龍王山の麓にそのお社はあった。
同神を伝える。
そんな簡単な「決まり事」に改めて気づかされた神社だった。
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★目次
☆1 六所宮の神
☆2 筑紫の神の正体
☆3 筑紫神が神話の神
六所宮の神
福岡県飯塚市舎利蔵
「六所宮」
ご祭神が、八幡大神、国常立尊、大物主神
豊国主命、宇賀姫尊、菊理姫尊
由緒 社伝によりますと、八〇三(延暦二三)年、最澄が仏法を求めて唐に渡る時に、竈門山宝満宮に航海の無事を祈りましたが、そのおり神のお告げをえて、この地においても同じ祈願をしました。
そのお礼として帰朝してから神祠を建てることを誓ったのです。
この時肥後八代の舎利尼がこの志を継がんことを願いましたので、最澄は喜んで任せました。
舎利尼は村人と話し合って祠を山腹に建て梵室を傍に構えて誦経奉仕をしたのです。
これが山王七社権現及び舎利蔵寺の始めといわれています。
一四六九~八七(文明年間)年に、六座をこの地に遷して六所権現と称するようになりました。
一座は(尺+虫、属の略字)村本谷に遷して、各産土神にしたと言われています。
(神社の由緒書きより)
彼は、唐に行く前に宝満宮竈門神社で無事を祈り祈祷している。
お告げにより、ここにも同じ祈祷をした。
無事に帰ってきて、「そのお礼として神祠を建てた」。
「お告げ」は何を意味するのか。
筑紫の神の正体
「お告げ」は、この六所神社と宝満宮竈門神社は同神と意味していた。
神にお礼するのに、他の神のところに行かない。
☆宝満宮竈門神社の祭神
神功皇后、玉依姫、応神天皇
☆六所神社の祭神
八幡大神、国常立尊、大物主神、
豊国主命、宇賀姫尊、菊理姫尊
増えたり、減ったりしているが、同神なのである。
応神天皇=八幡大神、国常立尊、大物主神、豊国主神
神功皇后、玉依姫、宇賀姫命、菊理姫尊
豊国主神=大国主神=大己貴神=
大物主神は、饒速日命。
彼は国常立神。
応神天皇は、気比神宮でツヌガアラシト(伊奢沙別)と名を変えている。
同神を意味する。
ここから、高良神、饒速日命と繋がっている。
*高良峰の祓いの神*目次
*上の簡易的説明
神功皇后
神功皇后=玉依姫、宇賀姫尊、菊理姫
「高良玉垂宮神秘書」より、高良神の后は神功皇后。
彼は饒速日命であるから、彼女はその后の御炊屋姫。
御炊屋姫の名は、宇迦之御霊、豊受大神と同神を意味する。
宇迦之御霊は、宇賀姫尊と同神。
(彼女は、女神天照でもある。)
さらに、高良神である饒速日命は、歳神であり、宇賀神。
その后が彼女であるので、宇賀姫。
☆菊理姫
謎多き神。
神話にはイザナギ神がイザナミ神を求めた黄泉の国で、イザナギ神を助けたとだけある。
イザナギ神の禊に纏わる神(祓い)というこということになる。
彼らと同神の住吉神も宗像神も、イザナギ神の禊で現れた神。
その神話は彼らの「異類退治」が所以。
神話の神はすべて彼らであり、物語も全て彼ら。
彼女は「祓いをした神」そのものなのである。
筑紫神が神話の神
最澄さんは、脊振に寺を開いたとされている。
山には彼らが祀られて、かの山は久士布流多気。
空海さんも若杉山に寺を開いていた。
同じく、彼らが祀られる太祖宮がある。
ここは、彼らが過ごした場所であり、神話の元になる地。
神の居場所であったのだ。
彼らが寺を開いた所以である。
しまった~
この記事、前にもアメブロで書いてました^^;
ココログからの移行中なので、だぶってしまいました。
これの続きとなる記事です。
消すのも何なのでこのまま残します。
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古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
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