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⭐︎かほの日記⭐︎

 
20代のとき、50代である母親が若年性認知症に。
大好きな母のために介護をしたい、
仕事を続けたい、
自分の家族をつくりたい、
という "どうしましょうライフ" の日記です。

介護日記 / 仕事日記 / 生活日記

コロナ感染を

避けるための

自宅自粛生活が

終わりかけの頃、

私は仕事が再開される
嬉しさと同時に
少しの心配がありました。
 

一カ月以上、
家での生活だったので、
職場に復帰した際、
きちんと
仕事ができるだろうか、と。
 

細かく決められていることが
多いため、
忘れてしまっていることや、
思考が追いつかなくて
失敗することが
あるかもしれない、
と思いながら、
仕事が再開されるのを
待っていました。
 
 
再開すると
私は自分の間違いに
気づきました。
 

心配すべきだったのは、
自分の頭の回転ではなく、
 
自分の筋肉でした。
 
 
子ども相手の仕事ですので、
基本子どもが泣けば
抱き上げます。
 

一人の子だけを
見ているわけでは無いため、
二人同時に
長時間抱き続けることや
抱きながら
他の業務をしたり、
走ったりすることは
日常茶飯事です。
 

再開初日から、
両腕の子たちが
泣き止むと下ろし、
また泣き始めると
抱き上げるという
スクワットのような動作を
続けた結果、
一カ月
使っていなかった体の筋肉は
次の日、
悲鳴をあげました。
 
 
こんな時、
私はいつも
世のお母さんたちは
本当にすごいなぁ、
と思います。
 
 
 
 
 
 
 
 

BPSDの一つに

「幻覚」がありますが、

母の脳にも
様々な人達が現れました。
 

一人に
話かけているときもあれば、
複数の人達と
会話しているときもありました。
 

認知症が進行するうちに
登場人物たちは
徐々に代わっていきましたが、
一番最初に
「幻覚」として現れたものは、
母の場合、
人ではなく動物でした。
 
 
ある時、
母が部屋の中で
「黒猫がいるので、怖い」
と言い始めました。
 

家に飼猫はいないので、
外にいる猫でもみたのかと思い、
窓の外を確認してみましたが
何もいません。
 

その時は、
猫は素速く
どこかへ行ってしまったのだろう
と思ったぐらいでしたが、
その日から母は
黒猫がいて怖い、
と何度も言うようになり
「あぁ、
これが『幻覚』というものか」
と理解しました。
 

その頃、
認知症に対する知識が浅く、
はじめ「黒猫なんていないよ」
と母の言葉を
否定していましたが、
否定しない方がいい
と聞いてからは
「私がお母さんを
守っているから、
お母さんには
飛びかかってこないよ」
と言うと
一瞬安心したような顔を
しました。
 
 
母の黒猫は
連日姿を現しました。
 

こんなに
怖がっているのだから、
もし本物の黒猫に
出くわすようなことが
あったら、
母は一体どんなパニック状態に
陥るのだろうか、
と心配になり、
その対処法を考えよう
とその時に備え、
シミュレーションを
繰り返しました。
 
 
ある日、
母と一緒に買い物に行った
帰り道、
本物の黒猫が突然
私たちの前に現れました。
 

事前に用意していた
対処法は何処へやら、
私は
「お母さん、黒猫、黒猫だ」
と興奮ぎみに
大きな声を発してしまい、
急いで母の方を見ると母は、
何と、
 
 
無反応。
 
 
母の態度が
腑に落ちない私は、
頼まれてもいないのに、
母の手をとって
「お母さん、ほら、黒猫だよ。
いつも言ってる黒猫だよ」
と言いながら
一緒に近づきますが、
微塵も反応は無し。
一ミリも
心を動かされていないような
無関心な母の様子に、
一人
拍子抜けしてしまいました。
 

その後、
母の脳から黒猫は去り、
動物ではなく
人々が居座るように
なりましたが、
私は道で猫を見かける度、
「母の頭の中にいた黒猫は
もっと巨大で、
世にも恐ろしい姿をしていて
私が知っているような
類いのものでは
なかったに違いない」
と自分に言い聞かせています。
 
 
 
 
 
 
 
 

​​​​​​今日、

前職のことを

ふと思い出しました。
 
 
以前、
私は英会話教室で
子供達に英語を教える仕事を
していました。
 

その日の授業のテーマが
「友人に何歳か尋ねましょう」
というものでしたので、
生徒同士が
互いに質問し合う時間を
設けて授業を進めていました。
 

突然、
一人の女の子が
生徒にではなく
私に対して
歳を尋ねてきました。


私が
「何歳だと思うか」
と逆に質問すると
彼女は笑いながら
「わからない」
と答えました。
 

このような質問に対しては
いつでも答えられるように
決まった答えを用意していて
その時も空かさず、
「I'm seventeen(17歳だよ)」
と胸を張って答えました。
 

