やっぱJ-POPが好き 自己満日記

やっぱJ-POPが好き 自己満日記

J-POPと本が好き。水着を食い込ませたアイドルの尻はもっと好きです。40代独身のオッサンです。友達はもちろんいません。

わたくし田舎育ちゆえ、都会のアングラな世界に惹かれ、この手の本は興味本位で読んでしまう。

 

劣悪な家庭環境で育った女性は、愛に飢え、悩みや話を聞いてくれるホストクラブにハマってしまうケースが珍しくない。ホストクラブは初回のサービスで格安で遊べることはできても、通うとなるとやはり大金が必要となる。それでもホスト通いをやめられない女性は、相手のホストに借金(売掛・ツケ払い)をしてまで通う。そこで悪質なホストはお金が払えそうにない女性客に風俗や路上売春を勧めることがある。

 

本書「ルポ歌舞伎町の路上売春」が上梓された翌月、12月5日(2023年)にアップされた産経新聞のネット記事には、「東京都新宿区は5日、歌舞伎町の主要ホストクラブの代表者らと会合を開き、ホストクラブ側が4月までに売掛金による支払いを廃止する方針を明らかにした。客への売掛金をホスト個人に肩代わりさせる慣習もなくすという」とあった。

 

2026年現在、路上売春は以前よりも減ったのだろうか。

数ヶ月前、東京へ日帰り旅行へ行った際、とあるお店で目に入ったキーホルダーに一目惚れした。いつもなら衝動買いするところだが、ただの無駄遣いになってしまうと思い、グッと堪えて店を後にした。

 

しかしそういう物ほど頭から離れず、やっぱり買っておくべきだったと悔やむもの。案の定、数日後、悔やんだ。もしかしたらネットでゲットできるかもしれないと思ったが、見つからず、欲しい気持ちは増すばかりだった。

 

月日は経ち、この前の連休。再び東京へ日帰り旅行をした。蚤の市に行ったり、以前から気になっていたカレーを食べたり、馴染みのオナクラで抜いたりと欲望を満たし、そして念願だったキーホルダーも手に入れ、充実した旅行となった。

 

 

ビックリマンもマン子も好きだし、一石二鳥のキーホルダーでござい。

頂き女子りりちゃんといったら、「男を騙して大金を奪って捕まった配信者」という漠然としたイメージしかなかったが、「渇愛 頂き女子りりちゃん」を読んでみたところ、りりちゃんの半生や世間を騒がせた事の顛末がみえた。

 

りりちゃんを追った著者、宇都宮直子氏も配信を見るりりちゃんファン同様、面会に通ううちにりりちゃんの一ファンのようになってしまうところがあったが、被害者の男性の取材を通し、記者として冷静さを取り戻していく様が印象に残った。

 

正直、読後感は良くない。というのも、判決が下されてもりりちゃんから被害者に対して謝罪の言葉もなければ、自身の起こした犯罪に気づいていないままだったからだ。

 

りりちゃんは自身も被害者の気持ちでいるようだ。家庭環境が劣悪で居場所がなかったことは不運でそれが原因だったとはいえ、その後ホストクラブを居場所にし、ホストに大金を貢ぐために他の男を騙し、ホストに大金を貢ぐことで自身の存在意義を見出す行為は理解できなかった。

「沈黙を破る」は、過去に性被害を受けたという男性が告発するまでの半生を著書の秋山千佳氏が綴ったノンフィクション。サブタイトルは『「男子の性被害」の告発者たち』。

 

本書で取り上げられた加害者である男性教師の悪行にふと浮かんだのは、僕が中学時代に通っていた学習塾の男の先生だ。

 

そこは個人経営の小さい塾だった。先生は一人だけで、30代前半くらい。独身。体格は小太り。性格は気さく。そんな先生は周りの生徒から好かれていた。僕も悪い印象は持っていなかった。

 

ただ、一度だけ先生から性的なイタズラをされたことがある。場所は教室だった。僕と先生が座卓で横並びに座って何か話をしていたところ、どういった流れかは忘れたが、先生が僕を押し倒すように抱きついてきた。ふざけての行為だったのは明らかだったため、恐怖感はなかった。

