モラトリアムな日々 -14ページ目

モラトリアムな日々

隙あらば壁に張りつき、酒あらば飲んでしまう。そんな日常です。

午前3時半にアラームの音で目を覚ました。

散らかした荷物をまとめ、ゴミが落ちていないか床をチェックする。

4時前には荷物を自転車に括り付け、出発の準備が整った。

さて、今日も一日頑張るか、とストレッチをしていると、Nさんがやっ

て来た。昨日のUさん(息子が僕とソックリさん)も一緒である。こん

な時間にどうしたものかと思っていると、


「今さんま料理持ってくるから、食べて行きなさい」


と言って家のほうに戻っていった。Uさんと自転車旅の話などをして

いると、Nさんはお盆に数品のさんま料理を乗せて戻ってきた。

それは、さんまの刺身、さんまのつみれ汁、さんまの佃煮であった。

つみれ汁は、例の下駄屋さんが作ってくれたそうだ。こんな朝早くか

ら、そんなに手間のかかるものを・・・・・・。もはや感謝の言葉もない

。感謝しつつ、さんま料理を頂く。


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   新鮮そのもの


     42txs

          上品な味わいのつみれ汁


つみれ汁は上品な味わいであった。澄んだスープには、さんまの出

汁がよく効いている。NさんとUさんに囲まれ飲むつみれ汁は、心ま

で温かくさせてくれた。

とても美味しいさんま料理を食べつくすと、Uさんが国道45号までの

近道を車で案内してくれるという。その裏道を使えば、だいぶショート

カット出来るのだそうだ。ありがたく申し出を受ける事にした。

そして最後に、今日のお昼にでも、とおにぎりと蒸しパンを持たせて

くれたのである。



午前4時30分、Nさんの家を出発した。

Uさんは車に乗って送ってくれるつもりらしい。Nさんは自転車で途中

まで着いてくるとの事。

人気のない真っ暗な宮古の町を、45号線目指し走る3人。

道はすぐに上り坂に入った。しばらく着いて来ていたNさんだが、坂の

途中でお別れになった。北海道に着いたらまた連絡すると約束し、い

つか宮古に遊びに来ることを誓った。

道は徐々に険しくなる。なるほどショートカットというのはこういう事で

あったか・・・・・。Uさんの車は半クラッチの状態で、ゆっくりゆっくり進

んでくれる。マラソンの先導車のように。

しかしそのUさんの親切とは裏腹に、僕の肉体はこの度始まって以来

の大ピンチを迎えていた。





・・・し、死ぬ!!





こんな急勾配を一気に駆け上がることは今までなかった。

いくらゆっくり走ってくれているとはいえ、車の速さである。そして多分、

Uさんは僕の事を鉄人のように思っている。あの子にはこんな坂はち

ょろいものなんだろう、と。


僕の太ももにはかつてないほど乳酸が溜まり、心臓はのどから飛び

出しそうである。しかし、僕の苦痛に歪んだ顔は闇に消され、激しい

呼吸音は車の窓から聞こえる事はない・・・・・・・。


もう、後一分でもこれを続ける事は出来ない。しかし考えてもみろ!

ここで自転車を降りたら俺のヘタレ伝説は一気に広まり、宮古中の笑

い者になるぞ!死んでも走り続けるんだ!!


