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森田家の旅

森田家の関連らしき物を探す旅


群馬県の吉岡町に大庄屋として名高い森田家がある事をネットで知りました。我が家とは何の縁も無いと思いますが、同姓の由来に興味を持ち訪ねてきました。敷地面積は2000坪を超えてるそうで、その邸宅が現存してます。三国街道のはな辺りにある野田宿沿いにあり、様々な業種をてがけてこの地域の名主として隆盛を極めた家の様です。書いて合った情報ですが、周りの人々の為に活動した結果が今に至るのだなと感じます。何らかの才能や発明により創業しても時代の流れに呑み込まれたり取り残されたりして、多くの人(会社)が消えて行きます。運と言われる不確実な状況もあるような気もしますし、時代の流れを的確に捕まえる才能があったとも思います。

しかし、一番大きな要素はその地域性だと感じます。街道と言う言わば流通の流れの適所にあり、そのインフラを抑えて利権も含め力を蓄えて行く構図はいつの時代にもあります。現代ではインターネットの普及により、この地域性はほとんど意味を持たなくなってますが、市場や政治を考える時にはそこに住む人々の生活を想像して行く事が肝心かと思います。今日訪ねた吉岡町の森田邸もそんな流れの1つの事例かもしれませんが、現代まで残せてるその事実に尊敬の念を持ちます。時代の変化についていく事がどれほど大変で、並大抵な努力では継続出来ないのかを少しばかり身を持って感じているので、凄い事だと思います。我が実家のすぐ側に徳川光圀(黄門様)さんの隠居先の西山荘がありますが、そこを管理してる方から聞いた話では、ここはあくまで個人の所有物なので、全て自ら(徳川家)が経営しているとの事でした。その実情はかなり厳しいと仰ってました。一つの時代を築き上げた人や物は文化遺産にもなり得ると思います。そして、その維持管理には莫大な経費が発生します。これを残して未来に続けるには国の何らかの援助が必要です。個人の力で創業発展させる事は可能ですが、それを継続して残すには国の力が必要です。今回の邸宅を見てそんな余計な詮索を感じてしまいました。同じ名前の森田のミーハーな興味で訪ねた今回の旅は、歴史や地域の背景などその奥深さの探索に益々興味を持つ切っ掛けになりそうです。全国の森田さんを訪ねる旅を計画しようかと思います。

富士山登山#2

山に登ると言う事は実は下る事でもあるのです。

苦労をして登り素晴らしいご来光を拝み、悔しさと達成感を胸にさて下りましょう。

ご存知でしょうが、登りとは違う辛さが下りにはあります。
そう、”膝”が笑うのです。過去にその経験があるので慎重に降りだしました。

山道はZラインです。これは登りも下りも同じです。少し下りだして気ずきました。
延々続くそのラインが上から見えてしまうのです。登っている時はひたすら目の前を見つめて先など見えませんでした。だからコツコツと歩けるのでしょう。

.................が、これを下って行くのーーー!!(膝がもつかな!?)

実はオヤジには肉体的な3点セットがあります。
「右膝の痛み」
「股関節の痛み」
「腰痛」

これを抱えながらの下り道。非常に不安になってきました。そこで息子に
「ゆっくり休み休み行こうな」
「えーーー 一気に下ったほうが楽じゃない」
「いやいや、膝に負担がかかるからゆっくりとだ」

こうして息子に引っ張られるように転がるように下りました。

行けども行けどもそのZラインは続きます。休憩の間隔も次第に短くなってきました。

「とうちゃん、このラインは休憩無しで行くよ」
「いや、休もう」
「今休んだばっかりじゃん! 行くよ!!」
「う、わかった」

下りの道には山小屋も売店も何もありません。水筒の水も底をつきました。
恵みの暖かさが次第に暑さに変わってきました。土ぼこりもかなりひどい状態です。

「水も無くなったけど大丈夫か?」
「あ、僕もってるよ」
「えーー おまえ飲んでなかったの?」
「父ちゃんの飲んでた」

こうして下半身の痛みに耐えながら下り7合目に着た時にベテランさんから提案がありました。
「荷物少し出しなさいよ」「持ちますから」
「え、大丈夫ですよ」
「いや、俺のリュックは軽いから」
「大丈夫ですって」

その言葉も終わらないうちにオヤジのリュックからサクサクと取り出し詰め替えてしまいました。情けないやら、ありがたいやら。


だいぶ下ってきて頭の痛みは無くなるかと思ったらそれが取れません。
ん、なんか違うな。そういえば喉も痛いな。どうやら夕べの寒さで風邪をひいたようです。

最後のZラインが終わった時その向こうに見えたものは...............

