古代、玄界灘と有明海は繋がれていた。
神話の「筑紫島の四つの面」が示すものであり、彼らが関わる。
三島溝杙神とは彼らであった。
三島神・御栄井(みそくい)は、住吉神を意味する。
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★目次
☆1 三の地名は神を示す
☆2 筑紫島の四つの面と神
☆3 三島神
三の地名は神を示す
(「儺の國の星」31、三笠星(みかさほし)より引用)
博多湾から有明海まで南北に三笠三原御井三潴(みずま)三池と揃った郡名が並ぶ。...即ち、三笠から御井三潴をへて三池に至る一日行程の舟航は、海上駅逓(えきてい)の氏族が往来していたことになるのである。
この「三」が「上下あるいは子午、南北の方向」とある。
三笠三原御井三潴三池
筑紫平野に並ぶ地域を記した。
図1 地図はGoogle map
1 三笠 針摺(はりずり)。
文中には、太宰府の前の針摺瀬戸。
三笠山とも呼ばれる宝満山あり。
上宮のご祭神は玉依媛、神功皇后、応神天皇。
2 御原(三原)、物部氏が関わる、筑紫の飛鳥とも言われる宮がある。
印は御勢大霊石神社 神功皇后の伝承があり。
3 御井、高良大社。
ご祭神が高良玉垂神、八幡大神、住吉神。
神功皇后と暮らした地と推定している。
4 三潴(みずま)
大善寺玉垂宮。ご祭神、高良玉垂神、
三島神社が多数。
5,6 三池
こうやの宮。別名、磯上物部神社。
黒崎玉垂神社。
(昔の三池。この周辺には特に玉垂神社が多い)
*礒上物部神社は、石上物部神社を意味する。
図1の三が付く地には、すべて高良の神か、神功皇后が関わる。
三は、神を示唆するものかもしれない。
彼は三島神であった。
筑紫では、高良神。
大和では、石上神宮の布留神である饒速日命を意味する。
真鍋氏は、これらを結ぶ「一日行程の舟航は、海上駅逓(えきてい)の氏族が往来していたことになるのである。」としている。
ここが彼らが存在した時代の古来の海岸線であったのだ。
筑紫島の四つの面と神
(「儺の國の星」31、三笠星より引用)
太宰府の北西にあたる四王寺山(五三五米)は昔は潮路見山(しおじみやま)、或いは四明山(しみょうざん)とよばれた。...今から千八百年の昔はここで南と北の潮目の満ち干きをみる安楽人の望楼観亭があったと伝えられている。筑後久留米高良大社の絵巻物がこれを語り...
古代、玄界灘と有明海は繋がっていた。
四王寺山は、潮の満ち引きを観測する地であったという。
宝満山から見えるパノラマ写真
左方面が有明海*右が玄界灘
この間が正面の針摺で繋がっていた。
結構、近い
神話の「筑紫島の四つ面」が意味するものである。
図1 左 海面上昇シュミレーションシステム
右 Google map
「儺の國の星」の拾遺 P71には
筑紫の東島と西島が針摺で繋がれたのは雄略帝十七(四七三年)のことである
とあった。
実際、その針摺からは、文化財が出土していない。
この辺りの詳細は、以下の記事で。
「筑紫島の四つの面」
これに関わる白日別とは、筑紫神社にもあった「筑紫の国魂」。
筑後国一之宮の高良大社の高良神となる。
では、後の三つも彼に関係している。
*豊日別は、豊姫。
高良大社の本殿に合祀されていた。
「高良玉垂宮神秘書」では、高良神の后は神功皇后。
后で無いならば、差し置いて祀ることはしない。
彼女が豊姫。
*建日別は熊襲の地。
彼らは熊襲である「羽白熊鷲」を退治していた。
「神秘書」の異類である。
それの本拠地が、古処山周辺の秋月であった。
*建日向豊久士比泥別
高良神は、物部の神であり、饒速日命。
櫛玉彦の名を持ち、久士はこれを意味する。
彼女は豊姫である。
その地にある脊振山が、久士布流多気(くしふるたけ)。
櫛布留岳であり、石上神宮の布留神を意味する。
彼らの時代には、玄界灘と有明海は繋がれていた。
神話の「筑紫島の四つ面」は、すべて彼らに関与していた。
それを意味する地名も、彼らが存在した証となる。
三島神
(「儺の國の星」31、三笠星より引用)
神武帝の后媛蹈鞴五十鈴媛命は三嶋溝橛(みぞくい)の家系であった。三嶋も溝柞(みそくい)もオリオンの古称であった。”そくひ”は栄井(そくゑ)即ち砂漠の中のオアシスのことであった。
三島溝咋神は、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の別名、賀茂、鴨、加茂などの神である。(みぞくいは、様々な漢字があるがすべて同神)
賀茂神は、大神神社の神と同神と結びついている。
彼は饒速日命自身。
(詳細、以下の記事)
また、日本書紀には、賀茂神は八咫烏だとある。
「姓氏録、山城神別によれば、神魂命孫鴨建津之身命が大烏に化て天皇を導いたので、八咫烏の名が起ったとあり、鴨県主・賀茂県主の祖であるという。」
(岩波文庫「日本書紀」引用)
つまり、三島溝杙神=賀茂神=八咫烏=三輪神=饒速日命
日本書紀では、事代主神と三島溝杙神(玉櫛姫)が夫婦であった。
だが、玉櫛姫は、勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)と同神。
彼女は大物主神(大国主神)と夫婦。
その娘の媛蹈鞴五十鈴媛は、神武天皇の后となるが、彼女の親は、事代主神と三島溝杙神ともされる。
同神であるからだ。
事代主神=大物主神=饒速日命
三島溝杙神=玉櫛神=御炊屋姫
要するに、これらの神は名が違えど同神となる。
また、彼女が大国主神の娘ならば、三世代程開いている。
あり得ないのだ。
神武天皇は存在していないと考えている。
三島溝杙とは、二柱を意味するもの。
すべて彼らを意味する名。
(上の記事から)
尚、「儺の國の星」には、三島溝咋の意味が明かされていた。
三島はオリオン座の三ツ星。
古来、星と島は同義。
溝咋は御栄井(みそくい)。
砂漠のオアシスを意味する。
三ツ星の神、住吉のことである。
古来、海の民は星を砂漠のオアシス同じ、神が与えた希望としたのだ。
また、御栄井は、天真名井に繋がる。
彼らは籠神社の神でもあった。
饒速日命と御炊屋姫、この筑紫に生きた高良神と神功皇后なのだ。
(つづく )
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古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
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