173205071++ -3ページ目

【稲垣早希】考察0301--「ヨシモトDNA」と関連DVD販売



2010_03_12_[SAT]



【従来型吉本では誕生しない稲垣早希】



ネットと電波媒体がクロスしてくる今日。



【現代芸能】を現象から見える『売れアルゴリズム』と『提供サイド側の思惑』を適当に考察するシリーズ【従来型吉本では誕生しないコア持つ稲垣早希】

アノ芸人事務所の巨人でありアゲアゲシステムを軸とした劇場原理主義である「よしもと」から出てきた、「よしもと」的でない新しいタイプのネット等を中心とした「コアなファン」層から流れを形成しつつある女芸人【稲垣早希】

今回は、「ブログ旅のDVD発売は来年2011年以降になるハズ」という予想がハズれたので、稲垣早希さん関連の『DVD販売』を軸に「ヨシモト」を絡めた構造を分析し他の批評ブローカーさんと少し違う切り口で適当に考察していく。


-->コレまでの「稲垣早希」関連エントリー

---見出し---
  1. ◆『稲垣早希』のブログ旅DVD発売?
  2. ◆「ヨシモトDNA」と「桜の卒業の季節」DVD?


-----------------------

◆『稲垣早希』のブログ旅DVD発売?




録画していた「ロケみつ」を見ていたら年始にエントリーした『稲垣早希』考察020での「ブログ旅のDVD発売は来年以降になるハズ」という予想がハズれた。

予想した理由として
  1. 「他局に販売」
  2. 「間に書籍など別の物販を挟んでくる」
という2点を挙げた。

(01)の番組販売を狙って時期をズラしてくることはハズしたが、【MBS】の今までのパターンからDVD以外に(02)「書籍など物販を挟んでくる」は当てたので一勝一敗という感じか。

予想に反して
まだ、詳細はよくわからないが『関西縦断ブログ旅』を「トラの巻」「パンダの巻」というDVDで2巻にして2010/06/02に「よしもとアール・アンド・シー」から発売するようだ。

どうやら、DVDの1本が180分の収録なので、もし『関西縦断ブログ旅』を2本で完結させるとしたら、最大が6時間と言う事になり第拾八話までの『完全版』が入るようだ。

つまり、
「TBS」が2010年1月9日に「関西縦断ブログ旅ゴール」を迎えたのでコンテンツの勢いがある今年中にDVD物販で早めの利益確定をしていくという方針と言うことになる。

再編集無し?
早く出していくことでコンテンツ鮮度を保てるので『鳥居みゆき』さんのハイタッチDVDのように再編集などリテイク、リプロダクトを行わなくても、それほど気にする事なく販売出来る利点もある。

コンテンツ鮮度が古くなった部分を副音声や未公開映像を含めたボーナス映像など編集によってまかない、数種類の写真のうちドレかが入ってる的なベタな特典付けるハズと予想したが、

どうやらコンテンツ鮮度が新しいこともあり『完全版』のマンマ?

ただ、『完全版』マンマではなく未公開映像を挟むなど編集を行った方が間違いなく販売数が伸びるのを予想出来るが。詳細はまだ不明だ。

踏まえて今後の予想と考察、
  1. 「シリーズごとに分割してDVD販売」-->現在、ネットしているTBS等が「四国一周ブログ旅完全版」終了後、四国のローカル局で番組が売れなければ半年とか1年以内という短い期間で『DVD販売』になるはず。

  2. 「次のシリーズは来年以降で3巻はうさぎの巻」-->次の「四国一周ブログ旅完全版」は、時間的に3巻以上になるので「トラの巻」「パンダの巻」「ウサギの巻」となる。

  3. 「初動の販売動向で、『稲垣早希』の人気度合いが測れる。」-->「ロケみつDVD」と言っても誰もがわかるようにコレは『稲垣早希』さんのDVDであり、販売実績で彼女が一般ユーザに対して現在時点の「購買力」を持っているか?という指標になる。

この中でも特に注目して観察するのは、初期の『販売動向』。

パターンとして、こういうコアなファンを持つとされる【対象者】≪今回は『稲垣早希』さん≫の場合は、販売1週間から1ヶ月の「初動」がどう動くかでだいたいわかる。といわれている。

≪ソレ系の書籍によるとコアなファンは予約や販売日からそう遠くない日に購買するから販売数グラフが初動が急激にグーと伸びてストーーんと落ちていくので、底値を推察出来る。≫

このDVDで『稲垣早希』さんの数値が取れるとは?
これがアメトークなどの「お笑い」という汎用的なコンテツDVDだと「ネタ」であったり出演者とのカラミを含めた「話術」の面白さが購買動機に占める割合が増えてしまうことで司会者など『MC』個人の人気度を計測しにくいとされている。

『稲垣早希』さんのコアなファンの人は理解しにくいかもしれないがライトなファンと言うのは【TV演芸】で無料で放映され『稲垣早希』さんという個人が全面に押し出された汎用性の無いコンテンツをわざわざDVDを買ってまで保存しようとはしない。

つまり、このDVDの購買動機とは、
常識的に推察してみて『稲垣早希』さんの旅ロケ番組での魅力という比重が非常に高い。という事であるから

「コアファン層」と「ミドルファン層」の合算で販売数が出る。

つまり、一層、正確な『稲垣早希』さんが持つ人気の現在時点での全国値が取れるという事。

このDVDでマネジメント側は?
オイちゃん達のような一般人は外部に出てくる少ないデータで推し量るしか無いので地域別などの動向はつかみにくいが

マネジメント側は、販売動向の詳細なデータとして例えばDVDが捌けた数としてアマゾンのようなNETがドレぐらいで店頭売りがドレぐらいでなどという地域ごと、時間ごと等のPOS販売数やチャネルを含めた詳細なデータが手に入る。

ここからヨシモトのマネジメント側は『稲垣早希』という商品に対して「分析」をかけて販売戦略を練り直したり、

初動から割り出したコアな層の数値や販売数をTV売りでのブッキング営業や営業販売などの「資料」として利用していく事ができる。と推察出来る。



---------------

◆「ヨシモトDNA」と「桜の卒業の季節」DVD?


「桜・稲垣早希」の考察理由
オイちゃんが「桜・稲垣早希」さんを考察し始めた理由は簡単で長年、吉本興行を見てきて「従来のヨシモト的な女芸人とは明らかに違うコアなファン形成」をハジメテいたから

ひょっとして、吉本マネジメント部は「パピプペポピンズ」以来「鬼門」を突破するのか?

