やっぱJ-POPが好き 自己満日記

やっぱJ-POPが好き 自己満日記

J-POPと本が好き。水着が食い込んだアイドルの尻はもっと好きです。週末は図書館をうろちょろする、ケチで自由な独身のオッサンです。もちろん友達はいません。

ここ最近はミュージシャンよりもユーチューバーとして人気を得ている印象の吉田靖直さんが、トリプルファイヤーのフロントマンとして、(たぶん)満を持してニューアルバム「EXTRA」をリリースする。実に7年ぶりとのこと。

 

一足早くユーチューブにアップされた一曲「相席屋に行きたい」を視聴した。

 

明るいけれど、どこか退屈。そんな前奏が徐々に盛り上がってから放たれるのは、人生に対する晴れない思いをぶつけた声。この声が坂本慎太郎を想起させる気だるくて朴訥なそれで好きだ。

 

相席屋にとりあえず行きたい。行けば何か進展があるかもしれない。そんな淡い期待を込めて叫ぶ「相席屋に行きたい」は滑稽なオチのようにも感じる。のだが、まったく違う深い意味が隠されているのではないかとも思わせる。とも思わせるけれど、結局はそこまで大した意味はないのかもしれない。そんな堂々巡りを頭のなかでしながら、アルバムタイトルの「EXTRA」を翻訳してみた。「余分な」という意味だった。

注釈などの文章を読まずに、掲載された写真を眺めるだけでも楽しい一冊、「日常の絶景」。

 

本書の絶景のなかでも圧巻だったのは砂防(さぼう)だ。山道などを通ると目にするお菓子のワッフルのようなあれであるが、本書の砂防はスケールがデカい。アートを意識せずにつくられたところに純粋なアートを感じる。美術評論家が現代アートの作品として捉えたとしたら、どんな言葉で評するだろう。

 

僕は以前から山奥のダムや山と山をつなぐように建てられた橋を見るのが好きだ。山を切り開いてつくられたコンクリートの巨大な造形物は理屈抜きでゾクッとさせられる。青々とした山々や草木の茂る自然のなかに唐突に存在する幾何学的で単色の人工物の不自然さがそうさせるのかもしれない。

7月も中旬。この時期になると、盆休みの旅行の計画を立てることが楽しくなってくる。多くの人で賑わう観光地やレジャー施設も楽しいが、地元民の生活が垣間見れるような商店街や、地元民も近寄りがたいようなアンダーグラウンドな一角もその地の生々しさを感じ、足を踏み入れたくなる。

 

「商店街さんぽ」には、一般的な旅行雑誌は見向きもしないだろう全国津々浦々の昭和が過ぎる商店街が多く収録されている。著者あさみんさんの撮る、空気感や匂いまで伝わってくるような写真に魅せられる。朽ちかけたアーケード、薄暗くて狭い路地、こじんまりと連なった繁盛しているのか否かわからない店、色あせた看板、鮮やかに光る原色の看板、そのデザイン・フォントなど、地元の人にとっては昔からあって見慣れ過ぎた一風景は、言わずもがな美術セットのように狙ってつくったものではなく、年季が入って熟した味わいがある。

 

旅行に行くなら人気の観光地もいいが、こういう一角もやっぱり惹かれる。

何事にも不真面目な自分は、雨で仕事(植木屋)が休みになると歓喜する。もう41のおっさんだけど、会社から休みの連絡が入ると、子供のように小躍りする。明日の天気は高確率で雨だという予報を知ると、「休みになるかな(なってくれ)」と期待が高まる。その日の夜はちょっと寝られなくなってしまうくらいだ。

 

梅雨に入ると、この期待と歓喜が繰り返される。のだが、ここ最近は結構な雨でも現場へ直行することがありウンザリしている。せっかく1ヶ月無料でRakuten TVのAV見放題を契約したのに。ちなみに契約したのは梅雨に入る少し前で、今月15日までで無料期間が終わってしまう。雨で仕事がなくなれば、その分シコれるのに…と思っていたのだが現実は厳しい。

 

有料になっても契約を続行すべきか悩むところだ。Rakuten TVのAVは再生速度の調節ができ、速度を落とした時に音声もゆっくり流れる。そのゆっくりとした女優さんの声がエロくてエロくてたまらないのだ。