激しい葛藤と闘っていると、Uさんの車が止まった。


「ここまでしか送れないけど・・・、今日も頑張ってね。たろうと小本の

峠は厳しいけど。気をつけて!」


そう言ってUさんは走り去っていった。礼を言った僕の顔は引きつっ

ていたに違いない・・・・・。

思わぬ山場を迎えた僕は、自転車から降りると冷たいアスファルトに

座り込み、


「これも旅のうち」


と呟き、一人笑った。止め処なく溢れる汗は、岩手の冷たい空気に

触れ水蒸気となり、街頭の明かりに照らされゆっくり立ち昇っていっ

た。

宮古でNさんの空き家に泊めていただくことになった僕は、N家の

「蔵」を見せてもらい、そこで多くの言葉を交わした。部屋に戻ると

畳に寝転び、こんな事ってあるんだなぁ、と感慨にふけっていた。


夕方5時半頃、再びふすまを叩き、Nさんが入ってきた。そして、


「これ、宮古のさんま。食べてみて」


と言って、大根おろし付のさんまと白いご飯、プレートに乗ったサ

ラダやから揚げのお惣菜を畳に置いてくれた。空き家を貸すだけっ

て言ってたのに・・・・・・、世話になりすぎだな、と僕が言葉を詰まら

せていると、Nさんは


「ご飯とおかずは、隣の下駄屋さんが食べてもらってって」


と言った。一瞬意味が分からなかったが、どうやら怪しいのを空き

家に泊めているということが周りの人に知れ、ちょっとした騒ぎにな

っているようなのだ。

田舎特有の近所付き合いか。俺の家じゃ考えられないな、と思い

つつ礼を言い、せっかくの親切をありがたく受けることにした。そう

いえば朝の9時から何も食べていない。美味そうなご飯を目の前に

すると、急に腹が減ってきた。


宮古はさんまが特産らしく(夏場はウニ漁も盛ん)毎朝6時頃には

港に水揚げされた物が届き、この辺の人はいつもタダ同然で新鮮

なさんまを食べているようなのだ。早速さんまの塩焼きを頂く。



う、うまっ!!



     907m
              宮古のさんま

おそらく時期的なものもあり、脂の乗りはそこまでではない。しかし、

何より新鮮なものである事の証拠に、箸でつまんでいても全く身崩

れしないのだ。しっかりしたさんまの身を噛み締めていくうち、旨味

が口の中に広がっていく。白いご飯を頬張ると、


宮古に万歳三唱!!


そして


日本人でよかった!!