という一点に興味があるから。今も。

「桜の卒業の季節」DVD発売
「桜の卒業の季節(仮)」が2010/06/09に発売されるようです。



「桜」結成から『増田倫子』さんの卒業までの映像を集めたというDVDです。

「桜の卒業の季節」と「ロケみつ」DVDの違い
違いは簡単で

  1. 「桜の卒業の季節」-->コアファンを対象。
  2. 「ロケみつ」-->ミドルとコアファンを対象。
という事で「ロケみつ」DVDは、番組で「タレント的な女芸人」の『稲垣早希』を好きな層≪ミドルファン層≫も買うが、「桜の卒業の季節」DVDはコアファン以外は、ホボ買わないという違い。

ただ、パーセンテージ的には、サキちゃんが好きなので「ロケみつ」は見るがDVDを買ってまで見ようとは思わない移り気で薄いファン層≪ライト層≫が大多数である事は推察出来る。

「桜の卒業の季節」DVD販売でわかること。
コレも簡単で

(「ロケみつ」DVD販売数)-(「桜の卒業の季節」DVD販売数)=「ミドルファン層」

という数式が成り立つので、「ロケみつ」で膨れた「ミドルファン層」の大枠を掴むことが出来る。と言う事。

つまり「ミドルファン層」とは、
「ロケみつ」という番組終りで無くすかもしれないファン層だとも言えるわけで、

マネジメント部は数値を分析しながら、このファン層を如何にしてコアなファン層に取り込んで行くかと言う戦略を練る事になる。

「桜・稲垣早希」もヨシモトDNAで潰れるか?
まず考察時、絶対に見落としていけない事実は、『稲垣早希』さんがヨシモトで無ければ関西圏においてこのようなカタチで電波媒体に乗る事はホボ無かったし、舞台どころか【旅ロケ】キッカケさえ掴めないのが現実で、ヨシモトだからチャンスを掴めたという事。

それを踏まえた上で

以前にもエントリーで書いたがオイちゃんは「劇場絶対主義」なDNAを持つヨシモトは、マネジメント側は理解していても現場側が「ヨシモト型女芸人」とは全く違う資質が必要である「タレント的な女芸人」を同じ土俵で比べて低く見る傾向があるから

なんとなくマネジメント側の思惑とは違うところ、おそらく「現場が『増田倫子』さんにヨシモトDNAを強要してココロが折れたんだろうなぁ」と簡単に妄想予想出来る。

だからこそマネジメント側の戦略が当たり、今までの「ヨシモト型女芸人」には無かった確変を始めた『稲垣早希』さん。が今後どうなっていくのか?その点について興味がある。

イメージ先行の「タレント的な女芸人」を少し下に見る傾向があるヨシモトの現場からオセロさんのような「タレント的な女芸人」が簡単に育つとは思えないし、

それは「妖精・ポピンズ」以来ずーーーと鬼門であった事が証明しているわけで、

その延長線上にある『稲垣早希』さん。

「桜・増田倫子」は芸能界に戻れるか?
それは全くワカラナイ。

しかし、断言出来るのは関西圏では「ヨシモト」以外からは100%無理と言うこと。これは99%ではなく100%。なのは「ヨシモト」を長年考察していると簡単に予想できる。

「ヨシモト」から、こういう辞め方をした場合には、ありとあらゆる芸能活動は不可能なことは簡単に推察出来る。特に関西圏では電波媒体は当然だが、紙媒体などでさえよっぽどの強いコネがない限り不可能になるようだ。

あの「横山やすし」師匠でさえ「ヨシモト」解雇後は、いろいろ情報を追うとアクションを起たりしたようだがネットも無い時代そういった動静は一切伝わる事なく関西圏のありとあらゆるメディアから消えたのである。

『増田倫子』さんの場合も今までの「ヨシモト」的なパターンからすると他の事務所に行こうが関西圏では芸能的な活動は100%不可能。おそらく町の「ダンス教室」で小学生を教えるっていう規模以上は不可能だと推察出来る。

ただ『増田倫子』さんが救いなのは、ホボ無名であった事や、元相方の『稲垣早希』さんと今でも仲が良い。というコトだ。

過去にも
色々なカタチで「ヨシモト」から去った人がいるが、よっぽど綺麗な辞め方をしないと芸能生活はそこでピリオドを迎える。

名前は挙げないが、そこそこ名前があり「ヨシモト」で結婚を機に相方を置いて解散した漫才師は何度か頭をさげようとしたようだが「ヨシモト」に戻れない。もちろん電波などマス媒体が、その「漫才師」を一切取り上げないので芸能活動でイベントを打つことも出来ないし、サラリーマンをするしかない。

絵などアーティストで生きようとする場合も「ヨシモト」に籍を置きながらであればたとえマージンを抜かれても「ヨシモト」というネームバリューと共にキッチりマネジメントや宣伝をかけてくれるので「ジミー大西」さんや「たいぞう」さんのようにお金も入ってくるが

これも名前は挙げないが同じように、絵などアーティストで生きようとする場合も「ヨシモト」のチカラを、みくびって辞めてしまうと今までは「ヨシモト」だから取り上げていた電波はもちろん紙媒体でも取り上げてもらえなくなるので、よっぽどコネや力がない限り町の日曜画家レベルでしか個展を開けなくなってしまう。

事実と照らし合わせて考察していると色々なモノが見えてくる。



━━━━━━━━━━━━━━━━━



【現代芸能】売れ理論--3つの「村上隆」理論で『長谷川利行』アルゴリズムを回避出来るか? 201



2010_03_02_[TUE]



シリーズ【現代芸能】売れ理論考察

いつものように多くの「お笑い批評ブローガー」とは全く違う角度からエッジを立てて【古典演芸】と違い屋号を受け継がない【現代芸能】を観測。

今回は、洋画家「長谷川利行」から【現代芸能】の類似性を指摘しそのアルゴリズムを「ムラカミ」理論で回避が可能か?という理論援用した考察エントリー。

専門用語は、なるべく外しガッシリと噛み砕いていますが細部の説明は端折るのでソレ系の界隈に興味のある人にしか全く意味不明な箇所の多い文章です。

「芸術活動」と「売れ」の関連性などをマクロ的な観点から絡ませながら【現代芸能】を適度に考察。

PS:最近の「エフエム芸術道場」のPODのvol436--450で若手の批評家≪黒瀬陽平さんと濱野智史さん≫と「村上隆」さんが美術界をPOPに語り合う傑作な回があるのだけども、それがね村上さんが若手をイナしながら突っ込む構図が、まるでディプロマやプレゼン時の学生と教授のカラミみたいでオモロくて久々にPCの前で笑いっぱなしだった。こういう新鋭の批評家との対談はまたやって欲しいなぁ。興味がある人は消えないうちに是非。


---見出し---
  1. ◆「長谷川利行」アルゴリズム
  2. ◆「村上隆」総論--「芸」で食む者は世界を記号化せよ
  3. ◆村上理論00--徹夜なんて努力のうちに入りません
  4. ◆村上理論01--現代の芸術作品は集団でやるべきだ
  5. ◆村上理論02--芸術家は技術よりも発想に力を注ぐべき
  6. ◆村上理論03--価値を生むのは才能よりサブタイトル


-----------------------



---------------

◆「長谷川利行」アルゴリズム


作品を公募展に出しては、もれなく落選返却通知がプレゼントされ続けたり、二つ目の大学が芸大≪中退≫だったという人生の記憶から消し去った黒歴史や、過去に付き合った女の子が芸大出やアート演劇好きなどが多かったために

十代から京都の新人展は年中行事に組み込まれ、アルカイック最後の安井賞97の鑑賞後、当時の彼女とサテンで若さ故のナンチャラで『日本画壇の大いなる過失』と嘆き、二人が大好きだった【鴨居玲】を讃え合った夢、敗れる以前の黒歴史。


アウトローと呼ばれた画家―評伝長谷川利行


以前のエントリーでも書きましたが、オイちゃんの埋立てている脳内黒歴史ゾーンが【ウメ】さんを見て思ったのが

「うわっ、長谷川利行」

絵画やアートに関心がある人以外は【長谷川利行】自体を知らないと思いますが、≪『wikipedia』にも簡単な略歴が載っています≫そういう界隈では結構知名度の高い芸術家です。

