第467話 2018.11.26
ふるさとの訛りなつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく
石川啄木
このところ福井弁が全国的にメジャーになりつつある。
映画『ちはやふる』、テレビドラマにもなった『チア☆ダン』に出演した役者さんたちは一生懸命練習して福井弁の台詞をしゃべってくれている。
今をときめく広瀬すずや土屋太鳳が福井の女子高生を演じ、福井弁で熱く語っているいじらしい姿には胸が熱くなった。
もっとも、今どきの福井の女子高生で、あんな風に伝統的な福井弁を駆使する者は皆無に近い。日常生活でも、かなり標準語に近い話し方がトレンドである。
ところで、福井市とその周辺は言語学的には「無アクセント地域」と言われており、福井県民の多くは「同音の単語はアクセントを変えて使い分ける」などという面倒なことはしない。文脈だけで単語の意味を理解しあってコミュニケーションしているのである。多分、それだけ頭が良いということなのだろう。
「無アクセント地域」 は ウィキペディア解説記事 によると、福井以外では栃木県、茨城県、宮崎県などにも存在しているとのことだ。
もちろん方言なので、他県の人が用いない言葉や言い回しもかなりあったりする。転勤・転校してきた人が驚愕するのは、別に悪いことをした覚えがないのに、いきなり他人から、「はよ、しねま」と強い口調で言われた時だ。
これは「早く、死ねよ」ではなく、「早く、(すべきことを)しなさい」という意味の慣用表現である。
現在、福井を舞台にした映画『えちてつ物語』が全国公開中です。
福井県出身の方、そして今や全国を席巻しつつある「福井弁」に興味がある方は、是非、映画館に足をお運びください。
[過去公開記事]
新作映画『えちてつ物語 わたし、故郷に帰ってきました。』
が11月23日から全国公開される。
それに先駆けて、文化の日の本日から、福井県内のいくつかの映画館で先行公開されるとのこと。
公式サイト
「えちてつ」とは福井県のローカル鉄道「えちぜん鉄道」のことである。
主演はお笑いタレントの横澤夏子。共演は、緒方直人、松原智恵子、笹野高史等、なかなかの豪華陣。
映画.COM 解説記事 から引用
お笑いタレントの横澤夏子の映画初主演で、福井県を走る「えちぜん鉄道」を舞台に、人生の再出発や家族との絆、思いをつむぎ出すヒューマンドラマ。半年の間に2度の事故を起こしてしまい、運行停止になっていた京福電鉄が、住民の声を受けて「えちぜん鉄道」として復活を果たした実話をもとに描いた。お笑いタレントを目指して上京するも全く売れずにいた山咲いづみは、ふとしたきっかけで故郷・福井県のえちぜん鉄道でアテンダントをすることになり、新たな人生を歩み始める。しかし、血のつながらない兄の家で居候を始めるも、自分が養女であるということにわだかまりを抱くいづみは、兄との関係はギクシャクしたまま。職場でも空回りが続いてしまう。そんなある日、いづみが乗る列車内である事件が起こり……。
引用終了
テーマ曲を作曲したのは植田薫(男性)。
私の高校の1年後輩で福井県内で高校の国語教師を続けてきたが、吹奏楽部の指導者として全国的な著名人だ。
この映画でも、彼が顧問を務める武生商業高校吹奏楽部の演奏が使われている。生徒たちには良き青春の思い出となるだろう。
ネットでの紹介記事
小学校時代からトランペットに親しみ、藤島高校時代に全日本吹奏楽コンクール本大会に出場。成城大学時代には、辻仁成、桑名正博等のバンドに参加。 卒業後故郷に戻り、武生東高校開校時より19年間吹奏楽部顧問をつとめ、全国大会出場8回。黒人音楽をベースにしたファンキーな編曲、演出、振り付けで吹奏楽界に独 自のジャンルを築いている。NHK総合TV「日 本全国名物先生」や、日本テレビ系「笑ってコラえて」紹介され、話題となる。平成21年度より武生商業高 校吹奏楽部を指導。 平成9年度福井県文化協議会新人賞、16年度県民文化祭芸術賞受賞。平成16年度より福井県吹奏楽連盟理事 長、北陸吹奏楽連盟副理事長、日本高等学校吹奏楽連盟常任理事。ファンク・ ミュージックと林檎印のコンピューターを愛する国語教師。 |
彼が藤島高校吹奏楽部在籍時、1年上には指揮者の小松長生、1年下には作曲家の笠松泰洋がいた。
3人がそろっていた1975年には、藤島高校は全日本吹奏楽コンクール本大会に出場している。
この年、同校の吹奏楽部の部員たちは、毎日、このお三方と一緒に青春の日々を送っていたのだ。
