こんにちは



はまひとみです。







感じるものが

ネガティブとかポジティブとか

そこに注意を向けるより、

自分の中から湧き上がるものを

そのまま受け取り、

そのまま感じる

そんなことを大切にできたらいいなと思います。






良いとか悪いとかジャッジすることなく、

ごまかすのでもなく

そのまま受け取って、

そのまま感じる。







身悶えしそうないやな感じも

そのまま。







そうやって感じるをやっていると、

いつの間にか自分の手元から

なくなってるんですよね。







ネガティブな感情って、

不快で辛いから

そのままなんて見たくないわけですが、

思うようにできなくても、

そのまま見てみようって意識して、

できないけど、

何回もそれを繰り返してきました。






ジャッジして、ごまかして、

わけがわからなくなることもあって、

もどかしかったけど、

できないながらの繰り返しが

感じるものをそのまま受け取れる心の器を

育ててきたなと思います。







できない自分を認めて。

うまくできないから、

自分には無理と諦めない。

やってるだけで進んでます。








昨日コンビニの駐車場で

ふと湧き上がる感覚がありました。







今わたしがここにいることは

何の意味もなくて

価値もなくて

世界と繋がっていないわたしが一人で

ぽつんといるような






その瞬間は

時間が止まったように感じました。







そうして

自分の中から湧き上がってくる無価値感を

そのまま受け取って、

そのまま感じていたら、

ふわっと風が吹いて

どこかに飛んでいったみたいに

わたしの手元からなくなってました。







とても心地よくて、

清々しかった。







暑くて汗ばんでて

日常のあれこれを考えてる最中に、

時間にしたらほんの数秒じゃないかと思う。







良いとか悪い、

何の意味があるの?って考えたり、

頭でぐるぐる考えて

あれこれジャッジしてきたわけですが、

そんなこと手放して

"そのまま"を感じていたら

どんな世界が広がるだろう







なーんて、

またいつものあれこれ考える癖を

発動させながら

家に帰りました。















こんにちは、



はまひとみです。






我が家には、中3娘がいますが、

週に一日、2時間だけ学校に行ってる

いわゆる不登校の状況です。






先日運動会があって、

先生から「中学生最後の運動会だし、

みんなのがんばり見てみない?」

と声をかけてもらい、朝から登校した娘です。






給食の提案もしてもらって、

「久しぶりの給食だし楽しみー」

と、まんざらでもない娘は、

一食分の給食費を持っていきました。






娘は、中1の2月に「学校行かない」宣言をして、

そこからほとんど学校に行ってません。

お便りで給食費を返還できるシステムを知って、

「これから給食食べないので
給食費払わない手続きできますか?」

って自分で先生に伝えて、

2年生の途中から給食費払ってません。







本当は昨年の4月から手続きできたんだけど

その手続きしたら、

これからずっと学校行く気ありませんって

言うようなものだし、

一生懸命な先生にそんなこと言うの申し訳なくて、

手続きを渋ってたのはわたしです。






だけど、行く気のない娘の決意もわかるし、

2年生の途中から給食費払わない手続きを

しました。

自分にコミットしてる娘と、

軸のない周りにブレブレの母です💧







このような状況で登校して、

「久しぶりの給食食べれて嬉しかった!

味はまぁ普通だったかな、

おかずと黒糖パンはおかわりできたけど、

けっこう残す子が多いんだよね〜」

とさらっと話す娘に、

わたしはイラッとして、

自分の表情が固まったのがわかりました。






娘は、わたしの固まった表情から

何か察したようで、

「そんなことしたらダメって言いたいんでしょ?」

って、ド直球来たー(笑)






「うん、ママにはできない。

でもいいんじゃない」

内観してるときにド直球来たもんだから

少しうろたえたけど、

そのときの正直な気持ちでした。







娘の言動にイラッとしたと同時に、

たくさんある不要なマイルールを見つけた

という喜びも感じていたので。






まあ〜わたしはいらないルールが多いのです。

どんだけやねん!!

