
毒父を救急車に乗せた日。
子供たちにせがまれて渋々帰省したGW初日の夜、父が救急車で運ばれた。
近所の目を気にして救急車を断固拒否して怒る父に「病院の先生に電話して確認します」と嘘をつき、救急車を呼んだ。
私は子供の頃から父の介護はしない、看とりもしないと決めていて、
もしくは、恐ろしすぎて引かれると思うんだけど、父が死ぬその瞬間、父の生涯の全てを否定する呪いの言葉を囁いてやろうと、何度も何度も妄想した。
復讐の瞬間に思いを馳せる事だけが、私の生きる原動力だった。
自分で手を下す事はできないから、勝手にいなくなってきてくれないかなと思っていた。
だけど、いざ目の前で父の様子がおかしくなった時、私は嘘をつき、ひと芝居打ってまで迷わず救急車を呼んだ。
母は気づいていなかったけど、その日父は自分の手首で何度か脈をとっていた。
表情がなんとなくおかしかった。
孫に「じじギターを弾いて」と言われたのを受け流した。
その違和感をなかった事にできなくて、その後数時間、私は父の様子を観察していた。
救急隊が到着すると、ついさっきまでパニック状態で何故か病人の父に当たり散らしていた母は、まるでお客様でもお迎えするかのような態度でニコニコと何度も頭を下げ、
父はフラフラしながらパジャマを着替えてベルトを通し、この緊急事態にも外面を取り繕うのかとうんざりした。
もし次に父の様子がおかしくなった時、高齢夫婦ふたりだけでは救急車を呼ぶかどうかの判断を下すのは難しいかもしれない。
父がいなくなる時の自分の気持ちを、子供の頃からずっと想像してきた。
憎くて憎くて世界中の誰よりも軽蔑した人間が消える時。
嬉しい?
悲しい?
私は父への全てを封印したまま、弱っていく姿を無視し続けて、最期の時に呪いの言葉を囁くの?
呪いは自分に返ってくる事を知っていても、それでも私は悲願を果たそうとする?
あのおじいさんは私が憎んだあの人か?
どうしてだろう。
私とは二度と交わらない世界線で、変わらず生きていて欲しいと願うのは。