ザッと掻い摘んで言うと『才能が有りながら生来の対人対応や自己演出ベタでチャンスを毎々つぶし野垂れ死、死後に再評価』という詳しくは彼の評伝にあるように「ゴッホ」に喩えられたりする芸術家なんですが

対人対応や自己演出が苦手であっても下手に才能が備わっていると、公募展とか玄人ウケで入選とかしてしまい、その才能が上手く社会に認められないという現実とのギャップに益々苦しんでバーストしてしまった人なわけです。

このバースト現象に辿り着く定石ストーリーをオイちゃんは個人的に「長谷川利行アルゴリズム」と呼ぶことにしています。

知っている人は知っていると思いますが、チョットおかしくなってしまうってのは芸術の世界ではよくある現象です。

実際にオイちゃんも目にしたこともあるパターンとしては、臨界点を超えられない芸術家見習い達は運がイイ人は青い閃光が走る前にある者は親元に戻ったりして会社で働き、ある者はココを起点に結婚し公民館で日曜画家たちの絵画教室を開いたり、

それでもスパークを目指し被爆に耐えた大半の芸術家見習いも頑張りすぎてチョット精神が崩壊したりとかするわけです。

お笑い業界などとは比べ物にならない規模で毎年毎年毎年毎年、芸大に学んだ後に多くの死体が転がり続けます。

それがこの界隈。




---------------

◆「村上隆」総論--「芸」で食む者は世界を記号化せよ


絵画や建築などの芸術、アートと言うのは普通、マーケティングや自己演出などという仕掛けと遠い世界だと思われがちだけど、コノ分野こそが最も高度な交渉術が必要な分野であったりするのをそういう関連の大学などに通って

書籍を読んだり、何故、あの芸術家は死後見いだされ売れたのか?何故、あの芸術家は生きながらにして売れたのか?を文献などで追ってみたり、

中学や高校の教科書には載らないダリの側にマーケッターのガラが居なければ、あれほど早く売れ軌道に乗っていたか?そして矢継ぎ早に勢いが続いたか?様々な決して安売りしない見事な自己演出が無ければピカソはキュピズムの雄になれたか?ゴッホの親族が画商と繋がっていなければココまで果たして評価が上がったか?それよりも彼の作品は見いだされたか?


『芸術起業論』


それらのハテナも、「記号化の実践」≪【村上隆】さん自体はそれを「価値を生むのは、才能よりサブタイトル」という言い回しをする。≫を高らかに歌舞く【村上隆】の出現で空想頭と言う【お花畑】から抜け出し身近にあるリアルな世界の現実を覗いて色々な事を気づいたりするわけです。

そして、子供の頃に信じていた「才能がある芸術家は見いだされる」という定理が神話である事を知る。サンタクロースを信じていた夢見がちな子供は大人になる。

売れる芸術家の理由は、「独創的な芸術」の才能?

マヤカシ。

つまり現実として、「独創的な芸術」の才能なんていうのは売れるための必要条件であって十分条件ではない。

芸術の才能なんてのは大前提だ。

何故なら独創的な芸術の才能なんて溢れているから。ただ見いだされない≪プレゼンできていない≫だけで独創性というのは案外、溢れている。

そして、そういう「サンタクロース」神話で飯を食っている【売れている芸術家】は本音を吐かない。何故なら、そういう現実は自らの足を食べるタコになる事を知っているからだ。

なのに【村上隆】さんは、「サンタクロース」なんていないと言い切り、あらゆるインタビューを読むと自らの才能について否定的に語ることが多い。≪もちろん書籍やインタビュー記事などでの自己否定は、高いレべルでの否定であり日曜画家と比べてと言っているのではないので注意。殆は、そのレべルまで到達できない。≫

その上で【村上隆】さんは、自分自身の才能についてドウ答えるかを意訳すると「芸術という構築された世界の仕組みを解く力とディコンストラクション能力」であり、「芸」で食う者たちへ記号化した世界で歌舞く≪自己演出≫事の重要性を説く。

だからこそ【村上隆】という芸術家は本当に凄かったりする。

【村上隆】さんの個々の作品と絡めながら考察すると、他の人もやってるし長くなるし在りきたりだから「作品を通して【村上隆】のどこが今までの芸術家とドウ違うのか」は、また別のエントリーで噛み砕いて考察するとして

今回のエントリーは【村上隆】さんがインタビューや書籍で説く「芸」で生き抜く理論を【現代芸能】に援用し当てはめてみると面白かったので論じてみたい。

おそらく、こうなる。

【現代芸人】が売れるためには「必要条件」である【ネタの力】だけでは「十分条件」ではなく、「業界の構造」である【現代芸能】を知り、「記号化」した後にその世界のルールに則り自ら演出し、価値をあげブランド化する事。

となり次に、これは具体的に【現代芸能】に当てはめると、どういう事を指すのだろうか?

検証し、考察してみたい。




---------------

◆村上理論00--徹夜なんて努力のうちに入りません


「徹夜なんて努力のうちに入りません」-->【ムラカミ】理論では、あらゆる「芸」≪F1ドライバーなども含む≫をもってプロとして売れる為の心構えとして、「覚悟」の重要性を指摘します。



【ムラカミ】理論に貫かれている「プロ意識の高さ」をよく現している言葉として「徹夜なんて努力のうちに入りません」というフレーズがあり、趣旨としては「芸」で食ってるヤツ≪絵画美術≫が徹夜程度を苦しいって「お前は学生か?」と、そして「一生懸命という幻想の中に慰めを見出している」と一刀両断です。

「芸」で食ってるプロであれば徹夜や一生懸命した事を価値基準に置くことをレベルの低い議論とし、完成しなければ完成するまで自分を追い込むは当たりまえで「芸」における地獄とは「寝ても覚めても出口も入り口もない捻れた空間」で答えが出るまで走り続ける挑戦である。とし

そのプロとして「芸」≪芸術≫で食う世界とは、

「ぎりぎりまでやらないと、ものが見えてこない世界」
「集中力と体力がきれたら、すぐに死ぬしかない世界」であり、そして不可能に挑戦するために、その世界に突っ込んでいくのがプロ。と表現する【ムラカミ】理論。

コレ系の本が好きでヨク読んでいますが、ココまでストレートで表現し尚且つ口先だけでなく世界でキッチり結果をだしている【現代作家】は【村上隆】さんぐらいなので、

≪具体的な名前は出しませんが、【現代作家】のコレ系のインタビュー記事を色々読むともう少し穏やか口調か、または多く語らない、または、結果は出しているけどキャラ付けなのか言っている事がお花畑系、はたまた理想論を語るけど言うほど結果残してない。っていう色々なタイプの作家の中でも【村上隆】さんは怒りとトゲトゲしいリアル感で特異。≫

一発勝負で見事に敗れ地味に派遣ガテンで借金返済しながら人生を底辺でヌルく暮らしているオイちゃん達のようなリアル敗北者には【ムラカミ】理論がボディに効きます。ので読み手を選ぶのも納得出来ます。≪御存知の通りアンチも非常に多い≫

しかし、

「芸」≪現代芸人含む≫で食っている人で結果を出せていない前向きな人には、芸大の教授も絶対に教えてくれない「芸」で戦うとは如何なる事か?を剥き出しの言葉で語る【ムラカミ】理論はリアルが見えてきて凄く為になると思います。