ていう自分突っ込みは

なかなか終わりそうにない、、






みんなと違わないように、

嫌われないように、

空気を読んでその空気を壊さないように、

こんなことがわたしには当たり前過ぎて、

なかなか一人では気付けないけど、

娘と話してるとお宝ざくざくです(笑)







イラッとするときは、何かあるぞ!

っていうお知らせなので、

よーくみてみると、

何じゃこりゃ?っていう思い込みがたくさん💧

要らないものは手放す。

手放した分、

軽くなって、楽になります。

地味〜な作業だけど。






そんな母のもとに産まれてきた

空気読まない娘、

いや、自分に正直で、

わたしにとってはお手本のような存在です。






「こんなことやってもいいんだよ〜」

のお手本なんだけど、

わたしはそんなことしちゃダメって思ってたから、

実際のところ、その瞬間

わたしはお手本なんて思えなくて

ダメの連発にしか見えない。






またやってるよ、

おいおい!って言いたくなるし、

時にはマグマのような怒りが湧いてくることもある。






そうなんだけど、

よーく見てみると、

わたしがそれやっちゃダメと思ってることを

やっても大丈夫だよ

て目の前で見ているだけの出来事。






わたしは無意識で、

(そんなことやったら恐ろしいことが起こる)

と思ってて、怒りの下に

こわくて仕方ないわたしがいたんだけど、

何も怖いことは起こっていないんです。






みんなと違うと嫌われるとか、

変な人に見られるとか、

空気を乱すととか、

そんなことやるとこわいことが起こると

信じてたんです。






現実は何もこわいことは起こってないし、

むしろ、その逆で、

ほっとしたり、ゆるんだりして、

あったかい感じお茶






学校行ってないのに

味わいながら給食食べて、

残してる子がいる中で

パンやおかずをおかわりして、

そこまで美味しい訳でもないとかって

批評する娘は、

自分の思ったことを思ったままなんです。

自分に正直。







それだとこわいことが起こると幻想があったけど、

そんなことはないんですよ。

むしろその逆。





2年ぶりに教室で給食食べた娘に、

「久しぶりの給食だね」「元気にしてる?」

って声かけてくれる子もいて、

娘は学校であったいろんなことを話して、

「久しぶりの学校生活は疲れた」

って10時くらいに寝て、

なんと健康的なこと。






自分を偽って、

周りに合わせるのが当たり前だと思ってて、


でも生きづらくて何とかしたいと思ってた

そんな母の元にやってきた娘は、

わたしがやったらだめだと思ってたことを

普通にやる子でした。






不登校の生活は

退屈で、つまらないらしく、

中学校卒業したらもうこんな生活はない、

と言いながら、不登校生活を送っている娘。






これでもいいんだよ

それでもいいんだよ

って娘の小さい背中で見せてくれて、

わたしは頭をかち割られる思いになりながら、

これでもいいんだって

一つ一つ手放してきたように思うんです。





娘の言動に対して、

ちょくちょくわたしに染み付いてるものが

反応することがあるけど、

イラっとするときや、もやっとするときは

いらないものに気付いて

手放せるタイミングなので見逃せません。






その瞬間は心地良いものではないし、

感情が暴れたり、面倒くさかったり

することもあるけど、

一つ一つやったことで

わたしの世界は変わりました。






これでもいいし、

それでもいいっていう

ほんわかあったかくて

優しい世界。

これが真実なんだと思います♡













こんにちは、




はまひとみです。







わたしは人生かけて


こんなことで遊んできたのかな?


