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⭐︎かほの日記⭐︎

 
20代のとき、50代である母親が若年性認知症に。
大好きな母のために介護をしたい、
仕事を続けたい、
自分の家族をつくりたい、
という "どうしましょうライフ" の日記です。

介護日記 / 仕事日記 / 生活日記

良くも悪くも

私は職場の中で
子どもたちに一番甘い職員だそうです。
 
なので、他の厳しめの職員が怒ると
シュンとなり反省する子たちが
私が怒ると大抵ニヤついています。
 
 
ちなみに、
子どもたちに甘いと
メリットとデメリットがあるなと感じます。
 
メリットは
「子どもたちが心理的に不安や恐怖を
感じたとき、我慢せずにすぐに助けを
求めてくれるようになること」
 
デメリットは
「イヤイヤ期に相当手を焼かされること」
 
 
子どもたちが0歳から2歳までは
自己肯定感の蓄積を重視して
ルールよりも心理的な安定を
優先させたいと思っているので、
たとえ悪いことをしたとしても
怒鳴って言うことをきかせることが
私はあまり好きではありません。
 
とは言うものの、
スキル不足からイヤイヤ期の子どもを
上手く誘導できない時があり、
ベテランの職員たちに
「集団行動をきちんと教える厳しい大人と
上手くいかなくてもフォローする
優しい大人の両方がバランスよくいる
環境が大事なんですよ」
と慰められています。
 
 
ある2歳の男の子も
他の職員の前では
自分で着替えができるのですが、
私の前では仁王立ちになって
強制的に私に着替えさせます。
 
「◯◯くん、
できるから自分でしようよ」
と何度言っても
「イヤーっ、やるのーっ」
と叫び続けます。
 
練習中でしたら本人の成長のために
手を貸さないのですが、
普段我慢していて
心理的に甘えたいだけかな、と思い、
その日もいそいそと
彼の着替えを手伝っていました。
 
その時、男の子が
掴んでいた自分のTシャツを
床に落としてしまいました。
 
そのことに気づいた一人の女の子が
側に寄って来て、
彼のシャツを拾いました。
 
その女の子、性格が大人しく、
いわゆる「ザ・女子」という感じで
とても可愛いのです。
 
彼女がおずおずと「はい」と言いながら
男の子にシャツを手渡すと
今まで私に向かって叫び過ぎて
顔が真っ赤になっていたその男の子、
急に態度を変え、
言いました。
 
 
「あ、ありがとう
ごじゃいましゅ」
 
 
私は驚きのあまり、
心の中で一人ツッコミました。
 
その扱いの差は何だい?
 
私たち、一応ですけど、
二足歩行の同じ人類ですよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

私は母に

一方的に話すことが好きです。

 

 

認知症が進んで
会話がほとんどなくなった今、
 
 
目を合わせてくれるのが嬉しくて
いつも母に向かって話しかけます。
 
 
仕事(保育)で子どもたちに、
人に何かをしてもらったら
 
「『ありがとう』と
お礼を言いましょう」
 
と言っているので、
 
 
母に食事を出したり
オムツを替えたりすると
 
「お母さん、
『ありがとう』は?」
 
と言って毎回恩着せがましく
礼を促します。
 
 
もちろん母は無視。
 
 
私の言っていることが
分かっていないのだろうなぁ、
と普段思っていました。
 
 
ところが、今日、
母の寝起きの顔が清々しく、
キレイに見えたので、
 
「お母さん、美人ねぇ〜」
 
と言うと
 
 
母がにっこり笑って
 
「ありがとう…」
 
と言いました。
 
 
久しぶりの応答に
驚いたと同時に
 
「え、私の言っていること、
今までも実はわかっていたの?」
 
という疑惑が。
 
 
どちらにしろ、
母の返事が嬉しくて
 
「認知症になったとしても、
『心』はいつまでも
動いているのだなぁ」
 
と思いました。
 
 
 

 

 

 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の①はこちら。

 

 

 

(①からの続き)

 

 

今日は前回紹介した子より、

少し歳が上の女の子について書きます。

 

 
 
 
【ピンクが大好きな女の子】
 
泣くことがあまりなくなる年頃の子ですが、
感情の起伏が激しく、
思い通りに物事が行かないと
癇癪を起こして泣き叫ぶことがあります。
 
ピンクの物が大好きで、
自分の持ち物以外でも
ピンクの物を選びたがります。
 
 
子どもたちがお茶を飲むためのコップは
様々な色の物があるのですが、
ベテランの職員は配る前に、子どもたちに
「出された物で飲んでください。
色を選ぶことはできません」
と言って、ケンカが起こらないように
先に釘を刺しておきます。
 
しかし、その女の子はそのルールが嫌いで、
どうしてもピンクのコップを
選びたがります。
 
もちろん、ピンク以外のコップを
差し出されたときは、
「ピンクがいいっ」と主張し、
それでも「これで飲んで」と言われると
大声で泣き叫びます。
 
一見、
わがままな行為と捉えられがちですが、
彼女の場合、自分の主張を何が何でも
通したいという性格なわけではなく、
感受性が人一倍強いことから
このようなことが起こるようです。
 
