続きです。

 

日吉神社 」がある福岡県那珂川市(旧 筑紫郡那珂川町)。
古来から、物部氏が領有した地であった。

                                                                                                
彼の地こそ、神話の郷。

物部氏の祖神が、「彼ら」であるからだ。

 

 

中でも際立っているのが、二つの元宮「現人神社 」と「日吉神社 」。

 

(日吉神社)
 

そして、「猿田彦神」と刻まれた庚申塔(道祖神)の数。

「箸墓の歌」の著書の中で小椋一葉氏は、その庚申塔の多さから、猿田彦神の発祥の地だとしている。
市でも、同じく「発祥の地」として、さるたくんというキャラがあちこちで活躍していた。

 

Sarutakun
(さるたくん。写真は那珂川市の案内パンフから。

コミュニティーバスの側面にも描かれてます)
                           

 

                        

<山王神>

 

この「日吉神社 」は、日吉大社の元宮。


日吉神社の由緒書きに、

「最澄が唐から帰朝の折り、脊振山東門寺を開基。
 これを比叡山延暦寺に移した時に、その守護神としてここの山王神猿田彦神を
 勧請して彼の地に日枝神社を創建したという伝説がある」

 

ここの猿田彦の神を日枝神社(日吉大社)に勧請したとある。


だが神社庁に記載されている御祭神には、猿田彦命の名はない。

 

天御中主神、大己貴神、日子穂穂出見神。

大山祇命、八雷神、菅原神、迦具土神、田心姫神、高淤加美神、闇淤加美神、手力雄神、宇賀魂神、表筒男神、中筒男神、底筒男神、須佐之命、天照大神。

 

 

一方、勧請先の日吉大社には、この日吉神社の大己貴神の名がみえる。

 


< 日吉大社の神 >

                                  
西本宮には、大己貴神(おおなむちのかみ)。
天智天皇7年(AD668年)、大津宮に都を遷す際に、大和の三輪山より勧請された。

東本宮には、大山咋神(おおやまくいのかみ)。
   (もともとは、日枝の山におられた山神さまのこと) 

この神社が山王神社の総本山とも言われるようになったのは、
その地で生まれた最澄さんが、唐より帰った際、山王神を祀ったことに由来する。
 

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この「日吉大社」と那珂川の「日吉神社」の伝承から、
最澄さんが唐から滋賀へ帰る前に脊振山に寺を開き、
那珂川町の「日吉神社」の山王神・猿田彦神を、滋賀の日吉大社に勧請したことになる。

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<山王神とは>

滋賀の日吉大社のHPに、「山王神とは、日吉神の別名」とある。
那珂川市の「日吉神社」の鳥居の扁額にも「山王宮」と刻まれてある。

「別名」とあれば、同じ神。
「猿田彦神は、山王神であり、日吉神」なのだ。

                          

大社の「山王神とは、日吉神の別名」・・・。
東と西に祀られているはずの、二柱の神。
なのに「日吉の神」とひとくくりにされているのは、同じ神だから。

猿田彦神と山王神、大己貴神は同神ということ。

 

よって、那珂川の日吉神社の神は、大己貴神でありながら、猿田彦神であるのだ。

< 祭神 >

 

日吉神社の中に天照と住吉三神の名がある。

三輪の大己貴神は、饒速日命。

彼は高良神であり、住吉神であった。

 

 

饒速日命は、宇賀魂神でもある。

 

田心姫神は宗像神。

三神とされるが、実は一柱の市杵島姫命=弁財天。

 

奈良でそう呼ばれているのは、饒速日命の后の御炊屋姫。

 

つまり、饒速日命と御炊屋姫の名が、そこにあるだけなのである。

 

 

<高天原から葦原中国までを照らす神>
 

猿田彦神は、光り輝く姿から、天照神を表しているとされる。

彼は、大己貴神であり、高良神=饒速日命。

 

男神・天照大神であった。

 

 

              

「日吉」の元宮とされる神社がある那珂川市。

そこには<筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原>

(「神話の郷    ~高天原と禊の地」 )


同じくイザナギ神の禊で生じたとされる
「住吉三神(上筒男神、中筒男神、底筒男神)」を祀る元宮とされる
現人神社 」も存在する。

 

 


「禊をした地」は、神話では「天照が生じた(現れた)土地」。

 

 



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( 続く )