と思ってしまうことがあります。


名付けると、 


自分だましゲーム、


一人かくれんぼ、


一人お芝居でしょうか。







わかってるフリ 


 知ってるフリ


 動じていませんよのフリ


 余裕のあるフリ


ちゃんとしてるフリ


 孤独じゃないフリ


 咄嗟に上手にできてしまう






 わかってない自分 


 知らない自分、

 

 目の前の出来事に動じている自分、


 ちゃんとできない自分、 


 余裕のない自分、


 孤独な自分を暗闇に隠して、


わからないフリをする。 


 自分にもわからないように 


 大丈夫なフリをして。






 さて、


 暗闇に隠してきたあのときのわたし






 いつまで隠して生きようか






上手に隠してきたつもりだけど、


わたしの人生の根底を形づくっていた。


隠したらみえなくなって


そのまま忘れて


一時安心してた自分がいるだけ。






結局、わたしの中にある。


ずーっとあった。


なくなってない。






このままこれで行く?






怖いし、やりたくなんかないけど、


暗闇に首突っ込んで隠してきたもの見てみる?







何かおどろおどろしいけど、


お化けとか幽霊とかじゃないんだよ。


あのときのわたしが


「これいらない」


ってしてきたあのときのわたし。






いっちょ見にいきますか!






一つ一つ手にしていくと、


あのときの切ない気持ちがこみ上げる。


それしかやり方を知らなかった自分を


思い出す。






あのときは


認めることができなかった、


許すことができなかった、


そんな自分を


一つ一つ認めて、許していく。







たったこれだけのことだった。






一つ一つ認めて許していたら、


何かのフリなんてしてない、


そのままの自分でいることに気づけるように


なった。






わからないし、知らないし、動じるし、


わかりませんて聞くし、


正直な、


そのままの自分でいることが増えてきた。







たったこれだけのこと。


なんてことない、


こんなことが嬉しかったりする。







自分に正直に生きよう。


これだと楽に生きられる。













こんにちは、



はまひとみです。







先日のママ友とのお話会で、

トラブルがあった人についての

話しがありました。






たしかにひどいし、

たしかに腹立つし、

たしかにかわいそうな話しで。






お腹に溜め込んだ怒りや悔しさは

言いたいだけ言って、

吐き出したらいい。





オブラートに包んだように

言葉を濁したり

いい人ぶらないで、

正直な思いを話すことが大事だと思うんです。






スッキリするくらい言ったら、

何でそんなに腹が立つの?

ってところが気になります。






何に一番腹が立つの?

「あの人が自分で名乗り出て立候補したところ」






何で腹が立つの?

「あの人がやるんだったら、わたしがやるわ」






トラブルとは別件で、

ある代表を巡って、

もやもやしていたことがあったそうです。






トラブルがあったママ友から

代表の立候補の話しを聞いたとき、

その場で

「あなたがやるなら、わたしがやるわ」

と思ったけど、

黙って聞き入れたママ友。






本当は、そんな自分に腹が立っていて、

そんな自分が悔しい。






でも、「それ、わたしがやる」

なんて思いのままにしゃべったら、、



 空気を乱してしまう、

 空気読めない人だと思われてしまう、

 けんか売ってると思われる、

 目立ってしまう、、

 、、、

抑える思いが頭をよぎったかもしれません。

そんなことになるくらいなら、

言いたいことはぐっとお腹に押し込める。






そうやってお腹に押し込められた、

言いたいこと、やりたいこと、

たくさんの制限が

悪口の源だったりします。






悪口言いたいだけ言っていいと思う。

でも悪口を言ってる間

意識のスポットライトは

嫌いなあの人に当たってるわけで。






本当はやりたいと思っていたこと、

でもそんなのダメって、

お腹に押し込めていたこと、

そんな自分の思いに気付いて、

話したり、

ノートに書いたりして、

意識のスポットライトは自分に当てる。





きらいなあの人をぐるぐる考えてた時間、

悪口を言っていた時間、、、モッタイナイ。






そんな自分に気付いたら、

がっかりするかもしれない、

ギャーーー!オェーーー!

