
こんな事ってあるんだな、、(涙)
子供たちが全員赤ちゃんだった頃、夕方のご機嫌ななめの時間帯からのご飯お風呂寝かしつけのワンオペが本当に本当に大変で、毎日全員で泣いてた。
その頃平日18時過ぎから毎日テレビで忍たま乱太郎が放送されていて、その主題歌が「勇気100%」だった。
当時どうやって3人の赤子の世話をひとりでこなしていたのかもう覚えてないけど、一番辛い時間帯にテレビから勇気100%が毎日流れてきていて。
めちゃくちゃいい曲でいい歌詞なんですよ。
何年もの間、私の一番辛かった時期の、一番辛かった時間帯に毎日聞き続けた歌で、この歌のイントロが流れたら、あと2時間とにかく頑張ろうと思えた応援歌だったのです。
その勇気100%、今年、次男が学校の音楽会で歌ったのです、、、![]()
「ママ!今年の歌は勇気100%だよ!!![]()
」
と、曲目を聞いただけでもう泣いた(笑)
その後本番の日まで、想像するだけで泣いた(笑)
本番は涙こらえるのに必死だった(笑)
運動会ならまだしも、音楽会で泣いてる親なんてひとりもいない![]()
勇気100%のオリジナルはずいぶん古い歌だし今特別流行ってるわけでもないし、まさかこのタイミングで、しかも一番手のかかった次男が成長してこの歌を歌ってくれる日がくるなんて、そんな、、、私にとっては奇跡みたいな事が起こるのかって走馬灯みたいになっちゃって、夫に笑われた(笑)
そりゃ当時家に全く居なかった人には伝わらないでしょうよこの気持ちは![]()
私と子供たちの思い出の歌なんだ。
なんとなく、育児に一区切りがついたような気がした今年の音楽会でした。
子供たちは予想外に(?)健やかに育ってます。
放課後、皆友達と約束して外に行ってしまうようになってちょっと寂しくもあり、心配していた学校の人間関係は良好そうで安心感もあり。
自分自身は4年生くらいの時にはまわり全員敵だったから、現時点では私のようになっていなくて一旦一安心というところ。
過去の自分に、そんなに怯えるな、子供たちはとりあえず大丈夫そうだぞ、と、教えてあげたい。
次男はなぜか肌着と赤ちゃんの時に買ったサングラス装着でキーボード弾いてるよ。
私は生霊を飛ばしたようだ。
こんばんは![]()
この人ちょっとヤバイのかなってタイトルなんですが笑
どうやら生霊ってのはその人のことを強く考えてるうちに、結構簡単に飛んで行ってしまうらしいという話を聞きまして![]()
実はひとつ、心当たりが。
私が毒親ブログを日々更新してた期間はおそらく一年もなかったはずなんですが、その間私は父への恨みつらみを四六時中考えていました。
思い出せる限りの全記憶を総動員して、あれは父親じゃない人間じゃない、私は復讐を果たす日を待ち望んでいる、最期の瞬間に耳元で呪ってやる、と。
そうこうしているうちに、ブログを始めて数か月後かな、父が大病にかかりました。
年齢からすればそれも当然なんですが、病歴なし、常用薬もなしの超健康体だった父が、私がブログを書いていたあの短い期間に突然病気になり命の危機に瀕した事は、果たして偶然だったのだろうかと。
もしかして私、生霊発動したのでは![]()
人を呪う時って、◯◯の目玉とか○○の生き血とかぐつぐつ煮込んだりして悪魔と契約する必要はなさそうですよ![]()
なんて、父はもうすっかり元気だから書ける事ですが。
もし本当に自分が呪い〇した可能性があるなんてうっすらでも考えるようになってしまったら生き地獄![]()
ヤル前に目が醒めてよかった。
不思議なもので、長年育てた呪いの封印を解いた(?)あと、以前までの苦しかった自分を本当にもう思い出せなくて。
連休のたびに子供たちと帰省してます。
子供たちにとっては大好きな祖父母なんですよ。
会いに行きたがる子供たちに「そのうちね~」とごまかすのも、父との確執を子供たちに悟られまいと無駄に気をまわすのも面倒。
歳をとったら自分にとって要るものと要らないものが明確になった。
自分を飾ったり取り繕ったりするエネルギーはもう不要かなって。
ちなみに365日中355日くらいはすっぴんです
笑
(仕事がオンラインで完結するのが偉大w)
娘が作ってくれたプレゼント![]()
お金をかけなくても自分ができる範囲で毎回あれこれお祝いしてくれる優しい娘です![]()
25年前からの手紙
大学生で一人暮らしを始めた頃に
母から送られてきた手紙たちが出てきた。
母は詩や小説を書くのが趣味で
その手紙も例によって独りよがりの長文ポエムで
一度流し読みはしたけれど
またこれかと鼻で笑って
かと言って捨てるのもしのびなくて
引き出しにしまったまま25年が過ぎた。
それを先日なんとなく開けてみたら
書かれているのはやっぱり母自身の話ばかりだし
自分に酔いすぎた恥ずかしすぎるポエムの連続で
だけどその中の1枚に当時の父の一言を見つけた。
一人暮らしを始めた娘の事を考えると眠れなかったと言う父に、母が「お金もかかるし大変だからか?」と聞いたら
父は「お金が足りなくて指をくわえて見ているような事になったらかわいそうだろう」と。
当時は何気なく読み飛ばした一言で
全く記憶にも残っていなかったけど
自分が親になり、その言葉の意味を知った。
私はなぜあの世まで父を呪おうとしていたのか。
40年以上も憎くて憎くて仕方なかった理由を
今となっては忘れてしまった。
正確には、頭では覚えているけど
ずっと苦しかったあの感覚をもう思い出さない。
どんなに距離をとろうとも
私と父をどこまででも繋げていた太くて長い鎖が
全部溶けてなくなったような
憑きものが落ちた?的な?