そして若くもなく黒歴史がある人の中には、病気で余命が幾許も無く死ぬ直前に親から「実は、お前は河から流れてきた桃から生まれたンだよ。」って病床で初めて聞かされる鬼退治に行かずガテンな人生を歩んだ「桃太郎コント」の主人公な気分になれる人も多いと思います。ガクッ。

「返事がない。ただの屍のようだ。」




---------------

◆村上理論01--現代の芸術作品は集団でやるべきだ


【ムラカミ】理論には、「芸」で身を立てて成功する術として、いくつもポイントが記されているのですが【現代芸能】に当てはまる大きなポイントを3つあげて考察したい。

「現代の芸術作品は集団でやるべきだ」-->まず、【ムラカミ】理論では、芸術の世界≪現代美術≫を分解し記号化した時に工房的な集団力の重要性を指摘します。



≪後に優秀な画家も産んだ初期のレンブランド工房等における成功を意識しているのかもしれない。レンブランド工房だと一般読者にはわかりにくいのでイメージしやすいようにルーカスを引き合いに出しているが別の項で「光悦村」などにも言及しているので。≫

もちろん、あの隆盛を誇ったレンブランド工房でさえ後期は表面上の理想とは裏腹にガタガタと国情共に崩れ去り、遂には破産して在庫として残った作品も叩き売られてしまうわけで、

熱烈なファンの人には怒られそうですが常に強気な【村上隆】さんの「カイカイキキ」だって今後、どうなるかは誰にもわかりません。だけども【レンブランド】と共にレンブランド工房作品が世界に与えた名声は今なお輝き続けているわけで、

記号化した後の世界では、「レンブランドの破産なんてのはドウでも良いホンの小さい事」である現実を鑑みると芸術作品での集団力の重要性は証明されているとも言える。

この【ムラカミ】理論を【現代芸能】に援用し当てはめると「芸能事務所」での集団による利点機能として「2点」あり


  1. 「マネジメント機能」-->ヒトツは「芸能事務所」が商品である『芸人』の販売や露出の管理などを芸人本人の代理として行う機能。

    これは「業界の構造」である【電波媒体の露出度が販売単価】に直結するという【現代芸能】世界での仕組み上、【現代芸人】が「芸能事務所」に入らず全ての処理を行う「フリー」という状態で売れ勝ちぬくことは不可能である事を指す。


  2. 「スタッフ機能」-->フタツは、芸能事務所」が商品である『芸人』の価値を高めていくフレームの構築という作業などを芸人本人のスタッフとして行う機能。

    従来はマネージャーが「スタッフ機能」を兼ねることが多かったが今後は益々、【現代芸人】の主戦場媒体が【電波】や【ネット】などミックスメディア化していくと現場が専門化していくので、その戦場に対応した「スタッフ」の力が占める割合が増えることは確実。

    音楽業界のサンプルのオケファイル如く、時代の流れを読みながらネタを『芸人』と共に練る「ライター」や、戦略に沿って企画を立案する「構成」や、各媒体に対応し現場指揮を行う「興行マネージメント」等いかに優秀で質の高い「スタッフ」を集められるか?という事が「芸能事務所」の盛隆にも作用してくるハズ。


同じ口演芸でも寄席≪割り≫や舞台≪出演料≫、営業≪発注≫を主戦場とする落語や講談、浪曲など【古典演芸】では、基本フレームが業界の構造上「ルート営業」的であり≪当然、例外な古典演芸人もいるが割合としてはごく僅かであり、評価もそこを重視しないようである≫、

活動の場がコンパクトなので≪TVなどの電波マス媒体が主戦場とならないので≫大きさのデメリットを感じない場合が多い為に「個人事務所」が比較的多いと推察出来る。

しかし、

鈴本など大衆寄席の出演が約束される組合に所属しない、又は徒弟制度上の師匠を持たない漫才やコントなど養成所からきた【現代芸人】は、そうはいかない。

【古典演芸】と違い業界の構造上【現代演芸】の主戦場は電波を主とする「マス媒体」である。

つまり、屋号を持たない継承芸でない格がない【現代演芸】では業界の構造上「電波等マス媒体での露出度が芸人の価値である販売単価を決定する」というルールで運営させている為に個人規模では戦えない事を推察出来る。

≪現在、落語など上方の古典口演芸では真打制度はないが、ちゃんと香盤による格付けは明確に存在している。≫

従って、【現代演芸】で売れる為には「芸能事務所」の所属は必要条件であり、その上で「集団の力」の質が重要視されるのであって、無所属フリーなのに【現代演芸】で大成功という現代芸人の例外を一生懸命さがしているのだが未だにホボ見当たらない理由もその構造にある。




---------------

◆村上理論02--芸術家は技術よりも発想に力を注ぐべき


「芸術家は技術よりも、発想に力を注ぐべき」-->2つめの【ムラカミ】理論では「芸術家」が売れる為の方向性として、「技術」よりも「発想」などの独自性の重要性を指摘します。





ただ、この文脈で読み違えそうなので再度書くと「絵の上手さを追求するよりも独自の作風にこそ意味がある」という趣旨の【村上隆】さんが唱える「追従者でなく革命家」というフレーズも絵の上手さのレべルは「日曜画家」程度の事を言っているのではなくて、

一通り色んなインタビュー記事や書籍を読んでいると【村上隆】さんが言う、この「絵の上手さ」というのも、ルネッサンスのお抱え宮廷画家のような職業模写レベルという、どうやら物凄い職人レベルの話をしているっぽいのです。

≪【村上隆】さんもボナールを使ってゴッホを批評して「絵の上手いよりも、ストリー性が重視される」など刺激的な言い回しをした時は、流石にそういう世界をあまり知らない若年読者に勘違いがないように絵画的な力はある事が前提という高いレベルの事を話ているんだよ。という注釈を言うときがたまにある。が、大抵はそういう「フリーザ対悟空」という前提を【村上隆】さんは省いて語る事が多いので他の批評家によく勘違いされるパターンが多い≫

別の喩えとして「上手いギターリストになるな。自分の音を出せるギターリストを目指せ」という趣旨を語っていたりしていますが、もちろんその上手い下手レベルはFは指で押さえるのが難しいとかいうレベルではないのだと思います。

【村上隆】さんの中ではプロなら「高いレベルで一定の技術や知識の基礎はあって当然」であり、そんな当たり前の事をいちいち言わない。というスタンスのようなので注意が必要。

この【ムラカミ】理論を【現代芸能】に援用し当てはめると「技術よりも発想」として「2点」のポイントがあり


  1. 「オリジナリティ重視」-->ヒトツは『芸人』が短期でなく長丁場で残るには「芸」のオリジナリティが必要。

    人真似や単なるアレンジ「芸」であれば記憶から抜けるスピードが早い。「あの芸は、あの芸人」というオリジナリティを持つと人の記憶と紐付けされ消えにくくなる。

    【ムラカミ】理論では総して単なるアレンジについて「追従者は小銭を稼ぐ事はできるでしょうが、小銭は小銭です」と一刀両断です。


  2. 「ルールの理解と再解釈重視」-->フタツは、オリジナリティとは世界を知り、他の中での自分を知る事。

    【ムラカミ】理論の中で中心となるのが「世界の記号化」であり、自分が戦う戦場のルールを完全に把握した上で勝つために自分をその戦場の中で有利な位置に置き再解釈をする事を重要視しています。

