【現代芸能】ヨシモト芸人を作ろう!--興行師達の描いた明日は継れココにあったか?
2010_04_24_[SAT]
シリーズ【現代芸能】ヨシモト芸人を作ろう!考察 ネットと電波媒体がクロスしてくる今日。

【現代芸能】を現象から見える『売れアルゴリズム』と『提供サイド側の思惑』を適当に考察する
シリーズ【ヨシモト芸人を作ろう!】
アノ芸人事務所の巨人でありアゲアゲシステムを軸とした劇場原理主義である「よしもと」を少し変わった角度から考察していく。
今回は、まだ「TV」など電波媒体が唯一絶対であった時代、つまり「ヨシモト」も創業筋が主導権を握っていた時代に
TOPマネジメント層が行った講演をオイちゃんが聞いた記憶から十年以上立った現代を振り返って「ヨシモト的」なるモノを確認し、またマネジメント側が語った事の検証をしながら考察を行う。

【現代芸能】を現象から見える『売れアルゴリズム』と『提供サイド側の思惑』を適当に考察する
シリーズ【ヨシモト芸人を作ろう!】
アノ芸人事務所の巨人でありアゲアゲシステムを軸とした劇場原理主義である「よしもと」を少し変わった角度から考察していく。
今回は、まだ「TV」など電波媒体が唯一絶対であった時代、つまり「ヨシモト」も創業筋が主導権を握っていた時代に
TOPマネジメント層が行った講演をオイちゃんが聞いた記憶から十年以上立った現代を振り返って「ヨシモト的」なるモノを確認し、またマネジメント側が語った事の検証をしながら考察を行う。
-->コレまでの「ヨシモト」関連エントリー
---見出し---
◆興行師達の描いた明日は継れココにあったか?
- ▼オイちゃんが「ヨシモト」芸人ではなくて、
- ▼創業筋が主導権を持っていた十年以上前、
- ▼でも、会場が一番盛り上がったのは、
- ▼当時は、「AS」さんの金額で驚いたよりも
- ▼「ヨシモト」のギャラに関する考え方も、
- ▼「ヨシモト」への貢献の考え方も独特で
- ▼どれくらいの金額を平均して何年稼いでいれば、
- ▼後世、日本の芸能史を振り返って
- ▼舞台で芸人は育つ。
- ▼「ヨシモト」が他の芸能事務所と違い
- ▼「ヨシモト」がグレード制にも絶対的有利性を
- ▼では「ヨシモト」はどうか?
- ▼それが「ヨシモト芸人」だとしたら
- ▼講演での某役員曰く
-----------------------
◆興行師達の描いた明日は継れココにあったか?
▼オイちゃんが「ヨシモト」芸人ではなくて、
「ヨシモト」マネジメント側の講演を聞きたいと思わせたのが、
「花のれん」ではなくて、同じ大量にあるヨシモト関連本のヒトツである「女興行師 吉本せい―浪花演芸史譚」という書籍を図書館で借りて読んで凄くオモロかったのがキッカケだったんだけど

その某役員が、一般の人が知らないプロレス興行からエンタツアチャコさんの時代などヨシモトの歩んできたマネジメント側から見えた簡単な社史など、
その当時から多く出ていたヨシモト関連本に書かれてあった事をメインに書かれていなかった芸人等との内幕的な出来事などに枝葉を重ねながら軽妙に語るんだけも、
関連本を読みあさって下手に読みかじり前知識があるもんだから、それが日本の芸能史とダイナミックに絡み合ってどの「ヨシモト」役員の講演も当時も興味深い内容だったが
十年以上経ち今、改めて振り返って記憶を辿っていくと、継らなかったパズルが嵌りだし、
あの時代、日本の芸能史をリアルタイムで作っていた
ありし日の【興行師達】がオイちゃん達観客に放った言葉の答えが見えてきて尚いっそう楽しめる。
▼創業筋が主導権を持っていた十年以上前、
読書や観劇と同じくらい経営者達の講演も大好きだったので、吉本興業役員の講演会を数回聞きに行ったことがある。
どの講演も登壇した某役員達がキャラが立って一般企業の役員には見られない強い語調と、芸人ではないのに何箇所かで必ず笑いを取っていたのはさすがだなぁ。と思って聞いていた。
某役員の時の講演の内容は、
たしか『ヨシモト的経営手法』のようなテーマを簡単な歴史考察をベースに、近年取ってきている手法を簡単なケーススタディとして内幕を絡めながらという
書籍などでは聞けない「ヨシモト」のTOPマネジメント側の思惑を軽妙な語りで進めていく面白い講演だった。
▼でも、会場が一番盛り上がったのは、
「ヨシモト」芸人のギャラの話の時だった。
世間で言われているヨシモトのケチぶりを面白く話したあとで、その某役員曰く≪正確な言葉ではないがニュアンスで≫
『ヨシモトはケチやケチやと言われていますが、そんな事はありません。ちゃんとヨシモトに貢献している芸人には、どこにも負けない額を払ってます。』
「うそやろ」的に会場が少し笑いに包まれて、某役員曰く
『名前は言えませんが、イニシャル「AS」さんにヨシモトは9億支払っています。』
はじめオイちゃんも聞き間違いかな?と思ったけども会場が一気にドワーと沸いて、それが聞き間違いないでないことを知った。
もう一度、某役員曰く
『名前は言えませんが、イニシャル「AS」さん。』
で、ドワーと笑いを取っていました。
恐らく会場のウケを見ても、これは講演時の鉄板ネタで何処でも喋っていたんだろうから聞いたことのある人は多いと思うけども、
それでも心の中で「ほんまかいな?」と
某役員が大風呂敷を広げて面白く脚色してるんだろうなぁ。ぐらいに思い込んでいたけども、その後の「ヨシモト」関連本や某芸人さんがメディアで値段を語っているのを読んだり見たりして
9億という数字は調べようが無いからどうかわかんないけども、ソレぐらいを当時「ヨシモト」が芸人さんに支払っていたのは
「ほんまやったんだなぁ」と2度ビックリ。
▼当時は、「AS」さんの金額で驚いたよりも
高所得者番付という高額納税者公示制度が存在していた時代だったんだけども、
その推察されるイニシャル「AS」さんが公示に出なかったのは受け取りを「個人の会社」で法人税を挟んでいたのと、それでも、そこから税金を処理しても某役員の話が本当ならソレだけでも所得計上時には、出るだろうから修正申告で時期をズラす。