みたいに、自分を見たくない声が

聞こえてくるかもしれない。
 




でも、この自分はだめって拒絶されて

認められないのって悲しいし、

絶望しか感じられない。

吐き気がするくらい恥ずかしいこの自分を

これも自分って

無条件に受け入れられたら

ほっとするんですよね♡





大切な時間や、意識や、言葉たちは、

自分に向けて使っていきたいですね♡






苔♡もふもふ♡たまらない♡







こんにちは、


はまひとみです。






昨日は母の日でしたね。

日頃の感謝の気持を伝える機会があるって、

ありがたいです。

母に思いを巡らせていたのですが、

昨日は母から祖母のことを

思い出していました。











わたしが中学生のときに亡くなって

あれからずっと

心にぽっかり穴が空いてしまったような、

感覚がありました。






もの静かで、必要なことを言われて、

必要なことをやってもらった

そんなイメージの祖母。

二回怒られたことがあって、

お財布からお金を盗んだときと、

ニ個下の友達を泣かせたとき(照)





そのときも、一言二言注意をされただけ。

(普段怒らない人に注意されると効きます。

泣きながら二度とやらないと心で誓いました)





印象に残っているのはこれくらい。





それなのに、

何でこんなに祖母の死が未完了なのか。

ぽっかり空いた心の穴が埋まらないのか。






今までは、

大好きだったからって思ってたんだけど、

母の日のお陰で、

気付くことができました。

それと、先日海で会った

男の子とおばあちゃんのお陰も

あるかもしれません。






必要なことしかしゃべったことないけど、

休みの日はお世話になっていた静かな祖母。

その祖母から、

大きな愛を注いでもらっていました。






空気か、お日さまか、ばあちゃんか、

ってくらい、

あるのが当たり前な感じで。

あることに気付けないほどの大きな愛を

静かに注いでもらっていたんだなって。

傲慢なわたしは、

そんなことは当たり前だと思ってて、

気付くこともできなくて、

感謝の気持ちなんて湧いてこなかった。






でも大きな喪失感。

空気や太陽はなくなったら即死する。

即死はしなかったけど、

わたしにとってのばあちゃんは、

空気か太陽くらいに大きな存在だった。

それなのに大きくて温かな愛に気付くことなく、

当たり前にもらっていてごめんなさい。







大きすぎて、わからない、

当たり前だと思っているから

見えていないし、気付けない。






知らないだけで、

わたしたちはこういうものに囲まれてて、

知らない間に

お世話になっている。






でっかくお世話になりながら

その中で不平不満を言ったりしていることも

あるかもしれない。






ごめんなさい。

そして、ありがとう!

母の日に心から感謝します赤薔薇






こんにちは、


はまひとみです。






昨日はいいお天気だったので、

海に行こう!ってことで

裸足にサンダルで娘と海に行ってきました波






駐車場からすぐ砂浜に行けるので、

途中から裸足になって。





海に突入ー!

