北部九州の玄界灘と有明海は繋がれていた。

この辺りは湿地帯であったと思われる。

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☆1 朝倉金川

 

  朝倉金川

 

筑前朝倉金川についての記述がある。

(「儺の國の星」拾遺49、葦付星*あしつきほしより引用)

一望の干潟には、そこここと地下から湧水の出るところがある。/はじめの頃は渚に打ち寄せられた海藻が根を下ろしていても、年うつり世過ぎるなかに淡水に順応して、水苔(みずのり)に変化する。これが”あしつき”である。筑前朝倉金川では”かわたけ”という。

 

葦付なのだろう。

葦舟を”あさくら”といった」という記述もある。

葦とは、水辺に生える草の総称。

朝倉の地は、葦舟で行きかうような湿地帯であったのかもしれない。

 

干拓が日に進むにつれて陸封された沼には、梅雨ごとに田の土からしみ透す鹹水(かんすい)が流れ入る。これを称して金川という。

 
まとめると、もともとこの辺りは、干潟であり湧水が湧き出る地だった。
海藻が付いていた所も、淡水になるにしたがって水苔となった。これを”あしつき”と呼び、朝倉の金川では”かわたけ”と呼んだ。
 
金川とは、沼となった後、田んぼからしみ出した水が流れて入ってくるような土地のことを言ったということになる。


海藻。
朝倉まで海があった。

 

左 海面上昇シミュレーションシステム

右 Google map

 

(上記のシステムは細かい標高を拾ってくれないので、筑紫平野は一面海になってます)

 

「儺の國の星」では、繰り返し、この状態を記している。

神話の「筑紫島の四つの面」はこれを示すもの。

 

それぞれの「面」に関わるのは彼らであった。

 

白日別=筑紫の国魂、高良神

豊日別=大社合祀の豊姫=高良神の后の神功皇后

(豊前豊後は宇佐神宮ができて以降の区分)

建日別=羽白熊鷲➡彼らが退治していたもの

 

 

 

 

彼ら(神)がこの地におられた推定1800年前頃は、玄界灘と有明海は繋がれていた。

それが別れたのは、

「雄略帝十七(四七三)年のこと」

 

かの本には、それぞれをこのように呼んだとある。

東は東島(あかりのしま)、宇佐の島

西を西島(いりのしま)、天原、蓬莱島

 

天原は高天原に繋がる。

彼らは神話の全ての神であり、神話はこの地が舞台。

神がおられる地が、高天原である建日向豊久士泥別であった。

 

 

 

 

( つづく )

 

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古代や神のこと、少しずつつぶやきます。

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