という手法で記載されないようにしていたようだった事を知って
それからイニシャル「AS」さんが出ているTVを見ると全然、今までと違うように見えてきたのがオモロだった。
▼「ヨシモト」のギャラに関する考え方も、
具体的な数字は出してなかったと思うんだけども≪このあたりは十年以上前で記憶が曖昧≫
色々な実例を並べながら講演で喋っていて、
その会話で特徴的だったのが節々に『貢献』という意味合いをヨク使っていて「売れる」という事なんだろうけども
その某役員の言葉を聞いていると「売れる」という現象はもちろん、それが「ヨシモト」の売上になるんだから大切な事なのだけども、何よりも優先されるべきことは「ヨシモトにどう貢献するか」という基準でギャランティの分配率も変化してくる。
みたいな趣旨を語っていた。
ヤの付く自由業とは言わないけども、やはり芸能と言う世界で生きる会社は少し一般的な企業とは違って商品であるハズの芸人さんと距離が近いなぁ。と感じたりした。
逆にだから講演がオモロだったとも言えるけど。
▼「ヨシモト」への貢献の考え方も独特で
一番「ヨシモト」に貢献するのは、売れ続け舞台に立ち続ける事で、次がソコソコ売れ続けて舞台に立ち続ける事。
結局は、なんやかんや言いながら売れないと「ヨシモト」には貢献しているとは言えないんだなぁ。というそんな感じのニュアンスで軽い笑いを取ってた。
数字は出さなかったけども≪たぶん≫、「ヨシモト芸人」は若手の時代は他の芸能事務所からしたらビックリするぐらいの事務所取り分になるのだけども
「ヨシモト」では、「ソコソコ売れ続けて舞台に立ち続ける事」で「貢献」していくと他の芸能事務所に比べて事務所側の取り分率が下がってくるシステム。
というようなニュアンスの事を話していた。≪下がるではなく、取り分が増えていく。という言い方だったかも。≫
当時、オイちゃんは心の中で「もともと高いのを普通に戻していく。って事じゃね?」っては突っ込んでいた。
▼どれくらいの金額を平均して何年稼いでいれば、
どのくらい比率が変化していくのかは話さなかったので分からなかったが「ヨシモト」は長く貢献し続ける芸人には取り分を増やしていくシステムだそうで
その理由として幾つか上げていた中で
『売れ続けることで「テレギャラ」や営業単価も上がっていくので取り分も自然に増える。』というニュアンスの事は、まぁ、それはそうだろう。と聞いていたが
『芸人をづーと続けていると弟子を育てたり、飯を食わせるようになる』という事にも配慮して長く「ヨシモト」に貢献していると取り分の率が変わってくる。
というニュアンスの事を言っていたのが印象的だった。
▼後世、日本の芸能史を振り返って
眺めたときに、
戦後の漫才を主体とする【現代芸能】における徒弟制度を実質破壊したのは「ヨシモト」≪最初に始めたわけではない≫だと演芸評論家達は論じるだろうが、
その徒弟制度を破壊した「ヨシモト」がギャランティの配分率思想という、芸能販売企業の基幹部分のDNAに「芸人が芸人を育てる」という徒弟制度を色濃く残し続けているという事が
「ヨシモト」が戦前、戦後と続く日本の芸能を見た目ではワカラナイDNAレベルでは引継いでいるんだなぁ。というオモロだ。
たまに、関東圏の「ヨシモト」でない養成所芸人が、【先輩後輩】や【礼儀絶対】に【先輩が飯を食わす】等といういわゆる『ヨシモト的なるモノ』を批判したりするのを見かけるが
逆にオイちゃんは、その人が「タレント」ではなく「芸人」や「元芸人」と名乗っている陳腐さを感じ笑ってしまう。
どちらが日本において歴史考察上「芸人」的であるかは答えを探すまでもないと思う。
▼舞台で芸人は育つ。
劇場の重要性を具体的に例を挙げて答えていた。
師匠弟子に先輩後輩と言う芸人世界における社会性を学び、芸人が芸人を見ながら競い合い育っていく。とか、そんなニュアンスの事を語ってた。
マネジメント側が考える効果は一般企業でも普通にある気がするが、オイちゃんが講演を聞きに行った創業筋や非創業筋どちらも「ヨシモト」TOPマネジメント層が共通して力説していた事が、
今と違って電波媒体のTVが唯一絶対的な力を持っていた「あの時代」にも芸人にとって劇場という舞台の重要性だった。
正直、当時はそれがとても意外だったのでよく覚えている。
ただ、その芸能の世界と関わりが全く無い講演視聴側のオイちゃん達には、モット深い部分があっても感じることは不可能だし
当時、某役員が語らなかったけども、
オイちゃんはヨシモト苦難の時期、劇場を次々撤退していった苦い経験があるからトラウマ的になったんじゃ?と関連本で知識が入っていたので講演を聞きながら勝手に考察していた。
▼「ヨシモト」が他の芸能事務所と違い
維持費が掛かろうとも何があっても先ずは劇場という【劇場原理主義】≪これはオイちゃんが勝手に作った言葉≫で、
あったからこそ、攻撃的な経営という側面以上に、自前で常設小屋を回し続けて、芸人が芸人同士で戦い続けるという

月一回の事務所ライブがメインと言う他の事務所芸人では絶対に味わうことが出来ない壮絶な生存競争環境で鍛えられ育っていくというシステムが確立され。
古典芸能の世界にある【高座百遍】という効果を産み
若手の「ヨシモト芸人」だけがライバルに負けて泣き、勝って笑いという【芸能経験値】を他の事務所芸人の同期たちとは比較にならないぐらいに高めて行ってしまう。
そういう現実で他の事務所芸人達は「ヨシモト芸人」と戦わなければいけないのだ。
▼「ヨシモト」がグレード制にも絶対的有利性を
持っている理由で忘れてはイケないのが、
環境での【総体数】や【競争の熾烈さ】以上に【電波メディアへのバータ枠】を持っている。という事だ
他のお笑い事務所にもグレード制という競争制度が大抵あるが、他の事務所芸人では、そのグレード制で常にTOPであり続けてもマス媒体へのチャンスとは言えない。
お笑いが好きで「ヨシモト」以外の芸人が出演する事務所ライブに行っている人ならわかると思うが
グレード制のある事務所ライブで常にTOPにいても、その小さな世界だけの話で【TV】等のマス媒体へリーチしていかない。
▼では「ヨシモト」はどうか?
