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⭐︎かほの日記⭐︎

 
20代のとき、50代である母親が若年性認知症に。
大好きな母のために介護をしたい、
仕事を続けたい、
自分の家族をつくりたい、
という "どうしましょうライフ" の日記です。

介護日記 / 仕事日記 / 生活日記

仕事の話です。

 

今日、思いきって
ある女の子のお母さんに、
その子の行動について
質問してみました。
 
その女の子は
夕方、お母さんが迎えに来ると
いつも母親に向かって
「ママ、見ないでっ。
向こうで待っててっ」
と言います。
 
ほかの子どもたちは
保護者の人が迎えに来ると
長い時間我慢していた分、
一気に開放的な気分になり、
喜びを表したり、はしゃいだり、
上手く出来るようになったことを
「ママ見ててね」と言いながら
披露したりすることが多いので、
その女の子の言葉が
気になっていました。
 
私から見ると
母子の仲は良く、愛着関係も
しっかりしているように見えたので、
ますます謎で、
ベテランの職員に質問しましたが、
よく分からない、という答えでした。
 
女の子の内面を知りたくなり、
失礼のないようにお母さんに尋ねてみると
「もっと小さかったときからずっとですよ。
機嫌が悪いときは、『〜しないでっ』
ってよく言います」
と言われました。
 
お母さんのその言葉でやっと
私は気がつきました。
 
その女の子の
「見ないで」は
自分のペースを守りたい
ときに使う言葉なのだ、と。
 
遊んでいる姿を見せたくない訳ではなく、
自分のペースで
遊びを終わらせたい気持ち。
 
帰りの用意を見せたくない訳ではなく、
自分のペースで
きちんと準備がしたい気持ち。
 
それが「見ないで」の言葉に
なっているのだ、と。
 
 
普段優等生で、集団行動の中、
決められたルールを
しっかり守る子だったので、
見落としていたのでしょう。
 
本音は
自分のペースで行動したいと思っている
人一倍マイペースな子だったようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

前回の①はこちら。

 

 

 

(①からの続き)
 
 
 
 
ここからは私の記憶です。 
 
 
〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜
 
(記憶は、家の前にある小道から、
スタートしています)
 
空は夕焼けでした。
 
自分が左右に揺れている感じ
(おそらくおぼつかない足どり)で、
私は一人、小道を進んで行きました。
 
小道を行き切ると、
今度は大通りに出ました。
 
その大通りが坂になっており、
しばらく私は立ち尽くしていましたが、
下から一人の男性が歩いて登ってきました。
 
その初老の男性は、私の前で立ち止まり、
上から見落ろす姿勢で、
私に色々話しかけました。
 
私が固まったままでいると、
その男性は私を持ち上げて、
私は男性の肩に乗りました。
 
そのまま男性と私は坂を登っていきました。
 
坂の途中の右手に弁当屋があり、
弁当屋に入った後、私の目の前で
複数の大人たちが話をしはじめました。
 
そして、そのうちの一人が私を抱き上げて、
厨房に連れていき、
その厨房の奥にあった丸椅子に
私を下ろしました。
 
男女の人たちが話をしながら、
私に、爪楊枝が刺さったソーセージと
卵焼きをくれました。
 
それを見た私は急にテンションが上がり、
パクリと食べました。
 
〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆〜
 
 
私の記憶はここまでです。
 
 
その後、どのように
両親のもとに戻ったのかは分かりません。
 
おそらく、そこにいた誰かが警察に
電話をしたか、もしくは
連れていってくれたかだと思います。
 
 
ですので、私としては、
自分を見つけたのは警察ではなく、
初老の男性で、保護してくれたのは
弁当屋の従業員の人たちだった、
と思っているのですが、
両親はその事実を知りません。
 
その後、間もなく私達家族は引っ越しをして
その地域から離れましたが、
当時の家の周りの景色を
私は今も覚えています。
 
 
 
なぜこのような話をしているのかというと、
現在、
私は子どもに関わる仕事をしていますが、
その記憶が残っているおかげで、
子どもたちがどんな風に大人たちを
見ているのかを
何となくですが、想像することができます。
 
小さな子どもは、
大人の言っている言葉の細かい部分は
分かりません。
 
ですが、
大人たちの声のトーン、間の取り方、
表情、手や顔の動きなど、
総合的に感受して
相手が怒っているのか、喜んでいるのか、
褒めているのか、貶しているのか
などをきちんと判断しています。
 
もしかすると、
子どもの方が大人よりも
非言語コミュニケーションの探知に
優れているのかもしれません。
 
「こんな小さな子にこんな難しいことを
言っても理解できないだろう」
と大人は思いがちですが、
案外、子どもたちは
自分の持っている五感の全てを
総動員しながら、
私たちの意図していることを
理解しているものだと思います。
 
 
 
 

 

 

 

 

 








私には1歳後半、つまり

2歳になる直前の記憶があります。

 

