第105話 2017.11.21

  

 私立灘中学校・灘高等学校

 

 神戸市にある。男子校である。灘地方で酒造業を営む、嘉納治郎右衛門(菊正宗)、嘉納治兵衛(白鶴)、山邑太左衛門(櫻正宗)によって設立された。同様に酒造業者が設立した学校として甲陽学院がある。

 

 設立にあたっては白鶴嘉納家の縁戚で、講道館柔道の創始者であり、東京高等師範学校(東京教育大学を経て現・筑波大学)やその附属校(現・筑波大附属中・高)などの学校長職を25年間ほど務めた嘉納治五郎が顧問として参画。治五郎が柔道の精神として唱えた「精力善用」「自他共栄」が校是となった。(この嘉納治五郎の影響で柔道の時間が体育とは別に週1時間ある)。

 

 生徒には校則も制服も生徒手帳もない。茶髪もピアスも何でもあり。

 教員には出勤簿がない。きちんと本務を果たしてさえいれば、好きな時に来て、好きな時に帰ればよい。長期休業中の出勤も自由。本の執筆や講演等のアルバイトも届出不要で好きなだけしてよい。

 全てが本人の自主性に任されている。

 徹底した性善説に立つ学校だ。もっともいずれも大変な選抜をくぐり抜けて来た人ばかりではあるが……

 

 ずば抜けて優秀な生徒がそろっているから、そんな教育が可能だ、ということは福井県の教員の多くにも理解されている。

 しかし、そんな教育をしているから、ずば抜けて優秀な教員と生徒が集まってきている、という事実を理解している教員がとても少ないのは残念なことである。


 今や全国的に大流行している「中高一貫教育」の(さきがけ)となった学校である。ただし、さすが本家本元は他の学校とは一味違う。

 各教科の担当教員6~7名が担任団を形成し、中学入学から6年間すべてをこの担任団が受け持つ。私立学校なので基本的に「異動」はない。

 英数国の場合は、一人の教師が責任を持って、その学年の生徒全員を6年間教え続ける。教える内容は各教員に全て一任されているそうだ。従って学年が違えば6年間の学習内容は大きく異なる。

 運動会に例えれば、私たち公立高等学校の教員は二人三脚や百足(むかで)競争をしているのに対し、灘校の先生は100メートル競走をしているというところだ。もちろん、どちらが優れているかは速断できることではない。二人三脚や百足競争にも良い点はたくさんあるからだ。仲良きことは美しいものである。

 それにしても、高校3年生を教えた翌年に中学1年生ばかりを教えられる、というのは大したものだと敬服するしかない。

 2017年度大学入試において、卒業生220名に対し、東京大学95名、内理科Ⅲ類に19名、京都大学医学部医学科に21名合格といった話は、もう大学受験界では周知の事実なので触れないでおく。

 

 在学時代には学業優秀ではなかったが、後年、著名な作家として大成した二人の人物について(しる)そう。

 

 朝日新聞連載の『明るい悩み相談室』で大好評を博した中島らも

 彼の話芸は尋常ではなく、没後もコアな読者を獲得し続けている。中島が灘中・高時代の愉快な体験をもとにして書いた『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』(朝日新聞社)は、実に面白い。同書と東野圭吾『あの頃ぼくらはアホでした』(集英社)とが「関西学校実録物語」の双璧と言ってもよいと思う。わけても、『僕に踏まれた……』の中の「神戸大学不合格体験記」は抱腹(ほうふく)絶倒(ぜっとう)ものである。

 

 遠藤周作は、旧制灘中学校時代に自らがいかに劣等生だったかをネタにして、あちらこちらにエッセーを書き稿料を稼いだ。筆者は、高校時代、氏の作品の中で、全然わからない数学の証明問題の解答欄に「そのとおり。僕もそう思う」と書いて教師にひどく叱責(しっせき)された、という話を読み強い感銘を受けた。

 そして自分もいつかマネをしてみようと心中ひそかに()していたのだが、(つい)に果たせず高校を卒業してしまった。

 このようなところに作家になった人物となれなかった人間との違いがあるのかもしれない。

 

 そんな文豪遠藤周作に国語を教えた伝説の教師・橋本武先生のお姿を、以前、NHKのドキュメンタリー番組『ザ・コーチ 人生の教科書』で拝見することができた。

 

 当時97歳というのが信じられない位、言語明晰、意気軒昂(いきけんこう)であられた。

 橋本先生が、中学3年間の国語の授業において扱った教材は、中勘助『銀の匙』という薄い文庫本たった一冊がほとんどすべて。一言一句に強くこだわり、縦横無尽(じゅうおうむじん)の脱線で、生徒たちを橋本ワールドへ(いざな)ったとのこと。

 

 本文中に、古い駄菓子の名前が出てくると、探し出してきて生徒に食べさせる。百人一首が出てくれば百人一首大会をする。(たこ)が出てくれば、校庭で凧揚げをする。アクティブラーニング(主体的・対話的で深い学び)の成功例の一つと言えよう。

 番組では、このような指導と灘高の東京大学合格者数増加とを関連づけていたように思う。

 

 はるか昔に橋本先生の授業を受けたジャーナリスト黒岩祐治(現神奈川県知事)は、『恩師の条件』(2005 リヨン社)で、『銀の匙』の授業を克明(こくめい)に再現し、先生の人柄を示すたくさんのエピソードを書き記した。

 

 筆者も90歳まで生きれば、教え子の誰かが伝記を書いてくれるだろうか?

なお、『ドラゴン桜』を企画・立案した編集者も灘高出身とのことだ。最初に出版された時、新聞広告の中で灘高の先生方が同書を絶賛していた。卒業生に対する面倒見も実に良い学校である。

 

   灘中学校・灘高等学校 公式HP

 

 

《余談》

 内田樹のブログの中にこんな記述があった。

  【引用開始】

人間には「好きにやっていいよ」と言われると「果てしなく手を抜く」アンダーアチーブタイプと、

「やりたいことを寝食を忘れてやる」オーバーアチーブタイプに二分される。

このどちらかだけを作り出すということはできない。

そして、ブリリアントな成功を収めた組織というのは、例外なく「『好きにやっていいよ』と言われたので、つい寝食を忘れて働いてしまった人たち」のもたらした利益が、「手を抜いた」人たちのもたらした損失を超えた組織である。

「手を抜く人間」の摘発と処罰に熱中する組織はそれと同時にオーバーアチーブする人間を排除してしまう。

必ずそうなる。

  【引用終了

 

 

 

 

 

 

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