そう、具体例を上げるまでもなくTOPであり続けると言うことは【マス媒体】への小さなチャンスを得る事になる。
そのチャンスを生かせるか、どうかはその小さなチャンスをバータで与えられた芸人の力量であり、
必ずしも舞台に強い「ヨシモト」芸人が【マス媒体】で活躍出来るとは限らないようだが、彼らはマス媒体にリーチ出来る【R-1】【M-1】に関しても「ヨシモト的お笑いルール」を熟知し
尚且つ、他の事務所と比べ物にならないほどの競争世界でガツガツ鍛えられて負けにくいのは当然だし、
いくら事務所ライブでTOPに立ち続けても【マス媒体】への小さなチャンスも与えられない「非ヨシモト」芸人の現実を見れば若手「ヨシモト」芸人が
グレード制を駆け上がろうとする意気込みが他の事務所芸人と違うのはわかってくる。
何故なら、ソコには他の事務所のグレード制の頂上にはない「小さな光」が確実にあるから。
それをわかっているお笑い芸人予備軍は、もちろん「ヨシモトNSC」を選択するから好循環が生まれてくる。
▼それが「ヨシモト芸人」だとしたら
他の事務所芸人が正当法で「ヨシモト芸人」を打ち負かすのが、至難の業である事が理論的に証明されてしまう。
これら【劇場原理主義】に基づくシステムによって
今現在の「ヨシモト芸人」が他の事務所と違い足腰が強い。というアドバンテージを持っているのかもと推察すれば
あの当時、「ヨシモト」某役員達が講演で語っていた
オイちゃん達素人には時代遅れに見えた【劇場原理主義】の姿勢がまさしく次世代の「ヨシモト」を引っ張っていく若手の育成に大きく貢献しているリアルな現実に繋がって
ああぁ。そういう事だったのか。という感想と共に
ヤッパリ餅屋は餅屋ではないけども、
どの世界にも失敗したり成功しながら自分の体で経験を積んできたプロにしか感知できない事ってのはあるんだなぁ。
と、十年以上遅れて勉強になった。
▼講演での某役員曰く
『舞台に上がるまでに大きな費用が掛かっているんだから若手が安いのは当たりまえで、本当はこっちがお金を貰いたいぐらいや』というニュアンスで語っていた。
ここでも小さな笑いを取っていたが、実際はNSCで本当に取っているし。若手は手売りしてるやん、
って心のなかで突っこんでたが、
当時は気付かなかったが、
ひょっとしたら、講演の某役員はそれをわかっている上で、若手からカネをモットモット取りたいというボケだったのかもしれない。
さすが「ヨシモト」、
あの時代のTOPマネジメント層達の講演を振り返ってみると、また違った風景が見えてきてオモロすぎる。
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【現代芸能】妹島和世を作ろう!02--記号になった女性建築家
2010_04_14_[WED]

シリーズ【現代芸能】妹島和世を作ろう!考察いつものように多くの「お笑い批評ブローガー」とは全く違う角度からエッジを立てて【古典演芸】と違い屋号を受け継がない【現代芸能】を観測。
今回の、後半はソレ系の界隈に興味の無い人には何がリアルで暗喩なのか皮肉なのかもサッパリ意味不明な文章になります。
2010年「プリツカー賞」を取った女性建築家の見えにくい偉業を「ジェンダー」で界隈を眺めながら、若手時代の記事から今に繋がる【妹島和世】を眺めるという他の評論ではあまり無い切り口の考察エントリー。
今回の、後半はソレ系の界隈に興味の無い人には何がリアルで暗喩なのか皮肉なのかもサッパリ意味不明な文章になります。
2010年「プリツカー賞」を取った女性建築家の見えにくい偉業を「ジェンダー」で界隈を眺めながら、若手時代の記事から今に繋がる【妹島和世】を眺めるという他の評論ではあまり無い切り口の考察エントリー。
---01見出し---
◆【妹島和世】=(柳原可奈子+ウメ*0.3)/1.3+基地
- ▼【妹島和世】さんを記号化すれば、
- ▼ベースの【柳原可奈子】さんを用意しよう。
- ▼エッセンスに【ウメ】さんを加えて調整します。
- ▼世界で戦う宣伝、発信基地を作り完成です。
- ▼そして今はネットがあるから
- ▼まぁこの界隈の好きな人って、
- ▼もちろん、【ネット】媒体の反作用として
◆記号になった女性建築家【妹島和世】
- ▼算数に興味のないオイちゃん達が、
- ▼女性建築家として世界で2人目、
- ▼今回、受賞した【妹島和世】さんは、
- ▼おそらく、日本の女性建築家で、
- ▼もちろん、「弟子っ子」時代や独立当初なら
- ▼しかも、この界隈の技術は日進月歩だから
- ▼若手建築家と言われていた時期から、
- ▼【妹島和世】さんが若手建築家時代の記事を
- ▼【再春館の女子寮】での東西に分かれた部屋を、中央の大スパンのリピングルームを挟む大胆な空間構成にした設計時の構造や設備の面での工夫について。
- ▼若手時代の【妹島和世】さんはプラン、設備、構造などについては矢継ぎ早に語り出すがデザインについては多くを語らない。その建築思想的な骨格が固まる前段階である事も何か不思議な魅力を生み出していた。
- ▼若手時代の【妹島和世】さんの設計スタイルや所風などを端的に切り込んだ記事からも現在とつながっていく様々なモノが見えてくる。
- ▼若手TOP集団だったと言うことは、
- ▼あえて名前は挙げないけども、
- ▼古びた過去の藝評雑誌とは?
