今日はちょうど新嘗祭。
それは饒速日命に繋がるものだった。
「日本書紀」の記述の大嘗祭からも彼に繋がる。
★前の記事
★目次
☆1 大嘗祭の初め
大嘗祭の初め
大嘗祭とは天皇が即位して初めて行う神事のことである。
以下、概要。
「我が皇祖(みおや)の霊(みたま)、天より降りて、我が身を照らし助けてくださった。
今諸々の敵対するものはすでに平定して、天の下、心配することは無い。
よって天神を祀って、神の教えに従うことを誓いたい」
霊畤(まつりのにわ)を鳥見山の中に立てて、そこを名づけて上小野の榛原(はりはら)・下小野の榛原という。
皇祖天神を祀った。
(岩波文庫「日本書紀」参考)
神武天皇が神に宣言したこと。
これが大嘗祭の始まりと言われる。
霊畤がある奈良県桜井市の鳥見山の麓には、等彌神社があった。
とみ神社である。
等彌神社
本殿の左手から鳥見山を上がって行く。
鳥見山にある霊畤(まつりにわ)
等彌とは登美、登弥(みな同じ)。
矢田の登弥神社には饒速日命が祀られる。
神武天皇が祀り、宣言した皇祖神とは饒速日命であった。
霊畤の手前に白庭がある。
生駒山の麓と、登美神社の裏にも白庭があり、饒速日命の墓とされている。
そしてこの地の白庭。
同神を示唆するものであり、ここに祀られる神は饒速日命だと告げている。
紅葉が綺麗だった。
ちょうど2年前のこの日に訪れていた。
三輪山では神事があり、昨日、石上神宮では魂振り神事(魂鎮め)があっただろう。
皇室では昨夜から新嘗祭だ。
こちらは年に一度の行事。
この日、饒速日命は亡くなったとされる。
新嘗祭とは彼の魂を引き継ぐ神事であったのだ。
( つづく )
*参考
岩波文庫「日本書紀」
角川文庫「古事記」中村啓信 著
次は神功皇后の予定でしたが、その間もちょっと書きます。
*記事内の考察や写真、イラストなどの使用は著作権のルールに沿ってくださいますようお願いいたします。
*******************************************
X(Twitter)
古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
フォローお願いします
https://twitter.com/sakura15335?t=zywdh8uJGIhzvxAk28C_Tg&s=09