下り坂.下り坂.下り坂.........
(もういいよ!!)

昨日登り始めた記憶がよみがえってきました。あれを降りて行くのか。
しんどいな、でも弱気な事を息子に言えないしな。

それでもいよいよゴールがイメージ出来てきました。あれを下りあそこを降りればそこがゴールだぞ。そう言い聞かせひたすら歩を進めついに登山道の出口(入り口)にたどりつきました。


そこにはなだらかなスロープがありました。昨日来た道です。
ん、こんなに長い登り道だった?そう言えばルンルンと下ってた気がする。

長い、長い上り道、これって”いじめ”そんな気分で売店でソフトクリームを買う事だけを思い、やっと全行程の終了となりました。

ソフトクリームってこんなに美味しかったっけ?人生の中で忘れられない味になりました。


下りは3時間半ほどの行程でした。見上げればそこに昨日と変わらず富士山がいます。
あそこに登り、あそこから降りてきたんだな。ヘタレたり情けなく思ったりしたけど、充実感はあります。

そんな感慨にふけり、ふと息子を見ると友達に買うお土産を探してます。こいつ強いのか逞しいのか....少し嬉しく感じました。


当初の企画は達成出来ませんでしたし、宿題も残してしまいました。
次回に必ずとの強い想いを胸に富士山を後にしました。


人生をよく山登りに例えますが今回の経験で改めてその意味が分かりました。
自分の人生を振り返り今回の山登りにまさに象徴されているなと思います。

頂上まではたどり着かず、それでも間もなく下り坂に差し掛かり、もがいてる自分がいる。

若さを武器に勢いで登る前半戦、失敗もあるけど目標に向かい突き進んでいける。
登りより難しいと言われる下り坂をこれから経験していくオヤジ。

いままでの経験とより慎重な姿勢で望む大切さを少し学べたかと思います。


「なぜ人は山に登るのか?」

「そこに苦労があり、その先に喜びがあるから」


こんな事を感じました。人間は楽な事を選ぶ生き物ですが、それだけでは満足出来ない生き物でもあると思います。

日々の生活、勉強、仕事、全て楽なだけでは成り立たず苦労があってこそ喜びも増えるのだと思います。こんな単純な事も忘れてしまうのもまた人間でしょうか。

日本人たるもの一度は富士山へ登るべきであるなどと言われますが(言われない?)、その美しさや物理的な高さも含め”気ずき”の場として最適なのではないでしょうか?


2回に渡り書いてきた「富士山登山」。多少デフォルメしてる部分も正直あります。
普通の体力があればそんなに難しい事でもないとも感じました。

是非、チャンスを作り挑戦する事をお勧めします。特に普段忙しくなかなか子供とコミュニケーションの取れない全国のおやじ達へ!!

但し、準備をして行かないと更におやじのラベルを下げる事になるのでご注意を!!


今週の予定

ていうか、もうあと1日しかない(夏休み迄)
今年も終わりそうにないぞーーーー

確認ですが夏休みって13日から?(会社的には10日からです)
来年こそずらした夏休み体制にします。
STAFFも含め倒れそうです。

富士山登山#1

2年越しの計画をついに実行してきました。

結論から言えば、頂上まであと300メーターの所での素晴らしいご来光を拝む事になりました。


以前このブログにも書きましたが舎弟の子分の
「頂上でWEDIAのTシャツを着て写真を撮りH.Pにアップしましょう!」

この一言でスタートした企画(?)でした。当然この為には最低でも6名の参加者が必要になります。

今回この人数は確保していよいよ決行の数日前1人消え1人消え、結局4名でのチャレンジとなりました。

アルプスにも登るような専門家のおじさんを除けば、ある意味登山をなめた3人です。
オヤジはご存知のとうりの生活をしている駄目おやじだし、子分はそれに輪をかけたような男だし、
息子も中学生ではありますが、今時のガキでゲーム三昧の日々です。

日頃の行いのせいもなく、快晴で絶好の登山日和となりました。5合目に着き目の前の頂きを見た時
「なんかパー―ト、登れそうな気もしますね」
「んーーん。登ってみれば分かりますよ」  (ベテランの一言)

天気もいいせいか3人のテンションはこの時点ではかなり上がってました。
(この8時間後に来る地獄を知る由もない)


休憩後(気圧に慣れる為でもあるそうです)食事をとり(もう少しなんとかならないかな.....)
いよいよ登山の開始です。

なだらかなスロープの様な道を眼下に雲海を眺め歩いてスタートしました。
(このスロープも一夜明けた時は鬼に思えます)


