天河弁財天の元宮である、佐賀の「天山神社」。
前回は、天山の上宮をUPした。
今回は神を解く三つの宮。
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三つの下宮
下宮が三つあった。
天山宮
佐賀県唐津市厳木(きゅうらぎ)町広瀬
天山神社
佐賀県小城町晴気
天山神社
小城市小城町岩蔵
天山宮
地名は、厳木町広瀬。
奈良の「櫛玉比女命神社」も旧広瀬郡にある。
同じ神であった。
拝殿。
奈良の旧広瀬郡弁才天の神は、御炊屋姫。
弁財天と呼称、彼女がそれであった。
この天山宮の地名も「広瀬」であり、弁財天が「広瀬の神」であること示唆している。
厳木(きゅうらぎ)は、いつきとも読める。
宗像三神の市杵島姫(いつきしまひめ)は、厳島神社の神。
神社のある地名は神の由緒を表すことがある。
☆厳木=いつき=市杵島姫命=厳島神社の神。
市杵島姫命は弁財天と習合されている。
市杵島姫命(厳島神)=弁財天=広瀬神=御炊屋姫
女神・天照と弁財天
弁財天は女神天照である。
☆撞賢木厳御魂天疎向津姫(つきさかきいつのみたま あまさかるむかつひめ)の厳御魂は、厳島神社=市杵島姫命を表す。
つまり、宗像三神(実は一柱)が、女神・天照。
☆奈良の天河弁財天は伊勢の内宮から勧請されている。(wikiより)
「創建に関わった天武天皇と役行者は、伊勢神宮内宮に祀られている女神を「天の安河の日輪弁財天として祀った」
弁財天=市杵島姫命が女神・天照なのだ。
それが御炊屋姫。
饒速日命の后であった。
祭神
御祭神は、天御中主命、倉稲穂神、宗像三神。
天御中主命、倉稲穂神(稲荷神、宇迦之御魂神)は、饒速日命。
境内神社に、八幡神社、八坂神社、黒尾神社、宮地嶽神社、天満宮。
☆佐賀の黒尾神社には武内宿禰の母が祀られているという。
そこでは宝満山はその母のご廟所ともされる。
だが、宝満山の玉依姫は、神功皇后である。
彼の母ではない。
また、宮崎、鹿児島の黒尾神社では、住吉神が祀られる。
住吉神は高良神であり、は神功皇后の夫婦神である。
彼は饒速日命であった。
武内宿禰は住吉神(高良神)。
神功皇后と夫婦でもあるから、佐賀の黒尾神社の「母」の記述は、夫婦であることを示す。
神話伝承の親等の記述は、夫婦であることが多い。
黒尾神社の本当の御祭神は、神功皇后となる。
☆八幡神は神功皇后の御子、応神天皇。
彼も神功皇后の夫婦神である。
夫婦神は同じ境内に祀られる。
八幡神は、饒速日命だ。
そしてこの奥に、摂社の「宮地嶽神社」
御祭神は、神功皇后。
神功皇后は、市杵島姫命=弁財天。
黒尾神社、宮地嶽神社、八幡神社がここにある理由となるのだ。
つまり、弁財天=市杵島姫命=神功皇后。
彼女が饒速日命の后の御炊屋姫。
彼は高良神であり、神功皇后と夫婦だというのは、彼女が御炊屋姫であることを表していた。
天山神社*晴気
肥前国三之宮 「天山神社」
佐賀県小城町晴気
拝殿。
御祭神は、天御中主命、宇賀御魂神、天照皇太神、多紀理比売命、市木島比売命、多岐都比売命。
彼らは饒速日命、宗像三女神(三柱だけど、実際は一柱の神)。
(宇賀御魂神は、彼ら二柱でもある。後に詳しく)
天山神社*岩蔵
「天山神社」
小城市小城町岩蔵
鳥居の向こう側に見える山が、天山。
この麓の下宮三社と、中宮、上宮と歩いて回るのが、一部の山人に流行ってる「天山三社参り」。
30キロある。
拝殿。
御祭神、多紀都毘賣命、市寸島毘賣命、多紀理毘賣命。
天山の神は御炊屋姫
天山の神は、弁財天=市杵島姫=御炊屋姫。
同じ上宮の下宮であるので、御祭神は同じ。
それぞれ微妙に違う名前。
違う名は、全て彼らだということだ。
こちらが、天河弁財天の元宮というのは間違いではない。
「彼女」は、元々こちらにいたのだから。
(脊振山の神は弁財天=市杵島姫命)
上宮創建よりも、伊勢神宮よりも、もっと昔にここに降臨*した彼女。
(*訪れた。祀られた)
「元宮」とは、その神の出身地を表す。
ルーツ。
その神の正体。
辿って行けば、必ずたどり着く。
天山は、神の住まう地。
山頂に来ると、きっと、分かる。
( つづく )
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