 

とりあえずこの連休は悔いのないようにシコろうと思う。

ラジオ番組「東京ポッド許可局」で好きなコーナーがある。それは「忘れ得ぬ人々」というコーナーで、毎回、番組パーソナリティの一人、サンキュータツオさんのこんなコーナー説明ではじまる。

ふとしたとき、どうしているのかなと気になってしまう人、自分の中に爪あとを残しているけど、連絡を取ったり会おうとは思わない、そんな誰にでもいる忘れ得ぬ人を送ってもらうコーナーです

毎回、リスナーさんのお便りにしみじみしながら聞き入ってしまう、素敵なコーナーだ。

 

まだ読み途中だが、サンキュータツオさんの著書「これやこの」も「忘れ得ぬ人々」同様、タツオさんが出会った忘れ得ぬ人を綴った一冊で、感慨深いエピソードが多くおもしろい。また、本を読みつつ、僕にとっての「忘れ得ぬ人々」が浮かんできた。

 

思えばもうかれこれウン十年と友達と遊ぶことはなくなった。ただ、あるライブ配信サイトで配信者さんにコメントを打ってゆるーいコミュニケーションをとるくらいだ。そのライブ配信サイトも現在、サイバー攻撃を受けたことにより閉鎖状態で、無事に復旧できるのかわからない。

 

仕事以外では誰ともコミュニケーションをすることがなくなってしまった今日この頃、ふと、ライブ配信サイトで出会った人は今どうしているのだろうと思うことが多くなった。

 

ライブ配信サイトを長年みている僕には、コメントでのやりとりがそこそこあったものの、何の前触れもなく配信をしなくなってしまった配信者さんが何人もいる。「そういえばあの配信者さん、最近配信してないなあ」と気づいても、何の手がかりがないため、消息不明状態だ。

 

きっと配信に飽きてしまったんだろう。配信よりも面白いことを見つけたんだろう。いや、仕事が忙しくて配信どころじゃなくなったのかもしれない。もしかしたら、誰かに誹謗中傷をされてやめてしまったのだろうか。

 

頭をめぐらし、ちょっと切なくなる。みんな元気だったらうれしい。

ポッドキャストで歌人の枡野浩一さんが橋本治さんの「青空人生相談所」を絶賛していて読みたくなった。しかしすでに絶版しているそうで、アマゾンではウン万円の値がついているとのこと。これでは手が出ない。もしかしたら地元の図書館にあるかもしれないと思い検索したが見つからず。ただ、似たような一冊で「橋本治のかけこみ人生相談」を発見したため、早速借りてきた。

 

歯に衣着せぬ鋭い回答は、相談者ではない自分にも刺さった。痛快だ。

 

とりわけ、あとがきで綴られた幸福についての言葉が胸に残った。

幸福というのは「余分なことを考えなくてもすむ状態」です。なぜかと言えば、幸福なんだから余分なことを考える必要がないのです。「ああ幸福だ」でOKです。この言葉を噛みしめていると、「幸福そうな他人を羨むのはバカらしい」という気になります

また、「自分はあんまり幸福じゃない」と思ってしまったら、思い切ってバカになるのもいい、という。

バカになって「今、自分は余計なことをなにも考えてない」を経験してしまうと、その瞬間に「幸福」です。そうやって、他人のモノサシではなく、自分のあり方を割り出して行くのが、「自分はあんまり幸福じゃない病」を治す道だと思います

思えば、美味しいものを食べているとき、何かに夢中になっているとき、旅行で開放感に浸っているとき、布団で横になって眠れそうなとき、そんなときは他人と自分を比べることなく、何も考えることなく、バカになっている。

 

バカになれる人は幸せだ。

少ない年収でも、節約をしながら人生を楽しむ。社会を変えるよりも、自分が変わった方がいい。

 

という心持ち・考えは正しいと思っていた。しかし、評論家の真鍋厚さんいわく、このような心持ち・考えは、「経済的な困窮を社会課題として認識しなくなり」、「自分で自分の首を絞めること」になるという。

 