この時点で3人は楽天的です。
「こんなもんですか?」
「いや、まだスタートしてませんよ」

5分後登山道の入り口を入ってやっと事の重大さを認識しました。

「結構、登りきついですね。こんな感じですか?」
「いや、ここは楽なほうですよ」

それでも6合目まではハイキング気分で雲海の素晴らしさや夕日に染まる雲の色を見て
「凄いなこの色。シアンがどう表現出来るかな」
「いや、この色をシルクでするのは限界があるよ」

こんな会話でした。オヤジもいつにも増してプチ知識のオンパレード状態です。
携帯も繋がるので下界の人々に優越感を持って連絡してました。


さて、暗闇も広がり町の明かりと星の煌めきが輝きを増してきた頃様子が変化してきました。

当初より感じてたのですが、頭がふらつき痛いのです。平行感覚もずっとおかしいのです。
”高山病”です。事前に知識として分かってましたし、ベテランさんからも何度も言われてました。

慣れるものだと思いそれほど気にもせず、7合目の崖を登ってました。
この時期ピークだそうで竹下道りのようです。すごい数の人々がもくもくと登っています。
まさに老若男女だし、オヤジの音声認識範囲によると6カ国の外国の方もいらしてました。

なんとか7合目を制覇して8合目に辿り着いた頃、気温も急激に下がってきた気がします。
パーカーを着込み休憩をして、ゼーゼー言ってる所にドタキャンをした舎弟から連絡がありました。

「どうっすか?」
「8合目だよ!」
「早いっすね」
「それどこじゃな.....」

「親父、結構きてるみたいですよ」  (息子が代わりに会話してくれました)


8合目はあまり記憶がありません。とにかく頭が痛く体が重いのです。
無駄な体力と気力には自信があるオヤジは弱音は吐きません。

「大丈夫ですか? きつそうですね?」
「大丈夫だよ!! 行きますよ」
「無理は禁物ですからね。無理そうだと思ったら早めに言ってくださいね」
「分かりました。息子は大丈夫か?」
「うん、平気だよ」

この時点で一番へたれてたのはオヤジです。8合目は行けども行けども8合目です。
一番長いそうです。

(人はなぜ山に登るのだろう?)
(そこに山があるからかなーー)

こんなつぶやきを最後に言葉も出なくなりました。


なんとか、なんとか9合目にたどり着き休憩をしている時ベテランさんから
「あと少しです。ほらあそこに見える上の光が頂上です」

ヘッドライトの光の「Zライン」を数えたら5ラインありました。
まず浮かんでこない「無理」の文字が頭によぎりました。その時息子が

「頭痛いんだけど」
「やめましょうか」 (子分の声)
「そうだね。ここでご来光まで待ちましょう」 (ベテランさんの声)


2時間後

ビニールシートにくるまれた親子がそこにいました。
寒い!寒い!寒い! 

手がしびれます。何が起きたか理解しました。窪みに転び込み寝てしまったのです。
息子を見ると震えてます。瞬間”やばい”と感じ行動しました。

なにか防寒する方法はないか?そうだおじいちゃんから借りたカッパが使ってない。
慌てて大きなそれを着せてビニールシートをずれないようにするのが精一杯でした。

この時大げさでなく”死”の恐怖を感じました。たまたまこの日は風もなく穏やかな夜だったので幸いなのだろうと震えながら感じました。

よくニュースで遭難の話を聞きますが、こんな油断が引き起こすのだろうなと反省を込めて考えてひたすら震えてご来光を待ってました。

4時半過ぎ少しずつ明るくなり、目の前の一点がなんとも言えない色に染め上げられていきます。

これは言葉では表現できませんし、映像でも限界があるでしょう。これを見る、いや体験する為に人はこんな苦労をするのかもしれません。

そして4時50分ついに太陽が顔をだしました。頂上から歓声が聞こえてきます。
実はここに少しだけ誤差があるのです。たった300メーターの差なのに頂上の人は我々より少しだけその顔を見れるのが早いのです。

悔しかったです。でもそんな事より今は太陽のありがたさと素晴らしさに感動です。
息子に思わず言いました。
「太陽を拝め!そして感謝しろ!」
「なんで?」
「理由はない!.....だって暖かいだろ」
「うん」

こうして初ご来光を無事に(?)拝める事が出来ました。


さーーて、どんな形でも登ったものは下らなければなりません。
下りの顛末と今回の登山で感じた事は第2回目にしたいと思います。
ここまででも充分長いのでこれ以上はねーーー


最近のトピックス

色々ありますねーー
とりあえずI-phoneはget出来ました。

使えてません。勉強したり聞いたりする時間もありません。現在のところとても良いI-podです。
何か問題でも?
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