色や物の配置に敏感で、
自分の思っているものと違うと
心がザワザワして
落ち着かなくなるのかもしれません。
 
 
ですので、そういう時は、
そのコップを一度下げて
コップの保管場所に再び行き、
違う色のコップを持ってきます。
 
他の子たちが見ているので、
贔屓にならないように
コップはピンク色ではありません。
 
そのコップを渡そうとすると
はじめ、その女の子は
「いやだっ」と言いますが、
「ピンクのコップはもう無かったの。
全部使っちゃったみたい。
一生懸命探したんだけど。
ごめんね。これでいいかな」
と訴えると泣き止み、
「いいよ」と言って飲んでくれます。
 
他の子には通じない方法なので、
彼女の心が敏感で、
押しつけられたルールや
決まり事は苦手ですが、
他者の心の痛みが分かる子なんだなぁ、
といつも感じます。
 
 
 
 
 
 
 
 



「子どもはよく泣くものです」
と言われていますが、

私の感覚では

よく泣く子もいれば

時々泣く子もいれば

滅多に泣かない子もいます。

性格は皆それぞれです。

 

 

なかなか手強いのは、

泣き始めると

しばらくずっと

泣き続ける場合です。

 

私のスキルが低いせいか、

あやそうが、抱こうが、

何をしても効果がないように思われ、

途方に暮れてしまうことがあります。

 

 

そんな子どもたちですが、

「え、こんなことで泣き止むの」

とこちら側を

驚かせる行動をとる子たちがいます。

 

その内、私が出会った二人の子について

紹介したいと思います。

 

 

 

【分かる言葉が増えている女の子】

 

始めは警戒心が強いようですが、

心を開くといつでもどこでも

よちよち歩きながら

ぴったりとついてくる

可愛らしい女の子です。

 

普段は大人しいのですが、

友達に物を取られたり、

わざとでなくても友達の手が

体に当たってしまうと

大声で長時間泣き続けます。

 

私がいくら

抱っこをして

背中をさすり、

甘い声で「いやだったね、

怖かったね。もう大丈夫だよ」

と慰めても全く効果なし。

 

その小さな女の子、

あることをすると

ピタリと泣き止みます。

 

 

それは、何と

相手からの謝罪。

 

 

始めは、こんな小さな子が何て厳しいっ、

と思い、驚いていましたが、今は、

相手の子がどんな小さな声でも

「ごめんね」と言えば泣き止むので、

自分の泣き声の中、よく聞き取れるなぁ、

と逆に感心しています。

 

 

大人でも

理不尽なことをされれば、

きちんと謝ってもらいたいものです。

 

子どもは尚更、純粋でしょうから、

嫌な行為に対してきちんと非を認め、

詫びてもらいたいようです。

 

 

 

 

image

 

 

 

 

続きの②はこちら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の家の周りは

坂だらけです。

 


私が中学生だった時に
この地域に引っ越して
来たのですが、


当初、母はこの坂の多さが
「少し辛い」
と言っていました。
 

車の運転をしない母にとって
仕事や買い物への
行き帰りの手段は
歩きか
自転車しかなかったので
母の気持ちは分かります。
 
 
認知症初期の頃、
私と母は
自分達の健康と
母のリハビリのために
早朝に
近所の周りを散歩する習慣が
ありました。
 

太陽が昇るか昇らないかの
薄暗い頃に家を出発して
一時間半ほど歩いて
帰って来ていました。
 

早朝の空気は美味しくて
人がいなく、静かで
海が近いため、
天気の良い日は
景色が素晴らしかったです。
 
 
しかし、
散歩コースには一つ難所があり、
最後にそこを登らなければ
家に帰れない
「心臓破りの坂」
がありました。
 

速く登れる人は
10分ほどで登り切る
急斜面の坂ですが、
私たちはいつも
その倍以上かかっていました。
 

当時、
20代で体力があったはずの私が
息を切らしながら登っていたので、
母にとっては
相当苦しい坂だったと思います。
 

坂の始めに笑い合っていたのが
坂の途中で真顔になり、
坂の終わりには
息が切れぎれになって
それでも
お互い励まし合いながら、
毎日
その坂を
一緒に登っていました。
 
 
その後、
母が日中に階段で
足を骨折してしまい、
残念ながら、
早朝散歩の習慣はなくなりました。
 
 
私はその坂の前に来ると
認知症が進んで
歩くことが出来なくなった
母のことを思い、
「お母さんと登っていたなぁ」
と感慨深くなります。
 

あの時の辛さを覚えている
というより、
辛かったけれど
母と声をかけ合いながら
「一緒に」登っていた
ということが
私にとって
かけがえのない思い出に
なっています。