 
脳の海馬の発達の関係で、
人間には、3歳以前の記憶は残らない
と言われていますが、
一つだけ例外があります。
 
 
それは「トラウマ」です。
 
 
私の記憶もこのトラウマですので、
記憶がそのままきれいに残っている、
というよりは、
フラッシュバックのようなものを
何回か起こすうちに脳にこびりついた、
と表現した方が適切かもしれません。
 
 
私のトラウマは
迷子になったことですが、
ちょっとした迷子ではなく、
少し大がかりなものでした。
 
 
まず、両親から聞いた話から書きます。
 
 
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
 
夕方、食事の用意をしていた母は
調味料が足りないことに気づいて、
家の目の前にあるスーパーに
買いに行くことにしました。
 
私はちょうど昼寝中で、
私の姉に少しの間だけ
私をみていてくれないか、
と頼んで家を出ました。
 
しかし、母が家を出た後、
しばらくして姉は一人で
母を追いかけて来てしまい、
慌てた母はすぐに家に戻りましたが、
私は布団にいませんでした。
 
家の中と近所を探しましたが、見つからず、
知り合いの人たちに頼んで一緒に
探してもらいましたが、
私はどこにもいませんでした。
 
日が沈んで、父が帰宅し、
父と父の友人達を含めて探しましたが、
それでも見つからなかったため、
警察に通報しました。
 
その後、警察から連絡が入り、
私はパトカーに乗って
無事に帰ってきました。
 
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
 
 
母はその時パニックを起こして
泣きながら私を探し、
「もう二度と帰ってこないかもしれない」
という恐怖心でいっぱいだったそうです。
 
両親は
「見つけてくれたのは警察だった」
と話しましたが、
確かにそうなのですが、
厳密に言えば、
少し違います。
 
 
 
 
 
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長年母の介護をしている中で

私には、ずっと忘れられない、また、
これからもおそらく忘れないであろう、
一つの後悔があります。
 
 
母の認知症初期の頃、
母は友人宅を訪ね間違えることから始まり、
一人で計算が出来なくなって
そして、徐々に自身の生活に対して
無気力になっていきました。
 
 
ある日、
私は母と一緒に料理をしていたのですが、
途中で料理に使う卵の数が足りないことに
気がつきました。
 
母は、私が他のものを作っている間に
自分が近くのスーパーで買ってくる、
と言いました。
 
「他にも足りなくなりそうな物を
一緒に買ってくるね」と母は言いましたが、
私は少し心配になり、
「卵だけ買ってきて欲しい」と伝えました。
 
母が家を出てから一時間後、
母は何も持たずに家に戻って来ました。
 
卵が売ってなかったのか、
と尋ねましたが、
母は混乱したように
「買えなかった、買えなかった」
と繰り返すだけでした。
 
その時、
卵一つ買えなくなってしまったのか、
と言葉にこそ出さなかったものの、
呆れた顔を私は母に見せてしまいました。
 
私のその顔を見て
母は本当に悲しそうでした。
 
 
母に留守番をしてもらい、
今度は私がスーパーに行くと
会計の際、レジのところで店員さんに
「1000円以上お買い上げになりますと
卵が一パック100円になりますが、
よろしいでしょうか」と聞かれ、
「あぁ、お母さんは
この店員さんの言っていることが分からず、
どうすればいいのか混乱してしまったのか」
と理解しました。
 
 
その後、母の認知症の症状は
重くなっていきましたが、
あの日のことが時々思い出されます。
 
「私は何て顔をお母さんに
見せてしまったのだろう。
症状を軽く見て買い物に行かせ、
帰り道で迷って二度と帰らない
という最悪の状況になることだって
ありえたのに。
なぜ、無事に帰ってこれたことだけでも
喜ばなかったのだろう」と。
 
認知機能が衰えて行くことへの不安と恐怖を
本人が一番感じていたに違いありません。
 
私はその母の心に寄り添うどころか、
母の心を深く傷つけてしまいました。
 
 
私があの日母にしてしまったことは
母に今どれだけ尽くしていても、
心の中に、母に対する罪の意識として
残り続けると思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 





「初心」を忘れないように、

前職から今の仕事に

私がなぜ転職したのかを

書いておこうと思います。

 
 
理由は2つあります。
 
 
一つ目の理由は
「もっと欲が出たから」です。
 
前職の英会話講師だった時の生徒は
生後6ヵ月の赤ちゃんから大人まで
でした。

 

 
英会話スクールのルールとして
常に英語で話しかけていましたが、
子どもが大好きな私は
できれば日本語で、
週一回一時間のレッスンだけではなく、
「もっと深く
子どもたちと関わりたい」
と思うようになりました。
 
 
2つ目の理由は
「母親の存在」です。
 
転職を考え始めた頃が
母の介護中であった30歳の時でした。

「お母さんは50代で
若年性アルツハイマーになった。
私だって、
あと20年間しか
好きなことができないかもしれない。
『いつかは』なんて言っていられない」
と考えたからです。
 
 
そして、
私は30代で転職をしました。
 
 
これからも毎日忙しい日々が
続くと思いますが、
どうしてあの時、今の仕事を選んだのかを
時々思い返すことで
仕事に対して常に
創意工夫をしていきたいです。