

学徒兵たちを

意識していたのではないかと思います。

見ているうちに思わず

涙がこぼれて止まらなくなっていました。



大義があろうが

なかろうが

自分の人生を

生きたかっただろう。

それでも
国にこのような悲惨な戦禍を

もたらしてしまったのは


「ひ弱なエリート」と


特権に

胡坐をかき

決断しなかった

その親たちが、自ら招いてしまった結果といえます。



彼らは

軍人たちの暴走に無力か、

迎合すらしました。

この時期になると毎日

「平和学習」のオンパレードですが

わたしは平和学習というものが

よくわかりません。
(教員だったくせに 笑い…)

戦闘狂でなければ

誰だって戦いたくはありません。


たいていの軍人は

戦闘が好きではありません。


真っ先に弾に当たるのは自分たちですから。


国同士が争わなければいい。
国同士が争っても 

民衆が仲が良ければいい。



今まで

そんな言葉・行動で

戦争・紛争が

止められたことはありません。

国の舵を取る人
つまり、


エリート層だけが

実際に戦争を防ぐための

駆け引きをすることが

できます。

かつて
エリート層のひ弱さから自滅した

日本と違った 


脅されようが、利で釣られようが
時には他国を陥れても


自国を戦禍から遠ざける覚悟が必要です。



果たして安心だけを求める有権者
それに媚びるひ弱なエリートたちは


再び国を

窮地に陥れないことが

できるのでしょうか。



加えて言えば


中華民国との戦争のきっかけをつくったのは手柄を求めた陸軍の将校たちですが
官僚(外交官・陸軍講和派)たちが和平のお膳立てをしたときに


それをつぶしたのは


はなばなしい戦果で

国民の受けを狙った近衛首相と


ここまで手柄をたてられなかった

海軍の手柄の機会を求めて

和平に反対した海軍大臣です。
(それが誰か調べてみれば海軍善玉論に対する考えが根本的に変わるでしょう)


またその和平ぶち壊しを

あおったのは新聞社、

熱狂的に歓迎したのは民衆です。


決して彼らは

罪なき人たちではなかったのです。

※海軍善玉論・・・ 海軍は戦争に反対だったが陸軍が大陸を侵略した結果日米が開戦したという説






私は、これまでリブログさせていただくときに、貼り付けるだけのこともないし、全文を転載することもなかった。


しかしながら

今回の記事に関しては、


文脈を損なわずに

一部を抜粋することができず

全文を掲載している。


損なわないために、

このまま投稿しようかとも思ったが



光陰矢の如し

戦後79年は、もはや戦前


そういう事を考えていたら


私がこの世に生を受けてから半世紀 

私が男子の母親となってから、四半世紀が経とうとしていることにも気がついた。


それは


私の人生において、母親として生きた年月が半分を占めるようになったことを意味する。


24歳と21歳の息子達

育てたのは私と私の両親と。。。






まずは、以下

長男に関する記事である。

 

「なにもしていない」長男に、本部長(中年男性)が厳しい口調で

「やる気がないなら来るな」と言った。
異なる両者の言い分のなかで、そこだけが概ね一致していた。



俺を

誰だと思ってんだ?


と個室で凄み問いかけ、

それぞれの立場を確認したと



長男高校1年生の夏🎐


天真爛漫 無鉄砲 破天荒 非常識 

そんな長男の言動への問題提起


恩師からの愛ある

「ヤキを

入れておきました。」



自力で旧帝いけよ。
おまえに推薦なんか
絶対にやらないからな! 
 

続いて、次男りくに関する記事である。

家庭学習をしない。

「頭が悪い」と友達にいう。

 

小学生時代の

決して

感心できることではない、とはいえ


我が家という小さな社会の中では

正直に言えばとりたてて騒ぎ立てるほどのことでもない


そういう行為の積み重ねが

これから先


その事実以上の影響を周囲に与え


もちろんというかむしろ周囲よりも本人に対して、より強い悪影響を及ぼしていくのではないかと思った。


とりたてて

優秀な親から生まれたわけでもなく

志の高い熱心な親に導かれたわけでもなく


なんらかの

特別なプログラム教育を受けてきたわけでもない。



その結果


田舎の小学校で

わりと成績がいいくらいで

全国模試で上位になったわけでもないのにも関わらず


超マイペースな鈍感さと共に生きるりくのとらえどころのない生態は、何倍にも増して他者からなんらかのよくない解釈をされながら、いずれりく自身の瞳にもそう映るのではないかと。


シンママOMがしどろもどろに

今現在、なんとか言語化するとそういうふうになる。


▷▷▷▷▷▷▷▷▷▷▷▷▷▷▷▷

長男と次男の18年については、あちこちに散らかって綴られているが

しどろもどろな母親とともに
右往左往しながら育ち18歳になった彼らが飛び立った先には

人が「エリート」とみなすのであろう
大学があった。


彼らはそこで、何を見ているのか
そしてこれから、何を見るのか。

旧制中学卒の私の祖父と
地方国立大卒の私の父と
名乗るほどでもない夫と私

血縁者の誰もが
そこに行き着こうとも 
しなかったところに

いつのまにか彼らは
なぜか昇っていった。


 

戦闘狂でなければ誰だって戦いたくはありません。


たいていの軍人は戦闘が好きではありません。

真っ先に弾に当たるのは自分たちですから。


国の舵を取る人
つまり、


エリート層だけが

実際に戦争を防ぐための

駆け引きをすることができる。



「私もそう思っていましたよ」と錯覚するほどの説得力をもちながら


「ほんとは、そんなふうに考えたこともなかったです」とあっさり口に出てしまうような


不思議な感覚にとらわれた。

そんな母親として思うところは

つづく