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◆記号になった女性建築家【妹島和世】
▼算数に興味のないオイちゃん達が、
数学界の「フィールズ賞」が誰がとろうと大して興味もないし、「ポアンカレ」って美味しいの?と尋ねてしまうのと同じくらい、
建築界の最高賞である2010年「プリツカー賞」を日本の女性建築家が取ったことの凄い偉業感覚は、この界隈に興味がある人しかわからないのだろうなぁ。
というのがオモロだ。
そしてコノ界隈に興味がない人達には全く見えない「ジェンダー」という忌避なるキーワード。

当然ジェンダーというモノは表向き、この界隈的においても関係ない事になっているが、果たして本当に日本でそれを信じている人がいるのか、わからないけどもリアルとして
女性建築家さんがスピーカーとして出演している講演なんかを聞きに行くと「現場で職人にナメられない様にする手法」などを面白く語って笑いを取ったり≪一種の界隈的ジェンダー芸?≫などというパターンを見かけることが、それを証明しているわけで
だからこそ、この受賞というのは若手時代から常にTOP集団にいた【妹島和世】さんが取ったという事よりも
界隈的には、ついに「日本の女性建築家」が取った。と言う事の方が意味がでかくて、
街の小さな設計所で「界隈的ジェンダー芸」が毎日繰り広げられる【妹島和世】さんとは違う世界で生きてる多くの「女性建築士」達の代表選手がメダルを取った!的な興奮があるだろうなぁと推察するのは簡単だ。
▼女性建築家として世界で2人目、
モチロン日本の女性建築家では初めて、「プリツカー賞」を取った【妹島和世】さん。
日本国民の99.999%を占める、この界隈に興味がない人にわかりすく説明すると
つまり【妹島和世】という建築家が、
芸術大学の建築学科で習う「日本近代建築史」という厚めの教科書に、「日本の女性建築家で初めてプリツカー賞を取った」というタグ付けされて「学期末テストに出る人になった」という事。
そう、十年先、五十年先も。
業績と共に記載され続ける事を意味する。
世界の文脈に「モダン」「ピュアモダン」という流れで【妹島和世】が記号になった。という事だ。
▼今回、受賞した【妹島和世】さんは、
日本国民の99.99%以上はハジメテ聞く名前だろうけども、界隈的には浮遊感あふれるデザインでおなじみの
伊東豊雄建築設計事務所出身な【妹島和世】さんという建物をデザイン設計したりする人は≪構造と違うのがポイント≫、
なんかマグレで「金獅子賞」≪取れんけど≫の流れで「プリツカー賞」とかいうお菓子みたいな名前の賞を取ったとかではなくて、わかりやすく喩えて言うなら
「国際科学オリンピック」に出ていたような子供が、数十年後に本当に「ノーベル賞」を取った。という
界隈的には、「取るべく人が、本当に取った。」
▼おそらく、日本の女性建築家で、
取るとしたら2000年以降の勢いだと【妹島和世】さんの製作グループが抜けてくるわけだけど、心の奥底では「ジェンダー・デバイド」をなかなか超えられないこの界隈で共同とはいえ、まさかマジで取ったんだ?という驚きの感じなんだろうなぁと。
もちろん、存在しては駄目なのだから建築学科の教科書には載っていないし、表層上は「ジェンダー・デバイド」なんてのは無い事になってるから、あまり公では触れられないけども、
でもリアルとして【料理界】と同じで「業界所属男女比」以上に、この界隈では賞を取ったりするTOPが殆ど男性であるリアルはタブーなわけで。≪だからこそ女性芸術家達が座談会等で面白く語る電波に乗らない「ジェンダー・デバイド話」は笑いを生む≫
口には出さないけども「なんとなく女性の飛行機パイロットだったら不安だったり」とかと言うのと同じで重大な瑕疵である根拠もないのに、大きな金額が動くコノ界隈にも現場の空気感があって
大きなプロジェクト規模でどうかはわかんないけども、少なくとも個人への建売りのレベルとかだと不動産営業マンをしてるオイちゃんへリアルに「女性の設計さんで大丈夫?」的なのはあったりしたわけです。表立っては言いませんけどね。
▼もちろん、「弟子っ子」時代や独立当初なら
まだしも現在の【妹島和世】さんのようなビックネームの建築家を抱えているチームとしての組織形態では現場処理もスタッフが行うだろうから設計に専念出来る環境だとしても
ただ大多数を占める、リアルな世界として設計士さんがコミュニケートするのはクライアントである施主さんだけではなくて、工程表に基づいて家を作る現場の職人さんを販売の営業職と一緒にコントロールしないといけないわけです。
また建築士として独立し営業職が無い小規模の設計事務所なんかの場合は、公官庁のコンペ物件とかでなく個人施主で請け負った時なんかは本来営業マンが行うクライアントと職人との間のクッションが無い状態で二正面でガッチリ向き合って目的地までタクトを振ることになり、
現場では職人になめられたら細かい部分で手を抜かれるかもしれないし、強く出すぎると少しの無理も通らなくなってくる。
施主の希望と自分のプランの実現とのせめぎ合いも絡み合いながら、常に予算とニラメッコで利益確保で積算する「設計能力」以外に、この微妙な現場との「パドリング能力」も必要で
ココを男女関係なく渡って行かねばならぬリアルな世界。
▼しかも、この界隈の技術は日進月歩だから
常に新しい施工技術や設備に新建材等の学習が必要で、
「ツーバイフォー」での間仕切りの心配が最重要な社内設計士ではなくて、コンペで勝ち抜き界隈誌でカバーを飾りTOPを走り続ける建築士であるためには、同業ライバルたちの作品研究も常にやっておかなくちゃいけないだろうし
設計事務所もハンパない数が存在し、ゴルフのように女性は前から打てるというルールなども当然なくて
男女関係なくその中を勝ち抜いていくという壮絶なリアル。
まぁ、そういう世界であり、ヘレン・ケラーとは言わないけども
そういう見えない部分も含めてだから、界隈好き人的には一般的に感じる以上に女性建築家の【妹島和世】さんが「プリツカー賞」まで登りつめていく事が「偉業」だったりするわけです。
と言うような感じで
一般的な評論とは切り口を変えて記号になった【妹島和世】さんを考察していこう。
◆妹島和世の原風景をBack to the Future?
