饒速日命と共に天降った二十五氏の一つ、贄田物部。

ここは彼らが居ついた土地であり、八剱神社古物神社の伝承は神を示唆するものであった。

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★目次

☆1 八剱神社と古物神社と物部

☆2 日本武尊と素戔嗚尊

☆3 草薙剣と天照と饒速日命

☆4 平家物語の龍神の剣

☆5 神功皇后

 

  八剱神社と古物神社と物部

 

八剱神社

福岡県鞍手郡鞍手町山中1588

 

 

社の裏には剱岳(標高185m)がある。

その西側は新北(にぎた)という地名であった。

 

「先代旧事本記」にある饒速日命と共に天降った二十五氏の一つ、贄田物部が居ついた土地である。

ゆえに、周辺の神社は彼らの祖神に繋がる。
 

八剱神社

 

「福岡神社誌」より

御祭神 日本武尊、素戔嗚命、宮簀姫命、伊弉冊命、事解男命、速田玉男命、大己貴命、櫛田姫命、豊日別命、高靇神、猿田彦神、菅相烝(道真公?)、天児屋根命。

 

「福岡県神社誌」によると、ここから道なりで7km、古物神社は元々は西山八幡神社であったという。

八剱神社の側の剱岳(標高125m)の山頂にあった社が文政十一年に豪雨で壊れてしまったので合祀したとある。

 

しかし、麓には八剱神社があるので、その理由で勧請することはない。

 

古物神社の祭神は、天照大神、日本武尊、仲哀天皇、素戔嗚命、神功皇后、宮簀姫命、應神天皇、布留御魂神

 (古物の古は布留神、物は物部を意味していると思われる)

 

八剱神社にはなかった神功皇后、仲哀天皇、応神天皇、布留御霊神の名がある。

 

布留神は石上神宮の饒速日命。

物部の祖神である。

 

この地にある社は、根付いた贄田物部が受け継いできたのだ。

伝承も然りである。

 

  日本武尊と素戔嗚尊

 

両神社の伝承を比較してみる。

「福岡県神社誌」から概要を記載。

 

八剱☆1 日本武尊が熊襲征伐の時に当国を廻った。

程なく賊を平らげ、都に帰ろうとされた時にこの地に留まった。

剱嶽に登り、四方の風景を見て言われた。

「この山諸山に勝れたり、われ今賊を平らげ国民帰服し、自ら静かなる世の中山かな」と。

その後、下山中に雷雨。

八つ雷の神を祀ると雨が止んだ...。

 

古物☆1  八幡宮に剣神社を合祀。

明治に古物神社と改める。

八幡神社の縁起曰く、古門村神代の昔素戔嗚尊を高天原より出雲國に至り給ふ時の旧跡也、十握剱素戔嗚尊を往古より祭る神社にて剱神社と号す。

 

古物神社の地に元々あった八幡神社の縁起によると、その地に素戔嗚命が来た。

十握剣素戔嗚尊を往古から祀る神社だから剱神社だという。

 

一見意味が通らないのは、何かを告げている。

 

剱神社とは雨で倒壊したという剱岳の八剱神社。

合祀したのは文政11年なので1828年。

では、十握剣素戔嗚尊を祀る剱神社とは、八剱神社のことであり、「素戔嗚尊が来た」というのはそちらのこととなる。

 

よって、二つの伝承は同じ八剱神社の事を告げている。

 

八剱神社によると、

「日本武尊が熊襲征伐を終えてから来られた。」

古物神社の縁起では

「素戔嗚尊が高天原から出雲へ向かう途中によった。」

 

別の人物、時代のように書かれているが、二柱は同神であった。

 

大事なことは、ここは贄田物部の地であるということ。

日本武尊も素戔嗚命も、神話の神は名を変えられた物部の祖神である。

同神なので二柱が来たとは、ご祭神を示している。

 

素戔嗚尊は祇園神=高良神=武内宿禰=饒速日命

彼は大和から北部九州へ移動し、熊襲(羽白熊鷲)退治をしている。

 

日本武尊は、武内宿禰(その実、饒速日命)のトレースをしている。

彼は神話では応神天皇の祖父になる。

両者の推定時代差300年を埋めるのが、300際の武内宿禰。

応神天皇について。

 

 

尚、ここにある「高天原」とは、神話の舞台になる。

素戔嗚命=住吉神=天照

彼はこの地(儺国)の神であり、出雲へは神として勧請されていたことになる。

 