ザブーン、ザブーン、ザブーンと

寄せては返す波に、いつの間にか

心奪われていました。









空も 海も 風も 波も 砂も お日様も

最高すぎた。






目をつぶると、

波の音や風の感じを思い出します。






しばらく一人の世界で遊んでいたのですが、

5歳くらいの男の子が

キャーって言いながら近くで遊び始めて、

海もいいけど

男の子のことも気になってました。






男の子は、最初は波が来たら走って逃げて、

濡れないように遊んでいたんだけど、

だんだんと海に近づいていくようになって、

来る波をキックしたり、

波打ち際でハイハイしたり、

棒を見つけてきて海に投げてみたり、

いろいろ遊んで、

最後は寝転がって波にのまれてました波






びしょ濡れで、砂まみれで、

楽しそうに遊んでる姿が

ほんとに可愛いくて、

見てるこちらまで楽しい気分になりました♡






男の子はおばあちゃんと二人で来てて、

おばあちゃんは

男の子が遊んでいるところを

静かに見守っていて、

天真爛漫に遊ぶ男の子の姿は、

納得でした。






海という危険がないわけではない場所で

遠すぎず、近すぎないところで

男の子を静かに見守っているおばあちゃん。

このおばあちゃんの眼差しがあるから、

男の子は最初こわごわだったけど

いろんな挑戦をして、

安心して遊ぶことができるんだと思います。






男の子が近くに来て水をかけてきたので、

わたしもお返しして、

軽く水のかけ合いっこをしたり、

男の子が死んだ魚を見つけて掘り起こしたり、

わたしも男の子と遊ばせてもらいました波






そんな母親を娘は砂浜レジャーシートの上で

スマホ片手に見ていたようで。

「楽しいーまだ帰りたくないよー」

って娘に言ったら、

「ママは子どもに戻ってたね」

と言われました。






「そうかもー」と答えたけど、

ちょっと違うかも。

子どもの頃あんな風に遊んだ記憶はなくて。






濡れたくない、

汚れたくない、

日焼けしたくない、

波がこわい、

だから砂浜に入らない、

そんな感じの子ども時代でした。






海って楽しいって知ったのはこの数年です。

子どもみたいに遊んだり楽しんだり

そういうことが

この年でできるようになってきました。






まだまだ知らない楽しみも

たくさんあるだろうな〜






あの男の子が波打ち際で

寝転がって波にのまれてたとき、

「わたしもやってみたい!」

って強い衝動に駆られたのですが、

ストップがかかって、

体は動きませんでした。






着替えも持たずに普通の洋服で行ってたから、

助かったけど。

あの男の子とおばあちゃんのおかげで


わたしもやりたいように遊んでみたいっていう

夢ができました。

濡れても大丈夫な格好で

また遊びに行きたいと思います。












こんにちは、


はまひとみです。





昨日は娘と意見が食い違って、

イライラッとすることがありました。





段々とわたしの頭は怒りに満ちて、

あのときもあれも言いたい、

そうなるとこうだからこれも言っておきたい、

って、頭の中は臨戦態勢になっていて、

わたしの頭はシューっと湯気ダッシュ

が噴き出ていたかも(笑)






あー臨戦態勢入ってる

湯気出てそうって思ったら

ふーって力が抜けちゃって。






娘も以前だったら、

注意されたら倍返しだ!

って血気盛んに猛反撃してたと思うんだけど、

お姉さんになったのかどこか冷静で、

話し合いで解決することができました。







以前のわたしは、

湯気だけで終わり、なんてできなくて、

ドッカーンと怒って、

その後には必ず自分責めをして、

こんな自分はダメだって自己嫌悪に

陥るという作業を毎回しっかりやってました。

自動的に。






昼間だといろんなことが手につかなくて

目の前のことはひっちゃかめっちゃかになって、

夜に始まると夜中中頭の中で自分をいじめて

気付くと朝、

みたいなことでした💧






あのときのわたしは

自己否定の沼にハマって溺れているんだけど、

そんな自分に気付いてなかったし、

自ら、自己否定の沼にドボンと浸かりに

行ってたような感じだったと思います。

こんな自分は沼にハマらなければならない、

何というスパルタでしょう(苦笑)






子どもたちのかわいい時期に、

ほんとうに無駄なことに時間を使ってしまった、

もっと目の前のいろんなことを

たっぷり味わう時間にしたかったな、

これがわたしの心残りです。

その分、

しっかり今を生きたいと思っています♡







過去のわたしのように、

自分を責めても、

何も解決しないし、

対象を変えて、

誰かのことを責めたって、

余計いざこざになって、

イヤな気持ちが倍増するだけ。

なーーーんにも解決しないし

イライラ、もやもやな出来事が増えるだけ。






どうしても自分や相手を責めたい、

という場合は、

それ相応のマイナスを引き受けます!

という覚悟で、

しっかり責めて、はぁースッキリ!!

