波斯(ペルシャ)を Sasahn(ササン)王朝と呼び、漢人は大月国と約した。
月神は高良神。
物部の先祖は近東から来たとされる。
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★目次
☆1 言葉の元
☆2 祖神・天照の魂を受け継ぐ
カシオペア座は弓張星、慮昧星(ゆみなぼし)。
言葉の元
(「儺の國の星」26、慮昧星(ゆみのほし)より引用
満月を”ささふち”、朔月を”ささくり”という古語があった。”ふち”は白、或いは光、”くり”は黒、或いは闇を意味する。波斯(ペルシャ)を Sasahn(ササン)王朝と呼び、漢人は大月国と約した。出雲では”みさき”を三日弦月とするから、西域の胡語がいつの頃か倭語に生きていたことを知る。
ふちが白であり、満。
また、くりが黒であり朔。
ささが月を意味する。
よって、ササン朝と呼ばれていたペルシャは、大月国。
ペルシャは近東にあり、物部の先祖が来たという地なのかもしれない。
物部の祖神は饒速日命。
彼は高良神である。
月神であり、神話の「月読神」。
彼らの先祖が大月国から来たのであれば、「月神」の名はそれも意味しているのだろう。
胡人は朝の語源を ac(アス),acu(アス),或いは漢語 acam(アサム)などの開闢迎春、開花披辨即ち啓初の意に求め...(阿蘇山の)”あそ”とは偉大なる空間の率直な表現であった。
朝も阿蘇も、語源の意味は同じということになる。
あす、あその地名と言えば、奈良の飛鳥(明日香)。
あの地も同じ意味を持つのかもしれない。
古代は、人の生活と月星の動きは密接に関係していた。
それらと神の名が繋がるのは、その証であろう。
月神、星神は、高良神であり、饒速日命であった。
彼は住吉神と同神。
三ツ星の神格化、海の神でもあった。
毎年行われる新嘗祭は、彼に繋がる。
祖神・天照大神の魂を受け継ぐ
☆饒速日命と魂振り神事。
新嘗祭は11月22日から23日にかけて行われる。
本来、神事は旧暦に行われる。
11月22日の旧暦は、12月21日ごろ。
旧暦の日にちは毎年変わるが、冬至の頃に当たる。
節気は生活の節目。
古来からある神事も、その日に行われて来た。
では、元々の新嘗祭は、冬至にあったのではないか。
その神事では、日をまたぎ、天照大神との共食共寝をされるという。
冬至の頃(12月23日頃)の0時の南中にはオリオンの三ツ星があった。
アプリ*星座早見盤(12月23日の0時)
オリオンの三ツ星は、住吉神を意味する。
では、新嘗祭は、住吉神と連なる祭りではないか。
ここまでは、「日礼自動車」 (現在の新嘗祭について)を参考にしている。
現在の新嘗祭について、葬儀屋さん視点から詳しく検証されている。
節気は星の巡り、そのもの。
日をまたぐ神事ならばこそ、0時に南中に来る住吉神が新嘗祭の神ということになる。
何故、「住吉神」なのか。
皇室が主体で行われる神事ならば、皇祖神の天照大神であるはずだ。
それは、住吉神が天照大神であるからに他ならない。
現在は、新暦で行われてる為、意味が繋がらない状態となる。
住吉神が天照大神
☆石上神宮の魂振神事
新嘗祭がある11月22日。
石上神宮では、石上神宮で鎮魂祭(魂振り神事)がある。
饒速日命の命日だと伝えられていて、蘇りの儀式とされている。
彼は、筑後国一之宮の高良大社の高良神。
「高良玉垂宮神秘書」には、住吉神と同神とある。
饒速日命は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命の名を持つ、
男神天照であった。
住吉神=高良神=饒速日命
そのどれか一つが欠けても「新嘗祭」には繋がらない。
その神事は、皇祖神である住吉神の魂を受け継ぐものであり、
住吉の神は饒速日命。
住吉神、饒速日命は、高良神なのだ。
住吉神は高良神であり、天照神。
彼が神話の全ての神であり、だからこそ、住吉神が現れた地が、神話の舞台になる。
彼の后である御炊屋姫は女神天照。
だからこそ、彼はもう一柱の天照になる。
高良神(住吉神)の后は神功皇后。
神話で、住吉神(男神天照)に関わるのは、彼女が御炊屋姫(女神天照)であるからであった。
( つづく )
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