    Ph.D.の論文でもポジショニングマップなどを使って記号化から相対を現そうとする試みを行っている。


あと【ムラカミ】理論では「オリジナリティ」についても「スーパーオリジナル」「アレンジから新しく生まれるオリジナル」と「単なるアレンジ≪リメイク≫」という大きな3つの概念があり、

また「単なるアレンジ」と「アレンジから新しく生まれるオリジナル」の差として「ルールの理解」と「再解釈」という理論構成で違いを明確にしています。

≪【村上隆】さんのアンチが主に攻める部分がココなので、この部分の【ムラカミ】理論はガチっと固められてます。≫

論点だけだと少し分かりにくいので

細部については【現代芸能】に置き換えて具体的な例をあげて別エントリーで考察する。




---------------

◆村上理論03--価値を生むのは才能よりサブタイトル


「価値を生むのは才能よりサブタイトル」-->3つめの【ムラカミ】理論では「芸術家」が売れる為の肝として、「才能」よりも「サブタイトル」とストーリーの重要性を指摘します。



あくまでも「価値を生むのは才能よりサブタイトル」であり、この「メインの表題」でなく「サブのタイトル」に注目するだけでなく種明かしした上で実践している部分が非常に失礼な言い方ですが【村上隆】さんの本当の地頭≪じあたま≫の良さというか、

【村上隆】さんの「怖さ」なわけです。

だって、その「種」だけで食べている「現代作家」だっているわけです。「凄い絵描きは賢い人間しか見るコトができない。」という畏まったスギゾ・キッズ達の幻想や、その構図に群がる層を【ムラカミ】理論では

思いっきり「おーーい、みんなーーー聞いてくれーーー、絵描きは裸だ!」って言っちゃうわけです。

「売れ」には「美術界における文脈の中でストリー性」が何よりも優先される。と綺麗事でなくリアルを見せてしまうわけです。

そして【村上隆】さんは、そういった【ムラカミ】理論をもって世界で「売れ」て実証して見せたわけです。

もちろん、たまに美術館に出かけて彼女にインターネットで調べたウンチクを語るという役目がアートの唯一の役割である一般の人はソレ系の書籍などを読まないから、そういう【村上隆】さんが「日本美術界の絵描きは裸だ!」というコノ界隈で起こしたファーストインパクトの意味合いを知らないから、

従来の機構で食う人達の飯の種である「サンタクロースはいる」という神話は現実として生き続けるわけですが、

先日、お亡くなりになられた華麗なる反日の大先生を頂点として戦前戦中と才能のあった日本国家国民のために命をかけて戦った戦争画家を次々とパージし続けた

綺麗な日本画壇ヒレラルキーに収まり、そういう界隈の評論を恭しく読んでいた階層は「あははは。なんだかなぁ。」と色んな意味で起きてはいけないことが起きて「ガラガラポン」なわけですよ。

ただ、この界隈を考察していいてタマラなくオモシロいのが、

こういうファーストインパクトを受けても、それをなかった事にして右から来た【村上隆】さんを左に受け流し過ごす層、「サンタクロース」を殺した【村上隆】さんを殺人罪に問おうとする層、ガラパゴスの素晴らしさだけを主張し始める層、本流はコチラだと言い出す層、なんかわからんけど【村上隆】さんがムカつく層、とりあえずまだ様子見をしながら片足をかけて置く層、旨みだけをいただこうとする層、全世界の共通事項のような美術批評していた評論家に怒る層、【村上隆】さんの信者になる層、オイちゃんのようにニヤニヤ笑う層。とかに分かれるわけです。

そうなんです。このインパクトは、最近教授になられた【某多摩美先生】さん達が美術評論本でレンブラントの傑作であり代表作として『黄金の兜の男』を大絶賛しておられたのがレンブラント自身の手で描かれていない事が近年、解明されて「あははは。なんだかなぁ。」とか感じた比じゃないわけです。

≪もちろん、【某多摩美先生】さんダケではないが解説がわかりやすいと当時もてはやされていたので、まぁ知らないとは思うけども。レンブラント自身が手を入れていない工房作品であることが逆に工房の成功を証明しているとも言えるけど。後付だしね。≫

≪ちなみにレンブラント『黄金の兜の男』の色々な顛末については興味がある人は「弐代目・青い日記帳」さんの「迷宮のレンブラント「黄金の兜の男」」が、この界隈のオモロをよく伝えられていますのでどうぞ。≫

この「価値を生むのは才能よりサブタイトル」という【ムラカミ】理論を成功で見せつけ、あのバブルの時期にタケノコが如く現れ当時はモテハサレるも多くはバブル後に見事に沈んだ具体的な名前は挙げないけども多くの「現代美術家」を横目で見ながら紆余曲折有りながらも【村上隆】さんは今現在も【ムラカミ】理論と共に生き残り、爪痕を残し続けている現実。

ただね。ココでオイちゃんのようなこの界隈好きは【ムラカミ】理論を使って自分なりに解釈した「スーパーフラット」に付いて語り批評しそうになるけども、それは非常に読み手側から見ると如何にも感がダサイので≪コノ感覚もその界隈に興味のある人しか分かりにくいだろうけども≫ヤッちゃダメ。

なので本筋に戻して


  1. 「サイドストーリーを作る」-->ヒトツは『芸人』が短期でなく長丁場で残るには「紐付けした芸」を支える物語が必要。

    いわゆるオリジナルを重視する上で、観客の記憶に強く印象を残しておくには、その紐付けされた「芸」にまつわる枝葉が特徴付けられなくては効果が薄くエッジが立ちにくいと言う事。

    経営学でいうところの「差別化」戦略では一方向だけではなく「チャネル」であったり「パッケージ」「マーケティング」とか「間接・直接のサービス」「営業手法」などの複数で行わないと効果が定着しないのと同じ。


  2. 「文脈に入れ込む」-->フタツは、【現代芸能】の世界で「売れ」に入るには自己解釈し終えた「紐付けした芸」を業界でポジショニングし立ち位置を明確にする。

    これは【ムラカミ】理論の中で特に何度も繰り返し述べられているのが「文脈に入れ込む」という作業であり、コレをしないから日本の芸術家は世界で負ける。と述べている部分。

    自分が戦う【現代芸能】のルール上で、勝つために作った「サイドストーリー」が、「芸」に対しどう言う意味合いを持っているかと言うのを明確に提示して「観客に鑑賞する理由や意味を提供する」作業。


この界隈の書籍などを読んで全体が掴めていないと何のことを言っているかわかんないと思いますが

オイちゃんのような一般的な美術好きから見て【村上隆】さんという作家が他の「現代作家」と比べて凄いところは、

「えっ、そんな事いっちゃっていいの?」という従来の日本人作家は、わかっていても口に出して言わないのだろうなぁ。という作家も鑑賞者も互いに「心のなかでウヤムヤ」にしている部分を剥き出しの言葉で鑑賞者にぶつけ

≪例えば、そういう世界に全く興味がない人は知らない日本では「号数単位売り」の理由だとか、カネを絵画で献金するときに溶かしやすかったから画商が政治に暗躍する歴史的背景とか知っていても語られないことは多いわけで。≫

【村上隆】さんは、マスクマンよろしく「奇術」の種明かしをしたうえで「じゃ、それを踏まえてムラカミのマジックを見よ!」と鑑賞者に再度「手品」を見せつけ、

尚且つ成功させて、種がわかっている鑑賞者も喜ばせているエンターテイメント性にあるような気がします。

この「種明かし」と「アレンジから新しく生まれるオリジナル」で日本の美術を再構築しようとしている【村上隆】さんの凄さは、この界隈に全く興味のない人にはチンプンカンだとは思いますが。