「生きづらさ時代」で著者の菅野久美子さんが引用した、真鍋さんの言葉は忘れないでいたい。

社会環境によって不自由になっている人々が、『人生は心の持ちよう』だと認知を変えると、当然ながらその社会環境はそのままになります。それどころかどんどん悪化していく。これは自分で自分の首を絞めることに等しい

なぜ社会環境がどんどん悪化していくのか。真鍋さんはこう述べる。

政府や政治家は無茶なことをやっても、結局国民は受け入れてくれる=適応してくれると考えて、全てを自己責任でやってくれとなります

高田文夫さんの「私だけが知っている金言・笑言・名言録」は、お笑い芸人、落語家、タレント、ミュージシャン、俳優、街で見た見知らぬ人、そして高田さん本人が放った金言・笑言・名言におもしろ小話を加えて紹介した一冊だ。ためになったり感銘を覚える格言は少なかったが、笑言(ダジャレ・オヤジギャグ)はうっかり誰かに言いたくなってしまいそうになるくらい可笑しかった。

 

考えさせられたのは、ライムスター宇多丸さんがラジオで語ったという一言だ。

致命的なヒットがなかったから長持ちできた

ミュージシャンにとって自身のヒット曲は必ずしも嬉しいものではないだろう。なぜなら、ヒット曲を一発を飛ばしても、もう二発三発と飛ばさなければ一発屋というレッテル(汚名)をはられてしまうプレッシャーがあるからだ。また、ヒット曲が自身のイメージになってしまうことを不本意に思うミュージシャンも多いように思う。

ついこの前、ミセスの「コロンブス」のMVが差別的な表現があるとしてネット界隈で炎上した。この炎上によって、詞に「コロンブス」が出てくる「パラダイス銀河」が良い意味で再びネットで注目を浴びることになった。

 

パラダイス銀河。いわずとしれた光GENJIの名曲である。この一曲のキラーフレーズに「コロンブス」は登場する。

大人は見えない しゃかりきコロンブス 夢の島までは さがせない

この作詞がチャゲアスのASKAさんであることを知る人はどれだけいるだろう。さておき、「パラダイス銀河」が再びネットで注目を浴びることになったのはただ単に「コロンブス」が詞に入っていたからではない。ASKAさんが以前、自身のブログでこの詞の意味を綴った、こんな言葉が多くの人の胸を打ったからだ。

しゃかりきになって探したって、コロンブスさえも発見することができない夢の島(子供の場所)

ちなみに僕は額面通り、「大人はしゃかりきになっているコロンブスが見えない」だと思っていた。ゆえにASKAさん本人のこの答えにぐっと惹かれ、さらにこの一曲が大好きになった。

 

今回のひょんな一件で、懐かしくも色あせずにみずみずしい「パラダイス銀河」が若い人にもっと広まるといいなと思う。

車を運転しながらラジオを聞いていたら素敵な曲が流れた。帰宅したらネットで調べてもう一度聴いてみたい。そう思って曲を聴いていたのだけれど、曲終わりにパーソナリティが伝えた曲名とアーティスト名が帰宅後まったく思い出せなかった。こういうことは車を運転しながら聞くラジオではよくある。

 

ただ、曲名もアーティスト名もわからなくても、曲のなかで必ず耳に残るフレーズがある。それが手がかりとなって、あらためて素敵な曲と出会うことができる。今回失念してしまった曲には「一番じゃないと嫌だなんて ちょっとダサいね」という、世界に一つだけの花と蓮舫がほぼ同時に浮かんでくるパワーフレーズがあった。ネットで「歌詞 一番じゃないと嫌だ」で調べると曲名もアーティスト名もすぐに判明した。バンド名は「チョーキューメイ」、曲名は「sister」。

 

ユーチューブにアップされた「sister」を視聴すると、やはり素敵な曲だった。歌われるのは双子の妹(姉?)への愛で、そこには陰気なものを感じる。けれど、またパッと切りかわる変拍子には気持ちよく揺さぶられる。また、小走りをしているくらいのスピードでささやくように歌うボーカル、麗(うらら)さんの声には清涼感がある。ちなみに麗さんは、日本とタイのハーフらしい。だからというわけではないが、その歌声にはどことなくオリエンタルな雰囲気を受ける。