▼若手建築家と言われていた時期から、
オイちゃんも見に行った【再春館の女子寮】≪外周りだけなのに見に行ったな≫とかの時代には、【隈研吾】さんの「M2」≪色んな評価があったけども≫と同じくらい話題になって
界隈的には突出した空間センスから業界誌に度々取り上げられていた有名人≪日本の女性建築家特集をすると必ず入ってくる人≫だったりしてて

界隈誌に高い評価と共に妹島先生の朴訥なインタビューが、よく出てたから読んでた人もいるだろう。
ちなみに、オイちゃんは妹島先生が若手時代の建築評論誌で
あんな感じの風貌や作風でジブリ風アニメ≪特に「未来少年コナン」とか≫好きに見えてたのに妹島先生は「小さい頃からテレビやビデオをあまり好きじゃない。」と、あっさり答えていたのを≪リアルタイムじゃなく周回遅れで読んだ≫
「え?ソレなのにあんな感じ?」って意外だったのでよく覚えてる。
▼【妹島和世】さんが若手建築家時代の記事を
幾つか引用≪若手時代の記事というのは、どんな芸術家も真っ直ぐなエネルギーがみなぎっていてオモロだ≫すると色んなモノが改めて見えてきて興味深い。

とりあえずNHKの新日曜美術館にも出てきた「金沢21世紀美術館」など最近の洗練された作風のヤツじゃなくて「SANAA」で記号化し発信する前の【妹島和世】さんの原点。
【妹島和世】さんでいうプラットフォーム1と2が終わって【再春館の女子寮】の時代の頃に受けた数本のインタビュー記事。の中でも結構、ズバッと短く切り込んでいる
18年前の「NlKKEI-ARCHITECTURE、1992年9月28日号」を評論の従として一部引用しながらBack to the Futureで【妹島和世】さんの原点を覗いていきます。
【再春館の女子寮】終り時代の日経アーキのインタビュー記事では最初に設計思想で後に、具体的な内容に入っていきます。
▼【再春館の女子寮】での東西に分かれた部屋を、中央の大スパンのリピングルームを挟む大胆な空間構成にした設計時の構造や設備の面での工夫について。
構造や設備設計者にとっては、どんな点が大変だったのですか。中央に大空間をとったことは、やはり大きな影響があったのでしょうか。
基本的には、何で支えていくか、だったと思います。初めはシャフトが低かったのですが、それを伸ばして大きな柱と考えたらどうでしょうか、と言いましたら、それでいこうということになりまして。
それは結果的に、設備の計画としてもうまくいきました。
構造はラーメンですか、それとも壁式ですか。
1階はコンクリートの壁式ラーメンです。東西が二つに離れていまして、その上に鉄骨が組まれて一つのボリュームがつくられています。
1階がRCになっているのは、下を重くしてそれぞれの動きの違いをなるべく抑えようとしているからです。
RCの長手方向の小口に、4本のスチールの梁を流し、2階はどこにでも柱を建てられるように考えています。
丸柱は、荷重と風圧のみを受けるものと考え、全体の横力は、設備のコアでもある等間隔に建てられた5本のシャフトが受けています。
下はしっかり建てておいて、上を比較的フリーにできるようにしているわけです。
妹島さんの建物は構造家泣かせじゃないかと思っていたのですが、そうでもないのですね。
泣かせていないと思います。ただ、何度も何度も色々な案について構造的な話を聞きながら進めるので、そういう意味では迷惑をおかけしています。
設備はいかがですか。
設備もだいたい同じです。
構造と同時に進めていきましたから。
その都度、こちらの空間構成に対しての設備計画の提案をいただいています。
再春館の場合は、基本的にワンルームなので、全体的には5本のシャフトで賄い、あとは個別に併用しています。
それは、空調計画、照明計画、また雨水の排水、水回りやコンセントの位置など、すべてそうなっています。
その後の住み手からの反響などは届いているのでしょうか。
クライアントからはお聞きしていますが、寮に実際に住んでいる女の子からは、直接はありません。
ただ、テレビのインタビューを見たことがあります。
4人部屋はいやだとか、集団で生活するのも面白いとか……。色々な感想を言っていましたね。
色々、興味深いんだけども「コレで」ってラフの図面渡してお弟子さんや構造家が頭を抱えながらというパターンではなくて基本的には、何で支えていくか、だったと思います。初めはシャフトが低かったのですが、それを伸ばして大きな柱と考えたらどうでしょうか、と言いましたら、それでいこうということになりまして。
それは結果的に、設備の計画としてもうまくいきました。
構造はラーメンですか、それとも壁式ですか。
1階はコンクリートの壁式ラーメンです。東西が二つに離れていまして、その上に鉄骨が組まれて一つのボリュームがつくられています。
1階がRCになっているのは、下を重くしてそれぞれの動きの違いをなるべく抑えようとしているからです。
RCの長手方向の小口に、4本のスチールの梁を流し、2階はどこにでも柱を建てられるように考えています。
丸柱は、荷重と風圧のみを受けるものと考え、全体の横力は、設備のコアでもある等間隔に建てられた5本のシャフトが受けています。
下はしっかり建てておいて、上を比較的フリーにできるようにしているわけです。
妹島さんの建物は構造家泣かせじゃないかと思っていたのですが、そうでもないのですね。
泣かせていないと思います。ただ、何度も何度も色々な案について構造的な話を聞きながら進めるので、そういう意味では迷惑をおかけしています。
設備はいかがですか。
設備もだいたい同じです。
構造と同時に進めていきましたから。
その都度、こちらの空間構成に対しての設備計画の提案をいただいています。
再春館の場合は、基本的にワンルームなので、全体的には5本のシャフトで賄い、あとは個別に併用しています。
それは、空調計画、照明計画、また雨水の排水、水回りやコンセントの位置など、すべてそうなっています。
その後の住み手からの反響などは届いているのでしょうか。
クライアントからはお聞きしていますが、寮に実際に住んでいる女の子からは、直接はありません。
ただ、テレビのインタビューを見たことがあります。
4人部屋はいやだとか、集団で生活するのも面白いとか……。色々な感想を言っていましたね。
オモテから見える構造家泣かせ的なフォルムもちゃんと初期の頃から共同の事前打ち合わせでクリアさせてたんだなぁ。とかスタンスの原点が伺えます。
あとは、あんまり「TV」を見ないと言われてた妹島先生も流石に自分が作った作品のテレビインタビューは見られるんだなぁとかも。
ちなみに界隈に興味が無い人の為に言うと「ラーメン」は食べる方ではなくて、どちらかと言うと「小林賢太郎」さんの方です。
▼若手時代の【妹島和世】さんはプラン、設備、構造などについては矢継ぎ早に語り出すがデザインについては多くを語らない。当時は、その建築思想的な骨格が固まる前段階である事も何か不思議な魅力を生み出していた。
