情報処理能力による格差社会
ここ最近、原発を中心に、いろんななデマや風評が起きている。
この一番の要因は、情報不足。
しかし、よく考えてほしい。
現代において、情報不足というのはありうるだろうか。
ネットによって、凄まじい情報が氾濫しているではないか。
昔なら図書館にわざわざ出向いたり、辞書で調べたりしていたものが、
クリック一つでわかってしまう。
その反面、そういったツールを持たない人間や、うまく使いこなせなかったり、その情報の出所や、正当なものかの判断がつかないといった情報弱者が生まれているのも確かだ。
情報が膨大である以上、その処理能力によって、格差が生まれるのは仕方の無いことではあるが、
現代、未来を考えると、この情報処理能力こそが、個人の能力差となりうるのだろう。
ではその情報をどうやって処理するか。
ここが一番の問題である。
個人的には、
情報の出所(専門家などの意見かどうか)、
説得力(論理的かどうか)
客観性(個人的な感情論ではない)
これらを元に、自分なりに円を描き、その中心に来るものを真実に近い物として取り入れている。
これらを無視すると、それこそ、みのもんたの意見に惑わされ、風評の中心に飛び込まなければいけなくなる。
さらに、その情報が多ければ多いほど、円は細かな曲線を描き、より、正確な情報となるのだろう。
今回の買占めや放射線などの件は、まさにその情報を掴んでいなかった人たちが、騒ぎ立てたからにほかならない。
冷静に膨大な情報を処理する、それこそ、今後に求められるものだ。
一に雇用二に雇用・・・の間抜けさ加減
菅政権の掲げる雇用対策はあまりにも市場原理からかけ離れている。
前回の記事にも書いたが、全く持って経営的感覚が欠如しているのだ。
ちなみに雇用とはどのようなものか。
市場のニーズが基本である。
にもかかわらず、菅政権は、必要ではない公共事業や、衰退産業の保護をしている。
これは市場原理からして、まったく理にかなっていない、一過性のものだ。
本来やるべき雇用対策は、成長産業に対する投資と、
ニーズはあっても、雇用が生まれずらい(例えば賃金が安い、労働時間が長いなど)ミスマッチ産業に対する補助である。
この辺りは、まず、有効求人倍率を業種ごとにヨコで割り、さらに中、小、大、と企業の規模で、タテに割れば、かなり細かな分析が可能なはずだ。
しかしながらそういったことをせず、公共事業を増やし、雇用を創出しようとすれば、
莫大な中間経費がかさみ、イコールそれは国民のさらなる負担増に繋がる。
そうなれば、雇用を創出した結果、財政は破綻するという本末転倒なことが起きることになる。
それを避けるためには、市場を通すということが必要不可欠であるが、
公の機関にそれが出来るかといえば、不可能であるといわざるをえない。
それゆえに、有効求人倍率などの分析が必要になってくるのだ。
(現状、大手の倍率と、中小企業の倍率がかけ離れているし、業種によってもまるで違う)
さらに、職業訓練なども、ニーズのないものを教えても意味が無い。
人材を育成するにあたっては、ニーズ(市場原理)と照らし合わせる必要性は不可欠である。
このように、仕事とは、時代のニーズと共に、移動、変化していくものなのだ。
そして、その移動を手助けするのが、政治でもある。
これらは、一時的には、失業者を増やすことに繋がるかもしれないが、
中長期的には、移動するだけなので、失業率にはつながらない。(むしろ、ニーズに人が集まるので雇用が増える)
にしても、なぜこれら対策を政府はしないのか。
公共事業に頼るだけの雇用創出など、古臭すぎてお話にならない。
予算関連法案の賛否
現在、民主党の幹部がやっきになって公明党、社民党に打診してる、予算関連法案の成立。
しかし、そんななか、造反覚悟で民主党の議員16人が立ち上がった。
彼らの共通項は、皆、小選挙区ではなく、比例代表。しかも順位の低い議員だ。
彼らは、運良く?民主躍進に乗っかって当選したものの、
今回の菅内閣のていたらくに、痺れをきらしたのだろう(裏を返すと次がない)
その行動によって、予算関連法案成立がより厳しい状況に立たされた。
予算関連法案には、国債の発行や子供手当ての財源、公務員の給与など、
国民生活に重要なものが多く含まれている。
しかし、私はこれはチャンスだと思っている。
平気で国債を刷りまくり、予算を使いまくっていた今までの政権と官僚(公務員)の無駄を根本から排除できるからだ。
名古屋市長の河村たかし氏も、減税というある意味、財源を削ることによって、
初めて優先順位、無駄を排除できるとという思想のもと、名古屋を改革しようとしている。
これは国家レベルでも同じことだ。
あるから人は使う。
なければ、できない。
借金もできない。
このような状況は、ある意味、肉を切って骨を絶つというような強引な手法であるが、それによって、おおきな改革を進めることができるのだ。
しかしながら、デメリットがないわけではない。
政府のガバナンスが利いていないことを国際社会に露呈することになるというのは、その中でも一番のデメリットだ。
これによって、国家の信頼が損なわれ、国債の暴落などにも繋がりかねない。
さらに、子供手当てなどの国民生活の資金源が絶たれることによって、
困る人間も増えるだろう。
また、公共事業も停止してしまうことから、土建屋などが被害を被ることにもなる。
こういったデメリットは確かに問題だ。
しかし、それ以上にいままでのような予算の使い方を平然とこれからも行うことこそ、
一過性ではなく、中長期的にみて大きな国家国民の損失に繋がるのだ。
今こそ、これを機に、真の改革へと舵を切ってほしいものである。