という方がまだマシだと思うんです。







自己否定の沼から抜け出すためには、

沼にハマってる自分に気付くことから。






ちょっと遠くにあるカメラから

沼にハマってる自分を見るような感覚で、

俯瞰して見る練習をすると、

あちゃーっていう見たくない自分が

見えて、これが辛いカメラアセアセ






やっちまってる、このイケてない自分を

最初は両目をつぶりながら、

これが自分か〜〜〜とガックリしながらも

抱きしめる。

このときは、

「何も言うな、言葉はいらない」

のような言葉が出ないくらいの心境で、

抱きしめるのがやっとという感じ。






次は片目をつぶりながら、

もう片方の目でイケてない自分を見てみる。

情けない、かわいそう、憎たらしい、

ずる賢くて、惨めで、大キライなタイプ!

そんな受け入れがたい自分が見えてきます。






そんな自分をダメって否定して、

言い訳したくなるし責任転嫁したくなるけど、

そうなんだけど、

抱きしめる。







認めたくない、

受け入れたくない、

全否定したい自分を抱きしめて、

「これも自分」てことを

続けてやっていくと、

何だか心がほっとして、軽くなって

ささやかな幸せを感じるくらいの安堵感に

出会います。








そして、他の人との関係も

トゲトゲしてたのが丸くなったり、

お先真っ暗だと思っていたのが

ほわんと扉が開いたり、

世界が変わっていくんですよね。






自分との関係を見直す

意識のやじるしを⇒自分に向ける

自分との関係を見直していくと、

あれほど悩んで苦しかった大問題でも、

あれれ?

いつの間にか問題じゃなくなってる。






イライラ、もやもやするって、

頭も心も体もいや〜な感じなんだけど、

これが実は、

自分を知って、楽に生きるための

自分からのお知らせ機能で。

今より楽〜に、軽〜くなるためのチャンス!
 
ただイライラもやもやして、

自分や他人を責めて、自己否定して

終わるのはもったいない。






やってもいいのだけど、

いつかはそのチャンスをGETして、

自分に意識のやじるし⇒を向ける

こういうことを続けていくと、

世界が変わる。







今よりもっともっと

ゆるゆる生きていいし、

ほわわんと生きていいし、

もっともっとバカになって、

嬉しい♡楽しい♡ウキウキ♡わくわく♡

そんな時間がもっともっと増えたら

最高だなーと思うイエローハーツ










先日誕生日だったのですが、

娘が自分で作りたいって

作ってくれたバースデーケーキお祝いケーキ

娘がウクレレで

ハッピーバースデートゥユーをひいてくれて、

歌ってもらって、

涙腺ゆるゆるでした流れ星

これしかろうそくがなくて、

1のろうそく消しましたチュー










こんにちは、


はまひとみです。







地元鹿児島では桜がきれいな満開で、

先日みんなでお花見に行ってきました🌸







それが、、

4月から中学生になる息子は行きたくないと言って、

車に乗ったはいいけど、

一人だけ車から降りることなく、

お花見もしないで、お弁当も食べないまま

家路につきました💧






帰ってから

なぜお花見に参加しなかったのか聞いたところ、、






「本当はみんなと楽しくお花見がしたかった、

でも行きたくなかった、

車に呼びに来てもらったときも

本当は行きたかったけど意地を張って行かなかった。

でも、呼びに来てくれる前に

車を降りてみんなのところに行こうと思ったけど、

やっぱりやめた。

次行けるときは、絶対にお花見したい!」

って。

内心、どっちやねん!と思ったけど。。






思春期だから?それとも息子の性格?

揺れ動く時期なのでしょうか?






話しを聞いても息子の真意はわからなかったけど、

わかったことが一つあります。

それは、

息子も自分の言動について

よくわかってない、ということ(笑)






二人で話しをする前までは、むすっとしてて、

怒ってる様子の息子だったけど、

素直な気持ちを話すうちに

むすっとした様子も普段の様子に戻って、

わたしも話しを聞いていくうちに、

なーんだ、そうだったのー!?