と叫びたくなる。心が豊かになっていく味であった・・・・・・・。

おかずとご飯をぺろりと平らげ、Nさん及び近隣住民の方々に感謝

の祈りを捧げていると、再びNさんが現れ


「下駄屋さんに挨拶に行こう。あと会わせたい人がいるの」


と言って僕を連れ出した。すっかり日の落ちた宮古の町は人影も疎

らで、仕事や学校からの帰り道を急ぐ人が時折通り過ぎるだけであ

った。

「下駄屋さん」はNさんの家から徒歩30秒。店内に並べられた下駄

は全てここで作っているとのこと。角ばった、所謂「下駄」と言うものと

は少し違い、やや丸みのあるデザインで、鼻輪の色も実に様々。

結構おしゃれな印象を受けた。値段も張るんだろうなぁ・・・・・。

下駄屋さん一家に食事の礼を言うと、次は別の家に向かった。

Nさんがノックすると出てきたその人は、中年に差し掛かるよりはまだ

若く、とても血色のよい女性であった。その女性、僕を見て一言


「あ、似てる!!」


どうやら僕は彼女の息子に似ているらしい。それも相当似ているらしく

、世界には3人似た人が云々と、Nさんと盛り上がっていた。

ようやく部屋に戻ると、1日の疲れからか眠気が押し寄せてきた。明日

は朝の4時に出発するという旨をNさんに伝え、世話になった礼を言う

と、僕は寝袋を畳の上に広げ、ごろんと横になった。




今日は本当に嬉しかったなぁ・・・・・。


月並みな言葉だけど、旅先での出会いって素晴らしい。


やっぱり自転車旅に出て良かった・・・・・・。




そんな事を考えているうち、僕は深い眠りに落ちた。

銭湯を出ると、襖を持ったおばさんが僕の前を通り過ぎていく。

重たいのか、休み休みである。手伝ってあげようと思い


「僕持ちますよ」


と言って、代わりに持ってあげた。10メートルほど先の荷物置

き場までそれを運ぶと、おばさんは礼を言ってきた。そして僕を

見て、


「どちらから?」


と聞いてきたので、この自転車旅のいきさつを説明した。

おばさんはたいそう驚いていた。そして


「今日は雨が降るしねぇ・・・・」


と言って数瞬考えた後、


「もし良かったら、うちの空いてるアパートに泊まっていいよ」


と言ってくれた。 まじっすか!!? それはとてもありがたい。

どんよりした曇り空は、いつ降りだしてもおかしくないように思

えたし、何よりその親切が嬉しかった。

小さな親切はしてみるもんだ、と思いながらそのおばさんに着

いてアパートまで歩いた。そのアパートは本当に昔ながらの

作りで、木造1階建てであった。僕に貸してくれるという部屋は

、おばさんの長男が使っていた部屋で今は仕事で上京してい

るから空いているのだという。


「これも何かの縁だしね。襖運ぶの手伝ってもらったから」


と言っておばさんは行ってしまった。

旅のエピソードで、知らない人の家に泊めてもらう、というのを

聞いたことはあったが、まさか自分がその親切にあえるとは思

ってもみなかったので、僕は喜びつつ少し興奮していた。


こうなったら道の駅でビクビクしながら野宿をする必要はない。

早速荷物を回収し、アパートに運び込んだ。

部屋を使っていた長男様に感謝の祈りを捧げ、畳に寝転がら

せてもらう。 少しウトウトしていると、襖(ここではドアではなくて

、鍵付き襖)を叩く音が聞こえ、おばさんがやってきた。何でも、

蔵を見せてくれるという。


蔵?


僕のいたアパートの隣は蔵であった。中は薄暗く、大きな柱が

中央にデンと入っている。かなりの年代物だろう。明治頃からあ

る物だと言っていた。急な階段を上ると、2階に行く事も出来る。

小さな窓から差し込む光の中交わした言葉によると、この蔵は

明日御祓いをして新たに使い始めると言う事、おばさんの名前

はNさんであると言う事、6人いる子供は全員国立大に入ったと

いうこと、旧姓が僕と同じであると言う事、おじいさんはサイクリン

グ協会の会長であったという事などが明らかになった。

よくよく話していると、頭のいい人なんだという事が分かる。知的

な顔をした人であった。


貴重な蔵を見せてもらった僕は再び畳の部屋に戻り、地図を見

たり本を読んだりしながら、


こんな事ってあるんだな。


と感慨に耽っていた。 数十分もすると、再び襖がノックされた。

宮古という町に受け入れられていないような、沈んだ気分の
まま、僕は野宿場所を探し始めた。

あ、レシートが出てきたのでこの日の朝食について・・・・
午前5時半。大船渡のローソンにて、もりもりナポリタン、オレン
ジジュース、リポビタンDを購入。リポビタンてのは恐らく願掛け
的な意味があったのだろう。
午前9時半。ネギトロ巻き、肉まん、カレーまん、アクエリアスを
購入。ホントに良く食べますねこの人は・・・・・。

野宿場所は海岸沿いの廃工場跡の空き地を中心に探した。
20分ほど探し、屋根もあるいい感じの廃工場の軒先に、とりあ
えずの目星を付けた。ここよりいい場所が見つからなければ、こ
こに戻ってくればいい。
地図を見ると、宮古には道の駅がある。とりあえずそこまで行っ
てみるかな、という気分になった。
そこから20分ほどの距離(意外と遠い・・・・)にあった道の駅「
古」は建物の後ろ10メートルほどがすぐに海で、その間は一面き
れいな芝生であった。宮古の海はすぐ南にある大きな半島のお
かげで湾になっており、波は殆ど無いといっていいほど穏やかだ
た。車や自転車で地元の人が集まり、釣りを楽しんである。
よほど釣れるスポットなんだろうなぁ。
この芝生にテントを張れればベストだな・・・・・・。
でも道の駅の人が何か言ってくる気がして仕方ない。
しかし今からあの薄暗い廃工場に戻るのも気が沈む・・・・・・。
とりあえず荷物を置いてしまおう。さすがにどこかに捨てられてし
うという事はないだろう・・・・・・。荷物一式を例によってブルーシ
ートで包む。
目立つぜえ・・・・・・・

とりあえず道の駅に入り、お風呂の場所を聞くことにした。
案内のおばさん、かなり訝しげな目で僕を見ながら、こう教えてくれ
「ここからすぐ側に、町の銭湯がひとつ。45号を戻れば、24時間
の大型銭湯があります。大型銭湯の方が無難ですね
そう言われたら大型銭湯に行くべきだろう。
お風呂セットをブルーシートから漁り、小さなサブザックにつめて出
発した。45号線を走る事20分、まだ銭湯は見えない。
ああ、きっとおばさんは俺が車の人だと思ったんだろう・・・・・・。
これ以上今日来た道を戻るのは虚しいので、帰って地元の銭湯に
入ることにした。こういう時は地元に限る・・・・・・・・。
銭湯は道の駅から僅か5分の距離にあった。入浴料350円。上出
来じゃないですか。なぜか番台のおばさんは自転車旅経験のある
人で話が弾んだ。話が弾んだ後でその人の前を素っ裸で歩くのは
抵抗があった。