結論として【村上隆】さんが目指している事を端的に現しているのが次のような言葉であると推察できます。

死後の評価が勝負ですよ。生きているうちはどうでもいい。岡本太郎だってそうでしょう。(村上隆 : 『日本の顔』 :文藝春秋5月2004)


インタビュー記事や書籍などでも何度も「現世とは自分の理論を試す場所であって勝負は死後」と語る【村上隆】さん。

【北野武】師匠とお笑いや芸術について語った「ツーアート」でも絵画や演芸が共に「芸」で食うというよく似た構造である事をわかりやすい言葉回しで述べられている【村上隆】さん。

【村上隆】さんの言動を考察していると【北野武】師匠よりももっとシンクロ率が高い芸人さんがいる。

それは、トある芸人さんも若い時からラジオを聞いていたりインタビュー記事や書籍なんかを読むと「現世とは自分の理論を試す場所」という趣旨の事を語っていたりする。

それは誰か?

その芸人さんは、

【島田紳助】師匠だ

また、それがどういう意味かという考証は、ハイヤングKYOTOやヤンタン木曜のヘビーリスナーであったオイちゃんが

【島田紳助】理論と【ムラカミ】理論のシンクロ率の高さを今度は【現代芸能】側から解く

という別エントリーで考察したい。



━━━━━━━━━━━━━━━━━



【R-1】考察--準決『女王』戦と吉本プロトカルチャー? 2010_02_12_[FRI]



2010_02_12_[FRI]







「現代芸人」によるピン芸の日本一を決める大会。

【R-1】。

TV放送に登場し、尚且つ勝ち抜く事で『売れアルゴリズム』の契機とすべく演者は頂点を目指す。

演者当人たちの赫々たる成果を打ち立てという功名心以外にも、一文でも彼らを高値で売ろうと画策するマネジメント側など「電波媒体での露出度が営業単価にも結びつく現代芸能の掟とリアルで生きる住人達」其々の場所から様々な思惑が見え隠れし考察には非常にオモロだ。

というわけで今回も、

多面的に展開している文様のうち「女芸人」の戦いを中心として経営側であるマネジメント部の思惑も絡めながら、他の批評ブロガーとは全く違う角度でエッジを立てて適当に考察していく。

R-1ぐらんぷり2010の第一弾として【準決勝】のメンバーと「芸歴」から見える関連性と、いずれ起こるであろう。または既に起こっているであろう関東芸人達が遭遇するであろう吉本興行プロトカルチャーとの衝突を予想しながらすすめていく。


---見出し---
  1. ◆まず結論として【R-1】とは何か?
  2. ◆R1-準決勝の女芸人12名と芸歴
  3. ◆女芸人の芸歴と関係性オモロ?
  4. ◆【いとうあさこ】から文化衝突をヨム?
  5. ◆安全牌接尾語とヨシモト的世界観?
  6. ◆ヨシモト上場廃止後の世界?


-----------------------

◆まず結論として【R-1】とは何か?




まず、考察するに当たって【R-1】とは何か?

という定義を行うと。

R-1、M-1、KOCいずれも「日本の現代芸能におけるヨシモト的世界観のスタンダード化」を行う戦略的ツール。になります。

ダウンタウンの松本さん的に言えば「いいソフト」

IT世界に喩えるならば電子文書「PDF」閲覧のデファクトスタンダードであるアドビの【Acrobat】のようなソフト

電子文書「PDF」もピン芸日本一「R-1」も仕様が公開されているが、【Acrobat】自体はオープンソースではなく内部はクローズされているので自由な改変は出来ず、また「ルール」の仕様変更や指針の最終決定は【PDF】ならアドビ、【R-1】で言えばヨシモトが主導するソフトです。

そして、【Acrobat】と【R-1】のもう一つの重要な共通点は全てのルールを【決める側の選手】が他の【一般選手】に混じって戦いを繰り広げるという構図です。

さー。考察を始めましょう。



---------------

◆R1-準決勝の女芸人12名と芸歴


2月11日に「ファイナリスト」と「サバイバル」が発表されました。女芸人は決勝【いとうあさこ】さん1名にサバイバルが【田上よしえ】さんと【友近】さんの2名でした。おめでとうございます!

R-1ぐらんぷり2010準決勝進出者69名のうち女芸人は12名でした。2010年の02/11におけるマネジメント事務所を含む簡単な略歴と個人的な感想を。



ちなみに今回、3回戦を突破した女芸人12名のうちオイちゃんが生で芸を見たことが無いのは単独のチケット取りで失敗した『鳥居みゆき』さんと【桜・稲垣早希】さん、TV演芸で見た【DJきーぽん】さん、動画でも見たことの無い『岩間よいこ』さん≪相方の元コンビの「あんいーぶん」は生で見たことがある≫の4人でした。

エッジのたった女芸人さんである【長江もみ】さんと【赤プル】さんに関しては以前の「ウメ」さんの考察で取り上げた事のある「局地戦略現代芸人」オチコマ研究」として目立たないけど才能のある3人として紹介した局地芸人さんのうちの2人で、今回は、その2人が準決に残ってくれて全くの他人事なのにナンカ嬉しい。

残念ながらオイちゃんイチオシの【飛んでん道35号】さんは残れませんでしたが次回こそはガンバッテ欲しいです。

あとR-1とは全然関係ないですが、なぜこの冷静な見立てが金融商品で出来なかったのか?欲は目を曇らせるのか?神は本当にいるのか?現実逃避現実包皮。

もちろん「芸が凄い」と「好き」と言う感覚は違うわけで、オイちゃん以前から宣言しているように「よしもと芸人大好き子」なので応援しているのは「よしもと芸人」全般ですが

R-1の2010年だと個人的には、好きな女芸人が【友近】さん、同世代の【いとうあさこ】さんと【田上よしえ】さんという事なのでTV画面越しですが「優勝目指してベストファイトでガンバテ!」っていう感じで猛烈に応援。

アラフォー女芸人頑張れ!
    -------
  1. ★―16年目―★


    【にしおかすみこ】(35歳)
    Pro][Wiki][Blog
    ≪ワタナベエンタ≫(--1994年)
    【女王様キャラ】でブレークしたピン女芸人。最近は小朝師匠に弟子入りして「現代芸能」から「古典芸能」へネタの芸域をシフトチェンジ。

    -------
  2. ★―13年目―★


    【いとうあさこ】(39歳)ファイナル
    Pro][Wiki][Blog
    ≪マセキ芸能社≫(舞台芸術学院--1997年)
    あるある漫談。浅倉南で2009年末からTV演芸での露出度が高まる。一人喋りの冠ラジオ番組でトーク力も見せ、演劇学校出身で毎年舞台もこなすなど実は芸域が広い。

    -------
  3. ★―12年目―★


    【田上よしえ】(37歳)サバイバル
    Pro][Wiki][Blog
    ≪人力舎≫(JCA6--1998年)
    一人コント。【友近】出現以前のピン女芸人で、クイーンといえば【田上よしえ】であった。ピン女芸人として唯一のゴールドバトラーに輝く女コント師。