ついでに言うと小松君の(私とも)同級の部員には、「河合塾の東大オープン模試総合全国1位、国語の偏差値は100超え」という藤島高校空前絶後の秀才M君がいて、たしかティンパニーを叩いていた(多分…)
その頃、私はそのような典雅な世界とは全く無縁で、剣道部で汗を流し教室ではあまり上品とは言えない級友たちと低次元なバカ話に興じていた。(秘かに八木重吉の詩集を愛読したりもしていたが……)
美しい10代だった彼ら4人も、あれから40年余の歳月を経て、すでに還暦の齢に達している。
小松長生
(こまつ ちょうせい、1958年3月1日 - )は、日本の音楽家・指揮者。現在はセントラル愛知交響楽団名誉指揮者、およびコスタリカ国立交響楽団芸術監督を務めている。福井県坂井市三国町崎出身。
小学校2年生の時、三国町立雄島小学校から福井市宝永小学校に転校。福井市進明中学校在学中に東京藝術大学附属高等学校に首席合格したが、「指揮者になるには幅広い勉強を」との藝大教官たちの助言により、福井県下の進学校である福井県立藤島高等学校に進学。その後東京大学美学藝術学科、イーストマン音楽院大学院指揮科を卒業。指揮を伊藤栄一、デイヴィッド・ジンマンに師事した。
1985年のエクソン指揮者コンクールで優勝後、バッファロー・フィルハーモニー管弦楽団エクソン派遣指揮者、ボルティモア交響楽団アソシエート、カナダのキッチナー・ウォータルー交響楽団音楽監督、ウクライナのリヴォフ国立歌劇場首席客演指揮者、武生国際音楽祭音楽監督、東京フィルハーモニー交響楽団正指揮者等を経て現職。
1991年イーストマン音楽院より音楽藝術学博士号を授与される。2001年ウクライナ国立歌劇場のヴェルディ週間における『椿姫』の指揮で、ウクライナ共和国黄金十字章を受章。
2007年には、北原白秋作詞・山田耕筰作曲の坂井市立春江小学校校歌に興味を示し、オーケストラ用に編曲、翌年の1月にセントラル愛知交響楽団が録音を行った。録音したCDは春江小学校に贈呈され、2008年2月4日に同校の全校集会で初披露された。
2014年、福井県民歌改訂版を作曲。
以上 ウィキペディア記事
笠松泰洋
紹介記事 から
「世界の蜷川」として有名な蜷川幸雄氏の数々の舞台を艶やかに彩り、そこに欠かせない存在感を築き上げる作曲家、笠松泰洋さん。中学3年で作曲家を志し、「尊敬する三善晃氏の後輩になって弟子入りするため」東大へ。学生時代に観た蜷川氏の舞台に衝撃を受け、氏と芸術談義を交わす仲になってから15年、大きなチャンスが笠松さんのもとへ舞い込んできたといいます。激動続きのこれまでをお聞きしました。
大学2年のとき、当時まださほど有名ではなかった蜷川幸雄氏演出の舞台『マクベス』を観た衝撃は、今も忘れられません。すべてが圧倒されるほど素晴らしいのですが、なかでも舞台音楽の枠を超えた選曲センスにはすごいショックを受けました。世にも美しいフォーレの『レクイエム』が、魔女が予言をする世にも不気味なシーンに使われていたんですから!このシーンにこの音楽を選ぶ演出家とはどんな人だろう?と、とても興味がわきましたよ。
するとそれから半年ほどした頃、偶然入った喫茶店で、仕事の打ち合わせをする蜷川さんを見かけたんです。一緒にいた友人が果敢にも声を掛けると、蜷川さんは快く僕たちのテーブルに来て、結局4時間くらい話し込んだんじゃないかな。舞台や映画、小説などそれはもういろんな話をして。それから「僕の舞台はいつでも観に来ていいから」と、空席や照明さんの調光室でよく観せていただくようになったんです。
チャンスは15年を経て巡ってきました。
蜷川さんとの初仕事『ハムレット』は、それから15年もしてからのこと。大学を出て何年かは納得のいく曲ができなくて、やっと30歳くらいから小さな芝居の作曲などを始めていました。そんな頃、何年ぶりかで蜷川さんにまたバッタリお会いしたんです。僕は34歳。少しは自信もついて、「もう蜷川さんの舞台の曲もつくれると思いますよ」なんて言って曲のテープを送ったんです。それっきり音沙汰はなかったけれど、1年くらいして突然「『ハムレット』の音楽をつくってほしい」と電話があったときは本当に驚きました!
それは僕にとって、今も生涯ベスト3に入る感激の瞬間。まさに千載一遇のチャンスですから、すぐに作曲にとりかかって蜷川さんに持って行きました。すると蜷川さんも曲に刺激を受けて、「よし、これなら冒頭の演出を変えよう」と。この舞台は高い評価を受けてロンドン公演も行われました。