12月8日は、ジョン・レノンの命日ですが、
最もジョンを慕っていた日本人アーティストの1人に間違いなく忌野清志郎がいると思います。
清志郎はジョンの曲をいくつもカバーしてましたし、「ジョン・レノン スーパーライブ」にも3回出演(2009年は映像での出演)していることからも分かるようにジョンをとてもRespectしていたと思います。
運命的な親近感
ところで、あくまで私の想像なのですが、清志郎はジョンと自分との生い立ちを比べ、似たところがあることを知り、「運命的な親近感」を抱いていたんじゃ無いかなと感じずにはいられません。
その根拠として思いついたものをあげてみますと・・・
母親のうた
ジョンも清志郎も、実の母に育てられた訳ではありませんでした。そのせいか2人とも母親との関係性から生まれた名曲がいくつかあります。
ジョンのマザーやジュリア、清志郎のデイドリームビリーバーやカラスの赤ちゃんがそうだと思います。
至高のジョンのカバー
清志郎は、スーパーライブで
イマジン、マザーといったジョンを象徴する曲の日本ロック史に残る素晴らしい演奏をしています。他にも
スタンドバイミー、
ビートルズ時代の
ドントレットミーダウン、
ストロベリーフィールズフォーエバー、ヘルプ、マネー
などもカバーしています。
子供ができたら曲が書けない?
竜平くん(長男)を奥様が身ごもったとき、「子供ができたらもうロックな曲は書けなくなってしまうと思っていた」という発言がありました。これはもしかしたらジョンがショーン君が生まれた後、ハウスハズバンドに専念し、音楽活動からしばらく離れていったことが影響しているのではないかな?この頃、とにかく曲の作りだめをしたと清志郎は語っています。
反戦とラブ&ピース
ジョンとヨーコは、Love & Peace の活動や、「War is over, If you want it」など反戦(ベトナム戦争)を強く訴えていましたし、政治的な活動家とも交流がありました。
清志郎はそういった直接的な反戦活動とは無縁でしたが、実母の遺品などからより強く反戦を意識しはじめ、本人曰く「これはDNAに仕組まれていたかと思った。」と語っています。そして名盤「カバーズ」の制作や、反戦とラブ&ピースをライブで声高に叫ぶようになっていきます。
『Covers』 と『Rock’n Roll』
RCサクセションのアルバム「カバーズ」は、ジョンがリスペクトするアーティストの曲をカバーしたアルバム
「Rock’n Roll」に着想を得ているように思われます。
別のアルバムですが、清志郎のソロアルバム「メンフィス」は、ジョンとヨーコの「ダブルファンタジー」のテイストが含まれているんじゃないかな。
子供が生まれた後、初めてのソロアルバムだし、収録曲「石井さん」は清志郎流の「Oh, Yoko」、「Lucky Boy」は「Beautiful Boy」、「僕の目は猫の目」は「Watching the wheels」に相当しているような気がします。
絵を描くことが好き
昔、埼玉のジョンレノンミュージアムに行ったとき、ジョンは子供のころからマンガっぽい絵を書いていたことを知りました。そう言えば大人になっても沢山の絵を書いていました。こういったことも、清志郎からしてみれば「なんだ、俺と同じじゃないか!」などと思っても不思議じゃないと思います。
清志郎も小学生の頃から漫画を書いていて、将来は漫画家になりたくて手塚治虫の虫プロを訪ねていったこともあるそうだし、その後もずっと絵を描き続けています。
清志郎はこれらの事から想像して、うまく言えませんが運命的な親近感をジョンに対して抱いていたとしてもおかしくはないと思います。ただ『運命的な親近感』ってそもそも何なのか上手く表現できてないのですが(笑)😀。
1980年12月8日
毎年12月8日が近づくと新聞や雑誌、ラジオではジョンの特集をやってたものでしたが、最近はそれらを見たり聞いたりする機会がめっきり少なくなったような気がします。
ただ、私達のようなアラ還世代にはやはり1980年12月8日は忘れられない1日であり続けると思います。そして2009年5月2日もですね。
以上です。