最近の若手建築家の作品では、隈研吾さんの「M2」、それと妹島さんの「再春館製薬女子寮」が一番の話題だったと思います。これまでは、シャープな形を感覚的に表現される方だと思っていたのですが、建築専門誌の記事などを読むと、意外に論理的な内容を書かれているので驚きました。周囲の方からもっと抽象的な、デザイン論的な話を書くのではないかと思っていた」、などと言われたことはありますか。
そうですね、どうなんでしよう……。
妹島さんは、ことデザインが話題になると急に口が重くなりますね。
そうですね。そもそも、自分はこういう空間をつくるのだ、といったような、あらかじめあるイメージから設計を始めるわけではないので……。
最近は、建物をつくる時に何をどう組み立てていくか、といった決まりごとがはっきり分からないと思うのです。
学校に例えて言えば、昔なら職員室はここ、教室と廊下はこうつながる、といったことがあらかじめ分かっていましたよね。
でも、最近はそういったことが、いい意味でも悪い意味でもはっきりしない。
色々な与条件を考えているうちに、様々な発想が浮かんでくるし、そういうことからアイデアを生み出すことに興味があります。
初期の作品であるプラットフォームⅠとⅡ、それに再春館製薬女子寮は、色々なメディアに取り上げられていますよね。どのような人が、どういった感想を述べられていますか。
どういう人ということはないですけれども……。
プラットフォームから再春館は、やはり方向が違ってきたと言われることが割と多いですね。
プラットフォームにせよ、再春館にせよ色々と話題になるのは、妹島さんは次代を切り開く建築家の1人である、と期待をもたれているからだと思うのですが。
はあ……。
また、口が重くなられた。
ええ……、そうかもしれません。
この初期の【妹島和世】さんが語るデザイン構成に関する手法論は、公開ワークショップ等で語る現在に繋げて考察していくと、とても興味深くてそうですね、どうなんでしよう……。
妹島さんは、ことデザインが話題になると急に口が重くなりますね。
そうですね。そもそも、自分はこういう空間をつくるのだ、といったような、あらかじめあるイメージから設計を始めるわけではないので……。
最近は、建物をつくる時に何をどう組み立てていくか、といった決まりごとがはっきり分からないと思うのです。
学校に例えて言えば、昔なら職員室はここ、教室と廊下はこうつながる、といったことがあらかじめ分かっていましたよね。
でも、最近はそういったことが、いい意味でも悪い意味でもはっきりしない。
色々な与条件を考えているうちに、様々な発想が浮かんでくるし、そういうことからアイデアを生み出すことに興味があります。
初期の作品であるプラットフォームⅠとⅡ、それに再春館製薬女子寮は、色々なメディアに取り上げられていますよね。どのような人が、どういった感想を述べられていますか。
どういう人ということはないですけれども……。
プラットフォームから再春館は、やはり方向が違ってきたと言われることが割と多いですね。
プラットフォームにせよ、再春館にせよ色々と話題になるのは、妹島さんは次代を切り開く建築家の1人である、と期待をもたれているからだと思うのですが。
はあ……。
また、口が重くなられた。
ええ……、そうかもしれません。

もちろん初期の【妹島和世】さんと違い経験を積み上げ建築思想的な骨格が固まっている現在では、妹島建築を象徴するデザインに関して、いわゆる先生を象徴する「妹島節」で明確に「妹島的手法」を順序立てて語るが
実は、初期の頃の記事を読むと語彙や自信のなさが口ごもらせているだけで言おうとしていること、練り上げて行く過程で着地点を探っていく妹島先生のコアなデザイン構成思想や手法が変化していない事に気づく。
近づけていくと普通の「りんご」になってしまう。「じゃがいも」ライン等、界隈的な「妹島節」は未だ健在である。
▼若手時代の【妹島和世】さんの設計スタイルや所風などを端的に切り込んだ記事からも現在とつながっていく様々なモノが見えてくる。
設計は妹島さんがワンマンでやるのですか。
そうではないです。もちろん最終決定は私がしますが、皆で一緒につくっていくのが基本的な姿勢です。
今つくっている建築でも、どのようなことが可能であるかアイデアを皆で出していく。
それから、「これは違う」とか、「こちらがいい」とか、皆で話し合いながら選択しています。
プランもデザインも、同じような感じで詰めていくのですか。
デザインに関する議論はほとんどやりません。
使い方とプランと空間構成がどのようになるか、一つひとつの案について非常にラフなプランと模型とを、とにかく数多くつくります。
こういった作業の過程を通して、その計画に対して何を問題にしたらよいかを発見していきますよね。
そのなかで、一番よいだろう、と思われる解答を探しているという感じです。
解答というのは、つまり、使い方とプランとその空間構成がぴったり一致したと思える案なのですが。
そういう作業がだんだん絞られてきて、ある段階から設備計画も考慮に入れながら最終案が決まっていきます。
そこから先は、具体的な形や材料などを、割と気楽に決めていきます。
アトリエ事務所の場合は、そこのやり方なり雰囲気なりを所長が決めてしまうことが多いですよね。妹島さんの事務所では、どういった「所風」をおもちでしょうか。
今でこそみんなで5人になりましたけれども、再春館を始めたころは3人でしょう。
まだ前提というのがないのです。
そういう意味では、所風などといったものはまだ固まっていません。
ですから、色々組み立てていく打ち合わせのなかで、どんどん変化していきますし。
スタッフがいい案を出せば、妹島さんもそれを認めると--。
いいと思ったら、そのまま通すこともあります。
その案自体がまとまったものでない場合でも、何か可能性を感じれば、それが何なのかをもう一度考え直して、案をまとめ直してみたりします。
皆で議論し合って、何かを認識していく度に、そこで色々なものを決定していくとでもいうか……。
それが流儀といえば流儀なのかもしれませんね。
初期の【妹島和世】さんの設計スタイルについても、非常に興味深いインタビューになっていて「決定者」である妹島先生とスタッフとの役割を明確にしているといったそうではないです。もちろん最終決定は私がしますが、皆で一緒につくっていくのが基本的な姿勢です。
今つくっている建築でも、どのようなことが可能であるかアイデアを皆で出していく。
それから、「これは違う」とか、「こちらがいい」とか、皆で話し合いながら選択しています。
プランもデザインも、同じような感じで詰めていくのですか。
デザインに関する議論はほとんどやりません。
使い方とプランと空間構成がどのようになるか、一つひとつの案について非常にラフなプランと模型とを、とにかく数多くつくります。
こういった作業の過程を通して、その計画に対して何を問題にしたらよいかを発見していきますよね。
そのなかで、一番よいだろう、と思われる解答を探しているという感じです。
解答というのは、つまり、使い方とプランとその空間構成がぴったり一致したと思える案なのですが。