その後に、
小さな声で
「永遠に」
と付け加えることを
忘れずに。
 

そのクラスにいたのは
高学年の子達だったので、
すぐに
私の言っていることが分かり、
ニヤつきながら、
「seventeen、
いや、seventy(70歳)
でしょっ」
と揶揄ってきました。
 

クラスは
とてもいい雰囲気で、
皆で笑い合いました。
 

一人の男子生徒を除いて。
 

その子は、
「うむ」と低い声を一声出し、
自分の拳を顎に当てながら、
真剣な顔で呟きました。
 
 
「seventeen、つまり17歳か。
それなら僕とは6歳差なんだな」
 
 
彼の純粋さの前で、
私は心の汚れを
恥じました。
 

 

 
 
 
 
 
 
 

「認知症になった人に対して

その人の心に寄り添ったケアを」

とよく言われており、

母のために、

出来る限り心がけよう

と思っています。

 


しかし、

この地域で生まれ育った

住民に根付くあの習性は

なかなか厄介なものです。

 

 

ボケられると

反射的にしてしまう

ツッコミ。

 

 

習性というものは

恐ろしいもので、

いくら気を付けていても

頭で考えるより先に

つい出てしまいます。

 


当然、

母はわざとボケている

わけではないので、

馬鹿にされている

と感じて憤慨します。

 

 

BPSDはありましたが、

母がまだ歩き廻ることが

できていた頃の話です。

 


正月に、

家族一緒に

テレビで箱根駅伝を見ました。

 


大学生たちが疾走する姿は

胸に迫り、

母はとても感動していました。

 

 

次の日、

よほど心に残ったのか、

太陽も出ていない早朝、

母は自分の夫を

大声で叩き起こす

という行動に出ました。

 

 

「早く、早く起きて。

 マンションの下で

 学生たちが

 待ってるから。

 

 早く行かなくちゃ、

 急いで下りなくちゃ、

 今すぐ走らなくちゃ、

 

 お父さんが。

 

 

思わず、家族で総ツッコミ。

自分は走らなくて

いいらしいです。

 


もちろん、

ツッコまれた母は激怒。

 

 

人の心に寄り添った

言葉がけというのは

なかなか難しいものです。

 

 

ちなみに、

スパルタコーチの

早朝起こしは

その後、

三ヶ月続きました。

 

 

  

 

 

社会に出ると

こんな人になりたい

と思う人に

出会うことがありますが、

私も

母の介護をきっかけに

出会った人がいます。

 

それは
現在
母が通うデイサービスで
母を担当している
スタッフの人です。
 
 
はじめ、
母は自宅で家族とリハビリを
していたのですが、
BPSDがひどくなり、
一人での留守番が難しく、
週に数回
デイサービスに
通うことにしました。
 

案の定、拒否の嵐。
威嚇する、怒鳴る、ドアを叩く、
動き廻るなどの反応をみせて
体験の時点で施設側から
やんわり断られる始末。
 

というのを
数ヶ所のデイサービスで経験して
「母は性格的に通えないかもしれない」
と焦り始めていたとき、
ケアーマネージャーさんから、
少し家から離れるが、
懇意にしているスタッフのいる
デイサービスがある
と聞きました。
 
 
体験に行くと
施設がきれいで、
スタッフ同士が
よくコミュニケーションを
とれているような、
いい雰囲気の場所でした。
 

ここに通わせよう、
と私は一瞬で
心に決めましたが、
母は断固拒否。
 

同じ行動を繰り返し、
「ここでも
断られるかもしれない」
と思いましたが、
担当の人に
「大丈夫、大丈夫」
と嫌な顔一つされずに
受け入れられました。
 
 
ですが、
通所拒否は続きます。
前述の
いくつかのデイサービスで
母の利用を
断られた大きな理由は、
母がまだ若く、
体力があることでした。
 

ドアを開けようと
力いっぱい数時間
扉と格闘するので、
ドアが壊されてしまう
可能性がありますし、
足は頑丈ですので
散歩中など
全速力で逃走すれば
なかなか追いつけません。 
 

デイサービス側としては
責任問題や
スタッフの配置人数があると思い、
担当の人に会う度、
「迷惑をかけていると思います。
本当にすみません。」
といつも頭を下げていました。
 

しかし、
その人は明るく、
母は決して迷惑な存在ではない、
と私の言葉を
否定し続けました。
 
 
今では、
母も落ち着き、
車椅子生活になっているため、
施設内で
静かに座っているようです。
 

私も、
職業柄、
人を相手にすることが
多くありますが、
辛くなったときは、
そのスタッフの人の立ち振る舞いを
思い出し、
模範にしながら
行動しています。