(八岐大蛇退治が斐伊川の改修工事を示唆するものならば、行ってる可能性は大きい)

 

 

 

 

剱岳山頂

 

標高125mなので下から往復30分くらいで行ける。

ゆっくり歩いても片道15分。現代人の感覚で言えば、山頂に神を祀ってる時間があれば下りられる。

八雷神の由緒譚ではないだろうか。

 

剱岳*上宮

 

伝承は、八剱神社に日本武尊と素戔嗚命が祀られている根拠をしめしていた。

 

 

  草薙剱と天照と饒速日命

 

もう一つの伝承

 

伝承2*(「福岡県神社誌」より概要)

八剱☆2 天智天皇七年十一月、新羅の沙門道行が草薙剱を盗みて帰る中、筑紫まで来た時に風雨に迷い、御剣本朝の境を出られなかった。この御山にしばらく安置奉る。

 

これを詳細にしたのが、古物神社の伝承。

剱(八剱)神社の縁起だという。

 

古物☆2(「福岡県神社誌」より概要*本文は漢文)

剱神社の縁起に曰く。

天智天皇の御代に、熱田神宮の神剱を盗み、新羅へと持ち去ろうとする者がいた。

剱は空を飛んで筑前の古門に落ち、自ら光を放って、里の者を驚かせた。

皆、これは神の物だと話し合い、祠に納めた。

それを聞いた朝廷は、それは草薙の剱だと熱田神宮から官吏を遣わし、剱が空から落ちた所を降物と名付けた。

今、古門と呼ぶのはこれが訛ったもの。

剱が熱田神宮に戻ったと言えど、尚、妖による災いを祓い除いていた。
石上布留御霊大神のおられる場所だからと、布留毛能村となった。

 

*古物神社は、八剱神社の剱岳山頂から勧請されている。

*両社の伝承は同じもの。

では、両社の神は同じということになる。

 

草薙剱は熱田に戻り、石上布留御霊大神を祀った。

 

草薙の剱が熱田神宮に戻った跡の地に、布留御霊が祀られるのだから、草薙剱の神は布留神になる。

☆また、伝承などの「物が社などから飛んできた」は、その社と同神だと示唆するもの。

 

では、剱が飛んできた熱田神宮の祭神、熱田大神の天照大神は、布留神ということになる。

 

かの神は物部の祖神の饒速日命=天照であり、高良神であった。

草薙剣は日本武尊の持物(彼自身)を意味する=彼と同神。

 

八剱神社には、名を変えられた彼が祀られていることになる。

 

両社の伝承は、祭神が彼であることを示唆するものであった。

 

 

  平家物語の龍神の剣

 

上記、☆2と似たような話が平家物語にある。

 

☆7 新羅の沙門に、剣を盗まれた。

船に乗っていく行程で風波が出て海底に船が沈められようとした。

すぐに霊剣のたたりだと知って罪を謝り、剣を元の所に納めた。

 

新羅の沙門。

同じ名であり、これらは詳細が違えど同じ話である。

平家物語の「剣の巻」に書かれているのだから、それにまつわる神に繋がる話であった。

 

剣の巻には龍神が登場する。

彼は高良神(饒速日命)に繋がる。

 

 

 

登場する神は全て同神であったのだ。

 

 

 

尚、壇ノ浦で失われた剣は元々、龍神のものだという。

 

 

  神功皇后

古物神社には、神功皇后の伝承もあった。

 

(「福岡県神社誌」より概要)

☆3 宗像記に古物村とあり。西山八幡宮は仲哀天皇、神功皇后共に熊襲及び三韓征伐の時の行在所なり。筑紫岡湊から香椎宮へ向かう時、遠賀郡芦屋より御乗船、同郡蟲生津に上陸。鞍手郡古門に鳳(船)を留めたまい...。

 

西山八幡宮とは、古物神社の地。

この地には素戔嗚尊、日本武尊、布留神=饒速日命、神功皇后の伝承があった。

 

饒速日命は高良神であり、武内宿禰。

神功皇后は「高良玉垂宮神秘書」によると、彼の后。

その実、饒速日命の后の御炊屋姫。

 

伝承で繋がった熱田神宮の天照とは、この二柱のことである。

 

ここは物部が居ついた土地の一つ。

彼らはそれぞれの土地で社を建て祖神を祀った。

 

社を持つことで、神も一族も未来へと繋いだのだ。

様々な神の伝承があるのは、神に繋げる為。

全て彼らの物語であった。

 

( つづく )

 

 

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