そういう作業がだんだん絞られてきて、ある段階から設備計画も考慮に入れながら最終案が決まっていきます。
そこから先は、具体的な形や材料などを、割と気楽に決めていきます。
アトリエ事務所の場合は、そこのやり方なり雰囲気なりを所長が決めてしまうことが多いですよね。妹島さんの事務所では、どういった「所風」をおもちでしょうか。
今でこそみんなで5人になりましたけれども、再春館を始めたころは3人でしょう。
まだ前提というのがないのです。
そういう意味では、所風などといったものはまだ固まっていません。
ですから、色々組み立てていく打ち合わせのなかで、どんどん変化していきますし。
スタッフがいい案を出せば、妹島さんもそれを認めると--。
いいと思ったら、そのまま通すこともあります。
その案自体がまとまったものでない場合でも、何か可能性を感じれば、それが何なのかをもう一度考え直して、案をまとめ直してみたりします。
皆で議論し合って、何かを認識していく度に、そこで色々なものを決定していくとでもいうか……。
それが流儀といえば流儀なのかもしれませんね。
現在においても、よく記事で読む妹島先生のスタイルが変わっていない事がよくわかります。
実は「SANAA」での設計スタイル関連記事を読んでいると何となくのイメージと違い妹島先生はスタッフの使い方が上手いなぁ。と感じる点が幾つもあって、
理由まで切り込んだ記事が無いので御自身が「弟子っ子」の時に、もし自分が「決定者」になった時はこうしよう。とか原体験での作用なのかなぁ?と勝手に推察して読んでいた。
あと、当時この記事で驚いたのがプランから「デザイン先行」で、それに空間構成を乗せてきている≪だからチョット変わった構成だと解釈していた≫と思っていた妹島建築が、
実は、プランから空間構成を切ってきて、最後にデザインを合わせてくる。という固いヤリ方だったという事実を知って妹島建築に対する見方も変わったり。
若き【妹島和世】さんのインタビュー記事を読んでわかるように
若手時代から界隈誌では高評価され、界隈的に女性建築家としてTOP集団に入っていた。
そう、全てには原因があり結果がある。
【妹島和世】過去からの現像もオモロだ。
◆勝者「妹島和世」と無数の敗者デバイド
▼若手TOP集団だったと言うことは、
つまり【妹島和世】さん以外にも当時、名前がよく界隈的に挙がっていた人達がいたという事で、団子状態から数十年、誰が勝ち、誰かは消えていく。それがリアル。
「金獅子賞」から「プリツカー賞」という栄光のスポットライトが【妹島和世】さんに当たり、もちろん「プリツカー賞」で建築家としての終りでないけども権威としての「プリツカー賞」というのは、その界隈では普通の人が思う以上に重い。
過去の受賞者が「丹下健三」さん「槇文彦」さん「安藤忠雄」さんで、【妹島和世】さん達だ。
その界隈的には日本の女性建築家として「日本の建築史」に一生、名前が残る事になった。
▼あえて名前は挙げないけども、
実際に【妹島和世】さんが、その界隈では若手TOP集団だった時代に、界隈で毎年開催される新人賞や奨励賞、敢闘賞等々【妹島和世】さんと同じかソレ以上に評価され未来を嘱望されていたている男性だけでなく女性建築家もいたが、
≪妹島世代の5、6人スグに浮かぶ貴方は界隈好き人です。≫
何処の世界でもある競争が、古い建築評雑誌で未来を信じ力強いインタービューを受ける「あえて名前は挙げない」彼ら彼女らへ数十年単位で起こり、
誰もが負けない為、勝ち残るために様々な試みを繰り返し
五年でTOP集団から消え街の建築屋さん、大学客員教授、地方の張付き設計士となった若き建築家。十年はTOP集団として持ったがそれ以降は激しいコンペを勝ち抜けず建築誌に現れなかった若き建築家。
あれから数十年。何処の世界でも同じく勝者がいて、多くのその他がいる。何が正解なのか?それはよく分からないけども
結論として、あの頃からの壮絶な生存競争を生き抜く若き建築家レースで海外でも戦うエッジを意識し続けた【妹島和世】さんの
SANAA発信力が勝ったのだ。
▼古びた過去の藝評雑誌とは?
界隈的なメジャーシーンにあまり現れなくなった若き彼ら彼女らに出会うとこで
芸大で習わない「勝ち残るのは他人が倒れて自分が生き残ることである」という、リアルの厳しさも伝えてくれる。
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【現代芸能】妹島和世を作ろう!01--(柳原可奈子+ウメ*0.3)/1.3+基地?
2010_04_13_[TUE]

シリーズ【現代芸能】妹島和世を作ろう!考察いつものように多くの「お笑い批評ブローガー」とは全く違う角度からエッジを立てて【古典演芸】と違い屋号を受け継がない【現代芸能】を観測。
今回は、2010年「プリツカー賞」を取った女性建築家【妹島和世】を「女性お笑い芸人」で再構築にはどうすればいいのか?という他の評論では絶対に無い切り口の考察エントリー。から入って
後半はソレ系の界隈に興味の無い人には何がリアルで暗喩なのか皮肉なのかもサッパリ意味不明な文章になります。
今回は、2010年「プリツカー賞」を取った女性建築家【妹島和世】を「女性お笑い芸人」で再構築にはどうすればいいのか?という他の評論では絶対に無い切り口の考察エントリー。から入って
後半はソレ系の界隈に興味の無い人には何がリアルで暗喩なのか皮肉なのかもサッパリ意味不明な文章になります。
---01見出し---
◆【妹島和世】=(柳原可奈子+ウメ*0.3)/1.3+基地
- ▼【妹島和世】さんを記号化すれば、
- ▼ベースの【柳原可奈子】さんを用意しよう。
- ▼エッセンスに【ウメ】さんを加えて調整します。
- ▼世界で戦う宣伝、発信基地を作り完成です。
- ▼そして今はネットがあるから
- ▼まぁこの界隈の好きな人って、
- ▼もちろん、【ネット】媒体の反作用として
◆記号になった女性建築家【妹島和世】
- ▼算数に興味のないオイちゃん達が、
- ▼女性建築家として世界で2人目、
- ▼今回、受賞した【妹島和世】さんは、
- ▼おそらく、日本の女性建築家で、
- ▼もちろん、「弟子っ子」時代や独立当初なら
- ▼しかも、この界隈の技術は日進月歩だから
- ▼若手建築家と言われていた時期から、
- ▼【妹島和世】さんが若手建築家時代の記事を
- ▼【再春館の女子寮】での東西に分かれた部屋を、中央の大スパンのリピングルームを挟む大胆な空間構成にした設計時の構造や設備の面での工夫について。
- ▼若手時代の【妹島和世】さんはプラン、設備、構造などについては矢継ぎ早に語り出すがデザインについては多くを語らない。その建築思想的な骨格が固まる前段階である事も何か不思議な魅力を生み出していた。
- ▼若手時代の【妹島和世】さんの設計スタイルや所風などを端的に切り込んだ記事からも現在とつながっていく様々なモノが見えてくる。
- ▼若手TOP集団だったと言うことは、
- ▼あえて名前は挙げないけども、
- ▼古びた過去の藝評雑誌とは?