 

しかし先生の行為はそれだけでは終わらなかった。押し倒した状態から、僕のズボンに手を突っ込んで、金玉袋をもみもみし出したのだ。力の限り抵抗するも、先生の力には敵わなかった。揉まれながら「〇〇(僕の名前)さぁ、金玉袋デカくない?」と言ってきた先生に返す言葉がなかった。

 

金玉袋もみもみで終わればまだよかった。先生はターゲットを金玉袋からチン子に移してきた。引き続き力の限り抵抗するも、やはり先生の力には敵わず。金玉袋同様、揉みしだかれるかと思ったら、皮を剥いてきたのである(仮性包茎)。妙なくすぐったさがあり、思わず笑ってしまった。僕も先生も同性愛者ではないが、側から見れば、そう映ったかもしれない。

 

今ブログを書きながら改めて思う。先生の一連の行為はギリギリアウトだ。

 

そしてまた、ブログを書きながら思い出したことがある。

 

先生のギリギリアウトな行為があってからしばらくしてのこと。教室で一人で自習をしていると、先生が入ってきて「(教室のテレビに)エロビデオが入ってるから、Oナニーしてもいいよ」と言ってきた。マジでヤベー先生だな…と心の中で思ったが、当時はまだエロビデオを見たことがなく、めちゃめちゃ興味はあった。

 

先生が教室から出て行き、ふたたび僕一人になった。どうしようかと悩んだ挙句、もし誰かが教室に入ってきたらと想像すると不安だったが、ビデオを再生した。数分後、無事果てた。3P作品でした。

 

 

以上、寝ます。

「飯島愛のいた時代」を読んだ。著者は主にアダルト産業をテーマに執筆活動をする安田理央氏。

 

僕のなかで飯島愛さんは「AV女優として世に出て人気を集め、引退後はTバックを売りにしたお色気タレントに転身し、深夜のテレビ番組で話題を呼び、ゴールデンタイムでも引っ張りだこになり、お茶の間で大ブレイクした」という印象があった。が、それは一部間違いだった。

 

初のAV作品の撮影は終わっていたが、作品がリリースされる前に、深夜のTV番組にTバックを売りにしたお色気タレントとして世に出ていた。そこで話題を集めてから、AVデビューがアナウンスされ、AV女優として人気を博し、引退後、再びタレントとして大ブレイクを果たすのだった。

 

以上、勉強になりました。

著者の石井光太氏が、親がヤクザだったという14人の証言を元に彼らの半生を綴ったノンフィクション「ヤクザの子」を今読んでいる。まだ一章目を読み終えただけなのだが、かなりヘビーな内容だ。

 

ヤクザである親は、覚醒剤などの違法薬物を売って金を稼ぎ、自身も覚醒剤で身を滅ぼす。親であるのに家庭を顧みず、子に暴行する。そんな劣悪な環境で育った子もまた覚醒剤に手を出したりと非行に走り、親同様にヤクザ気質の人間になってしまう。「反面教師」という言葉があるがしかし、「蛙の子は蛙」と言おうか、「負の連鎖」と言おうか、そう思えるケースが目立った。

 

運悪く、ヤクザの子として生まれてきてしまったことで壮絶な人生を歩まざるを得なかった彼らの姿に、自分は恵まれた人生を送れているのだと実感する。不幸な人と比べて、幸せを実感するのは健全ではないかもしれないけれど。

メルカリで気になる服を見つけても、商品の説明欄に詳しいサイズが記載されていなかったり、掲載された写真からでは商品の色味がイマイチわからないことがある。そんな時は出品者にコメントする。

 

この前もメルカリで良さげなジャケットを見つけたが、サイズや色味を詳しく知りたかったため、出品者にコメントした。すると出品者から「外出中のため、帰宅後に確認します」といった旨のコメントが届いた。対応が丁寧な人だと思った。

 

その後、1日経っても音沙汰がなかったため諦めかけていたところ、出品者から「今日帰宅するので…」というコメントが届いた。対応は遅いが、悪い人ではないと思った。

 

