昼は田仕事、夜は鍛冶。
その向こうには必ず、神がおられた。
彼らは同じ神を名を変え、崇めていたことになる。
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★目次
☆1 七夕の神
☆2 蹈鞴の神
☆3 高良神と物部と饒速日命
七夕の神
(「儺の國の星」27、田神星(たなかみほし)より引用
”ひこほし”牽牛Al-tail(アルタイル)と説かれているが、これもすばるの異名として通った...
...田神星とは”すばる”にかかわらず百姓の歳時月令の目じるしになる星...
”すばる”とは”しゅらきまる”即ち星群であり、”まる”は星である。蹈鞴の仕事場を”たかまる”と言う。昔の百姓は昼は田仕事、夜は鍛冶事に眠る暇もなかった。
彦星は七夕の神。
福岡には七夕神社がある。
媛社(七夕)神社
福岡県小郡市の媛社(ひめこそ)神社(七夕神社)。
佐賀県鳥栖市姫方町の姫古曽神社。
二つの社に神は同神と示唆する伝承があった。
姫古曽の地で幡を飛ばすと媛社(ひめこそ)の地に落ちた
媛社神社の神は
栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのこみと)(織姫)
天火明命(磐舩神) 織姫の長男
高皇産霊尊(たかみむすびのみこと) 織姫の父
宗像神(むなかたのかみ)道主神 道の神様
姫古曽神社の神は
御祭神は、市杵島姫
八幡大神、住吉大神、
高良大神、菅原道真
*さらに、原初の祭神は織女姫。
両社祭神は伝承より、同神である。
神話の親等は関係が無い。
第一、七夕神として祀られるのだから、親子では成立しない。
媛社の天火明神は、磐舩神である饒速日命。
姫古曽の高良神と住吉神、八幡神と同神。
媛社の栲幡千千姫命(棚織神)は、
姫古曽の市杵島姫命(織女神)
市杵島姫命は、宗像神であり、御炊屋姫と同神。
彼女は、饒速日命の后であった。
彼は高良神なので、彼女は神功皇后となる。
また、彼らが七夕神であるので、繋がる。
鍛冶の神
鍛冶の神は、蹈鞴神。
天目一箇神、天津麻羅、金山彦神、迦具土神(かぐつちのかみ)など。
石上神宮の布留神、布都神も、製鉄されてできた剣ということで蹈鞴の神になる。
天津麻羅とは、饒速日命と共に天鳥船に乗り、天降った部族にある。
「物部造等祖天津麻良」とは、物部の祖の天津麻良。
福岡では浮羽郡物部に定着している。
饒速日命の子孫たちは、主に大和と筑紫に定着している。
ほとんどがその地に社を構え、綿々と繋いできた。(これに関しては後に)
七夕の神、蹈鞴の神。
すべて、同じ神であったのだ。
高良神と物部と饒速日命
二つのヒメコソ神社より、高良神は饒速日命と繋がった。
彼は物部の神であった。
太田亮著作の「姓氏家系大辞典」の物部の項にはこうある。
「その族長たる物部氏の祖と伝えらるる饒速日命当時、すでに一大民衆を包括せしが如し。筑後平野と考えられ、高良社はその氏神と推定さる。」
物部の祖神が、高良神だと。
「高良玉垂宮神秘書」にも物部の神とある。
(しかし太田氏は、饒速日命と高良神である「武内宿禰」は同神だとは思われていないようだ。)
武内宿禰を祖神とする部族に、蘇我氏、紀氏、平群氏などがある。
しかし、彼が饒速日命でありながら。先代旧事本記の饒速日命と共に降った「天孫族」の中には、その名は無い。
その理由として、考えられること。
☆氏姓が出来たのは6世紀頃、その直後の天武天皇による記紀の製作開始。
☆当時の為政者による「改変」が、神の姿を変えてしまっている。
おそらく先代旧事本記もそれを受けて、武内宿禰様に繋がる一族はあえて載せなかったのだと思われる。
(つづく )
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