『ジョン・レノン
失われた週末』
地元のミニシアターでみてきました。
内容にさほど驚くべきものはなく、多くのファンが概ね理解している事実をトレースするような内容だと思います。
メイ・パン自身、自著「ジョンと共に」(原題:Loving John)を1983年に出版していますので、
半世紀を経て遂に真実が明かされる!
といった感じではないかなぁ。
失われた週末とは、1973年秋から75年初頭にかけての18ヶ月を指します。アルバムで言うと、
「マインド・ゲームス」発売から「心の壁・愛の橋」を経て「ロックン・ロール」発売までの期間に相当します。
🔷失われた週末
もう1人のジョン
ヨーコと離れて過ごしたこの期間を、失われた週末(The Lost Weekend)という言葉にして表現したのはジョン自身です。このこと一つをとっても、やはり本人的にはこの時期をネガティブに捉えていたように思います。
また、ジョンは後にこうも言っています。
「その間に、フェミニストとしての僕はちょっとだけ死んでしまった」
と。確かにこの期間は、徒党を組んだ酔いどれのイカれた不良ミュージシャンになってました😅。
そしてどうしてもジョンやヨーコの話す事が一番の定説になるだろうし、それはそれで間違いない事実だと思いますが、大きな文脈で十把一絡げにせず、メイの証言や、細部の出来事ひとつひとつを見渡せば、また違った文脈も見えてくる、そんな映画となっているんじゃないかな。
公のジョン、世界のビートルズのジョン、音楽を通して世界に影響を与え続けるジョンが総括する公式の「失われた週末」とは別のところに、1人のリバプール出身の男としてのジョンも間違いなく存在し、そんなジョンがメイ・パンの語りからはっきりとした輪郭を伴って見えてくるような気がしました。
メイの証言どおり、ジョンは、絶対メイを愛してたし、永遠に2人の時間が続くことを願ったこともあったし、メイにもそういった言葉を具体的に投げかけていたことは確かだと思います。メイは、ジョンが亡くなるまで恋愛関係は続いていたと証言していますが、これも事実なんだと思います。
でもジョンは結局、姉さん女房のヨーコについて行くわけですよね。これも事実です。
これは二枚舌ではないんです、きっと。其々が事実なんだと思います。一見、しょーもない奴やなぁ、なんですけど😅😅、ことジョンとヨーコの場合はそう事は単純じゃないのでしょう。
🔷メイとシンシアとジュリアン
そして、この映画でクローズアップされている特筆すべき点があります。それは、メイとジョンの最初の奥さんであるシンシアと、その息子ジュリアンとの関係です。この失われた週末の間、メイとシンシアはとても仲良くなり、信頼関係が生まれています。
シンシアからすれば、ジョンがメイに惹かれることは、自分がジョンとかつて結ばれていたことを考えるととても納得でき、そうであるからこそメイという人物の人柄を信頼できたし、自己肯定感につながったんじゃないかな?ジュリアンもメイに親愛の情を示しているのは、最愛の母が心から気を許した友人がメイであったからのようです。
きっとヨーコにとっては、こういった状況も心穏やかではいられなくなる要因の一つだったのだと思います。「早くジョンを自分の元に戻さないと。。」って。
🔷ジョン、ヨーコの元へ
このイカれた週末が終わった後は、ジョンとヨーコは世の人々のイメージ通りの良き夫婦、良きパートナーに戻り、また2人の愛の結晶であるショーン君も生まれ、ジョンはハウス・ハズバンドとして子育てに専念していくというストーリーに繋がるわけです。
さらに満を持してリリースされた「ダブル・ファンタジー」は、PVもジャケットも含めてジョンとヨーコの強い絆を改めて感じさせられる内容でした。収録曲の「I’m losing you」は、「公」のジョンが、失われた週末のことをネガティブに表現しています。
ジョンとヨーコのリアル公式記録として、これからもダブル・ファンタジーやそこに繋がる様々なエピソードは賞賛され続けていくのだと思います。
ただ、非公式のリアルとして、メイの存在がジョンの40年の短い人生を彩ったという事実も、映画を見た人々の心に刻まれていくんじゃないかな。
以上です。