がしかし、その後2、3日経っても返答はなかった。

 

返答を完全に忘れてしまったのだろうか。それとも、今さら返答する気になれずにスルーしたのだろうか。もしかしたら、帰宅中に事件や事故にあったり、病に倒れたりなどして返答できない状況なのだろうか。真相はわからない。

 

仕方がない、今回見つけたジャケットは見送ろう。そう思ったが、出品者が新たに他の服を出品していることが判明。出品者は死んでいない。元気だ。そして思ったことはただ一つ。早く返答してくれ。

 

こちらからまたコメントしようかと悩んだが、またスルーされると思うとシャクだった。ただそれでも出品中のジャケットは気になる。ちょっと欲しい。

 

色々と考えた末、こちらからコメントせずに相手に値下げ依頼の通知ができるメルカリのシステムを使い、ちょっと大幅な値下げの依頼をしてみた。なるべく安く手に入れたい思いと、返答してもらえなかった憤りを込めた値下げ依頼である。

 

するとしばらくて値下げを承諾する通知が届いた。安く手に入れられる嬉しさで憤りは消え、早速購入手続きをし、出品者にお礼のコメントを送った。

 

のだが、出品者の反応は全くなく、今日で3日目。どうしたことか。

ウン年前、ずっと欲しかったアディダスのスーパースターLX(以下LX)をネットのオークションサイトで購入した。新品未使用だった。

 

購入後は大事に保管した。靴とは本来は履くべきものだが、自室で何度か足を入れる程度で、外で履くことはできなかった。それほどカッコいい一足だった。当時このブログでも「もったいなくて履けない」と書いた覚えがある。実際、今日の今日までもったいなくて外で履けていない。

 

もったいなくて履けないのは、それはそれでもったいない。そう思いはじめた半年くらい前から、履く用にもう一足LXを買おうと思い立った。

 

毎晩毎晩、いくつかのフリマサイトで探し続けた。がしかしたまに見つかるものの、サイズが小さかったり大きかったり。仕方がない。LXが発売されたのは2002年とか2003年辺りで、数が減っているのはもちろん、ジャストサイズを見つけるのは至難の業。

 

で先日、サイズもバッチリのLXをやっとヤフオクで発見。もうこれは絶対にゲットせねばならぬと、30000円で入札。ちなみに元々定価は18000円。

 

無事、20000円ちょっとで落札。数日後届いたLXは少し履き込んであり、最初に買った新品未使用のLXにはない味が少しある。やはり言わずもがなカッコいい。

 

そんなわけで、こっちももったいなくて履けない。

 

歌人で土人形作家の寺井奈緒美さんの「おめでたい人」に収録された、「甦れ、感性」と題されたエッセイが印象に残った。

 

寺井さんは、二十代の頃は音楽を聴いて心が震え、自然と涙が溢れることもあった。しかしいつからか、音楽に対して心の傾け方がわからなくなってしまったという。

 

そんな寺井さんだったが、友人のSさんに誘われて行ったイベントに登場したラッパーの田我流の圧倒的な主人公感に惹き込まれたのだった。

 

寺井さんはSさんにこの主人公感は一体何なのかと尋ねると「嘘がないってことじゃない?」と返ってきた。その言葉を受け、寺井さんは思惟する。

「嘘がない」のはきっと「それぞれの人生にリスペクト」しているから、嘘を入れる必要がないのだと思う。リスペクトしている相手といるときは腹の探り合いやマウント合戦がないから、嘘という鎧はいらない。

 

「田我流」の言葉からは、リスペクトの対象は「自然」「街」「時間」「もうここにはいない仲間」とあらゆるものに向けられていることが伝わってきた。もしかして私が音楽を聴けなくなった感性の衰えについても、リスペクト不足が原因のひとつにあるのではないか? 世界へのリスペクト不足は虚無感に繋がる

 

僕もここ最近、いやここ十ウン年近く、最近の音楽を聴いても感動する回数が減ってきたように思う。リスペクト不足なのだろうか。ちょっとわからない。