それなら早く言ってよーってことで、

カチコチしていた空気がほわんとゆるみました。






話すことで、

自分でよくわからないまま行かないと

言ってただけだった、

自分の意見を押し通したかった、

ってことに気付いた息子。







話すことで、

わたしも楽しみのお花見が

息子のせいで最悪!て思ってたけど、

息子の今の状態を知ることができて、

自分の意見を押し通したい、

みんなに合わせるより逆のことやってみたい、

そういう時期に入ったのか、

と今の息子を知ることができました。






そして話すことで、

視界が広がり違う視点を持つことができたようで、

息子はこういう形で意見を押し通しても楽しくない、

こういうのはもうやりたくない、

と思ったのだそう。







話すってすごいですね。

気付くことができたり、

誤解が解けて理解することができたり、

意地を張っていたのが素直になれたり、

ピリついていた空気がゆるんだり、

視界が広がり違う視点を持てたり、

本当はお花見がしたかった、

僕もみんなとお花見がしたい!

と気持ちか真逆に変わったり🌸






そうは言っても、

これからも意見を通したいとか

反対のことしたいとか

あるかもしれないけど、

その度に時間をとって

正直な思いを話し合っていこうと思います。






話すこと、聞くこと、

日常の当たり前なことかもしれないけど、

目に見えない薄いオブラートをはがして

本音で話そうって意識しているだけで、

違う世界が見えてくるな〜と

実感した日でした🌸







今回のお花見は楽しくなかったけど、

そんなこともあったねって

いつか笑い話しになる日が来るのかな🌸
















こんにちは、



はまひとみです。






昨夜、携帯の写真のアルバムの整理をしていて

気づいたら夜中の2時でした。






アルバムの整理をしつつ、

最初は子どもたちの成長してる姿に感動したり

懐かしかったりしたのですが、

次第に自分の変化に釘付けになってしまって、

結果、夜中の2時終了となりました。






当時のわたしは、今より若いし、

お肌も明らかに今よりハリがあるし、

顔は笑ってるんです。

だけど、

写真を見ながら、子どもたちが小さかった当時の

自分の心の中が蘇ってきました。






笑ってるけど娘の言動にイライラしてたり、

めちゃくちゃ人目を気にしてて、

笑ってるけど心の中は不安でいっぱいだったり、

旅行先で旦那さんにムカついてたことを

思い出したり、

笑顔だけど、本当は笑ってなかったですね。







当時の心境が思い出されて、

写真を見るたびに胸がちくちくしました。





そうなんだけど、

この世の中捨てたもんじゃないんです。

夢があります。






あれだけ心の中がぐちゃぐちゃだった人でも

変わることができる。






心の中がぐちゃぐちゃすぎて、

見たくないことを見ないといけなくて、

吐き気がするほどでしたが、

そんなぐちゃぐちゃを一つ一つ手にとって

見てみること、

感じることをやった先は、

別世界でした。






生まれ変わったのかってくらい、

生きるのってこんなに楽でいいんですかって

思うくらい、別世界でした。







悩みすぎて、思考がカオスでぐるぐるしてたとき、

あんな人になりたいって憧れがありました。

それは、

普通に自分の言いたいことを話して、

やりたいことをやって、

ただそこにいる人。普通にいる人。

自分の気持ちで行動をしてる人。






当時は、

空気を読みすぎて、それだけで疲れて、

人の目を気にしすぎてて、

自分が何がやりたいのかわからなくて、

自分が何を言いたいのかもわからない、






あの頃の自分が、

めちゃくちゃ憧れていた人に

今そうなってると思ったら、感動でした。





これがずーっと普通の人からしたら、

何か感動することある?って思われる

話しなのですが、

当時のわたしは喉から手が出るほど

欲しかったけど、

手に入らなくて、

そんな自分が悲しくて、悔しくて、みじめで、

葛藤の日々だったので。






なってみたら、

え?前からこうだけど?

みたいに馴染んじゃってて、

なんてことない普通なことで。






これはいかんですな!

