三泊四日の奈良旅&山行
無事に帰ってきました。
色んな場所に行ったのですが、旬な所からUP。
等彌神社では紅葉真っ盛り。
26日まで紅葉祭りとライトアップをしてます。
等彌神社の御祭神は、上津尾社に天照皇大神。
下津尾社右殿に、八幡社(磐余明神、品陀和気命)
下津尾社左殿に、春日社(高皇産霊神、天児屋根命)
下津尾社左殿に、春日社(高皇産霊神、天児屋根命)
その他、八社(弓張、恵比寿、金毘羅、黒龍、稲荷、猿田彦、愛宕、桃神)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211121/14/153535769/82/12/j/o1080072015034797552.jpg?caw=800)
鳥居から紅葉が見事でした。
ここにある鳥見山で、神武天皇が初めての「大嘗祭」をしたと言われてます。
「祖神」に天皇になることを宣言した地。
ここにある鳥見山で、神武天皇が初めての「大嘗祭」をしたと言われてます。
「祖神」に天皇になることを宣言した地。
つまり、ここには祖神である「天照大神」がおられるということ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211121/14/153535769/d5/4a/j/o1080072015034797540.jpg?caw=800)
「日本書紀」にはこのようにありました。
「我が皇祖(みおや)の霊(みたま)、天より降りみて、我が身を照らし助けたまえり。今諸々の慮(あたども)すでに平らになって、天の下心配することは無い。以て天神を祀りて、大孝(おやにしたがうこと)を述べた申し」
霊畤(まつりのにわ)を鳥見山の中に立てて、そこを名づけて上小野の榛原(はりはら)・下小野の榛原という。
皇祖天神を祀りたまう。
(岩波文庫「日本書紀」参考)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211121/17/153535769/0e/81/j/o1080081015034885106.jpg?caw=800)
鳥見山へはここから入山します。
こんな感じのなだらかなお山。
こんな感じのなだらかなお山。
こんなところ。
そんなに広くは無いです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211121/14/153535769/f4/19/j/o1080081015034797586.jpg?caw=800)
「霊畤」とは、天神や五帝を祀る斎場の意味があります。
大嘗祭、始まりの地。
等彌神社の「とみ」とは、登美饒速日命のとみ。
矢田の登弥神社にも祀られる、饒速日命です。
等彌神社の「とみ」とは、登美饒速日命のとみ。
矢田の登弥神社にも祀られる、饒速日命です。
彼は、大和にいた登美一族の姫、登美屋姫(御炊屋姫・ミカシヤ姫)と夫婦になり、登美の名を継承しました。
神武天皇が祀った皇祖とは、饒速日命だということになります。
上記の登美神社にも「白庭」があり、饒速日命が埋葬されていると言われてます。
等彌神社(登美神社)の神は、全て、その天照神ともう一柱。
神は夫婦で祀られるのです。
ライトアップ、見たかったです。
社務所にあった八咫烏の土鈴と手作り「やたちゃん人形」。
宮司さんのお母さまの作だそうです。
お仕事が丁寧!
お仕事が丁寧!
この八咫烏は、この地から出土した埴輪を模しています。
以前、新嘗祭から住吉神、饒速日命と繋がっていました。
ここでもたどり着いた。
やはり、天神天照は、彼であったのです。