    -------
  4. ★―11年目―★


    【長江もみ】(35歳)
    Pro][Wiki][Blog
    ≪松竹芸能≫(JCA7--1999年)
    漫談。ビックプリントのトレーナーを着こなして、富山県の情報を伝えながら漫談。ヨク分析すると実はネタのチョイスもシュールで独特の間を持っている。

    【鳥居みゆき】(28歳)
    Pro][Wiki][Blog]
    ≪サンミュージック≫(松みのる塾--1999年)
    演劇コント。【妄想結婚式】などテーマ性のある作りこまれた【演劇コント】での構成力の高さやセンスは他の追随を許さない。【友近】後の2連続R-1女王。

    -------
  5. ★―10年目―★


    【友近】(36歳)サバイバル
    [Pro][Wiki][Blog]
    ≪よしもと≫(NSC大阪23--2000年)
    模写コント。【鳥居みゆき】が現れるまで5連続R-1女王。地方在住の男性模写ネタは秀逸。

    -------
  6. ★―6年目―★


    【いがわゆり蚊】(27歳)
    [Pro][Wiki][Blog
    ≪よしもと≫(NSC大阪27--2004年)
    一人コント。関西吉本の若手で期待されているだろうピン女性芸人。関西の賞レースでも常連。ネタの着眼点と切込みセンスに抜けた才能。

    【赤いプルトニウム】(32歳)
    Pro][Wiki][Blog
    ≪太田プロ≫(--2004年)
    つぶやき漫談。茨城という地域と東京という都市にある様々な相違を、定型にのせながらつぶやく。

    -------
  7. ★―5年目―★


    【DJきーぽん】(33歳)
    [Pro][Wiki][Blog
    ≪ワタナベエンタ≫(--2005年)
    音楽に乗せてDJ風の「あるある」や漫談。

    【桜・稲垣早希】(26歳)
    [Pro][Wiki][Blog
    ≪よしもと≫(NSCタレ大阪01--2005年)
    モノマネ系コント漫談。ヨシモトの女芸人では珍しいネットを中心としたコアなファンを持つ。

    -------
  8. ★―4年目―★


    【渡辺直美】(22歳)
    [Pro][Wiki][Blog
    ≪よしもと≫(NSC東京12--2006年)
    当て振り芸。和製ビヨンセ。


  9. ★―3年目―★


    【岩間よいこ】(24歳)
    [Pro][Wiki][Blog
    ≪ワタナベエンタ≫(WCS5--2007年)
    一人コント。大学時代にNHKケータイ大喜利で「殿堂オオギリーガー」を取った投稿職人。2010年の準決女芸人では実質2年で芸歴最年少。

    -------
なお「お笑いの芸歴」に関しては通常、「お笑い」を始めた時期からカウントするのが慣習≪弟子に付いた年、養成所年≫となっているようです。

「エドはるみ」さん等のように別の芸能活動をしていても「お笑い」を始めた時期が別の場合はそちらが重要視されているようなので、このブログでの「芸歴」もソノ方式でカウントします。

※従ってこのブログでは「DJきーぽん」さんの場合も養成所の出身でないので「お笑い芸歴」はタレント後のR-1に参戦など確認出来る2005年からカウントします。≪別の事が判明したら次回から差替えます≫

「いとうあさこ」さんの場合も演芸学校の「舞台芸術学院」は1994年ですが「お笑い芸歴」は「ネギねこ調査隊」を始めた1997年からカウントします。

※またこのブログでは「稲垣早希」さんのようなコンビであった場合、コンビ「桜」の結成が2007ですが、養成所が2005なのでピンでは2005からとカウントします。

※このブログでは養成入学時年から加算年数に入った事としてして「足掛け年」でカウントします。理由は卒業年度マタギの場合や、各養成所の終了期間の違いなどを考慮しなければいけない事、養成所時に既にライブに出て収入をえている場合などもあり養成年度からの芸歴換算が別事務所の芸人さんを比較する場合には適切なためです。

このブログは一定のルールで芸歴をカウントしていますがwikipediaは、書き手により芸歴の基準が違い統一されていないので微妙に間違っている表記が幾つかあります。ご注意を。



---------------

◆女芸人の芸歴と関係性オモロ?


もちろん、お笑いの世界は実年齢ではなく一日でも早く入った人が先輩になると言う不文律があり、コノ角度から関連性を観察していると各芸人さんのネタよりも面白かったりする。

例えば【いとうあさこ】さんは39歳でも芸歴16年目の【にしおかすみこ】(35歳) さんは先輩なので年齢がだいぶ下であっても、「お笑いの世界」にいる限り舞台上のネタとして演じる以外で呼び捨てにはできない。

とうぜんこのルールに従えば【田上よしえ】さんの方が先にTVに出て浸透度は高かったが芸歴は【いとうあさこ】さんの方が1年長いから呼び捨て。ココまでは普通だが。

【田上よしえ】さんの所属事務所は芸歴上下関係がユルユルと書かれるアノ【人力舎】≪新興の芸人事務所だから徒弟制度を事務所自体が一度も体験していない≫なので

実年齢が年上で芸歴も上の【いとうあさこ】さんに対して【田上よしえ】さんが舞台の外でユルイ態度を取っているブログとか見てると【人力舎】的なノリだなぁ。って感じる。

もちろん【田上よしえ】さんがドウとかでなく【人力舎】に所属されている他の若手の芸人さんのブログなどを読んでいても、全体の雰囲気が先輩芸人さんに対しても芸人芸人していないナァナァのノリがあったり「よしもと」を中心とした関西の芸人さんにはホボ見られない傾向≪特に男性≫であり、

そのような視点から女芸人さんのブログでのつながり関係をプロファイル考察していると、とても興味深い。



---------------

◆【いとうあさこ】から文化衝突をヨム?


なぜ、この「芸歴」上下関係が比較的ユルユル現象が関東特有のノリでなく【人力舎】的であるといえるのか?

という問の解として

「【人力舎】が新興の芸人事務所だから厳格な師匠と弟子といった徒弟制度でのマネジメントを一度も体験していない」

という事務所のDNAが原因という仮説を立てた。

その理由は?というと

これまた関東にあって、【人力舎】とは毛色の違う【内海桂子】師匠など徒弟制度の中で育った芸人が所属し戦前から続く老舗のマネジメント事務所である「マセキ」の【いとうあさこ】さんが証明している。

それは【いとうあさこ】さんのブログ等を観察していると、この徒弟制度芸人マネジメントのDNAを持つ「マセキ」に所属していることもあり【芸歴】の上下関係に関するポジショニングの取り方が非常に上手くバランス感覚が良いのだ。

例えばよくブログなどにも出てくる、オアシズの【光浦】さんや【大久保】さんは、実年齢では年下だが「芸歴」では上の先輩≪オアシズの二人は18年目≫なので二人が登場するときは必ずブログでも接尾語は「さん」か「姉さん」として会話口調も丁寧語で行っている。

そして、【いとうあさこ】さんのブログでは年齢と「芸歴」が下の芸人に対しては接尾語は外して線をチャンと引いている事が多いのは当たり前なのだが。

【エド・はるみ】さんのように他事務所で自分の方が「芸歴」が上だが「実年齢」は下であり、それほど親しくも無いであろう芸人さんに対してブログでは「接尾語」を「女史」とし「エド・はるみ女史」と書いていた。