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◆【妹島和世】=(柳原可奈子+ウメ*0.3)/1.3+基地
▼【妹島和世】さんを記号化すれば、
理論的には【妹島和世】さん的芸術家を再構築できるわけで、今回はそれを「お笑い芸人」でやってみたい。

では、さっそく【妹島和世】さんを切り刻んでいきましょう。
- 今風な日常を切り取るセンス
≪【妹島和世】さんは昔から、作品が界隈誌などで空間との調和センスが新しい時代を感じるとヨク言われてた。≫ - 比較的綺麗な芸風
≪【妹島和世】さんは、重厚ドッシリではなく、いわゆる「ポストモダンあと」の光と曲線、軽さを感じる空間美とヨク言われてた。≫ - 芸歴の若い頃から媒体にも頻繁に出ている。
≪【妹島和世】さんは、苦節何十年タイプでなく若手時代から界隈誌に抜けた空間センスとヨク言われてた。≫
▼ベースの【柳原可奈子】さんを用意しよう。
類似シンクロ率を測るために色んな女芸人さんを試してみましたが、一番ベースとしてシックり来るのは灰汁が無く下ごしらえが楽な【柳原可奈子】さんとなりますから
料理初心者は必ず
【柳原可奈子】さんを用意してください。まず、【柳原可奈子】さんも切り刻みます。
- 今風な日常を切り取るセンス
≪【柳原可奈子】さんは、服屋さんやギャル等という現代を切り取って見せる芸域だ。≫ - 比較的綺麗な芸風
≪【柳原可奈子】さんと同じ芸域の【友近】さんとの決定的な違いが、ディフォルメがドコに踏み込むか?どの部分に重要性を置くか?というポイントで【妹島和世】の作風に近いのは【柳原可奈子】さんだ。≫
どちらもオモロだけど、よくよく分解して考察すると彼女たち二人には違いがあり
【友近】さんは見えない「深部」の本来性に趣をおいて演じるから芸風にシットリとした重厚感が出てくる。
【柳原可奈子】さんはあくまでも「表層」の空気感を重要視して演じるから芸風に軽やかな疾走感が生まれてくる。 - 芸歴の若い頃から媒体にも頻繁に出ている。
≪【柳原可奈子】さんは、苦節何十年タイプでなく若手時代から人物描写センスを買われてTV等のマス媒体に出ている。≫
▼エッセンスに【ウメ】さんを加えて調整します。
プロの料理人と素人の差はベースでなく「隠し味」の妙と言われます。ココからがプロの料理人が【妹島和世】さんを作る時に必要となるレシピですからメモの用意を。
さぁ、最近はとてもお安く買い求められる女性芸人界隈の「長谷川利行」こと
【ウメ】さんをご用意下さい。- まず最初は、界隈的にいわゆる-->
ドコドコの建築卒という大学名やゼミ名、あの先生の所で、がコンペの見えざる加点要素になる等の日本ではなく、世界で戦う場合に必要となる世界的な建築史文脈での【斬新性やエッジ】作りとなりますが
妹島先生を海外の論評記事が評価する時に見かけるモダニズム後の軽い光とカーブでの「空間調和」部分を作る為に、クオリティが高くエッジの立った【ウメ】さんをベースの【柳原可奈子】さんに補完していきます。
ベースの【柳原可奈子】さんでは少し薄味ですから【電波媒体】をはじめとする日本のメジャーシーンでは見かけなくなってしまった「紙コント」の斬新性が効いた【ウメ】さんを小さじ3杯ほどふりかけて下さい。 - 次に、界隈的ないわゆる-->
「妹島節」と言われる土台のしっかりした【不思議ちゃん的語り口要素】作りですね。
妹島先生のインタビュー記事やワークショップ等で、解説が局部に入り込んでくると時折り見せる妹島先生が持つ独特の世界観での抽象センテンスというのは、
聴衆等に「ヤッパリ出来る人は感性が違う」的な印象を与え他の建築家と差別化することができるので、これもベースの【柳原可奈子】さんにくっつけます。
ココを醸しだす為にも実は「紙コント」は構成も世界観も作りこまれているのに、そうは見せない不思議ちゃん的要素を醸し出す【ウメ】さんが隠し味として必要になります。
▼世界で戦う宣伝、発信基地を作り完成です。
実は、この部分が一番重要で、
材料費100円のリングに「Tiffany & Co.」と焼印し10000円で売る。という作業工程です。
某ブランドとのコラボを通じてイメージ構築を行ったり等々
ココが上手くいかないと、「恐ろしく精巧な部品を作るネジ屋」として単価割れでグリグリやられる事になるわけです。
【妹島和世】さんで言うと「西沢立衛」さんと設立した戦う発信基地としての「SANAA」なわけですがソレに付いての推察は長くなるからまた別エントリーで。
◆【ネット】という媒体は「界隈デバイド」を抉じ開ける
▼そして今はネットがあるから
【妹島和世】さんも記事とともに、全く界隈に興味がない人達にも少しばかりの知名度を得て、
ネット検索で引っかかってこんなオイちゃんの「芸術家」と「現代芸人」とを前知識がある事前提で強引に比較評論してるブログを読んでいるのだろうけども
≪もちろん分かる人はわかるがワカラナイ人は全てのボケや皮肉も比喩や某が何のことが全く分からないので笑うポイントは皆無です。逆にクスクス来る貴方は界隈好きですね?≫
それを別角度から考察すると
【電波】が唯一のマスであった時期であれば日本の99.99%以上は界隈誌など読まないのだから
貴方が、ココにたどり着き、今読んでいると言うことが
【ネット】という媒体は「界隈デバイド」を抉じ開けるという作用をもっているのだという事に気づく。
▼まぁこの界隈の好きな人って
休みの日に某セメント匠先生の傘差し作品とかを見に行ったりして同じ目的の人と出くわし「結構、小ぢんまりして中が見えないですね」とか「電球変えるの結構大変らしっすよ」的な
決してマス媒体に乗らない暗黙の会話付き建築見学というヤツをネットがまだ浸透していない時からやっていて
そいう情報ってのは、界隈誌でも座談会的な特集という本当に限られた人しか得られなかったモノだったのに
今では、ちょっと検索すると
あの「事務所で灰皿飛んでくる」で有名な先生の作品場所や、界隈好きな連中のウンチクまで拾えるわけです。
▼もちろん、【ネット】媒体の反作用として
界隈的には有名だと、
決して【電波】媒体だけでなく【紙】媒体も取り上げないであろう今は薄暗くなっている某マルチメディアなんちゃらも筆の誤り的情報をオモロネガティブに伝えるアンチを生む副作用もあるが
それらの事も含めて界隈に住む芸術家にとっては【ネット】という媒体は【電波】が取りこぼしたロングテールを補完する武器なのだと思う。≪ネットでのSANAAインタビューとかみてるとね≫
≪ただ、SANAA自体がそういった記号を世界の建築界の文脈に嵌め込む発信基地のような役割を持たせていたんだろうけども、ソレに付いての推察は長くなるからまた別エントリーで。≫
つまり、TOPから数えるぐらいその界隈的には評価が高い人なわけでオイちゃん的に言えば、ここまで前フリが入り、
≪ココからが強引な転調で界隈に突入していきますよ。≫
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