銭湯にはおっさんと僕の2人。やはり温泉ほどの気分は味わえない
が、まあ贅沢も言っていられない。入れるだけありがたいことだ。
足や肩まわりをよくマッサージしてやる。体と髪を洗いサッパリする
と、銭湯を出た。
自転車に乗ろうとすると、地元のおばさんが重そうに襖(?)を運ん
でいるのが目に入った。よほど重たいのか、休み休み運んでいる。

手伝ってあげようかな。

ふとそう思った。
これが旅の運命を変えるとは、この時は思ってもみなかった。

岩手県に入ると、道路が劇的に走りやすくなった気がする。

歩道が広く、路面の状態もいいのだ。もちろん例外もあったが

交通量の少なさもあり、僕は岩手の道路にはいい記憶しかない。


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    広く、よく整備された岩手の道路。素晴らしい。



道の駅「さんりく」からしばらく下ると、すぐさま羅生峠の登りであ

る。息つく暇もない、とはこういう事を言うのだろう。

峠を下ると沿岸部に出ることが多く、そこからは青い海と、リアス

式海岸特有の侵食された岩肌、押し寄せては白く砕ける荒波、

遠くに目をやれば鋸歯のような壮大な地形が目を楽しませるの

である。


     5252

        鋸歯状の地形を確認できる


何より僕は、まだ朝もやの太平洋に朝日がキラキラと反

射している光景がお気に入りで、豪華なサイクリングだと一人ほ

くそ笑んでいた。そういえばもこみちは


「北山崎が超凄かった」


とか言っていたな。俺は今そんなところを自転車で走っているの

だ(笑)。峠とトンネルのコンビネーションブローを浴びつつも、僕

は何とか釜石にたどり着いた。陸前高田から50キロほど進んで

いた。


最悪ここで泊まることも考えていたが・・・・・・・。


まだ走れそうである。宮古までは4~50キロと言ったところか。

地図を見る限り、これまでの道のりよりはよほど楽そうだ。


よし、行こう。


結論から言えば、そんなに楽ではなかった。峠は3つほどあったし

平坦な場所も少なかった。陸中山田を過ぎたあたりから20キロほ

どは内陸を走るのだが、ここではこれまで見てきたような「田んぼ

ばっかり」という光景は見られず、畑や農場が広がる風景が多かっ

た(確か)。牛が30頭ほど入っている厩舎を見たときは、年甲斐も

なくはしゃいでしまった。


あ、牛さんがいっぱい!!


とね。写真撮っておけばよかったな・・・・・。

そして一つ疑問であったのが、そうした農場の広大な原っぱにとこ

ろどころ置かれた、白い直径1メートルほどの塊。あれは何なんだ

ろう?僕の間違いでなければ、猛烈に臭いのだ。たびたび農場を

通るたびに目撃した白い塊・・・・・・・。ご存知の方いましたら教えて

ください。


一日苦戦しつつも、峠と戦いきった爽やかな疲労に包まれた僕は、

午後2時には宮古市に入ることが出来た。

しかし気になることに、僕が宮古市に入ったとたん、にわかに空は

掻き曇り逆風が吹きつけ、キツイ潮の香りが漂ってきたのである。


この町は僕を歓迎していないのではないか?


と真剣に思った。旅を続けていると、およそ日常的な感覚からはか

け離れた「旅感覚」とも言うべき物が身につき始める。それは恐らく

蓄積されていった経験の中から無意識に今の状況を分析し、予感

として本人に伝達してくる、第六感に近いものがあったのではない

だろうか?事実、旅の後半僕はベストに近いと思える行動を選択し

続けることになる。


今日はまだ苦戦するかもな・・・・・・・・・・・。


疲れた体で野宿場所を探すのは億劫なものである。しかも雨まで降

り出しそうだ。腹も減ってきたし・・・・・。


無事宮古まで辿り着いたものの、なんとなく浮かない気分で僕は自

転車を走らせるのであった。