この変化をもっと実感して、

もっと喜びを味わって、

ここまでの道のりを称えたい(←自分で言っちゃうw)






そして、

心の中はぐちゃぐちゃで、

自分を見失っていた当時の自分に、

『憧れのあの人みたいにあなたもなれるよ』

『諦めないで。大丈夫。』

って報告と、応援のエールを今の自分から

送りたいと思います。






応援やエールって、

もっと具体的なわかりやすい言葉や言い方を

当時のわたしは渇望していたけど、

一般的な言葉になってしまうんですね。






諦めないでとか大丈夫とかって、

それくらい信じてるから、

だからその言葉以外に言葉が見当たらない

のかもしれない。






人は変われる。

どんなに今が苦しくてしんどくても、

逃げても、諦めても、見放しても、

またそこから始められる。






そして、よく聞く言葉だけど、

喉から手が出るほど

欲しかったものが手に入ったときは、

もう次の新しい欲しいものがあって、

気持ちはそちらへ向かってるんですね。






え?前からこうですけど?

ってなると思うけど、

振り返ることができるようになったら

自分の辿ってきた道を

めでめで、ほめほめ、むぎゅむぎゅすること、

大事だな〜と思ったので、

今日はそんなおめでとう会をしたいと思います♡












こんにちは、



はまひとみです。







『わかってくれない』

『何でわかってくれないのよ!』

『わかってもらいたい』

『どーせわかってもらえない』

こんなこと思ったことないですか?






昨日、娘の口から聞くことがありました。

『どーせママはわかってくれない』






おおー!来た!

あなたもそう思うよね。






同じく、わたしもずっとこの思いを抱えて、

娘に対して

『どーせわかってくれない』

と思ってたんです。






わかってくれないことがもどかしかったし、

怒りが湧くスイッチだったし、

悲しみへの入口でした。







わかってほしいから、

あの手この手でわかってもらおうと

がんばっていたと思います。







でも、できなかった。

子どもや、旦那さんや、父や母や、周りの人から

わたしが望む理想の

『わかってもらえた♡』は、

あきらめたんです。






もしかしたら奇跡的にわかってもらえるかもしれない、

最新技術使ったらできるかもしれない、

だけど、

そんなことに命燃やして、

一生終えるのいやじゃないですか。

それに、

何十年もかけてできなかったってことは

それ違うよ、ってことだったりする。






自分が何をわかってもらいたがってるのか、

どうしてこんな怒りや悲しみが

湧いてくるのか。

どんな怒りで、悲しみはどんな感じなのか。






自分が自分のことを

わかっていなかったこと。

わかろうとしていなかったこと。

放置していたこと。






今まで色んな人に

わかってもらいたい、わかってもらえない、

なんてことをしていたけど、

その悲しみは自分から自分に発せられたもので、

自分が自分に怒って、

そんな自分に悲しんでいたこと。






誰かに向けたい気持ちはよくわかるけど、

ずっと待ってる人が一番近くにいます。

その声やその思いに耳を傾けてみる、

すぐに何もわからなくても、

聞こう、わかろうとする気持ちでいること。







娘の訴えに共感するし、

その気持ちはよくわかるけど、

娘の理想とする納得のいく

『わかってもらえた♡』

は、きっと手に入れることはできない。








自分が自分をわかろうとするとき、

理想が現実になって、

ほしかったものを受け取れる。






そうしていくうちに、

実はあんなにわかってくれないと思ってた人が

ずっと前から自分よりも自分のことを

わかってくれていた、

そんなことに気付ける日が来る。







もーーー!

「ごめんなさい」と「ありがとう」しか

言えなくなっちゃうよー。

辿り着くと、いつもここ。












昨日、中2の不登校娘が2限だけ学校で勉強して、

帰りに道端に咲いてたコスモスを見つけたそうで。

「ママー!コスモスちぎってきたー!」

って(笑)

やめてけろー

でもうれしい♡ありがとう♡