父が父じゃなければ
私は欠陥人間にならなくて済んだのではないかとずっと思って生きた人生だったけど
今思うことは
父が父でも父じゃなくても
私は多分私だったなって。
私はじゅうぶん私らしく大人になったよ。
父に人生を狂わされた可哀想な子供じゃない。
父が歳をとったからか
私が歳をとったからか
はたまた守護霊の交代劇でも起こったのか(笑)
ずっと私にまとわりついて捨て方がわからなかったものが、いつの間にかすっかりどうでもいいものになっていると気づいた時
深くて暗い水の底から這い上がって
やっと息ができるような気がしてる。
私は私じゃない誰かになりたかったわけじゃない。
重りも十字架も背負っていない
私だけの身軽な私に戻れた気がしてる。
復讐劇が終わる時
15年ぶりにピアノの蓋を開けた。
私と毒父の確執の始まりになったもので、私は音楽の道に進ませてくれなかった父を恨んでいた。
その道はいずれ途中で途切れると少し考えればわかったはずなのに、わざわざ一流の先生を探してきてまで私に音楽の夢を見せた母を恨んでいた。
18歳で音楽を諦めて全く違う大学に進学し、就職後ボーナスをためて電子ピアノを買った。
いつか自分で稼いだお金で音楽の勉強をし直すのだと、休日の度にスタジオを借りて本物のグランドピアノを弾きに行った。
けれど仕事に家事に育児に忙殺されるうちに、いつしか私の中での優先順位は下がっていき、最終的には置きっぱなしのまま埃をかぶっていた。
そして今日、ふとしたきっかけで蓋を開けて弾いてみたら、急に気づいてしまった。
あの頃思い描いていた事を実現させるタイミングが今来たんじゃないかって。
仕事と家庭と子育ての基盤を固めた。
父は私を認めざるを得ない。
父なんかに依存しなくても、自分の力で未来を選べる大人になった。
父と完全に決別した18歳の時の思いを今昇華させられたら、私の人生を懸けた復讐劇は幕を閉じるんじゃないか。
18歳の私はそれを望んでいるんじゃないかって。
なんか、よくわからないけど、ひとりでわんわん泣いた。
そして我に返った後に思ったのは、そんな簡単な事に今の今まで気づかなかったのは、きっとまだそのタイミングじゃなかったんだろうという事。
何か変化が起こるときは、今までなら気にもとめない何気ない出来事が、正しい順番で起きていく。
正しさの証明
物心ついた時から、父に認められた事は一度もない。
「お前なんて俺の人生設計に入っていない」
「もうどこかに行ってほしい」
私の存在自体を全否定する父だった。
空耳か何かかな?とか思っちゃうレベルの馬鹿みたいな台詞を本気で口にする人間が、いつも一番近くにいた。
父は「俺がせっかく教えてやってるのに」とよく言った。
正しいことを教えてやってるのに、俺の言う通りにしないのは馬鹿だ。
正しいことを教えてやることは、良いことだ。
俺は良いことをしているのに何故。
認めろ。
認めろ。
俺を認めろ。
父はきっとそう思っていた。
私に対する人格否定は、父にとって、正しさの証明だった。
一方私は。
経済的に自立して物理的な縁が切れたあと、私にとっての父は研究対象になった。
この人は一体なぜあんな事を言ったのか。
なぜ、なぜ、なぜ、と何十年もその理由を探してきた。
私にとってそれは、自分が悪くはなかった事を証明する作業だった。
子供の頃に母が言った。
「そんなに暴れなくても、いつか必ず子は親を置いていく時がくるから」と。
その「いつか」が来たら、私は自分の中から父の存在ごと全て切り捨てるのだろうとずっと思っていた。
父を刺し殺す場面を何度も何度も妄想した事も
自分に流れる父の血を呪い続けた過去も
全部まとめて手放すのだと。
ずっと待ち望んでいたんだよね、その瞬間を。
無理矢理投げ捨てようとしたり
逆に生霊か何か飛ばしてみたりしながら。
だけどいざその時がきたら
消えたのは父の存在じゃなくて
自分の中の黒い何かだった。
父を消し去ることも
あの世まで呪ってやることもできない。
私の中から父が消えない。
ねぇ、復讐を夢見ていた子供の頃の私。
大人になった私は、あなたの心を救えてる?