何故、【エド・はるみ】さんに対して「接尾語」を「女史」とした事が『言語感覚が優れている』と感心したのかというと、

とうぜん【エド・はるみ】さんは芸歴が下なのでブログでも「呼び捨て」で良いのだが「女史」と言う「接尾語」を使う事によって「女史」という言葉は「芸」を指しているのではなく社会的な敬称なので「芸歴」では後輩だけど他事務所で「人生」では先輩と言う【エド・はるみ】さんに対する配慮が文面から滲んでいる。

【いとうあさこ】さんっていう芸人さんは、そういった細かい気配りも出来るのだなぁ。とブログから推察できた。

もちろん、それは彼女の持ったパーソナリティに基づく部分が大きいが、心理学ではないが彼女を芸人というタグ付けで育てるにあたり【人力舎】とは違い「マセキ」という芸歴序列がはっきりあるバックボーンの事務所であった環境要因も無視は出来ないはずだ。

一方、嘘かホントか分からないが【人力舎】というマネジメント事務所は月収が1000万を超えると独立を勧めるという。結局、大御所のようなカタチで芸人が残ることが無くなり社風として【上下関係ユルユルDNA】が引き継がれるのだ。

その【人力舎】が持つ【上下関係ユルユルDNA】が従来の芸人を預かっているマネジメント事務所とは違う自由な雰囲気によって「芸人の個性」を生むという利点はあるだろうが規模が大きくなるにツレて再び人力舎「東京03」さんが遭遇したような徒弟制度を色濃く残す関西の「よしもとプロトカルチャー」との衝突というリスク要因を孕み続けるコトも大いに推察出来る。

そして何よりも関東の芸人マネジメント事務所側が考慮スべきなのは、「よしもと」がNSCで新しい若い力を蓄えて関西の主導権を完全に把握した≪それまでは松竹も良い戦いをしていたが今は完全に飲み込まれている。≫ように、

現在進行形で東京NSCとYCC≪よしもとのスタッフ養成学校≫によって新しい時代に対応出来る若い力を蓄えた「NEOよしもと」が関東で戦える基板を完全に構築し、

数少ないリスクのヒトツであった「お家騒動」もマネジメント側の勝利に終わり、今後は関東の「芸人シェア」拡大へ本格的に攻め込むであろうという現実とどう向きあうか?

ということだ。

リン・ミンメイは残念ながら関西の覇権争いでは現れなかった。



そう関西覇権闘争は「ヨシモトの完勝」で終了した。

【文化衝突】、そう「迎合」か「拒否」か?

とか煽ってみても取る道はヒトツしかないだろうけども。どの世界も現実はシビアだ。

しかし考察はオモロだ。



---------------

◆安全牌接尾語とヨシモト的世界観?


【鳥居みゆき】さんは18歳になってスグに養成所に入っているから【友近】さんよりも養成所からの足掛で換算した場合に「お笑いの芸歴」は微妙に長い。

だから【友近】さんの方が年齢が上で先に売れていて他事務所といえも【鳥居みゆき】さんは先輩だからバックヤードを映した映像を見ると【鳥居】ではなく【みゆき】ちゃん。って呼んでいた。

「ちゃん付け」は、実年齢が明らかに下だけど芸歴がよくわからない場合に上手く作用する「安全牌的な接尾語」だなぁ。とそれを見て【友近】さん賢いなぁとチョッと面白かった。

女芸人さんを考察していて面白いのが、5年も6年も芸歴が上だと先輩後輩で上手くいけるが、年齢も売れた時期も先で、芸歴が半年とか数年しか違わないとしても先輩なら呼び捨てにはできないから「ちゃん」付けとかで交わしたりと関係性が面白い。

NSCという最大の芸人養成所を抱えても徒弟制度DNAを残すヨシモトにあって「芸歴絶対主義」という不文律を意図的に外すとは「世界を否定」してしまう事だから特にヨシモトの強い関西では絶対に有り得ない。

面白いのが、そのヨシモト的世界観で成り立っているTV演芸の世界を見て育ってきたオイちゃん達のような関西の視聴者である観客側からも芸歴の否定という行為は「常識のない芸人」として認識されるのだ。

ヨシモトが強い関西の演芸は落語などの古典芸能だけではなく現代芸能でも【徒弟制度DNA】が色濃く残っており、関東の一部芸人さんがみせるタレント的な上下関係のゆるい文化は「関西的な芸能世界観」ではタブーであり、それを若手の芸人が疎かにするとクイズ中に下を向き続けなくてはいけなくなる。

よく「ヨシモト芸人」がネタで「先輩やど!」っていうツッコミをするのも、そういう「芸歴絶対主義」の世界観が演じ手だけでなく見る側にも完全に出来上がっているから笑いが醸成出来るのだ。

というか「よしもと」的な関係を批判する人もいるけど、オイちゃん的には職業を「タレント」でなく日本の「芸人」と名乗るならば「よしもと」的な上下のしっかりした関係の方が正常だと思うけどね。

コレも関西の演芸文化圏で育ったから?



---------------

◆ヨシモト上場廃止後の世界?




今後は、あの芸人事務所の巨人「よしもと」が上場廃止という今までの足掛けが取れた事でフリーハンドを得た状態で本格的に関東制覇に乗り出してくる事は明らかだ。

「よしもと」の戦略予想考察については別エントリーに挙げるので詳しくはそちらに譲るが、

「よしもと」は来るべきクロスメディア時代の戦いを見越して「ベルロック」を設立し宣伝や広告に発券等オンラインでの顧客囲い込みで現在では最も進んだシステムを導入した企業として、

芸人の販売だけでなく自前のコミュニティFMを持ちネットでの自主制作放送まで手広く所持し現在の媒体要素では最善の体制を作りあげている。

しかも関東制覇を確実にするための仕込みとして大きな資本を投下し「YCC」という「現代芸能」において今後の戦場になるであろうクロスメディア世界で戦える優秀な戦闘員の育成学校の設立という布石を着実に打っている。

「YCC」については別エントリーで詳しい考察を行うが、インタビュー記事などを読むとヨシモトの現社長が次のヨシモトを担う重要な戦略のヒトツである。と繰り返し述べている。

おそらく、今後はYCCで自家育成した戦闘員が「よしもと芸人」の後方支援として、またマネジメント側として関西から関東まで日本津々浦々「よしもと的世界観」を定着させていくのだろう。

そうNSC卒業生がヨシモトで活躍するだけでなく他の事務所に移籍することで彼らを通じて、「ヨシモト的お笑い世界観」が伝播したようにYCCの卒業生が他の芸能事務所に浸透していき「ヨシモト的お笑い運営ルール」がスタンダード化していくのだ。

そう「ヨシモト」が狙っているのは「日本の現代芸能におけるヨシモト的世界観のスタンダード化」だとオイちゃんは推察している。

「よしもと関連本」の書籍等を読めばわかるが「戦前の設立当初から吉本興業は事業拡大に対して攻撃的で失敗を恐れない」というDNAで拡大を続けている。

海外の版権事業所、音楽、映画だけでなく新聞発行や漫画にいたるまで他の芸能事務所が怖がってやらない事業をたとえ失敗しようが直ぐにダメと見切ればスクラップし別の事業へ立て直してくる。この生命力は他の芸能事務所を全く寄せ付けない。

そういう色んな意味からも芸人を育成するマネジメント側の果たす役割は大きい事は間違いないようだ。

手枷の取れたヨシモトが今後、どれぐらいの時間で、数年?数十年?そして関東の「現代芸能」をどう変化させるか?

オモロ考察がすぎる。



━━━━━━━━━━━━━━━━━